閑話・お兄ちゃんとにーさま。
アークを学院で見つけ、救出してからというもの精霊界では連日、本人を差し置いての飲めや歌えの大騒ぎになっていた。
私を含め、アークも療養の為とまだ部屋から出してもらえていない。
私は数多くの出来事に気が緩んだのか熱を出し、アークも別室でそのまま療養している。
300年近く行方不明であった魔素の循環を司るアークは、このまま行方不明が続くようであれば、水面下で新たに精霊の誕生を望まなくてはならないという段階にまできていたらしい。
200年規模で起きるモンスターテンペストは人間だけではなく、人間と契約している精霊達にまで影響が及ぶ。
その影響を考えての対策が父を交えて考えられていたらしいが、蓋を開けてみればまたもや人間達の仕業だったと精霊達は憤っていた。
だが今はそれらを忘れ、アークの無事をただ喜び、楽しそうに騒いでいた。
***
アークを救出して直ぐ様寝込んでしまった私は、父に介抱されながらベッドの上で暇を持て余していた。
時折他の精霊達が私の様子はどうだと顔を覗かせてくる。
それにあからさまに喜ぶと父が拗ねるので、妙なストレスに悩まされていた。
そんなある日、光の精霊であるリヒトがやってきたのだ。
「エレン、調子はどう?」
心配そうに私の頭を撫でるリヒトに、「お兄ちゃん、大丈夫だよ」と笑いかけた。
「エレンが兄さんを救ってくれたと聞いて驚いたんだ。エレンはまだこんなに小さいのに……ありがとう、兄さんを救ってくれて」
にっこりと笑いかけてくれたのが嬉しくて、どういたしましてと私もにっこりと笑った。
その時まで父も側にいたのだが、別の精霊に呼び出されて席を外すねと私の頭の天辺にキスをして部屋から出ていった。
それを二人で見送ると、急にリヒトがこちらに向き直り、改まってきた。
「……お兄ちゃん?」
「あー……エレン、あのな……兄さんの事なんだが……」
歯切れの悪いリヒトに、私はきょとんとして首を傾げると、咳払いして言葉を続けた。
「……兄さんがエレンに求婚したというのは本当なのか?」
「ぐっ……!! げほっごほっ」
私が思わず吹き出しそびれて咳き込むと、リヒトは慌てて背中をさすってくれた。
「されましたがしません!! アークにーさまはにーさまです! 兄妹です!」
「えっ?」
「兄妹で結婚なんて出来ません!」
きっぱりと言うと、リヒトはきょとんとした後、歯切れが悪く、そ、そうか……と口を濁していた。
「お兄ちゃん?」
私は視線を逸らして何やら考え込むリヒトを眺めていると、その背後にある扉がゆっくりと開いていくのを見た。
誰か来たのだろうかとそちらに目をやると、開いた扉の隙間からひょっこりと顔を出したアークがそこにいた。私は驚きすぎて目を見開いていた。だがリヒトは気付かない。
「あー……あのね、エレン。兄さんの事なんだけど……」
「えっ?」
リヒトは背後の様子に気付いていない。
アークは私に気付いてぱあっと顔を綻ばせ、ひらひらと手を振っていた。
だがリヒトは気付かずにそのまま続けた。
「兄さんなんだけど、どうも部屋から抜け出して徘徊しているようなんだ。ここにいないかと思ったんだけど、杞憂で良かったよ。兄さんが何かしてくるようなら……遠慮なく潰して構わないからね」
何やらホッとした顔をしてそう提案してくるリヒトに、あの……と私は言いづらそうにした。
「どうしたの?」
首を傾げるリヒトに、私は「あれ……」と指すと、それに釣られたリヒトは振り向いて、そして叫んだ。
「兄さん!?」
「エレ、ン。みつけた!」
ふわりと私のベッドの横まで飛び、降り立ったアークの姿に私とリヒトは呆然としていた。
そして私に抱きつこうとして、リヒトが慌てて私を庇い、アークを押し返した。
「兄さん! エレンに近づくのは止めて下さい!! ロヴェル兄さんに殺されますよ!!」
「むっ」
不満そうに眉間に皺を寄せるアークがいた。私は療養していた筈のアークが自由に動き回っていることに驚いて、思わず「お兄ちゃん、アークにーさまもう大丈夫なの?」とリヒトに尋ねた。
「おにい、ちゃん?」
「にーさま?」
アークとリヒトが同時に言葉を発する。
それに私はきょとんとすると、再度二人に尋ねられた。
私は何故か、リヒトを「お兄ちゃん」アークを「にーさま」と呼んでいた。
そういえばどうしてだろうと自分でも分からず首を傾げる。小さな頃、思わずリヒトを「お兄ちゃん」と呼んだことが発端な気もするが、記憶は定かではない。
そんなことは置いといてとばかりにアークは自分を指さして、「おにい、ちゃん。おにい、ちゃん」と促した。
「……アーク、お兄ちゃん?」
きょとんと返すと、アークは嬉しそうに喜んだ。
それ見ていたリヒトが、今度はにーさまだよ! と促してくる。
「…………リヒト、にーさま……?」
満足そうにするリヒト達を見て、何だこれはと呆れを含んだ目を細めてしまう。
たまたま呼び方が違っただけでここまで反応するものだろうかと眉間に皺を寄せてしまった。
「それは置いといて! 兄さん、また部屋を抜け出して!! レーベンとクリーレンが探していましたよ!!」
「むむっ、ずるい、リヒト、だけ、エレン、あうの」
私も会いたいと拗ねるアークに、リヒトが怒る。
ぎゃいぎゃいと噛み合わない会話を私を挟んでやりとりをしている二人に、思わずうるさいと両耳を塞いでいると、突如扉の方から凍てつく波動が放たれた。
恐る恐る三人で扉の方へと目を向けると、そこには般若の顔をした父がいた。
「き~さ~ま~ら~……!!」
リヒトとアークは互いに目を合わせたと思ったら、瞬時に二人して転移して消えた。
それを間近で見ていて、私は目をぱちくりと瞬かせる。急に静かになった室内に、思わず吹き出した。
「エレン!? 大丈夫だったかい!?」
父が慌てて私の顔を覗き込んでくるが、私はおかしいと笑いが止まらなかった。
「ど、どうしたんだい? エレン」
「アークにーさま達は、本当に兄弟だなって」
息がぴったりな程に同じ行動を取っていたと私がくすくすと笑うと、父は少し目を離すとこれだから……と溜息を吐いていた。
後にリヒトに改めて「にーさま」呼びしてくれると嬉しいなと提案された。
「エレンは母さんの事をかーさまと呼ぶだろう? だからそっちの方が家族みたいで嬉しいな」
確かにそうだと思った。分かったと頷くと、リヒトは嬉しそうに喜んでいた。
アークに対しては変わらず「にーさま」呼びにしていると、少しばかり残念そうな顔をしていたのは見なかったことにした。
その後、アークは味を占めたらしく、他の訪問者に紛れて時折姿を現しては父に追い出されるのを繰り返すのだった。