3章・プロローグ
その日は、隣国ヘルグナーに留学していたアミエルが帰ってくる日であった。
お互いの国の王族を交換留学させる試みは、王族同士の婚姻と同等の意味を持つ程に重要視されていた。
お互いの国境で王族を交換する儀式がある。王弟であるオルエルがヘルグナー国の王族を連れて姪を待つ。
しかし、いくら待てどもアミエルを乗せた馬車がやってくる事はなかった。
「どうなっている?」
突如として立ち込める不穏な空気に、周囲の者達も青くなっていった。
アミエルを乗せた馬車はヘルグナー国からの迎えでもある。王族のクラハが目に見えて青くなっていった。
このままアミエルが戻らなければ、クラハは人質としてテンバール国に拘束される事になる。
オルエルは姪のアミエルと同じ歳であるクラハを見て、申し訳なさそうに言った。
「……クラハ殿」
「は、はい!」
「申し訳ないが、このままでは埒があかない。一度王都へ戻ろう」
「は……はい……」
「姪の安否も心配だが、君の迎えの安否も心配だ。先ずは向こうへ魔法で連絡しよう。君は公賓なのだから堂々としていなさい」
落ち着かせるように肩をぽんぽんと叩くと、クラハは驚いた顔をした。
「拘束……しないのですか?」
「私の国はそこまで酷くないよ」
オルエルは苦笑する。だがヘルグナー国では間違いなく拘束されるだろう。
ここ最近、ヘルグナー国ではきな臭い動きがあるのは分かっていた。
現在の王弟であるクラハは腹違いの末の子だった。
情報を集める限り、母国では良い扱いはされていないらしく、オルエルはクラハを不憫な姪の姿と重ねていた。
ヘルグナー国の王は色々と黒い噂が絶えない人物でもあった。
そんな場所にクラハをこのまま帰すのも忍びないとオルエルはクラハを心配していた。
「大丈夫。私を信じてほしい」
「……はい」
クラハは内心で複雑な気持ちに陥っていた。
自国で聞いていたテンバール王国の話と、実際の実情は全く違うものだった。
この留学は兄からの厄介払いだった。覚悟はしていたが、いざその時になると想像と扱いが違うので戸惑わずにはいられなかった。
(精霊の呪いも……民を守るためだった……)
ヘルグナーは精霊信仰がとても強い国だ。
テンバール王族は精霊の怒りを買い、呪われていると有名だった。
そんな国が存在しているなどあってはならないとヘルグナー国は非常に好戦的で、互いの国境ではよく小競り合いが起きることが多かった。
だが、この状況は自国にとって非常に不利となる。あの兄がそんなヘマをするだろうかとクラハは思案しながら、一体何が起きているのかと自国の方角に目を向けた。
遠くに見える山々の向こうに国がある。その方角には黒い雲が立ちこめていた。嫌な予感だけがクラハに襲いかかる。
その風景に背を向けて、クラハはオルエル達と共に王都へと戻って行った。
***
早馬で知らせを受けたラヴィスエルは急いでヘルグナーへの連絡と、アギエルの所在を確かめろと騎士に命令した。
「アミエル様ではなく、アギエル様ですか? 反対の方角ですが……」
「嫌な予感がする。一部隊向かわせろ。急げ」
「は、はい!!」
一礼して出ていく騎士の背中を睨んでいたラヴィスエルは、重い溜息を吐いた。
「……アミエル、お前は道を踏み外すのだな」
母親の姿そっくりに育ったアミエルを思う。
姿だけではなく、その血も色濃く受け継いでいたらしい。
元々、不穏な様子があると娘のシエルから報告は受けていた。
母親を断罪して辺境へと追いやったヴァンクライフト家を憎み、その娘に執拗に嫌がらせを行っていた。
母親の所業が噂となり、周囲の目に晒されていたアミエルはこの城でも居心地が悪そうだった。アミエルの視野を広げるきっかけになればと留学の話をしてみたら、アミエルから行きたいとこの話が進んだのだ。
アギエルと離させ、息子達と同じ教育をして育てたつもりだったのだが、根本的な解決にはならなかったのかもしれない。
最悪の結果にならないことだけを祈っていたが、現実は非情だった。
数日後、辺境の屋敷で先代の王である父の斬殺死体が見つかったと騎士から連絡が入った。
そしてアギエルの姿はアミエルと同じく、消えてしまっていた。