英雄の帰還。
教会を後にしながら、私は父の腕の中でにっこりと笑った。
「とーさま、とってもかっこ良かったですよ!」
父と共に人間界に降り立って既に幾日が経過していた。それにも関わらず、急に教会で婚姻式を挙げると言った父の目的はよく分からなかったが、きっと何か意味があるのだろう。
だが父を見るとそんな様子は全く見せない。
「えっほんと? ほんと?」
娘に誉められて嬉しくてたまらないらしく、相好が崩れて先ほどのキリッとした格好良さがどこかに行ってしまい、非常に残念な父の姿があった。
「今のとーさまは非常に残念です」
「なんで!?」
ショックを受ける父を放って母を見ると、父の腕に寄り添ってとても嬉しそうな顔をしていた。
時折左手薬指に填めた指輪を見て、うっとりと頬を染めて嬉しそうな顔をするのだ。
そんな顔をして貰えると、プレゼントしたこちらもとても嬉しくなる。
私はこの家族の元に産まれることが出来て、本当に幸せだと思った。
***
教会の入り口に停めた馬車へと皆と向かう途中、父の首に両手を絡めて抱っこされていると、自然と後ろに付いてくる従者のアルベルトが目に入る。
アルベルトは非常に受け入れ難いような、混乱している様にも見える顔をしていた。
私が、じーっとアルベルトを見つめていると、こちらの視線に気付いたらしく、アルベルトはビクリと肩が揺れた。
だがアルベルトは私が無言で見つめていても、何を話しかけて良いものか分からないらしい。
ここで目を反らせば負けだと思ったせいか、私は殆ど瞬きもせずにずっとアルベルトを凝視していた。
すると、父と母の方が私の不穏な空気に気付いたようだ。
「どうしたの、エレン。アルベルトが気になるのかい?」
「…………」
それでも、じいーーーーっとアルベルトを見つめる。
おいおい、何か言うことあるだろ? と、私が威圧を込めると、どうやらやっとアルベルトは察してくれたらしい。
「……ロヴェル様、この度はご結婚おめでとう御座います」
臣下の礼を取り、頭を下げるアルベルトに父は驚いたらしく、そしてふっと笑った。
「ありがとう、アルベルト」
幸せそうな父の顔に、アルベルトはどこかまぶしそうな顔をした。
10年振りに見る父の姿に、アルベルトは戸惑っているのだろう。
だが次の瞬間には、父は現実に戻るかの様に真面目な顔をした。
「あの女の事だ。用心しておくことに越した事はない」
そう言って、父は私を母に預けた。
父の言葉にアルベルトも何か気付いたらしく、ハッとした顔をしている。
「オーリ、エレン。これから俺は実家に帰るが、そこで嫌な女に会う。こちらの様子は水鏡で見ているだろうが、何があってもこちらへは来ないで欲しい」
「とーさま、何故ですか?」
「あの女がお前達に何をするか分からないからだ。それに俺はお前達をあの女の視界に入れたくない」
そう言って父は私の頭を撫でる。そこまで嫌っている相手なのかと私は驚いた。
母の顔を仰ぐと、母もその相手を理解しているらしく、分かったわ、と笑顔で了解していた。
「それにエレンの存在を知られて王族に縁組みなど持ち出されたら俺は我慢できず暴れるからな」
心底嫌そうに言う父に、母と私とアルベルトは呆れた。
「ロヴェル様……それは些か考え過ぎかと……」
「何を言うか!! エレンはこんなに可愛いんだぞ!!」
母が抱っこしている私にひしっと抱きつく父に、母と私はめんどくせえと言わんばかりの冷めた顔をすると、それに気付いた父がしょげた。
「あなたの言いたいことは分かったわ。わたくし、あの女の顔を見ると炎の塊りを投げつけたくなるからきちんとお断りしてね?」
「ああ、勿論だよ」
父はそう言うと、母の頬にキスを贈る。
お断り……? 何のことだと私が首を傾げると、父はかーさまと一緒に見ていれば分かると苦笑した。
「じゃあ、俺は行ってくる。嫌だが。すっっごく嫌だ。激しく嫌だ……。オーリ達と一緒に向こうへ帰りたい……」
「御武運をお祈りするわ」
「とーさま頑張って!!」
何だか分からないが、すこぶる嫌そうに言う父を母と共にエールを送って送り出し、私と母は精霊界へと戻った。
***
妻と娘を見送り、馬車に乗ったロヴェルは、向かいに座ったアルベルトには目もくれず窓から外ばかりを見ていた。
アルベルトは10年会わなかったロヴェルの変化に戸惑っていた。
あの無表情で感情に乏しかった主君が、あのような幸せそうな顔をするなんて、と戸惑っていたのだ。
思い出すのは10年前のモンスターテンペストでの別れの瞬間。
アギエルの執着に辟易し、年々と感情が乏しくなっていく主君の姿。
アギエルの執着は度を超し、ロヴェルの周囲を囲み孤立させていたのだ。
10年。離れていた期間でロヴェルは人としての感情をあの精霊と共に取り戻していた。
そして家族という幸せを手に入れていたのだ。それを主君が帰ってきたというだけでアルベルト達は騒ぎだし、帰還するように懇願し、主君の幸せを壊しかねない場へと向かわせている。
あの結婚式に同席して、アルベルトは己の事しか考えていない事に気付いた。第一に主君の事を考えなければならない立場でいたはずなのに、アギエルの処遇に日々悩まされ、主君の幸せを見ていなかったのだ。
「ロヴェル様……誠に申し訳ございません!!」
突如頭を下げるアルベルトに、ロヴェルは溜息をこぼす。
「……お前達が追いつめられる程、あの女が好き勝手にしているというのは分かった。俺にも10年放置していたという非はある。……気にするな」
年齢を重ねた様子がない主君は、髪は銀の糸に変わり、あの澄んだ空の様な瞳は夕暮れを混ぜた紫に変化していた。
10年前と変わらぬお姿ではあるが、主君に置いて行かれた様な錯覚がする。
10年という月日を感じてしまう。アルベルトとロヴェルは、その後も黙って領地へと戻って行った。
***
ヴァンクライフト家の領地へと家紋を入れた馬車が入ると、馬車が横切る度に、人々はまさかと噂をし出した。
英雄が帰ってきた。そう誰かが叫ぶと、人々はヴァンクライフト家へと走る。
家の前で馬車が止まり、ロヴェルが馬車から降りると、人々は歓声を上げた。
「ロヴェル様ァーー!!」
門の前は人々で溢れ、民は泣きながらロヴェルの名を呼ぶ。
それに気付いたロヴェルは、閉ざされた門の前まで足を運び、笑顔で人々を労った。
「長らく留守にしていてすまなかった。皆が息災で何よりだ」
その姿は10年前と変わらない、17歳の姿のままであると気付いたらしい。
更に銀の髪に変わり、目の色まで変わっている。
その姿から領地の者達は、ロヴェルが死に瀕する程の力を使い、この地を守ってくれたのだと実感する。
人々はその姿に更に泣き出し、英雄ロヴェル様と叫び、我々を守って下さってありがとうございますと叫ぶ。
「歓迎をありがとう。もう日も暮れる。皆気をつけて帰るように」
微笑みながら背を向けて屋敷に向かうロヴェルの姿を、人々はずっと見守り続けていた。
屋敷へと足を向けると、使用人総出で出迎えられていた。
「ロヴェル様、お帰りをお待ちしておりました」
長年屋敷に勤めている執事は10年という月日で更に老けていたが、ロヴェルの姿を目にした途端、その目に涙を浮かべていた。
小さな頃から毅然な姿しか見たことのない執事がそんな顔をするとは思わなかった。ロヴェルはそれほどまでに心配をかけていたのだと実感する。苦笑しながらも、ただいまと声を掛けた。
使用人の中からは、こらえきれない嗚咽が時折聞こえている。だが、誰一人として頭を上げず、ずっと礼をしたまま、ロヴェルを出迎えていた。
使用人達の様子に帰ってきたのだと実感する。だがこの先には敵が待ちかまえている。
ロヴェルは眉間に皺を寄せ、屋敷へと入っていった。