第一話
それは地獄だった。
燃え続ける炎が全てを焼き尽くす。
戦いの場となった森の木々も、朽ち果てた死体さえも。
泣き叫ぶ少女がいた。
命乞いをする少年がいた。
神に祈る老人がいた。
その全てが、侵略者によって殺されていた。
『…コレのどこが正義だ』
若き軍人が呟く。
国に尽くすことは正義だと思っていた。
敵を殺すことは勇気ある善行だと思っていた。
だが、その結果が目の前の光景だった。
『コレのどこが、正義なんだ…!』
その日、少年は正義を見失った。
「んが…?」
宿の一室にて、一人の男が目を覚ました。
薄汚れたベッドから身を起こし、寝ぼけながら近くの扉を見る。
木の扉はガタガタと揺れて、大きな音を発てていた。
「アル! ちょっと起きている! 客が来ているわよ!」
「…起きてますよぉ」
適当に返事をしながら『アル』と呼ばれた男は起き上がった。
着慣れた厚手のコートを身に纏い、羽根付き帽子を被る。
顔の左半分を覆う黒革の眼帯をつけた顔は傭兵のような印象を受ける。
無精髭も相俟って老けて見えるが、年齢はギリギリ二十代と言った雰囲気だった。
「全く、こんな朝早くから仕事かよ」
「もう昼過ぎ! どうせ、昨晩も飲んでいたんでしょう?」
「痛たた…頭に響くから大声は勘弁してよ、女将さん」
扉を開くと、エプロンを付けた恰幅の良い女性が立っていた。
この宿の女将に、アルは降参するように手を上げる。
「今から行くからさぁ。お客さんは下にいるの?」
「その前に、アンタ…『杖』を忘れているわよ」
女将は呆れたように部屋の中を指差す。
先程までアルが寝ていたベッドの横に、木の枝のような物が立てかけてあった。
表面に黒いインクで文字のような物が刻まれた木の棒だ。
先端には大粒のエメラルドが取り付けられており、それの価値を高めていた。
「ああ、本当だ。ありがと、女将さん」
「アンタ、それでも魔術師なの?」
のんびりした様子で杖を取るアルに女将は呆れ果てた。
アルは杖を腰に差しながら女将に向き直る。
「女将さん。何度も言うけど、おじさんは魔術師じゃなくて『杖職人』だよ」
「お前が、杖売りか?」
宿屋の一階に降りると、いきなり声をかけられた。
予想していたよりも若い男の声だった。
実用性重視のアルのコートとは違う、高そうなコートを纏った二十歳くらいの男。
キツイ香水の香りを漂わせており、神経質そうな目をしている。
(貴族か、大商人の息子って所か…)
相手を見てそう判断しながら、アルは男の前の席に着く。
「どうも。おじさんの名はアルヴィース。皆からは杖職人のアルって呼ばれているぜ」
「…私はガラール。杖を買いたいのだが」
そう言うとガラールは値踏みするような目でアルを見た。
傭兵か山賊にしか見えないアルの容姿を胡散臭く思っているようだった。
それを理解して、アルは安心させるように笑みを浮かべた。
「護身用で? それともプレゼント用とか?」
「護身用だ。騎士が使うような杖を扱っていると聞いたから、わざわざこんな汚い宿まで来てやったんだ」
座り心地の悪い椅子に眉を動かしながらガラールは言った。
アルは特に気にしたことはないが、ガラールにとってはこの場にいること自体が我慢できないようだ。
「金ならいくらでも払ってやる。だから私を最強の魔術師にしろ」
ガラールは金貨の入った袋を机の上に置きながら言った。
魔術師。
その単語が、このアルフヘイム帝国で語られるようになったのは十年程前からだった。
杖を振ることで魔術と呼ばれる力を操ることが出来る者達。
それは今、帝国中で関心を集めている新たな技術だった。
「お客さん、一つ勘違いしているぜ」
杖職人のアルは腰に差していた杖を取りながら言った。
「魔術ってのは確かに杖を振れば誰でも使えるが、杖自体の価値が魔術に比例する訳じゃない」
「…どういう意味だ?」
「そもそも杖ってのは『陣』と呼ばれる特殊な文字や記号なんかを刻んだ木の枝のことだ。確かに金と手間をかければ見た目は豪華になるだろうが、性能自体は変わらない」
先端にエメラルドが付いた豪華な杖を振りながらアルは言う。
「そらな。これだけ振っても何も起こらない。それはおじさんに才能がないからなんだ。魔術を使う為に必要な魔力は、才能によって決まる。帝国の騎士達は日々の努力でそれを補っているのさ」
どれだけ豪華な杖を使っても、魔力がなければ使いこなせない。
逆に魔力が高い者は、安物の杖でも絶大な効果を発揮できる。
杖を価値が魔術師の価値を決める訳ではないのだ。
商人らしくないことを言いながら、アルは懐から短い杖を取り出す。
「それは火属性の陣が刻まれた杖だ。お試しにどうぞ」
「………」
杖を受け取ったガラールは仏頂面で軽く振る。
すると、杖の先端で小さな火花が一つ散った。
「おお! 一発で成功させるなんてお客さん、才能あるね! 訓練を続ければいずれ…」
「私を馬鹿にしているのか!」
顔を真っ赤にしてガラールは立ち上がった。
「これのどこが魔術だ! 私は魔術師になれると聞いてきたんだぞ!」
「…だからー。童話に出てくるほど、万能な物じゃないんだって魔術って」
「この詐欺師め!」
苛立ったように椅子を蹴り飛ばし、ガラールは宿から出ていった。
それを呆れた目で眺めながらアルはため息をつく。
「努力も知らない小僧が、夢見過ぎなんだよ」
「そう言う夢見せるのが商人じゃないの?」
倒れた椅子を立てながら女将が言った。
慣れた様子で不機嫌そうに机に肘をついているアルを見る。
「アンタ、本当に商売向いてないね」
「今日はたまたまだよ。この間だって、近所の奥さんに一本売れたし」
「ああ、そう言えば洗濯が楽になったとか言ってたっけ?」
「そうそう。女将さんも一本どう? 安くしとくよ?」
「遠慮しとくわ。魔術って何だか気味悪いから」
「えー…」
自分の職業を全否定する言葉に、アルは脱力するように息を吐くのだった。