第百二話
『…上手くいったな』
任務は拍子抜けするほど順調だった。
森の結界は俺をエルフと誤認し、阻まれることはなかった。
アンドヴァリ率いる騎士団はまだ到着していない。
後は彼らが森に辿り着く前に、結界の要となっている樹を見つけ出すだけだ。
『こんなところで何やっているのですか?』
ようやく結界の要を見つけた所で、誰かに見つかってしまった。
それはエルフらしい妖精のような顔立ちをした新緑色の髪の少女だった。
『もうすぐ人間が来るからここに近づくなってロプトルが言ってましたよ? 早く里に戻りましょう』
目撃者は殺すべきだったが、何故かこの時の俺はそんな気にならなかった。
手を掴まれるのなんて、初めての経験だったからかもしれない。
『そう言えば、あなたとは初めましてですか? 私はアルファルと言います』
『…ああ、よろしくな』
俺は名乗らず、自分をエルフと勘違いした少女についていった。
『………』
俺はエルフが嫌いだった。
好きになる理由が無い。
何故ならコイツらは俺の母を追放した。
森でしか生きられないエルフを外の世界に放り出し、拒絶した。
そのせいで母は奴隷に身を堕とし、衰弱して死んだ。
だからアンドヴァリにエルフを滅ぼすと聞かされた時も何とも思わなかった。
この任務も喜んで受け入れた。
『あら、君は…』
エルフの里に来てすぐに族長である女に会った。
名前はベイラと言った。
この女が母を追放したと思うと、殺してやりたくなった。
『…あなたは、この森で生まれたエルフではありませんね?』
『ッ!』
その言葉に、俺は少なからず動揺した。
だが、考えてみれば当然かもしれない。
人間に比べ、それほど多いとは言えないエルフだ。
族長であるなら全てのエルフの顔を覚えていても不思議ではない。
『そんなに怯える必要はないわ。何もしませんから』
危害を加えるつもりはない、とベイラは言った。
『例え生まれが違おうとあなたはエルフ。この森の子に変わりはありません。ここに居たいのなら私は歓迎しますよ?』
何だそれは、と俺は激怒した。
何故、そんな言葉を自分にかけるのかと。
それならば何故、
『何故、俺の母を追放したんだ…!』
『…あなたの母、ベズヴィルドは掟を破って人間に干渉しました。傷ついた人間を治療し、エルフの薬を無断で渡した』
ベイラは悲しげな眼でそう告げた。
『自分が人間に騙されているとも気付かずに。元々人間の目当てはエルフの薬だった。全て芝居だったのですよ』
『…そんな』
『私は族長として罪人には罰を与えねばなりません。しかし、あなたは違う。あなたには何の罪もない』
そう言うと、ベイラは俺の髪に触れた。
エルフとは異なる黒髪に。
『その髪の色はベズヴィルド譲りなのですね。彼女はそれがコンプレックスだったみたいですが、私はその綺麗な髪が羨ましかった』
懐かしさと親しみを込めた目でベイラは俺を見ていた。
恐らく、母を追放したベイラに憎しみはなかったのだろう。
知人を憐れみながらも、立場故に罪人として処理した。
『あなたを母を処刑したのは私です。そのことは言い訳しません。ですが、私は本心からあなたにこの森で暮らして欲しいと思っています』
それは母に対する負い目だろうか。
せめて息子だけでも幸せになって欲しいと願う憐れみだろうか。
何の悪意もなかった。
母を追放したエルフには、何の悪意もなかったのだ。
『俺は、どうすれば…』
俺は苦悩した。
このまま人間の味方をするべきだろうか。
たった一人、自分を受け入れたアンドヴァリの為だけに人間の中で生き続けるべきだろうか。
それともこの森でエルフとして生きるべきだろうか。
自分を歓迎すると言ったベイラの誘いに乗るべきだろうか。
『…俺は』
人間なら迷うことはなかった。
エルフなら迷うことはなかった。
どちらでもあり、どちらでもないからこそ、行き場に迷う。
どちらの側についても半端者。
『…俺は』
そうして俺は、人間を選んだ。
自分を最初に受け入れたアンドヴァリを信じた。
結界の要を破壊し、アンドヴァリが結界を破る手助けをした。
『…ッ』
騎士達は次々とエルフを虐殺していった。
里について最初に話しかけてきた子供がいた。
呆然としていた自分に道案内をしてくれた男がいた。
族長に連れられた自分に果実をくれた女がいた。
その全てが、騎士に斬り殺されて死んでいく。
『あ…!』
エルフ達の死体から目を逸らしながら歩いていると、生きているエルフに出会ってしまった。
新緑色の髪のエルフ。
確か名前は、アルファルと言ったか。
『良かった! まだ生きている方がいました! 早くこっちに!』
慌てたように手招きをするアルファルの足元には石の棺があった。
『早くこの中に入って下さい! 入った後に外から封をすれば、人間には開けることが出来ませんから』
『…君は、どうするんだ?』
『私は族長を待ちます。もうすぐ戻ってくる筈なんですが…』
俺は既にベイラがアンドヴァリに殺される所を目撃していた。
もうアルファルの待ち人は戻ってこない。
騎士に殺された。
…俺が殺したも同然だ。
『え…何、を…?』
俺は背後からアルファルを突き飛ばし、無理やり棺の中に押し込んだ。
石の蓋を閉め、封をかける。
これでアルファルだけは、生き残れる筈だ。
『ここにいたか。ヴェルンド』
封印が完了するのとアンドヴァリが現れるのは殆ど同時だった。
『よくやったな。お前の活躍がなければ我々に勝利はなかった』
アンドヴァリは喜んでくれたが、何故か以前ほど嬉しくはなかった。
すぐにアンドヴァリは俺の足元にある石の棺に気付いた。
『ヴェルンド。その棺を開けることは出来ないか?』
その問いに俺は少し迷った後、首を横に振った。
『試していたんだが、俺には無理そうですね』
嘘だった。
だが、俺にはもうこれ以上エルフを殺す必要性が感じられなかった。
アルファル一人逃がしても問題はないように思えた。
『………そうか』
アンドヴァリはどこか驚いたような顔をしながらも頷いた。
今思えば、この時アンドヴァリの中に疑心が生まれたかもしれない。
従順な子供だった俺が初めて吐いた嘘で、不信感を抱いたのかもしれない。
それが全てのきっかけだった。
地面を侵食する黒い泥。
ヴェルンドを中心に発生したそれは正に底なし沼。
あらゆる物を引き摺り込む異界の門。
「ぐ、おおおおお…!」
ヴェルンドの苦し気な声と共に泥が弾ける。
吐き出されるように宙に投げ出されたのは、華奢な少女の身体だった。
「アルファル…!」
「………アル、ですか?」
慌てて駆け寄ったアルに、アルファルは頭を振りながら答える。
どこか意識がはっきりしないようだが、身体には傷一つないように見えた。
ぼんやりとした表情のまま、アルファルはヴェルンドの方を向く。
「そう、だったんですね…」
悲しみと憐れみを含んだ声で、アルファルは呟く。
「私を棺に入れて守ってくれたのは、あなただったんですね…」
アルファルは泥の中で見たヴェルンドの記憶を思い出す。
ヴェルンドが十二年の間に成長していた為、気付けなかった。
あの時出会ったエルフの少年は、既に死んだと思っていた。
「はぁ…はぁ…」
ヴェルンドは荒い息を吐きながらも、何も答えなかった。
当然ながら、ヴェルンドは全て覚えていた。
アルファルがあの時出会ったエルフの少女だと理解していた。
理解した上で、自身の目的の犠牲にしようとした。
「…混濁よ、来たれ。此処は死者の岸。あらゆる生命を融かす死界の門なり」
泥の質量が増し、ヴェルンドの姿がその中に埋もれていく。
「死界術式『ナーストレンド』」
それがヴェルンドの魔術。
ニドヘグを失ったヴェルンドに残された最後の力。
「はぁ…はぁ…まだ終わりではありませんよ…!」
泥が蠢き、生物の形を取る。
それは無数の黒き蛇。
生者を冥界に引き摺り込む亡者の腕。
「行け…!」
蛇の群れが放たれる。
触れた物全てを融かす泥。
死そのものと言って良い黒き波が、押し寄せる。
「『武器を捨て、平和を甘受せよ。安住の地はここに』」
向かってくる死の波を前に、歌うような声が響き渡った。
黒く汚濁した泥を弾くように、透き通った水が大地を流れる。
「結界術式『ウルザブルン』」
淡い光が泥を消滅させる。
泥で作られた蛇達はその結界を超えることが出来ない。
「どれだけ強力な魔術だろうと、この地は侵せません」
「邪魔を、するな…!」
激高したようにヴェルンドは吠える。
口から血を吐き、滝のような汗を流しながらも魔術を更に発動する。
既にその身体が限界なのは、誰の目から見ても明らかだった。
「…アル、手を貸して下さい」
「ああ…」
アルファルの言葉に、アルは深く頷いた。
決着を付けよう。
声には出さず、アルはそう決意した。




