軍配はパイで決まる。
吹き抜けの玄関ホールに足を踏み入れると、二階へと続いている階段の上から、人の気配がした。
「ロヴェル様がお帰りになられたというのは本当なの!?」
甲高い不快な声にロヴェルは眉を寄せる。
その女は燃えるような赤い服を纏い、品の欠片もない宝石をこれでもかと身に付けていた。アクセサリーが互いに擦れ、じゃらじゃらと音がしている。
統一性の無いそれは幾ら高い品であろうと下品に見えた。更に金属同士を擦れるほどに身に着けているなんて品性を疑う。
金の髪は上げて盛られ、薔薇の花まで刺さっている。これから舞踏会にでも行くのだろうか。
10年前の思い出と今の姿が重なるとすれば、頭痛を呼ぶ甲高い声ぐらいだろう。
当時15歳だったアギエルはふくよかではあったが、その姿は今はもう見る影も無いほどに肥えていた。
締め付けるコルセットの上下ではみ出している肉を隠すためのフリルがふんだんに使われている。
ただでさえ暖色系は膨張して見えるというのに、更にフリルの効果で炎を纏って揺らめいている様にも見えた。
階段を下りる度に揺れる贅肉と重量感のする足音が不快だ。
階段を途中まで降りていると、ロヴェルの姿に気付いたらしい。
「まぁ、あなたどな、た……」
その丸い顔に埋もれた目はこれでもかと見開いた。
「まぁまぁ、ロヴェル様なの!? なんてこと、お姿が……!」
「誰だ貴様は」
侮蔑の表情を隠しもせずにロヴェルは吐き捨てると、女の顔がぎょっとする。
「サウヴェル様の奥方である、アギエル様でございます」
「アギエル……?」
足の先からてっぺんまでを訝しげな顔で見るが、どこも思い出と一致しない。
「原型を留めていないぞ」
「ロヴェル様」
執事が窘めるがその声には同意が含まれていた。
「まぁまぁ、お変わりありませんのね、ロヴェル様は! つれない貴方は本当に昔と変わらないわ!!」
相変わらずの残念な頭は嫌みすら通じず、思い出と馳せたらしい。
思わず舌打ちをするが、それさえもこの女には通じない。
「嬉しいわ、わたくしを迎えに来て下さったのね!!」
「……何を言っている?」
「父の命とは言え、貴方の弟と結婚させられた可哀想なわたくしを忘れられずに迎えに来て下さったのでしょう? ああ、なんて素敵」
うっとりとそうのたまう女に執事や側にいたメイド達がぎょっとする。
ロヴェルは無表情になってアギエルを凝視していた。側にいたアルベルトはそのロヴェルの様子に段々と青くなっていく。部屋の中はこれでもかと冷えていった。
「そう、貴方の娘を紹介するわ!! わたくしに似てとても可愛いのよ。アミエル、降りていらっしゃい!!」
二階に声を掛けるアギエルの姿に、他の皆は信じられないものを見るかのような目をしているのに、アギエルは全く気付かない。
水鏡で事の次第を見ていた私と母は絶句していた。
アギエルが父が迎えに来たとのたまった瞬間、母の手には炎の塊りが現れていた。
「かーさま、かーさま!! やめてやめて! お城が燃えちゃう!!」
慌てて私は母にぎゅっと抱きつくと、ハッと我に返った母は炎を消して私を抱きしめた。
「この豚がアギエルという女よ……」
母の後ろから黒いオーラが出ている様な気がして私は更に慌てた。
「わわわ……! かーさま、豚さんに失礼ですよ! 落ち着いて!!」
「貴方の娘ですって……? エレン以外にロヴェルの愛している娘はいないわ!!」
あ、怒ったのそこなんだ、と私はちょっと嬉しくなった。
水鏡から見ていた父の態度といい、初めて目にしたアギエルの姿といい、実は何も心配することは無いと私は胸をなで下ろしていた。
王女様と聞いていたので、アギエルが母と張るような絶世の美女とかを想像していたのだ。
父がハニートラップに引っかかったらどうしようかと悩んでいた先程までの自分がおかしくなった。
同じ顔といわれている私が言うのもなんだが、母こそが絶世の美女だ。なんせデカパイだ。特に父はパイが大好きなのだ。アギエルは貧パイだと察した。昔の私と一緒だ。アギエルに軍配など欠片も上がらない。大丈夫だ。
昔、太ればパイも比例してデカくなるんじゃないかと思った時期があった。
だがアギエルを見る限り、パイは確かに脂肪で構成されているとしても、トップが増えようとアンダーも比例して増えていると察した。
あの盛りパイは背中の贅肉だ。偽物だ。私の目は誤魔化せないぞ!!
こちらの様子を水鏡で見ているロヴェルの娘が、そんなことで勝敗を考えているなど露知らず、アギエルに呼ばれた娘が二階から降りてきた。
その姿は昔のアギエルとそっくりだった。これにはロヴェルの顔が微かに引きつる。
「まあ! 素敵な殿方!! お母様、この方はだあれ?」
「お前の本当の父よ。英雄なの。ようやくわたくし達を迎えに来て下さったのよ。ご挨拶なさい」
「貴方がわたくしの本当のお父様でしたのね!! 素敵だわ!! わたくし、アミエル・ヴァンクライフトと申します。お父様!」
ロヴェルの綺麗な顔を見て頬を染めたアミエルを、ロヴェルは無表情に見ていた。
「これは誰だ」
「アギエル様のご息女、アミエル様で御座います」
「サウヴェルの子では無かったのか?」
「……お答えできかねます」
どういうことだ、とロヴェルは執事を見る。
この子供は自分を本当の父親だと言っていた。執事に聞けば答えられないという。
つまり、サウヴェルの子でも無い可能性があるという事か。
「とんだ害虫だな」
吐き捨てるロヴェルに誰もが同意した。
水鏡で見ていた私は無表情になっていた。
「きゃああエレンちゃん! やめて!! お城が壊れちゃうわー!!」
母の叫び声で私はハッと我に返った。
空気中に含まれている元素を高周波振動させ、エネルギーの摩擦で所々バチバチと火花が散っていたらしい。
「かーさまごめんなさい」
「大丈夫よ、かーさまも気持ちは一緒だから!」
「そうです! とーさまをとーさまと呼んでいいのはエレンだけです!!」
「そうよ! エレンちゃんだけよ!!」
私と母はひしっと抱き合う。
「この場に行けないなんてなんて歯がゆいのかしら……」
「なんという約束をとーさまとしてしまったのでしょう……。天変地異がお見舞いできない」
「本当ね!!」
同意してくれる母に気持ちが楽になる。
だが、城に控えていた他の精霊達は止めてくれと叫んでいた。
この二人を良い意味でも止められるのはロヴェルしかいなかったのだ。