とーさまの懐かしい人。
学院長に学院の地図を貰い、私達はカイの教室へと足を運んでいた。
「あの……エレン様。本当に俺の教室へ……?」
「はい!」
「カイは騎士学だろう? 私もそこの出だからな。説明しやすい」
「あ、いえ。そうではなくて……」
しどろもどろになっているカイに、私はきょとんと首を傾げた。
「もしかして、迷惑でしたか?」
それはそうだろう。カイは知り合いが多い場所で身内を紹介したくなかったのかもしれない。
カイの迷惑を考えていなかったとしゅんと落ち込むと、カイは慌てて両手を目の前で振った。
「とんでもございません!! ロヴェル様方が来て下さるなんて、俺の同級達は凄く喜ぶに決まっています!! そうではなくて、えっと……淑女学の方でなくて宜しいのでしょうか?」
淑女学というのは、貴族の女性が学ぶ分野である。
貴族のマナーや刺繍や夫を立てる作法など、結婚前の淑女達の必須科目だ。
「エレンはもう淑女だが?」
父はにっこりと笑ってはいたが、その目は笑っていなかった。
淑女学は男子禁制だ。私と引き離される可能性もあったし、それに何より、ラフィリアとアミエルがいたのだ。
そんな場所へ父が私を送り出す出すはずがない。
何を言っているんだとばかりに父は黒い笑顔をまき散らしていた。
父の態度に失言に気付いたのだろう。
青い顔をしてカイが謝罪していた。
「所で姫様。本当に宜しいのですか? 小僧曰く、男ばかりいる部屋だそうですが……」
「とーさまやヴァン君が側にいるから大丈夫ですよ? 緊急事態になれば、転移は仕方ないと思ってますし」
父とヴァン君に片手ずつ手を握られて三人並んで廊下を歩いていると、すれ違う者達が目を丸くしてこちらを凝視していた。
前を歩いて誘導しているカイ君は少し苦笑していたが、教室の前に立つと、キリッとした顔をして前を向いていた。
普段のカイはこちらを妹を見るように微笑ましく見守ってくれている事が多い。
なので、こんなにキリッとした顔をしているのがとても珍しくて、私はついつい見入った。
親戚のお兄ちゃんがかっこよく見えるそれに似ている。
先に教室へ入って、教師に説明してきますとカイは中へ入っていった。
「カイ君、カッコいいですね!」
私はにっこりと父に笑いかけると、父とヴァン君が目を見開いていた。
「……しまった。早まったか」
「小僧……後で覚えておれ」
何だか両隣からギリギリと聞こえてくるが気にしないことにした。
扉の前で待っていると、突如教室から興奮した叫び声が聞こえてきた。
それにびくりと肩を揺らすと、父は呆れた溜息をこぼした。
「騎士を目指す者がこの程度でどうするんだ……」
直ぐ様聞こえてきた教師の怒鳴り声で騒ぎがピタリと止まる。
父はこの声に覚えがあったらしい。懐かしい声がしたなと嬉しそうな声を上げた。
そういえば、父の知り合いに会うのは領地の者以外ではほぼ初めてに近い。
というのも、父の知人達は、14年前のモンスターテンペストで殆ど亡くなっていたからだ。
それまでに壮絶な戦いだったのだろう。父は少し懐かしいような、昔を思い出したのか悲しそうな顔をしていた。
それを下から黙って覗き込んでいた私は、父と繋いだ手をぎゅっと握りしめる。
すると父はハッとした顔をしてこちらを見ると、私はにっこりと笑った。
「懐かしい方にお会いできるなんて楽しみですね」
「……ふふ、そうだね」
父と二人で笑いあっていると、教室からカイが出てきて「お待たせ致しましたロヴェル様」と声をかけてきた。
父はそれにああ、とだけ返事をして、教室へと入る。
その際に邪魔をすると教室へいる者達へ声をかけた。
父に続いて教室へ入ると、教室の生徒達は右手を胸に当て、ピシリと起立していた。
顔は幼い面々であるのにも関わらず、軍隊の様な統一された美があった。
手前にいる厳ついダンディなおじさまが、頭を下げた。
「ロヴェル様、ようこそお越し下さいました」
「懐かしいな。少しの間、世話になる」
「畏まりました。カイ! ロヴェル様へ椅子をお持ちしろ!!」
「はい!」
一つ一つの動作が決められているかの様にきびきびと動いていた。
それにぽかんとしていると、椅子を二つ持ってきたカイにお礼を言って座ろうとした所、父に止められた。
「エレンはとーさまのお膝の上だよ」
にっこりと笑う容赦のない父の言葉に、私は呆れた目を向けた。
案の定、教室の面々の顔が驚きで目を丸くしている。
「そちらの椅子はヴァンが座りなさい」
「ありがたき幸せ」
一礼するヴァンの姿に、教室の者達は羨望の眼差しを向ける。
本来では主は家来に気を使うことなどはしないのだが、主に気遣われる家臣という存在は、信頼の証を表している。
騎士が羨む、主とその忠実な騎士との理想の形がそこにあったのだ。
ヴァンクライフト家の家臣との付き合いは、日頃からこの様なやりとりをしているので、私は召使い達から話を事前に聞いてはいたものの、ここまでなのかと驚いた。
他の領地では主と家臣の間柄は余り良くないらしい。
うちで働きたいと一心に頼み込んでくる者達が多いとローレンが言っていたのを思い出す。
父の膝に座って前を見ると、起立したままの生徒達が少し動揺していた。
私がにこりと笑うと、生徒達はビクリと肩を揺らして目を反らされた。
(あれ? なんだろう、その反応は悲しい……)
貴族が相手だと怖がられてしまったのだろうかと少し落ち込んでいると、父が私の頭を撫でてきた。
「エレンはいつまでもそのままでいてね」
「……? とーさまの言っている意味が分かりません」
「分かったらダメだよ」
私の後頭部にぐりぐりと頭を押しつける父の姿を見て、生徒達があんぐりと口を開けて驚いていた。
その中でも一番前にいた、教師のダンディなおじさまが一番目を見開いていたことが逆に私は驚いた。
***
ラフィリアは廊下を走る。
叔父達は学院長室へと向かったと教員に聞いた瞬間、走らずにはいられなかった。
後方から「ラフィリア!! 淑女が走ってはなりません!!」と怒りを飛ばしてくる女教師を無視して、ラフィリアは急ぐ。
この状況はもしかすると、エレンが学院に通う事になる前触れではないかといやな予感がしていた。
(冗談じゃないわよ!)
ラフィリアは領地から離れることが出来て、どれだけ息が詰まっていたか実感した。
特にエレンと間違えられて誘拐された後など、過保護になった父のせいで、屋敷にずっと閉じこめられてしまった。
更に一人で抜け出したせいで、周囲の家臣達の信頼も失ってしまっていた。
父はあの後、母を交えて話をしてくれた。その内容に驚愕する。
私はエレンに助けられたと教えられて、素直に頷くことが出来なかった。
私が王家との手紙のやり取りを吹聴していたのが今回の原因だと殿下との手紙のやりとりは禁止された。
本来であれば、貴族として王族との手紙のやりとりをしているという事実はかなり大きな事態を生み出すらしい。
そんなことなど思いもしなかった私は、町の仲の良い友達達に自慢してしまっていた。
それが原因で誘拐犯に目を付けられて浚われてしまったのだと聞かされて、もう何も言えなかった。
更に私はガディエルと家との信頼関係にもヒビを入れてしまったと叱責された。
そんなつもりなど全くなかった私はもう涙が止まらない。
確かに自分の行いも悪かったとは思う。
だけど、全てエレンが原因じゃないだろうかと思わずにはいられないのだ。
エレンがいなければ私は浚われる事などなかった。
エレンがいなければ、比べられることもなかったはずだ。
私が反抗的な態度を取ってしまった原因は、そもそもエレンが原因なのだ。
あの領地での息苦しさにようやく解放されたというのに、学校にはアミエルがいた。
父の元妻、悪名高いアギエルの娘。
だけど、アミエルは父の娘ではなかったらしい。
この事実を学院内で人伝に聞かれたので思わず当り前じゃないのと教えると、それをアミエル本人に見られていた。
どうも向こうは私のことを知っているらしく、こちらをギリギリと睨み付けてくる。
アミエルは王族だが、貞操観念の無い母親のせいで酷い陰口を言われていた。
だけど、そんなことなどこちらは全く関係ない。それなのに、アミエルはこちらを敵視している様で、色々と事ある毎に突っかかってくる。
「ただでさえ面倒くさい女がいるっていうのに、どうしてエレンまで来るのよ……」
更にエレンはガディエルと最近では仲が良いらしいとメイド達が興奮してひそひそと話しているのを耳にしてしまった。
(そんなこと絶対に許さないんだから!)
ラフィリアは学院長室へと走っていった。
その後、学院長にて叔父達が既に移動済みだと聞かされてラフィリアは呆然とする。
更に授業はどうしたのだと学院長直々に説教をされて、ラフィリアは散々な目に遭った。




