2章最終話・真相と決意。
母に言われた言葉が頭の中で反芻する。
人として存在し、そして死んだという認識があるだけ、私の中で恐怖がぶわりと膨れ上がった。
それに母があらあらといち早く気付いてサウヴェルから私を受け取り抱き上げる。
「エレンちゃん、あなたは人間としての感覚が備わっているから、恐怖があるのね」
「……はい」
「人間と精霊では同じ言葉でも概念が違うのは分かる?」
母の言葉にこくんと頷くと、じゃあ大丈夫ねと母は何でもないように笑った。
「わたくしの直接の子だもの。わたくしと真逆の意味を司る子になると思っていたわ。だからね、わたくしはエレンちゃんを選んだの」
母の言葉を一瞬、頭が拒絶した。
その意味は……。
「かーさま、知って……」
「ふふふ。だって、わたくしが生んだ子なのよ? エレンちゃんは、わたくしが選んだの」
私は呆然とした。母は私が転生して記憶を備わっていることを知っていたのだ。
いや、母は敢えてそうしたのだろう。父の身体を作り替える際、その魂すらも自在に操っていたではないか。
「どうして……」
「エレンちゃんのそれは、エレンちゃん自身が証明となるの。それを以前と共有しているからこそ力を司る。人間の感覚があるせいで怖いかもしれないけれど、精霊としての意味は全く違う物になるのよ」
「…………」
「あなたのそれは"浄化"。私は生むことは出来るけれど、その成長を見守ることしかできない。成長の過程で、それが歪んでしまったり他に悪影響を及ぼす存在に変わってしまう事もある。だけど、わたくしではそれはどうすることもできないわ」
精霊は何でもかんでも出来るわけではない。一つの特性を司る存在は、他の事は出来ないのだ。
「だからエレンちゃんが生まれた。あなたのそれは、この世界を潤滑に生かすためのもの。必要なものなのよ」
「……浄化……?」
「そう。他の者を助けるために必要なもの。あなたはわたくしの娘。この世界の管理者、それが女神なのよ」
母の言葉が頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
私は母とは真逆の意味を持つ精霊だと思っていたが、その意味の概念は違っていた。
確かに浄化される側からみれば、それは「死」を意味しているだろう。
だが管理者である女神からしてみれば、それは確かに「浄化」と呼べるものであった。
「かーさま……」
「混乱するのは分かるわ。本来だったら目覚めるのはもっと先のはずだもの。この間、危ない所まで行ってしまったから、本能で力が目覚めてしまったのね……」
母は私の頭を撫でながら、大丈夫よと微笑んでくれた。
包まれる様な包容に、私は身を預ける。
ずっとずっと抱えていた、誰にも言えなかった事が、実は女神としての要素であったなんて思いもしなかった。
自分がどうして転生してしまったのがずっと疑問だった。
どうして過去の記憶があるのか。司っている元素に記憶が関係しているのだと思いこんでいたが、それは女神として必要な事だったのだ。
胸の中での蟠りが少しずつ軽くなっていく気がした。
驚きすぎて涙は止まっていたが、女神としての重石が新たにずしりと肩に掛かった様な錯覚が起きて、思わずぐったりと母に身を預けてしまった。
それを黙って見守っていた父が、慌てて私の心配をする。
「オーリ! エレンは大丈夫なのか!?」
「大丈夫よ。女神としての力の目覚めに、心がまだ付いていけないの。これはもう時間が解決するわね」
母にぎゅっと抱きしめられて、父に頭の天辺にキスをされる。
私の体調を心配して父は一端、精霊界に帰るとサウヴェルに言った。
「分かりました。お互い、落ち着いたらまた」
「ああ。……その手、もう離すんじゃないぞ」
父の言葉にサウヴェルは腕に抱きしめていたものを大事に抱えて直して頷く。
そして、この波乱はようやく幕を下ろしたのだった。
***
数日後、互いに落ち着いた頃に私はまた屋敷に来ていた。
ラフィリアと一緒に手を繋いで、庭で遊ぶ。
その背後では、カイとヴァン、そして数名のメイドが付き添っていた。
同じ年の同姓の友達が今までいなかっただけに、私のテンションはおかしな事になっていた。
ラフィリアは私よりも身体が大きいので、少しばかりお姉さんが出来たような錯覚もする。
ラフィリアは外で遊ぶことに長けていた。元より市井で遊んでいたので、貴族として部屋の中で遊ぶというよりは、外で遊ぶ方が性に合っているらしい。
庭から玄関へと回り、噴水の縁に座って二人で休憩していると、ふとラフィリアの顔が陰ったのに気付いた。
「……ラフィリア?」
「あ、……ううん。何でもない」
苦笑するラフィリアはまだ無理をしているようであった。
時折、アリアを思い出しているのだろう。
「……おばさまの事が気になるの?」
「えっ!? ……うん」
こくりと頷くラフィリアに私は、気になって当然だよと笑いかけた。
「アリアおばさまはラフィリアのかーさまだもの。それは絶対に変わらないわ」
「……うん」
もしかしたら会いたいのかもしれない。それとなくおじさまに相談した? と聞くと、言えないと返事が返ってきた。
「会いたいけど……会うのが怖いの」
「……うん」
「お父さんだって許してくれないだろうし……」
「でも、ラフィリアのかーさまだもの」
「うん……」
「じゃあ、私が一緒に行ってあげる!」
「……え?」
「会いたいんでしょ? 会いに行こう! とーさま達が心配するから、ちゃんとそこは言わないとダメだけど。任せて!」
私は、アリアに会いに行くと聞かされて慌てる父達を言葉で言い負かしてラフィリアを促した。
馬車を用意してもらい、父達と乗り込む。私に言い負かされた父達は心なしかぐったりとしていたのを見て、ラフィリアが「エレン凄い!」ときらきらした目で見てきた。
父達は少し離れた馬車の中で見守っているとの事だった。私達にはカイとヴァンが付きそう。
アリアの実家の前に到着すると、ラフィリアと手を繋いで馬車を降りた。
ラフィリアは覚悟を決めたようにごくりと唾液を飲み込んでいる。
そう、これはラフィリアが前に進むために必要な事なのだ。
「……あれ?」
だが、直ぐに異変に気付く。
食堂として賑わっているはずの家は静まり返り、誰一人として人の姿が見えなかった。
「お母さん……?」
扉を恐る恐る開けると、そこにはがらんとしていた。
物は置きっぱなしになったまま放置されている。中で誰かが暴れたように椅子がなぎ倒されていた。
「お母さんっ!?」
ラフィリアは次々と扉を開けて部屋を覗いてアリアを探したが、彼女だけではなく、食堂を経営していたアリアの両親の姿も無い。
「なんで……?」
呆然としているラフィリアに呼びかけると、ラフィリアは涙目でこちらを見て、私に抱きついてきた。
ラフィリアの背中をさすり、宥めながら周囲を見渡すと、どうも夜逃げしたような有様であることが分かった。
これは父に報告して調べてもらおうとラフィリアを説得して、帰ろうと提案する。
ラフィリアはそれに泣きながらこくんと頷いた。
後ろに控えていたカイは事の次第に気付いたらしく、黙って眉を寄せていた。
ヴァンに至っては何が起きているかなど興味が無いらしく、ただ周囲をきょろきょろと見渡しているだけだ。
しかし、一瞬でヴァンがぴくりと周囲を警戒する。
誰かいると入り口の扉を開けると、そこにはフードを被った少女が立っていた。
「……お前、どうしてここにいるの?」
少女は心底不快だと言わんばかりにラフィリアを見る。
その声に誰か気付いたらしく、ラフィリアはキッと相手を睨みつけた。
「あんたこそ、どうしてここにいるのよ!! ここはお母さんの家よ!!」
「知っているわ。確認に来ただけよ」
何の確認だと私が訝しがると、カイも相手の正体に気付いたらしく、私を背後に隠した。
私の前にはカイとヴァンが立ちはだかる。それは向こうも気付いたらしいが、気にするほどでもないとラフィリアに笑いかけた。
「ああ、やっぱり……お前の母親は逃げ出したのね」
心底おかしそうに言う少女に、ラフィリアはショックを受けた顔をして、「逃げた……?」と呟いた。
「どうしてお前はまだここにいるのかしら……。やっぱり跡継ぎだから残されたの? ああ、嫌だ。お前も一緒に母親と堕ちれば良かったのに」
心底嫌そうに少女はラフィリアに投げかけた。
どういうことだとラフィリアが言うと、少女は笑いながら教えてくれた。
「お前がバカなおかげでわたくし、本当に助かったのよ。学院に入学すれば、噂で奇異な目で見られるのはわたくしの方だったもの。それをお前にすり替えたの。本当によく踊ってくれたわ!」
あははははと笑う少女に、ラフィリアは呆然としていた。
「お前がバカをする度に噂が一瞬で広まっていたでしょう? あれね、わたくしのお陰なの。ふふふ。ああ、お前の母親がやっていたことも、町の皆はもう知っているわ。お前の母親はそれに耐えられなかったのね」
「あ、あんた……!!」
「皆の目をお前に集めれば、同じ噂をされていたわたくしと比べるのは当然よ。そこでわたくしが大人しかったら? 余計にお前に批判が向くわ。本当、おかしいったら!!」
少女はくすくすと笑いながら、貴族なら情報を操作して戦うのは基本中の基本なのに、お前はそれを学ぼうとしなかったから楽だったわ、と続ける。
ラフィリアはようやく学院で孤立した全貌を知ったのだ。半ば呆然としているラフィリアに、少女は言った。
「お前が学院を退院になって、ようやくすっきりしたのに……わたくし、隣国に留学することになってしまったわ。だから見納めに来たのよ。……ここはわたくしが生まれ育った町だもの」
少しばかり遠い目をしていた少女は、直ぐに表情を隠した。
そして、もう二度と会うことはないわね、と言って笑いながら去っていった。
呆然としてるラフィリアは、次第に嗚咽をこぼして泣き出した。
私がラフィリアにあれは誰? と聞くと、「……アミエル」と返事が返ってきた。
(アミエル?)
それは確か、あのアギエルの娘ということだろうか?
それがどうしてこんな所へと、アミエルの言葉を思い出す。
『学院に入学すれば、噂で奇異な目で見られるのはわたくしの方だったもの。それをお前にすり替えたの』
確かにこう言った。学院での噂を操作して、ラフィリアを身代わりにしたということだろうか?
私はラフィリアを心配して声をかけると、彼女は乱暴に涙を拭って、アミエルが出ていった扉を睨んでいた。そして、言ったのだ。
「これが……これが貴族なのね……」
「……ラフィリア?」
「お父さんはこれを教えようとしてたんだ……私達が騙されたりしないように。だけど、私はそれを反抗して拒んだんだ……」
涙を拭いながらラフィリアは続けた。
「悔しい……っ!! 絶対見返してやる!!」
泣きながらも決意するラフィリアは、ずっとアミエルが消えた方向を睨み続けていた。
***
全部ばらしてすっきりしたアミエルは、待機していた馬車へと乗り込む。
馬車の中には供はいない。離れた場所に護衛と供に一緒についてきてはいるが、この馬車の中は一人きりだった。
これから隣国へと向かうのだ。蟠りは大分すっきりしたとはいえ、ラフィリアがあの男の元に残ったことは誤算だった。
裏切られて絶望すれば良かったのにと思わずにはいられない。
「まあいいわ……利用できる物は全て利用してやるもの。そうでしょう? お母様」
アミエルはくすくすと笑う。
「待っていてね、お母様。もうすぐお父様と一緒に暮らせるわ。……だって、お父様は英雄だもの」
馬車の中で揺られながら、アミエルはずっと笑い続けていた。
第2章・完