多忙の者ほど病みつきになります。
ヴァンクライフト家の屋敷に意識を集中すると、客室の一角でサウヴェルとローレンがメイドや使用人に指示を出しながら慌ただしくしている様子が浮かんできた。
父が事前に伝えて終えているのだと分かった。なら大丈夫だろうとヴァンに伝えて、そして力を解放する。
転移は一瞬だ。目を開けたら、下の方からサウヴェルとメイド達の驚きと悲鳴が聞こえた。
私達はあの部屋にあった家具ごと、人も含めて転移させた。
空中に漂う私達とベッドやチェストの姿に、サウヴェル達は呆然としている。
「おじさまー!」
ばっと手を広げて空中から抱きつくと、困惑しながらもサウヴェルは抱き止めてくれた。
「え、エレン……驚くからこういうのは止めてくれ……」
ゆっくりとチェストやベッドが床へと下ろされる。
ベッドの上にいたヒュームとその母親は、互いに抱き合いながら呆然としていた。
「ごめんなさい。ところで、急いで治療師を派遣してヒューム君のお母様を診てあげて下さい」
「あ、ああ……」
まだ驚きが抜けていないながらも、サウヴェルは私を床へと下ろし、そしてベッドに座った母親へと挨拶をした。
「お互い吃驚してしまったようだ。姪が申し訳ない。私はヴァンクライフト家の当主、サウヴェルという」
「ああ、あの……!! このような、格好で……」
「ああ、気にしないでくれ。兄から少し事情を聞いただけなんだが、我が領に勤めてくれる治療師の母君だと聞いています」
「は、はい……」
困惑しながらもヒュームの母は挨拶をした。
「申し遅れました。わたくし、リリアナ・ベルンドゥールと申します……」
「ベルンドゥール? 伯爵家の?」
サウヴェルは驚いた。そして周囲の家具へと目を滑らせる。そこにある家具は使用人が使うような一般の家具ばかり。
伯爵家の者とは到底思えなかったのだろう。
「……エレン、どういうことだ?」
「詳細は夜にお話しますが、簡単に説明しますと悪徳伯爵家に閉じこめられていたお姫様を救出して参りました!!」
「救出……?」
「あ、あの!! 俺が頼んだんです!!」
ヒュームが慌ててサウヴェルに申した。
「おや? 君はどこかで……」
「お、お久しぶりです……。お嬢様が浚われた際、殿下に同行していた宮廷治療師のヒュームと申します」
「…………」
サウヴェルは今度こそ固まった。どうしてこんな所に宮廷治療師がと思ったその瞬間、ようやく領地に来てくれると聞いていた者がこの宮廷治療師だと気付いたらしい。
「エ~レ~ン~……?」
「ひゃっ!!」
「どうして学院に行って宮廷治療師を連れ帰ってくるんだ……? というよりベルンドゥールは代々学院を管理している一族の名前じゃないか……」
そう、私を学院へと通わせろとしつこく手紙を送り続けていた家だ。
そこの代表にお話しに行った私が、その家の奥方を連れ帰ってきたのだからサウヴェルは頭が痛くなったのだろう。
「エレンの成すこと全てが予測つかない……」
「……ごめんなさい?」
行動が読まれてしまっては、それはそれで問題があると思うのだが。
そんな事を思いつつも謝罪すると、サウヴェルは今に始まった事じゃなかったなと諦めを滲ませた溜息を吐いた。
「あー、とりあえず……ローレン。母上を呼んでくれ。ここは女性に任せた方が良いだろう。治療師も女性を呼んでくれ」
「畏まりました」
「夜には詳細を話すと言ったね?」
「はい。とりあえず私達はアリバイ立証の為に学院へと戻ります」
「ありば……? まあいい。必ず夜来るんだよ。兄上と一緒に」
「はい。では、ヒューム君、一端学院へ戻りましょう!!」
とんとん拍子に話が進む私達の間で、ヒュームとリリアナはずっと目を丸くしていた。
「え? え?」
「これから学院に戻って最初の予定通り学院の案内をして下さい。私達とずっと一緒だった。そう学院長に説明するために」
「え、あ……分かった」
「リリアナ様、後でゆっくり皆とお話しましょう。ここには療養に来た。そう思って楽にして下さい。伯爵家の事はご心配いりません。こちらから説明しておきますので!」
「え、ええ……?」
「大丈夫です。直ぐによくなりますよ! では!!」
ヴァンの手を取ってカイとヒュームも連れて一瞬で転移する。
残されたサウヴェル達は、ただ疲れた溜息だけを吐いていた。
***
元の場所へと転移した。そして呆然としたままのヒュームの目の前で手を振って、おーいと呼びかける。
いまだに放心状態から戻ってこれないようだった。
「大丈夫ですか?」
「…………」
「ヒューム君?」
のろのろと周囲に目を動かすと、そこには先ほど自分達がいた場所だ。
ここから転移してまだ20分も経っていない。先程と違うのは、まだ父が帰って来ていない所だろう。
「……夢?」
「夢じゃないですよ。リリアナ様はうちの屋敷にいます」
「うそだ……こんな、こんな簡単に……」
「学院長は荒れるとは思いますけど。そこに更に追い打ちをかける予定なのでもっと荒れるかもしれませんが、お母様は避難させたので大丈夫ですよ?」
「…………ふっ」
急に笑いだしたヒュームに、私はどうしたのかと首を傾げた。
「ほんっとう、なんなのお姫様!!」
「え……」
「本当……こんなに直ぐに願いが叶うなんて……こんな簡単に……あんなに悩んでたのに……」
段々と言葉が尻すぼみになり、しゃくりあげて泣き出したヒュームに、私はそっとハンカチを差し出した。
ハンカチを受け取ると思って手を伸ばしてきたヒュームの手に、腕が取られる。
一瞬で抱きしめられて硬直して目を丸くすると、ヒュームは泣きながら、ありがとう、ありがとうと何度もお礼を言っていた。
「貴様!! 姫様から離れろ!!」
次の瞬間には激高したヴァンに引き剥がされた。
私はその間も呆然としたままだが、直ぐ私を後ろ手に隠したカイの目も据わっていた事に、カイの背後にやられた私は気が付かなかった。
「全く!! 油断も隙もあったもんじゃないぞ!!」
ぷりぷりと怒りながらヴァンがヒュームの襟首を掴んでいたが、ヒュームは泣きながらもおかしくてたまらないと笑っていた。
「あー……嬉しくても涙出るってほんとなんだなぁ……」
ヒュームが夢心地の様に言うが、私はとりあえず何も無かったかのように振る舞った。
「とりあえずヒューム君。学院長に何かを聞かれても知らぬ存じぬでお願いします。学院長は突如居なくなってしまったリリアナ様を探されるでしょうが、あなたにそれがばれると駒に出来なくなると秘匿するでしょう。こちらの用意が整って確実にリリアナ様をお助けするために、時間を稼いで下さい」
「……うん。勿論だよ。母さんの為だもの」
「というわけで、治療塔の案内の続きをお願います!」
何事もなかったかのように振る舞う私に、ヒュームは目を見開きつつも苦笑していた。
「ほんっと、お姫様って……」
「なんですか?」
「…………なんで助けてくれたの? 僕、一応王家側でも、学院側でもあったんだよ? 敵のはずでしょ?」
「敵の敵は味方?」
「え……」
「私は交換条件でヒューム君をお助けした事をお忘れですか? 私達は取引をしたのです。感謝なら是非、誠心誠意お勤めして下さいね!」
私が笑顔でそう言うと、ヒュームは肩を竦めて負けたよ……とぼそりと口にした。
善悪で判断して無償の行動を取れば、アルベルトの様に重く受け止めて気にし続ける人もいる。またそれを嵩にして高圧的な態度に出る学院長の様な者も世の中にはいる。
疑心暗鬼に駆られてしまう様な種を残すよりも、互いを尊重して後腐れなく、利益を求めただけですよと唱えた。
「あー……なるほど。お姫様が陛下と渡り合う理由が分かった気がするよ……」
「……何故でしょう。誉められている感じがしないのですが」
誉めてるって、と笑いながら続けるヒュームの言葉に、私は首を傾げながら先導するヒュームの後へとカイ達と一緒に付いて行った。
だがヒュームはぼそりと、殿下も苦労するはずだよね……と漏らしていたことに私は気付かなかった。
道が段々と石畳へと変わっていく。
その直ぐ側には、小さな水路が出来ていた。畑の横に備わっている、あの小さな水路に似ている。
「湖から水を引いているんだよ。湖の水はさっきの庭園にも使われているんだ」
「ほうほう……」
これはかなり設備が整っているのではないだろうか。
水路を引く技術もそうだが、この世界の基準は基本井戸水なのだ。
そこから汲み上げるのが一般的なので、この様に水路からという発想はなかなか見ない気がする。
これから先にあるという、薬草の栽培地に更なる興味が出てきた。
***
ラヴィスエルの執務室に急に現れたロヴェルの姿に、近衛達が一瞬で剣の柄に手を置いて構えた。
「ロヴェル。先触れも無しに来ればいずれこいつらに斬られるぞ?」
「お久しぶりです陛下。陛下がいる所にしか現れない予定なので陛下が止めてくれれば問題ありません」
「よく言う」
笑うラヴィスエルは近衛を下げさせるが、その顔と手は書類に向いたままだ。
で、何の用だと切り出したラヴィスエルに、ロヴェルは単刀直入に切り出した。
「陛下の所の宮廷治療師を一人、エレンが欲しがりまして」
「……ほう? エレンからのお願いとは珍しい」
「寄越してくれたら取引している薬を倍にしても良いと言っていますよ。治療師の名前はヒュームと申します」
「あっはっは!!」
急に笑い出したラヴィスエルに、ロヴェルは笑うと思ったと溜息をこぼした。
「彼には目をかけているんだ。派遣するという形なら良いよ」
「そう言うと思いました。というか本当にエレンの予想通りに話しが進むから怖い」
「……お前の娘は本当にやりにくい。お前が来てくれてむしろ良かったと思ってしまったじゃないか。追加の薬が2倍よりももっと少なくされていたかもしれん……」
「あー。娘なら確かに上げ足取って値切りそうですね」
「まあいい。ヒュームに辞令を出せば良いのか?」
「あ、あと治療師の母親も一緒に引き取りたいと申しています」
流石に書類を書いていたラヴィスエルの手が止まった。
「……あそこの家はベルンドゥールじゃないか」
どういうことだと眉を寄せたラヴィスエルにロヴェルは肩を竦めた。
「学院長がエレンを学院に入れたいと、それはそれはしつこく連絡してきましてね。どういうつもりだと探れば、薬の製法を探ろうとしているご様子でした。どうも他の国とも繋がっていそうですよ」
「私とエレンを敵に回したか。それはそれは」
ラヴィスエルは黒い笑みを浮かべて直ぐ様、白紙の紙を手に取り、さらさらと何かを書いていく。そしてサインをして封筒に入れ、封蝋を捺した。
「これをベルンドゥールに」
「助かります」
「エレンを敵に回した恐ろしさは身に染みたからな」
苦笑するラヴィスエルは、そのまま元の執務に戻ろうとした手を止めて、再度ロヴェルを呼んだ。
「できれば薬の割合なんだが、痛み止めの方を多くしてくれ」
「如何致しました?」
「あれはよく効く」
「おや、どこかお悪いのですか?」
「頭痛がな。寝る前に飲むとよく眠れる」
「……まさか酒と一緒に飲んではおりませんよね?」
「…………」
ロヴェルの言葉にラヴィスエルはぷいっとそっぽを向いて作業に戻ろうとした。
「早死にしたくなかったら酒と一緒に飲むのは絶対に止めて下さい。あと常用すると胃が荒れる上に効かなくなりますよ」
「……そうなのか?」
「エレン曰く耐性ができてしまうようです。身体が薬に慣れてしまうのでしょう」
「……そうか」
心なしか残念そうなラヴィスエルの態度にロヴェルは目を瞬く。こんなに素直な性格だっただろうかと、己の目を疑わずにはいられなかった。
エレンはここまで陛下を矯正させてしまったのかとロヴェルは自分の娘が恐ろしくなった。
「ああ、そうだ。サウヴェルもやっているあれはどうでしょう?」
「あれ?」
「娘が提案したんですが、身体を拭く時、湯に潜らせた布を固く絞って使うでしょう? 少しだけ湯を熱めにして、それで目元を覆うんです」
「……目を?」
「ベッドに横になってこう、その布で目を覆うとですね、気持ちいいんですよ。眠れない上に寝ても眠りが浅い弟が一瞬で寝こけてしまうほどでして。弟は病みつきになっています」
試してみては? と言い残し、ロヴェルは消えた。
それを聞いていたラヴィスエルは暫く考え込んでいたが、休憩だとベルを鳴らして使用人を呼び、さっそく用意させてみることにした。
ソファーに寝転がって目元を布で覆うと、側にいた近衛達が驚いた。
陛下!? と呼ばれるが、ラヴィスエルは返事をしたくなくなるほどに驚いていた。
「……これは」
思わず起きあがって目元を覆っていた熱めの布をまじまじと見てしまう。
そして暫く寝るとだけ言い残して、また目元に布を置いた。
その後の記憶は無い。
一瞬で寝てしまった自分に驚いた。更に少し眠った事で頭痛が緩和し、目の疲れも和らいでいた。
これはもしかしたら肩こりにも良いんじゃないかと? とラヴィスエルは思案する。
サウヴェルと同じく、病みつきになった者が現れた瞬間だった。




