ヒュームと学院長。
ヒュームが先導し治療塔へと向かう。
その後ろで学院長が何かと父に、あーだこーだと学院の説明をしていた。
学院長は父さえ頷けば私を学院に入れられると思っているようで、父に必死にアピールしている。
学院長の話に耳を少し傾けると、どうやら学院のシステムについて話しているらしい。
何時から学校が始まって~など、治療学の内容に関係あるのだろうか?
父は学院の生徒だったのだから学院のシステムを説明しても意味が無いだろうに、学院長はその事を失念しているらしい。
父の後ろからその様子を何となく眺めていたが、私はふとこの城を堪能していない事に気付いた。
昨日は城の内部の隙間を探すのに神経を集中させていたので、肝心の楽しみを忘れていた。
私は生前から城が大好きなのだ。建物の構造も興味があるが、何よりその悠然とした佇まいにある。
ここに住みたいとか、そういう思いは元から無いのだが、散りばめられた装飾や積み重ねられたレンガの壁。
時代を重ねて少しばかり風化してしまった場所を修理しながら、大事にしている所など、本当に愛おしく感じる。
確かに新しい実験器具や新発見された物質で開発された物など興味は尽きない。
だけど、大事に使われてきた物も大好きなのだ。
親から子に受け継がれた時計や万年筆。九州にいた母方の祖父母がそういう人達で、傘だって修理に出して布を張り替えてずっと大切に使い続けていた姿を見ていた。
料理が趣味の祖母は和包丁をとても大切にしていて、その包丁の柄は年代を感じる程に使い込まれていた。
ちなみにその包丁は、祖父がわざわざ鎌倉に店舗があるお店まで買いに行って、祖母にプレゼントした品なのだそうだ。
包丁に「正宗」と刻印が入っていたのが印象深かった。祖父に聞くとどうやら、歴史のある刀鍛冶のお店の品らしい。
話は逸れたが、そんな事をふと思い出しながら周囲の建物に目をやった。
中央の城から外回りを囲んでいる城へと姿を変える。
ウインザー城に似たこの建物は、レンガが積み重なった外壁をしている。
一瞬、城壁にも見えた。もしかすると、中央の城を守るために増設された城壁としての建物なのかもしれない。
(そういえば、予測でも小さな空間は城に6つ。外回りの城に8つ……中央の城を更に囲むように空間があるのは……中央の城を守るために何かがあるということ?)
う~ん、と首を傾げながらも外回りの城の内装を見る。
イギリスの城のように絨毯張りで壁に絵画……の様な物は一切無い。
各入り口のアーチには細やかな細工が施されているが、基本的にはレンガが敷き詰められいているだけの、質素な内壁であった。
貴族の象徴としての城ならば、これでもかと贅をこらすのだが、ここは本当に城壁的な建物なのかもしれない。
最上年クラスは一階にあるらしく、案内された教室はとても近い場所にあった。
学院長や父が現れた事で、場は一気に騒然となる。
「あー、ごほん! 授業を続けなさい!!」
学院長の言葉で慌てて生徒と教員は授業に戻る。だが、やはり気になるのかこそこそと噂話をしていた。
父の背後からひょっこりと顔を出すと、それに気付いた数名の人達がざわりと騒いだ。
(おい、あの子……!!)
(英雄の……!?)
ざわざわと広がっていくざわめきに、また学院長が叫んで叱責している。
それを見ていた父は、わざと大きな溜息を吐いた。
すると、途端にぴたりとざわめきが止まる。
学院長は顔を青くし、それに連なって教師達も顔色を無くしていった。
「君達の授業を邪魔して悪かったね。ここはもういい。ああ宮廷治療師殿、君が案内してくれ」
授業風景はもういいと父はヒュームに促した。
それにヒュームは「畏まりました」と了承して、教室から出て外へと向かう。
「学院の仕組みはロヴェル様がご存じのはずですので説明は省きます。治療塔の設備についてご案内します」
「そちらの方が実入りがありそうだ。頼むよ」
父は私に向かっておいでと手を差し伸べる。私は頷いて父の手を取った。退出の礼もせずに私達は外へと出ていくと、その様子を学院長達が真っ青な顔で見つめていた。
「お、お待ち下され、ロヴェル様!!」
慌てて付いてくる学院長に父は辛辣な言葉をかける。
「ああ、貴方は必要ありません。それでは」
呆然としている学院長を置いて、私達は庭へと出ていった。
***
「とーさま、良かったのですか?」
学院長に話を聞く予定では無かったのかと遠回しに聞くと、これも戦法の内だよ、と父がウインクをした。
「怒りに任せて今頃喚き散らしているだろうからね。ヴァンが拾うだろう」
そういう事かと私も納得する。感情に任せてぽろぽろとボロを出すタイプなのだろう。
「どうせ滞在中はこれでもかと付いて回るよ。さっき話を聞いていたけれど自慢話ばかりでね。俺もこの学院にいたのに知っていることばかり話すから必要ないと思って」
「とーさまもカイ君もヒューム君もいるのに気付かないんでしょうか?」
その為に自分でヒュームを呼んだのだろうに、あの学院長は説明を任せるという気は無かったらしい。
「しかしエレンが顔を出した途端にこれだ。なるべく学院生がいる場所は避けたいな」
父の言葉にヒュームとカイが苦笑した。
「申し訳ございません、ロヴェル様。昨日の騎士塔の皆も興奮してしまって……」
カイが頭を下げると、あれは仕方ないと父も苦笑した。
「ムスケル教官も人が悪いからなぁ。俺もやらかしてしまったし」
ヒュームを先頭に四人で歩いていくと、学院の雰囲気はどんどんと変わっていった。
どうやら裏庭と向かっている様だ。外壁を伝う蔦が多くなっていくと、だんだんと壁が緑に包まれた場所へと変わっていく。
緑に染まったアーチを潜った先には、イングリッシュガーデンと呼ばれる庭園に似た、緑に溢れた場所へと出た。
「わ~~! すごいです!!」
薬草だけではない。そこには様々な花や木が植えてあり、所々ベンチも設定してある所から、人の出入りも計算された場所なのだろう。
「ここは入手しやすい薬草達を中心に、人の目も楽しませられないかという目的で作られています」
「薬草で人の目を楽しませる目的は……他の場所では見られる物ではありませんね」
「はい。比較的栽培が容易な物を中心にここには植えてあるので、食事に使われる物も多数栽培しています。食堂の使用人も利用しています」
食用の花やハーブを中心に育てている場所はこことは違う場所にあるようだが、その発想は面白いと思った。
「なるほど……食べられる薬草ですか」
食用にもなって身体にも良いのであれば至れり尽くせりだ。
「主に治療に使う薬草はここではないのですか?」
「それは湖に近い場所で栽培しています。水場が多い場所の方が植物はよく育つので」
「それはここから行けますか?」
「はい。ご案内します。どうぞこちらです」
話に食いつく私にヒュームは楽しそうに笑っていた。
まるでイギリス庭園を散歩しているみたいな感覚で城の景色を一緒に眺めることが出来るなんて嬉しい限りだ。
「領地でもこの発想はなかったですね~。観光目的で薬草園とか良いかもしれませんね!」
「さっそく話が膨らんでいるねぇ」
父が微笑んでいるので私も微笑みながら話を続けた。
「薬草を栽培する手間は一緒なのですし、これは良い手だと思いますよ?」
「う~ん、それはそうなんだけど。市井の者も入れたら薬草を勝手に持って行かれたりしない?」
そうだった。この世界ではその辺の秩序があいまいなのだ。
「畑」という認識があれば人が入ることは無いが、それでも貧困から作物を盗む人は大勢いる。
これは領地に治療に来た滞在者が特に多い。滞在中にお金が無くなってしまった者達が畑に侵入するという問題が起きていたのだ。
「薬草園の入場料を取ったとしても、お金を払ったからと薬草を持って行かれそうですね……」
地球の様な娯楽所はこの世界では殆ど無い。
良いとこ、宿の酒場か貴族の娯楽室位だろう。
「これは王家の庭や学院だからこそ出来る事かもしれないな」
「そうですね……。私達の領では確かに難しそうです」
現実を思い出してしゅんとしてしまった。領地には未だに患者の数は少なくない。切羽詰まっている者が領地に来ているのだ。
ヴァンクライフト家が育てている薬草と聞いただけで、薬の材料ではないかと憶測が飛んで根こそぎ奪われる可能性もあった。
「まあ、そこまで落ち込むことはないよ。これだけ見た目が楽しませられるのなら、屋敷の庭師に栽培を頼んでも良いだろう」
こっそり庭で育てればいいよと父が笑うと、私も元気になった。
「さすがとーさまです!!」
また私がるんるんでヒュームを見ると、ヒュームは少し目を丸くして、そして笑った。
「お姫様は表情がころころ変わって面白いね」
さっきまでお澄まししていたヒュームは、最初に会った頃の態度に戻っていた。
それに私も目をぱちくりとしながらも、あなたも最初に会った頃に戻りましたねと嫌みを飛ばすと、ヒュームは肩をすくめて見せた。
「あの人が側にいたからね」
「学院長ですか?」
「そう。学院生としての態度じゃないとうるさいんだ」
確かにヒュームは現在学院生だ。だが宮廷治療師としての肩書きを持っている。
学院長に怒鳴られていたとヴァンは言っていた。遠回しに図に乗るなと脅しをかけられているとかであろうか?
ヒュームを見ると、学院長を思い出したのか少しばかり溜息を吐いていた。
「なんだか大変そうですね?」
首を傾げてそう訊ねると、ヒュームは私を見て苦笑していた。
「……何だかお姫様には色々とバレてそうだなぁ」
「あらあら」
そういえばヒュームはあの時、あの場に居たのだ。風の精霊が噂を回収することも知られている。
ということは、直接聞いた方が早いかもしれない。
「学院長があなたを使って薬の製法を暴かせようとしていることかしら?」
私の言葉にヒュームは目を見開き、そしてやっぱり無理だったよと何かを諦めたかの様な顔をした。
「やっぱり知られていたんだね」
「学院長は大声で怒鳴っているそうなので、周囲に筒抜けの様ですよ?」
「うわあ……」
もう笑うしかないらしく、ヒュームは疲れを滲ませて笑っていた。
父とカイは私達の会話を黙って見守っていた。それでも四人は足を止めず、そのまま湖の側にある薬草園へと向かう。その道すがら、ヒュームが口を開いた。
「あの人ね、俺の義理の父親なんだ」
「……誰のことですか?」
頭では分かっていたが、ちょっと否定したい気分になった。
「お姫様ったら分かっているくせに。学院長だよ」
笑うヒュームの声に、絶句する私の後ろで予想外にも父が驚きの声を上げ、カイの同情を含んだ「うわっ」という声が、辺りに響いた。




