第十話
十二年前。
エルフと人間の大戦は終わりに近づいていた。
帝国騎士団の猛攻にエルフ達は成すすべなく殺され、残るエルフも森に逃げ込んだ。
騎士達は森へ入り込み、見つけたエルフを一人ずつ確実に殺していた。
それは最早、戦いではなく狩りに近かった。
『た、助けて! お、お願いだから殺さないで!』
少女の姿をしたエルフが泣きながら懇願する。
赤い坊主頭の屈強な騎士の男は、震えながらそれに剣を向けていた。
『こ、こんな子供も殺さないといけないのか?』
『…エルフは、こんな子供でも十分に危険だ。それは分かっているだろう』
男よりも少し年下の少年は、苦い顔で吐き捨てた。
その表情を見るに、少年も騎士団の正義を疑問視し始めているのだろう。
『…すまない』
しばらく迷った後、男は剣を下ろした。
『お、おい! レヴァン!』
それを見て少年は慌てたように叫ぶ。
ここでエルフを見逃すと言うことは、騎士団に逆らうと言うことだ。
それを理解した上で男、レヴァンは苦渋に満ちた顔を少年に向ける。
『もう限界だ。俺にはこの子を殺すことは出来ない。見逃してやってくれ』
『…分かったよ。俺も見なかったことにする』
親友の頑固さに呆れながら、それでも嬉しそうに少年は笑った。
同じく手にしていた剣を鞘に戻す。
敵意がなくなったことに気付いたのか、少女の涙は止まっていた。
『殺さないで、くれるの?』
『ああ、他の騎士に見つからないように森の外に逃げるんだ』
『ありがとう………キヒヒ!』
その瞬間、少女の笑顔が悪辣に歪んだ物に変化した。
一瞬で少女から細身の男へ姿を変えたエルフは、ナイフを握り締めてレヴァンに迫る。
『レヴァン!』
それを気付いた少年は駆けだす。
咄嗟のことに反応できないレヴァンを庇い、盾になるように前に出る。
ナイフが煌めき、鮮血が宙を舞う。
その血は、レヴァンの物ではなく庇った少年の物だった。
『キヒヒヒ! 作戦成功!』
『おい! 大丈夫か! しっかりしろ!』
満足げに笑うエルフを余所に、レヴァンは血を流す少年に駆け寄る。
左目を抉るように切られた少年は、ぴくりとも動かない。
『頼むから答えてくれ! アルヴィース!』
「お、前は…」
そのエルフを見た時、アルは左目の傷が疼くのを感じた。
何故ならこの眼を奪ったのは、目の前にいるエルフだからだ。
「…これはこれは。今日は懐かしい顔に会ってばかりだなァ」
邪魔された時は不機嫌そうな表情をしていたが、アルの顔を見てロプトルはすぐに機嫌を直した。
「お前、生きていたのかよ。あの戦争の時にくたばったと思ってたのに」
害意と好意が入り混じった複雑な表情を浮かべ、ロプトルは言った。
あの時に殺し損ねた仇敵が目の前にいる。
それだけでロプトルは震えるような高揚感を感じた。
「戦争…って?」
「あァ? 何だ、知らなかったのかァ?」
訝し気な顔をするアルファルを見て、ロプトルは興が削がれたような表情を浮かべる。
だがすぐに、それがどう言うことか思い至り、笑みを深めた。
「ああー、なるほど。隠していた訳か。そりゃ隠すよなァ。ボク達、エルフにとってコイツは憎い憎い敵なんだからさァ! キヒヒ!」
「………」
アルは何も答えない。
言い訳も、弁解もせず、ただロプトルの言葉を黙って聞いている。
「コイツはなァ! あの大戦でボクらを殺した帝国騎士団だ! エルフから盗んだ魔術を使って、エルフを滅ぼした虐殺者だァ!」
残忍な笑みを浮かべながらロプトルはアルの過去を叫ぶ。
その罪を、暴露する。
「キヒヒ!」
嘲笑を浮かべてロプトルは駆け出す。
木製のナイフを掲げ、獣のようにアルへ襲い掛かる。
「チッ…!」
アルは咄嗟にエメラルドの杖を振るい、ゴーレムを作り出す。
動揺からか普段よりも動きが鈍いゴーレムを見て、ロプトルは笑みを浮かべた。
「ハッ! それがお前らの使う魔術か! その程度が!」
緩慢な動きで振り上げられた拳を易々と躱し、ゴーレムから距離を取るロプトル。
ナイフを構え、歌うようにエルフ語を紡ぐ。
『風よ。我を包み、森を荒らす侵略者から護り給え』
エルフの魔術が完成する。
嘲笑を浮かべたまま、ロプトルの姿は風に溶けるように消えていった。
「消え…!」
アルがロプトルを見失った瞬間、ゴーレムの身体に切り裂くような傷が走った。
ロプトルはいなくなった訳じゃない。
姿は消えたが、まだこの場にいる。
「キヒヒ! 風の属性は『虚無』を司る。形無き姿。見えざる殺意。ボクは風と一体になる!」
今度は地面に大きな傷が走った。
それでもアルの眼に、ロプトルは見えなかった。
アルの眼が捉えるのは、残された傷跡だけだ。
「風の魔術…!」
一般的に人間の魔術師は火属性が多く、風の属性は最も少ないとされる。
それはエルフが火属性を使えない理由と同じく、風属性を理解できないからだ。
エルフにとっては当たり前に感じられる風の姿、木々の声などが人間には感じられない。
故に風と一体化したロプトルの姿は、アルの眼に映ることはない。
「やっぱり人間は劣等種だなァ。風を見ることも、聞くことも出来ないんだからさァ!」
どこからともなくロプトルの声が響く。
確かに聞こえている筈なのに、気配すら感じなかった。
「こんなに弱いなら、先にアルファルの方を殺しちまうかァ?」
「ッ! ミストカーフ!」
瞬間、地面から五体のゴーレムが生成される。
五体の内、四体は無差別に配置され、残る一体はアルファルの前に配置された。
四体のゴーレムが闇雲に周囲を殴りつける。
「…バーカ。そんなのが当たるかよ!」
嘲笑うような声がすぐ近くから聞こえた。
「ぐ…!」
アルの背に鋭い痛みが走り、血が飛び散る。
「キヒヒ! 余裕が無いね、人間。こんな簡単な挑発に乗るとは思わなかったなァ!」
笑いながらロプトルの姿は消えていく。
読まれていた。
アルファルを狙うように挑発すれば、必ずアルファルを守るようにゴーレムを配置し、アル自身の守りが薄くなると。
アルの行動を全て、読まれていた。
「つーか、本気でアルファルを守る気なのかよ。それ矛盾してるって分かってる?」
「………」
「お前はエルフを滅ぼした張本人だ。エルフの敵だ。そのお前が、今更エルフを守る?」
言葉と共にアルの身体に裂傷が走った。
「何だァ? いざ滅ぼしてみてから良心の呵責に耐えきれなくなりましたってか? この偽善者が!」
次々とアルの身体が斬り付けられ、血が宙を舞う。
ナイフ以上に鋭い言葉に心を抉られながら、無言で佇む。
全身から血を流しても、アルは無抵抗だった。
「…これだけやっても意見は変わらず、か。なら、望み通り、死ぬまでアルファルの盾になりなァ!」
止めを刺そうとロプトルはナイフを振り被る。
自分に死が迫っていることすら、アルには分からない。
愚かな人間を改めて嘲笑しながら、ロプトルはその胸にナイフを突き立てる。
その筈だった。
「何だと…?」
心臓に突き立てられる筈だったナイフは、柔らかい粘土の壁に阻まれていた。
鉄製のナイフより鋭い刃は、ズブズブと粘土の中に沈んでいく。
「…そこにいるな」
短い声と共にロプトルの背後にゴーレムが生成される。
(…マズイ!)
振り上げられた拳を見て、ロプトルの背に悪寒が走った。
ロプトルは『風と一体になる魔術』と称したこの魔術だが、厳密には『風を纏って姿を隠す魔術』だ。
風のように素早く動けるようになる訳でも、実体を無くすことが出来る訳でもない。
当然ながら、ゴーレムの拳で潰されれば致命傷を負う。
(コイツ…! コイツは、ボクの魔術にとっくに気付いていやがったんだ! だからわざと無抵抗になってボクの居場所を見つけ出した!)
急いでナイフを引き抜き、その場から離れようとするが、遅すぎる。
先程までの鈍重な動きが嘘のように、ゴーレムは拳を容赦なく振り下ろす。
逃げられない。
それを悟り、ロプトルは思わず口を開く。
「…また、エルフを殺すつもりか?」
「ッ!」
その言葉は、呪いの言葉だった。
過去を思い出し、アルの思考が停止する。
「キヒヒヒヒヒ! バーカ!」
ハッとなった時には遅かった。
一瞬だけゴーレムの動きが鈍った隙を見逃さず、ロプトルはその場から逃げ出す。
ゴーレムの拳は何もない地面を叩き、手応えはなかった。
「頭が良くても心が弱ければ無能だよなァ! それでよく騎士なんてやれたものだ!」
馬鹿にするような笑い声が聞こえるが、その気配はどこにも感じられない。
ロプトルを完全に見失った。
「………」
二人の戦いを見ながら、アルファルはどうすればいいのか分からなかった。
ロプトルは自分を殺そうとしており、アルはかつてエルフを滅ぼした騎士だと言う。
どちらの味方をすればいいのか、分からなくなった。
「…!」
その時、アルファルの靴に何かが触れた。
それは殺されたガラールの血だった。
エルフである自分を守る為、ロプトルに殺された人間の男。
(アルも、この人と同じ)
アルは騎士でありながら、出会った時にアルファルを殺さなかった。
それにどんな理由があったのか、まだ分からない。
だが、アルは今もアルファルを助ける為に命懸けでロプトルと戦っている。
「………」
ならば、どっちだ。
エルフとか、人間とかじゃない。
助けないといけないのは、どっちだ。
「水よ…」
腰に下げた水筒が水が零れ、地面に伝う。
それは意思を持つように動き、ガラールの遺体を囲むように大きな陣を描いた。
「結界術式『ウルザブルン』」
「な、に…」
それは困惑だった。
ロプトルは呆然と自分の姿を見下ろす。
「何故だ! 何故、解除された!」
そう、ロプトルを包んでいた風の魔術が消えていた。
返り血に塗れた姿は風に隠されていない。
「何故…!」
錯乱したようにロプトルはガラールの遺体の方を向いた。
惨殺された死体。
その身体についていた傷が、全て消えていた。
切断された首すら戻り、まるで眠るように横たわっている。
「…私の魔術で傷を治しました。失われた命までは戻せないけれど、穢された死体は綺麗にすることが出来ますから」
「アルファル!」
憎悪を含んだ声でロプトルは叫んだ。
ナイフを構え、その命を刈り取ろうと殺意を向ける。
「そうか…『陣』だな」
それを止めるように、静かな声が響いた。
「不思議には思っていた。エルフの魔術にも陣が必要だと聞いていたが、お前はどこにも陣を刻まずに魔術を使っていた」
簡単な魔術ならともかく、強力な魔術を使う際にはどこかに陣を刻む必要がある。
それは人間もエルフも変わらない魔術の常識だ。
「魔術が発動している以上、どこかに陣を刻んでいる筈。それも、そんなに離れていない場所に」
「あ、あ…」
陣に使われる言葉はエルフ語であると、アルファルは言っていた。
そして、ロプトルが決まって犠牲者に刻む文字も同じエルフ語。
「ガラールの遺体に刻んだ『エルヴンダート』の文字。それが、お前の陣だったんだな」
ガラールに対しては一度も使用していなかった風の魔術を、アルが現れてから使用するようになったのはそれが理由だった。
「アルファルが傷を治したお陰で、お前の陣は壊された。これから急いで新しい陣を刻むか?」
エメラルドの杖を翳し、近くにゴーレムを作り出しながらアルは言った。
暗に、それをさせるつもりはないと言っている。
「…いい気になるなよ劣等種! こちらの陣が壊されたのなら!」
地面を蹴り付け、ロプトルは獣のように身軽にアルに接近する。
魔術を一切使っていない状態だが、エルフは本来の身体能力も高い。
完全にアルの不意をついて、ナイフを振るった。
「お前の陣も壊しちまえばいいんだよ!」
ヒュッと風を切る音と共にアルの握るエメラルドの杖が切り裂かれた。
中心部分で真っ二つに裂け、地に転がる。
「キヒヒ!」
ロプトルは勝利を確信して笑った。
人間は杖がなければ魔術を使えない。
魔術抜きの勝負なら、エルフが人間に負ける筈がない。
「………」
杖を失ったにも関わらず、アルは顔色一つ変えずに右腕を翳した。
生成されたゴーレムが何事もなかったかのように動き出す。
「おい、何で、だよ。に、人間は杖がねえと魔術が使えねえ筈だろう!」
ロプトルが叫んだ時、強い風が吹いた。
アルの纏うコートが風で捲れ、その右腕が露出する。
そこには、刺青のように陣が刻まれていた。
「身体に、陣を…? そんな、そんなの聞いて…!」
ズン、とゴーレムの一撃が叩き込まれる。
ロプトルはその下に沈み、言葉を発することはなかった。




