第百話
暗く重い色をした霰が天より堕ちる。
ドブ水で作った氷のように濁ったそれに、人々は動揺しながら触れた。
触れてしまった。
「あ、あが、があああああァァァ…!」
その染み込んだ魔力の膨大さに、誰かが悲鳴を上げる。
「『破裂』する…! 俺の身体が、破裂しちまう…!」
一つだけでも英雄と同等の魔力。
三つも取り込んでしまえば許容オーバーだ。
肉体は内側から破裂し、手足はドロドロに溶け始める。
「ふ、触れるな! この霰に触れるんじゃない! 早く屋内に…!」
異常を理解した誰かが叫ぶが、それは何の意味もない。
どれだけ早く動けた所で、天より降る雨水全て避けられる筈もない。
「あ、ああ…あああああ…!」
また誰かが断末魔の声を上げ、倒れていく。
死体はみるみるうちに溶け始め、大地と同化した。
正に、阿鼻叫喚の地獄絵図。
人々はただ天を見上げ、祈るしかなかった。
この災厄を齎す神の怒りが終わることを。
或いは、
その神を打倒する者が現れることを。
「死兵術式『エインヘリャル』」
死の霰が降り続ける空に『赤』が混じる。
ヒルドより放たれ、空より降り注ぐのは硬質化した血液の雨。
一本一本がグングニルを模した赤き槍の雨だ。
「ハッ、この程度の攻撃、躱すまでもない!」
霰に混ざる槍を全身に受けながら、ニドヘグは嘲笑を浮かべる。
何の問題もない、とヒルドに向かって雷霆を放った。
「うわっ…!? くっ、まだまだ!」
慌てて雷霆を躱し、ヒルドは次の槍を放つ。
効果が無いと理解している筈なのに、何度も何度も槍の雨を降らせ続ける。
「無駄な足掻きを! 見苦しいぞ、虫けら!」
(…無意味と知りながら、何故攻撃を続ける?)
ニドヘグに肉体の主導権を渡したまま、ヴェルンドは内心疑問を抱いた。
無意味に無差別に槍を放ち続けるヒルドに意識を向ける。
(何か別の狙いがあるのですか…?)
既に血の槍はニドヘグの全身に突き刺さっているが、問題ではない。
身体を貫いたとは言っても、それは表面だけ。
この程度の傷は十秒もあれば再生する。
(…そう言えば、もう一人の方は)
ニドヘグがヒルドに気を取られていることに気付き、ヴェルンドはアルの方へ意識を向ける。
戦っているのはヒルドだけで、アルは戦いに参加していなかった。
ただ地面に手をつき、何かを創り出そうとしている。
『ニドヘグ。もう一人が何か…』
ヴェルンドが警戒を促そうとした時、バチバチと異質な音が響いた。
発生源は、ヴェルンドが意識を向けていた先。
アルの握る『光の槍』からだった。
「創生…」
それは雷光だった。
翡翠の槍を核に雷光が迸り、轟音を発てる。
先程放ったグングニルとは比べ物にならない。
常軌を逸した魔力が込められた神の槍だ。
「神槍『グングニル』」
青白い顔でアルはその名を呟いた。
「その魔力量は人の域を超えている。貴様、どうやって…!」
「…足りなければ、ある所から持ってくれば良いんだよ。魔力なんてそこら中にあるだろう?」
そう言うと、荒い息を吐きながらアルは周囲を見渡した。
天から次々と降り注ぐ死の霰を見上げる。
「コレを自ら取り込んだのか? 馬鹿な、肉体が内部から破裂する筈だ」
「ああ、破裂しそうなくらい痛いし、苦しいぜ。だが、まだ俺は生きている」
ブシッとアルの皮膚が裂ける音が響いた。
傷口から血が零れるよりも早く、傷が塞がってく。
ヒルドの魔術による再生。
否、蘇生だ。
死ぬ筈の肉体、死んで当然の命を無理やり生かしている。
「…呆れて物も言えん。それだけ犠牲を払って得た力でさえ、我には届かないと言うのに!」
「届かないかどうかは、受けてから決めろ。ヒルド!」
「了解! 能力解除!」
アルが合図を出すと、ヒルドはニドヘグへ手を翳した。
「何…?」
ニドヘグに突き刺さっていた槍が形を失う。
ただの血液に戻り、ニドヘグの内部に侵入していく。
『これは、マズイ…! ニドヘグ!』
慌ててヴェルンドが叫ぶが、既に血液は全身に行き渡っていた。
「…見つけた。右腕だ! 右腕に種子が隠されているよ!」
それを聞き、アルは雷光の槍を握りしめる。
全魔力を込めた一撃を外さないように、強く握った。
「狙いは種子か! させんぞ!」
槍を握るアルへとニドヘグは両腕を向ける。
「霹靂よ、来たれ。我は怒りに燃えて蹲る者」
「ッ!」
攻撃が来る。
そう予感し、アルはその場から走り出した。
雷霆が放たれるより先に、雷光の槍を放つ。
「ぐ、う…!」
その時、前に踏み出した足が歪んだ。
目が霞み、意識が混濁する。
ニドヘグが何かした訳ではない。
身に余る魔力はそれだけで猛毒。
握りしめた槍の魔力に、アルの肉体が悲鳴を上げているのだ。
「まだ、だ…!」
何とか倒れそうになる身体を堪え、前を向く。
それはたった数秒の出来事だったが、致命的な隙だった。
「その光を以て、我が怒りを示せ!」
足を止めてしまったアルへと雷霆が降り注ぐ。
回避も防御も間に合わない。
アルにはただ、迫る滅びを見上げることしか出来ない。
「侵略術式『ムスペルヘイム』」
聞き慣れた男の声を聞いた。
「何だと…!」
天より降り注ぐ雷霆を、焔の巨人が受け止めている。
空を掴むように腕を広げた巨人の肩に、見覚えのある背中があった。
「…ようやく、この力を友の為に使うことが出来る」
「レヴァン…!」
地上のアルの声には振り返らず、レヴァンは右腕に握った黒炎の剣を振るった。
「『枝の破滅』………薙ぎ払え!」
黒い炎が光を呑み、天へと昇っていく。
巨人の焔は全てを焼き尽くす。
それが例え、実体のない光であっても。
「死に損ない共が…!」
黒炎の一閃は光を完全に呑み込み、辺りを暗闇が包む。
防ぎ切れなかった雷霆が大地を破壊し、舞い上がった土煙がアルの姿を掻き消す。
「おのれ、どこに…!」
『ニドヘグ、前方だ!』
内から聞こえた声に、ニドヘグは前を向く。
土煙を突き破り、一本の槍がニドヘグへ迫っていた。
これ以上近付くのは危険と見て、槍を投擲したのだろう。
「は、ははははは! 最後で判断を誤ったなァ!」
嘲笑しながらニドヘグは両腕を前に翳した。
腕の中に光が収束し、紫電が走る。
「消えろ!」
両腕から放たれる二本の雷霆。
それは槍に直撃し、ドロドロに溶かしていく。
実に呆気なく、槍は跡形もなく消し飛んだ。
「くはは…ははははははははは! 人の希望の何と脆いことか! 貴様らの勝機は、たった今潰えたぞ! ははははははははは!」
ニドヘグは人類を嘲笑する。
既にアルの肉体は限界だ。
雷光の槍をもう一度作ることは不可能。
今のは正真正銘の人類の希望。
それは今、呆気なく潰えたのだ。
―――そう思っていた。
ズン、とニドヘグの身体に衝撃が走る。
ゆっくりと視線を向けると、すぐ近くにアルの姿があった。
その手に…『雷光の槍』を握り締めて。
「何、故…?」
「…俺がさっき投擲したのは、ヒルドの作った血の槍だ。眼が無いから気付かなかったか?」
最初にニドヘグに向かってヒルドが放った無数の血の槍。
その内の一本を土煙の向こうから投擲したのだ。
雷霆が黒い炎に吞み込まれ、遠目では槍の判別が出来ない程の暗闇の中で。
「…全魔力解放」
アルは雷光の槍をニドヘグの右腕に突き刺したまま、静かに呟く。
「解き放て。軍神の槍」
爆発的な光が二人の身体を包み込んだ。




