心新たな決意。
話し合いの為にテンバール城に向かったロヴェルを見送って、エレンはヴァンクライフトの屋敷の庭でヴァンに寄り添っていた。
ここの所、少し元気がないエレンに周囲は心配をしている。
事情を知っているロヴェルは、エレンの事は暫くそっとして置いて欲しいと言われて、周囲は歯がゆくも見守っていた。
午前中である今、ラフィリアは訓練場にいる。午後からラフィリアと遊ぶ約束はしているが、エレンはそれまでの時間をただ潰すかのように、何をすることもなく獣化したヴァンの毛に埋もれていた。
「……エレン様」
側にいたカイに話しかけられてエレンは顔を上げる。
なあに? と首を傾げるエレンに、カイは心配そうな顔をして話しかけた。
そっとしておく様にと言われてはいたが、いつも笑顔でいるエレンが笑わないだけで、余りにも痛々しくてカイは見過ごせなかった。
「最近、元気がありませんね」
「……そうかな?」
「何かお悩みごとですか? 俺で良かったら話を聞きますよ」
「…………」
「あの、無理にとは言いません」
「……ううん。心配かけてごめんね。聞いてもらった方が良いのかな……。分かっているのに……私の我儘で決められないの」
「……はい」
「父様が城に向かった理由は聞いてる?」
「はい。アミエル様の件ですね」
「父様と私が狙われているかもしれないという話は聞いた?」
「はい。エレン様のお側を離れないようにとご当主様より厳命されております」
「うん……ありがとう」
「いいえ。……は、もしや、俺が鬱陶しいとかいうお話ですか……?」
「えっ!? ち、違うよ!!」
エレンはぶんぶんと首を振る。しかし、これにヴァンがはっはっはと笑った。
「姫様、こやつが鬱陶しかったら言って下さいませ。お役ごめんにさせますゆえ」
「おい!!」
「ま、待って!! そんなことしないで!」
慌てるエレンにヴァンはいつでもどうぞと笑ったが、何を言うんだとカイがヴァンを小突いた。
「何をする!!」
「も~!! 喧嘩しないで!!」
この二人は息がぴったりのくせに、気付けばこうやって喧嘩をしている。
エレンがヴァンの顔に覆い被さると、素直に伏せの状態になって大人しくなった。
むっすりしながら睨み合うカイとヴァンを見て、エレンは笑った。
「あのね、私、精霊でしょう?」
急に話し出したエレンに、カイとヴァンが態度を改める。真面目な顔をしてこちらの話を促してくれた。
「本当はこんなに人間界に関わってはいけないの」
「え……」
絶句するカイに、ヴァンは当然だと言った。
「姫様は精霊界の次期女王。人間が姫様と言葉を交わす事自体おこがましいのだぞ」
分かっているのかとヴァンはカイに注意するが、カイは目を見開いて絶句したままだった。
「……精霊の力が強ければ、人間界に及ぼす影響も強いわ。私が良かれと思って創り出した物も、本当はしてはいけなかった。だから人間界は混乱して荒れたわ」
エレンの言葉に思い当たるものがあったカイは眉を寄せた。エレンの作った薬を巡っての騒動は記憶に新しい。
エレンは申し訳なさそうに言った。
「私達精霊は、この世界を潤滑に統治しなければならない。争い事を生ませるための存在ではないはずなのに、私の存在が乱しているの」
「そんな……!!」
エレンの言わんとする事が分かったカイは慌てた。
己の存在が争い事の種になっていると、エレンは悩んでいたのだ。
「エレン様、早まってはなりません!」
「……私、まだ何も言ってないよ」
「いいえ! 心優しいあなた様なら、人間界から去られるに決まっています!!」
「…………」
「あなた様がこの地にロヴェル様と参られてからというもの、この地は幸せが訪れました」
「……そんな」
「ヴァンクライフト家を蝕んでいた元凶を断ち、俺達を救って下さった。エレン様のお薬で命を救われた者も大勢いる。去るなんて言わないで下さい!」
カイは必死な顔をして、エレンの手を取った。
「俺はエレン様を守りたい。側にいたいんです!!」
「え……?」
「あなた様が去られたら、ヴァンクライフト家の皆が悲しみます!!」
エレンは笑顔で話しかけてくれるイザベラ達の顔を思い出した。
次々と頭に浮かぶ顔に、エレンはくしゃりと顔を歪ませた。
「でも……っ、このままじゃ戦争だって……!」
ぼろぼろと泣き出してしまったエレンの肩をカイは抱き寄せた。
「エレン様の恩恵を欲にまみれた者達の勝手にはさせません。俺が、……俺達があなたを守ります」
ヴァンに睨まれてしぶしぶ言い直すカイにエレンは気付かず、喉を引きつらせて泣いていた。
「ごめんなさい……でも、私も……っ」
皆と別れたくないと本音が口からこぼれ落ちた。
エレンはずっと悩み続けていた。
精霊として、女神として。そして人間の魂を持った者として。
板挟みになって、己の立場を自覚して。
自覚もないまま、気付けば大切な人達と引き離されて転生していた。
記憶が朧気になってしまう程、寂しい感覚に陥っていく。
忘れたくないはずなのに大切な人達の記憶は消えてしまう。
大切な人達との繋がりは、記憶しかエレンには残されていなかった。
更に、それを今の状況を当てはめてしまった。
精霊と人間では時の巡りが違う。皆あっという間に年老いていくのだろう。
そんな短い間しか一緒にいられないのに、周囲はエレン達を欲しがり、関係のない家族に害をもたらそうとする。
家族を大切に思うなら離れなければいけないと自覚はあったのに、どうしても別れるのは嫌だった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
カイの腕の中で泣きながら謝り続けるエレンに、カイは謝る必要などありませんよ、と笑った。
「良いんです。それで良いんですよ。絶対に別れませんからね。皆が聞いたらエレン様、怒られますよ」
頭を撫でてくれるカイにエレンは素直に甘えていた。
カイのお陰で、ずっと胸の内にわだかまっていた罪悪感が少しずつ消化されていく。
背中を撫でてくれるカイに甘えたまま、エレンは次第に落ち着いていった。
ようやく泣き止むと、停滞していた思考が動き出す。目元は赤くしたまま、今の状況に気付いたエレンは少し焦って身じろいだ。
「……エレン様?」
「あ、あの……ごめんなさい。カイ君、ありがとう……その……」
端から見れば、ぐずる妹をあやす兄の姿にしか写らないだろうが、知り合いに見られたりすればカイがただでは済まない事に気付いた。
だが、カイは離れるのは許さないとばかりにエレンを抱きしめた。
それにエレンは目をぱちくりとさせる。
しかし、直ぐ横にいたヴァンが唸りだした。
「いい加減にしろよ、小僧!!」
「……邪魔をするな」
「あ、あの……カイ君?」
おろおろするエレンの後ろから、今度は草を踏む足音がして、エレン達ははっとそちらへと目をやった。
そこにはわなわなと震えているラフィリアがいたのだ。
「ら、ラフィリア!」
「なんてこと……なんてことなの……っ!」
訓練を終えて屋敷に戻ってきたラフィリアは、直ぐ様エレンの場所を聞いて駆けつけたに違いない。
しかし、そこで見たものは目を疑うものだった。
ただならぬラフィリアの様子をぽかんと三人は見つめていた。すると、ラフィリアは直ぐ様慣れた手付きでどこからか鉄の棒を取り出して、ひゅんひゅんと回している。
「あ」
それはエレンがラフィリア用に作った、伸縮する警棒だった。
一振りで棒が一瞬で伸び、ぱちんと留め具の音がする。
更にそれをびゅんびゅんと回しながら、ラフィリアは言った。
「カイ……エレンに何をしているの……?」
地を這う声に三人はびくりと震える。
戦闘モードになってじりじりと近寄ってくるただならぬラフィリアに、エレンが慌てた。
「ち、違うの、ラフィリア!!」
しかし、近づいた事でエレンの目元が赤い事に気付いたラフィリアは、カイへの殺気を膨れ上がらせた。
「良いぞ、小娘。やってしまえ!」
人化してエレンをいち早く奪い返したヴァンは、その場から離れてラフィリアを焚き付ける。
「前々から不満だったのよ! エレンには私がいるじゃない!!」
「良いでしょう。いずれは決着を付けなければならないと思っていました」
バチバチと火花を散らしているラフィリアとカイに、エレンは何事かと慌てている。
突如として始まってしまった二人の戦闘に、エレンは悲鳴を上げるしか出来なかった。
その後、庭を荒らしたラフィリアとカイは、仲良くサウヴェルにお説教されるのだった。
***
テンバール城で情報を集めているロヴェルはこのまま城に留まると、そのまま帰ってこなかった。
数多くの大精霊達もヘルグナーに赴いたまま帰って来ていない。それだけ緊迫した状況下にある。
エレンはロヴェルから、動きがあるまで精霊界で待っているようにと言われてしまった。
自室のバルコニーから星空を見上げていたエレンに、獣化したヴァンが近寄ってきた。
「姫様」
「ヴァン君……」
心配をかけてごめんなさいとエレンは謝った。
ヴァンは黙っていつもエレンに寄り添ってくれている。
「すっきりされましたか?」
「うん。でも……」
精霊としての立場ではあってはならない事だった。
それを思ってか、エレンの顔にまた陰りが現れる。
「姫様は今のままで良いのですぞ」
「……ヴァン君?」
「姫様に害を成す者は全て我らが払って見せましょう。姫様の思うがままに成さってくださいまし」
「ヴァン君……」
「我らが王は、全てを見守る存在なのですぞ」
それは精霊だけではなく、この世界に生きるもの全てを含んでいた。
女神とはそういうものだと教えてくれている事に気付いたエレンは、ヴァンをまじまじと見つめた。
そして、ふわりと笑う。
「ありがとう、ヴァン君」
「ふふ、姫様のお顔はそうでなくては」
エレンはヴァンの首元にすり寄った。
暖かく見守ってくれる存在の大きさにエレンは幸せになる。
甘えて良いのだと教えてもらえて、エレンは揺れ動いていた決意が固まったことを自覚した。
(絶対に……戦争なんかさせるものか)
アミエル達の企みなど、絶対に潰してみせると心新たに決意するのだった。




