ヒュームの事情。
落ち込んだヴァンの背中をカイがドスッと小突くと、激怒したヴァンが小僧!! と叫んで掴みかかろうとした。
そこを直ぐ様父がヴァンの長い襟足を掴んで止める。
ぎゃっと叫び声を上げたヴァンは、涙目にながら父を目線だけで抗議をしていた。
「エレン、それを彼に返しなさい」
それと称されたアシュトが、ガーンという顔付きをしていたが、私は確かにこのままでは話が進まないとアシュトをヒュームへと手渡す。ウサギのほわほわな毛をこっそりと堪能できて私はご満悦だ。
そして未だに襟足を掴んだままの父の手を取って、とーさまも、めっ! とすると、父は素直に手を離してくれた。
「う~~……抜けるかと思いましたぞ……」
廊下にあぐらをかいて頭を抱えるヴァンに同情する。相当痛かったらしい。
襟足部分をがしがしと撫でているヴァンに近寄って、ヴァンの頭をなでなでと撫でると、ヴァンがぴくりと固まった。
「姫様……!」
感極まるヴァンに抱きつかれそうになるが、それは自分でひょいっと躱して阻止した。
「人化してから姫様が我に冷たい……」
ヴァンの言うことは少し当たっていた。
獣のままなら喜んで飛びつけるが、男の人の姿だと未だに慣れずに少し躊躇してしまうのだ。
「ごめんなさい……。私、ヴァン君の人の姿にまだ慣れていないみたいで、何だか知らない人間の男の人に急に抱き着かれるんじゃないかって思ってしまって……」
「っ!?」
知らない男性に急に抱きつかれそうになれば、女性は逃げて当然だとようやくヴァンも気付いたらしい。
「申し訳ございません、姫様……我の配慮が足りませんでした」
「ううん。こちらこそごめんね」
「つ、次は元に戻ってからお伺いいたします!」
「うん。それならいつでも大歓迎だよ!」
仲直り、と私はヴァンの手を握って、座り込んでいたヴァンを引っ張り上げる。
それを見ていた父は、ようやく静かになったと話を進めた。
「さて、宮廷治療師殿。案内を頼めるかな?」
にっこりと笑う父に、ヒュームは戸惑いながらも頷く。
「さ、行きましょう?」
手を繋ごうとヴァンの顔を見上げると、直ぐに察してくれたヴァンが手を差し出してきた。
一緒に手を繋いでヒュームの後を追う。
ヴァンは猫科の筈なのに、髪の毛がウルフカットのせいか、わんこみたいだと少しだけ思ったのはここだけの話だ。
***
ヒュームの後を追った先は、城の中央広場だった。ここは共同の場らしいが、学院生の姿はない。既に授業が始まっているらしい。
広場の入り口には、既に学院長と治療学の男性教師が一緒に立っていた。
「おお、ロヴェル様おはようございます!」
朝からテンションの高い学院長と握手をしながら父は挨拶をした。
私もそれに習って挨拶をする。カイとヒュームの挨拶は学院生としての挨拶だったが、ヴァンだけが学院長を睨んでいた。
「ヴァン君」
繋いでいた手をくんっと引っ張ると、ようやく気付いたらしいヴァンがぶっきらぼうに挨拶をした。
「ヴァン君、どうしたの?」
こんなヴァンの態度は珍しいと私が聞くと、ヴァンは苦笑しながら身を屈めてこそこそと教えてくれた。
「この男、あのヒュームという男を使って薬の作り方を聞き出そうと企んでいるようですぞ」
(え……)
ヴァンは風を操る大精霊だ。風を操って学院長の言葉を拾ったのだろう。
ヴァンの言葉に私はぐるぐると思案した。
何かをしてくるだろうとは思っていたが、そういえばどうして学院長は宮廷治療師のヒュームを案内として寄越して来たのだろう。
(ヒューム君は宮廷の人材として既に周知されている。それなのにどうして今更学院の話を受けるんだろう……)
確かに学院側としてみれば、宮廷治療師として将来を担う人材を育成させた事は自慢になるだろう。
だが宮廷治療師として既に働いている忙しいヒュームを寄越せと言えるだろうか?
(これは……学院と王家が何やら繋がっているか、もしくは……)
ヒュームが学院長と繋がっているかのどちらかだろう。
とりあえずはヒュームにも気を許してはならないということである。
「ヴァン君、教えてくれてありがとうございます。気を付けますね」
にっこりとヴァンに向かって笑いかけると、ヴァンもにっこりと「我はいつも側におりますぞ」と返事をしてくれた。
ヴァンが側にいることは凄く心強い。それに気を取り直して私は話し込んでいる学院長と父の会話に耳を向けながら、ちらりとヒュームを見た。
ヒュームは学院長の後ろで少し俯いていた。
その顔色は悪い。互いに悪巧みをしている間柄にはどうしても見えなくて、私は眉を寄せて首を傾げた。
そして行き着いた考えに自ら固まってしまった。
(もう一つだけあるじゃない……手を組まざるを得ない状況が)
ヒュームが学院長に脅されている可能性が浮上した。
(これは……その辺も含めて洗いざらい暴きましょうか)
裏でこそこそとヴァンクライフト家の薬を狙っている様な男が良い人なわけがないだろう。
もし脅されて薬の詳細を聞こうとしているのなら、既にそれが叶わないということを、ヒュームはラフィリアの誘拐事件に居合わせていたので知っているはずだ。
脅されているが故に学院長の言うことを聞かねばならない。だが、既に私は王家にすらこの薬の事を話さないと断言してしまっている。
王家を差し置いて何のメリットも無い学院長に薬の製法を教える筈がない事くらい、ヒュームも分かっているはずだ。
だからこそ、ヒュームは学院長と現実に板挟みにされていて顔色が悪いのだと推測するのが一番納得ができた。
私はこそこそと学院長に背を向けた形でヴァンとこっそり話をした。
口元の形で何を話しているのか、悪だくみをする人間はそれだけで察する可能性が高いのだ。
「ヴァン君、学院長とヒューム君の周辺の噂を集めて下さい。ヒューム君は学院長に脅されている可能性があります」
ぼそぼそとヴァンに耳打ちする私の言葉に、ヴァンは目を丸くした。
どうやら傍にいたせいで聞こえていたカイも目を丸くしている。
「姫様……どこでそれがお分かりに?」
なんと詳しく聞けば、学院長が凄い剣幕でヒュームに怒鳴り散らしていたのだという。
まだお話していないのに、どうして分かったのかとヴァンとカイに聞かれた。
「彼は脅されているのですか?」
「その可能性が高くなりました。ヒューム君はラフィリアの事件に居合わせていましたよね? 薬の製法を王家にお伝えはしないという私の宣言を彼は直接聞いています。彼はそれを知っている上で、学院長の言いなりになっているようのなのです。考えられるのは断れない立場にいるから……ですから、場合によってはヒューム君を優先します」
「……姫様ならそう言うと思いましたぞ」
苦笑しながらヴァンは納得してくれた。
「沢山頼みごとをしてごめんなさい。ヴァン君が頼りなんです」
「ふふっ。もっと言って下さいませ!! 我は役に立ちますぞ!!」
「……」
少しばかり羨ましそうな顔をしていたカイに、ヴァンがふんっと焚き付けた。
「我は姫様のお願い事がある故、姫様の傍を泣く泣く離れる事になった。いいな、我が戻るまで小僧が姫様を守るのだぞ!」
ヴァンの言葉にカイが目を丸くしていた。だが、次の瞬間には当然ですと決意を込めた言葉と目でヴァンを見ていた。
二人は、合図をせずに互いに拳をぶつけ合っていた。その息はぴったりに見える。
(こういう所は仲が良さそうなんだけどなぁ……)
だけど時たま二人は小突き合いをしているようなので少し心配になっている。
ヴァンは私に頼まれごとをされたのがよほど嬉しかったらしく、にこにこと始終笑顔であった。
それに釣られて私もにこにこと笑っていると、父が楽しそうだねと苦笑していた。
「何やらこそこそとしていたけどもう良いかい? 移動するようだよ」
「大丈夫です! ではヴァン君。お願いします!!」
「畏まりました」
恭しく一礼すると、ヴァンの姿はふっと消えた。
学院長達は既に前を歩いていたのでヴァンの存在には気付いていない。
(さあ。ご覚悟下さいね)
私はにっこりと笑って父と手を繋いで学院長達の後を追った。




