気付いたラフィリア。
気付いたら学院の宿泊施設のベッドで父と一緒に眠っていた。
あの話し合いの後、解散した辺りで記憶があやふやになっていたので、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。
目の前で眠っている父の顔を見ていると、ふと昨日の事が思い出された。
身体が半透明になってしまって、父と母の名を呼んでも声が届かなかった。身体に戻ろうとしても戻れなかった。
あの時の恐怖がまた襲ってきて、ぶるりと震えた。
転生の記憶が薄くなるに比例して、昔のような大人の対処が出来なくなっている事に気付いた。
身体の年齢に引っ張られているという感覚というべきか。感情的になって、親が側にいないと酷く心細いのだ。
小さな一つ一つに体当たりしているあの感覚。時の流れが遅く、そして、毎日が冒険のような日々。
日が経つにつれ、段々と記憶が朧気になっていく。こうして塗り変えられるように昔の記憶が消えていくんじゃないかという恐怖もある。
誰にも話せないからこそ、ずっと蓋を閉じていた恐怖。
両手一杯に掬った綺麗な水を皆に見せたくて、駆け寄って両手を差し出したら指の隙間からこぼれ落ちていて殆ど残ってなかったと気付いた時の焦り。
どうして無くなるの? と子供心に思う疑問。それに答える過去の私。
その答えてくれていたもう一人の自分の記憶が、だんだんと遠くなっているような、そんな寂しさ。
情緒不安定なのか、大切なもう一人の自分が消えてしまう。そんな恐怖から抜け出せないのだ。
私は安心を得たくて、父の胸元へともぞもぞと近づき、そしてぴったりとくっついた。
甘え心が働いて、父の心音を聞いたら心が落ち着くんじゃないかと思ったのだ。
耳を澄ませて父の心音に耳を傾けると……なんと早鐘の様であった。
「……?」
訝しげに父の顔を見上げると、父は顔をほんのりと赤くしてにやけそうになる顔を必死で堪えているような、変な顔をしていた。
黙って離れようとすると、気配に気付いた父ががばりと私を拘束する。
「娘が可愛い過ぎてつらい……!!」
「……おはようございます、意地の悪いとーさま」
「おはよう、俺の可愛いお姫様。意地なんか悪くないよ。可愛いエレンが悪いのさ」
頭の天辺にキスをされて、またぎゅっと拘束された。
暫くそのままの体勢でいたが、そろそろ起きませんかと声をかけると、父からダメだよ、と声が降ってきた。
「……また話し合いをするんじゃなかったんですか?」
「それならもう終わっているよ。今日はね、エレンと俺は一日中このまま待機なの」
「……え? でも滞在は明日までですよ?」
「そうだよ。でももう大丈夫。エレンが頑張ったからね。だから勝負は明日。今日は明日に備えて体調を整えるんだ」
「……それは、私が無理をしたからですか?」
「それもある。だけど、そうならなければ大精霊の居場所は分からなかっただろうと、かーさまが言っていた。だから俺は複雑だよ……」
私を抱く父の手が震えている事に気付いた。心配をかけていたのが分かって、思わずごめんなさいと呟いた。
「エレンが地下にいるとされる大精霊を早く助けたいのは分かる。だけどね、これはヒューム達の命も関わっているんだ。勝負はほぼ同時に行われる。その時間まで、一緒に休もう?」
「…………明日で大丈夫なのですか?」
「大丈夫だとも。明日は催しがあるからね」
「催し……?」
「そう。この国の14歳になったら特別に行われる、誰もが憧れる催しだよ」
父はにっこりと笑った。
***
同じ頃ーーーー
裏庭に呼び出されたラフィリアは一体何の用かと憤っていた。
数日前から叔父がこの学院に来ているというのに全く会えない現状に苛立ちを募らせていた。
母も会ってくれないと嘆いていたのでそれなりの覚悟はしていたが、ここまで会えないとなると避けられているというのがよく分かる。
どうして避けられなければならないのか、ラフィリアはその理由を知らない。だからこそ、ラフィリアは苛立っていた。
「あんた達、私に一体何の用よ!」
ラフィリアの目の前にいたのは、数日前に学食にいた男子達だ。
こちらを見る目が、最初に話しかけてきた頃と全然違う。男子達はひそひそと話しながら、その中でも中心にいた一人が、意を決してラフィリアに言った。
「あんた、ヴァンクライフト家のご息女なんだろ?」
「そうよ。だから何? こんなことして良いと思ってんの?」
男子達はそれなりに裕福ではあった。騎士学に入っていたが、庶民に変わりはない。
ラフィリアの言葉に男子達はたじろぐが、それよりも言いたいことがあるとラフィリアに詰め寄った。
「あんた、庶民の出なんだってな」
「……そうよ」
また庶民のくせにとか言うつもりなんだろうか?
でもこいつらも同じのはずとラフィリアが思っていると、予想外の言葉をぶつけられた。
「迷惑なんだよ!!」
「……え?」
「お前のせいで、俺達ほんっと迷惑してんだよ!」
「な、なんで私のせいよ!?」
ラフィリアは淑女学だ。騎士学の男子と交流なんて持ちようがないのに、どうして迷惑をかけられていると主張されるのか分からず、更に苛立った。
「お前のせいで貴族達からバカにされるんだよ! 庶民庶民ってな! お前がバカをする度に!!」
「なっ……」
「ヴァンクライフト家は騎士団の団長を排出してる家で俺達の憧れなんだよ! なのになんでお前みたいなのがそこにいるんだよ!!」
「え……」
「アミエル様はお前が庶民の出だから貴族としての立場が分かってないって仰ってたけど、お前カイ先輩に貴族面してたじゃねーか。しかも騎士として護衛している家臣を!! 信じらんねーよ、お前があの家の出なんて!」
「…………」
「お前が庶民の出だろうと、貴族としてここにいるなら貴族なんだよ! 貴族らしくしろよ!! 俺達に迷惑かけんな!!」
「な……だって、私……」
「だって? ああ……どうせ何言っても分かんねーのか。有名だもんな、お前」
「有名?」
「貴族の家に入った途端、母親と一緒にわがまま放題の娘。勉強も放り出して家庭教師もころころ変わってるんだって? メイドに対する態度も横暴だってもっぱらの噂」
「なにそれ! でたらめよ!!」
「でたらめ? お前のカイ先輩への態度を見ていた俺達は噂が本当だって思ったけど?」
「……だって」
「だってだってだって、何なんだお前? 自分の行動くらい責任持てよ。それが上に立つ貴族だろ?」
「貴族……」
「勉強ほっぽり出してたらそりゃ貴族が何か知らねーかもしんねーけど。お前、よくそれで怒られなかったな」
男子の言葉でラフィリアは思い出す。始終父に叱られ続けていた事を。
でも反発して何も言うことを聞かなかった。
だって、これで大丈夫だと母が言っていたのだ。
「お母さんが……大丈夫だって……」
「はあ!? なんでお前のお袋さんが貴族の何たるかを知ってんだよ。お前のお袋さん、それこそ俺達と同じだろ。親父さんの言うことを聞けよ!!」
「そんな……だって……」
「あーもー!! だってだってだって!! お前それしか言えねーわけ!?」
激高し出す男子にラフィリアは泣きそうになった。どうしてここまで責められなければいけないのか分からなかった。
自分は母の言うとおりにしていただけなのに。
「あーくそ!! とにかくだな!! 俺達に迷惑かけんな!!」
男子達はそれだけを言うと、去っていった。
***
一人残されたラフィリアは呆然としていた。
男子達は言っていた。自分のせいで迷惑をしていると。
貴族としてここにいるのならば貴族として振る舞えと。
貴族としての振るまいとは何だ?
自分の行動のせいで庶民だとばかにされているとあの男子達は言っていた。
かく言う己も貴族達にバカにされる。庶民のくせにとか、やっぱり庶民ねとか……。
「私、貴族なのに貴族面してた……? だって、貴族なんでしょ? 私……」
自問自答をしていると、背後から誰かが近づいてくる気配がした。
それにはっと後ろを振り返ると、そこにはアミエルがいたのだ。
今日は取り巻きは連れていないらしい。ラフィリアは思考を切り上げてアミエルを睨んだ。
「複数の殿方との逢い引きは終わったの?」
「……は?」
「淑女学で淑女というものを学んでいる筈なのに、お前のその頭は本当に何も学ばないのね」
「……」
そこまで言われて、先ほどの光景を思い出す。
男子数人に囲まれた状態で女子一人で裏庭で会っていた。その事をようやく思い出してラフィリアは青くなった。
「バカだバカだとは思っていたけど、ほんっとうにバカなのね。安心して? もう噂は駆け巡っているわ」
くすくすと笑うアミエルにラフィリアはしまったと思った。
これで余計に孤立する。はしたない女として。恐らく、先生からの呼び出しに発展するだろう。
「先ほどの答えを教えてあげる」
くすくすと笑い続けるアミエルにラフィリアは首を傾げた。一体何の答えだというのか。
「お前は確かに貴族の血が入っているかもしれないけれど、お前の態度は貴族ではないわ。調子に乗った庶民が庶民を虐めているの。それがお前よ」
「調子に乗った庶民……?」
「貴族の仕来りすら覚えようとしないのに貴族だと豪語するのがお前。傲慢の何者でもないわね。庶民からも、貴族からも目障りだと思われているの、分かってる?」
「……」
「お前の態度は庶民が貴族の名を語って庶民を虐めている図。貴族からしてみれば、そんな不名誉な貴族なんて貴族全体の名を落とすだけだわ。本当に迷惑」
「…………」
「さっさと消えてくれない? お前の居場所なんて、ここには無いわ」
「…………」
「ああ、そういえば領地にも居場所が無いんですって? 自業自得ね」
ふふふと笑うアミエルに、ラフィリアは目の前が真っ暗になる感覚に陥っていた。
父の言うことを反抗して聞かなかったせいで、こんな立場に立たされるなんて思いもしなかった。
だから父は貴族として厳しく教えようとしていたのだ。
でも母はこれで大丈夫だと言っていた。だったら母は?
ようやく全体図が見えた気がした。
そして、屋敷で母と自分がどうして孤立しているのかも。
「そんな……そんな…………」
呆然としたラフィリアはその場に膝を着く。
それを見ていたアミエルは、また愉快そうに笑っていた。




