波乱を告げる手紙。
あの出来事から半年ほど経過した。
今やヴァンクライフト領は人も羨む土地へと変貌を遂げつつある。ひっきりなしに訪れていた病を患った人々は、王都でも薬が出回るようになったお陰で次第に事態は収束していった。
ただ、一つだけ噂が広がってしまったために周知になってしまった事があった。
浚われたヴァンクライフト家のご令嬢は領主の娘。
神の薬を施したのは、英雄の娘の方だ、という噂である。
元々領地では私が父とサウヴェルと共に回っていた。
人目のつく場所で活動はしなかったものの、治療院に来て治療を受けた者からだんだんと噂が広がってしまったのだ。
私の容姿はラフィリアと特徴がかけ離れていた。それも相まって直ぐに知れ渡ってしまったのだった。
***
「……王都から?」
サウヴェル、イザベラ、ローレンを向かいに対峙したロヴェルは眉を寄せた。
サウヴェルから手渡された手紙を胡散臭そうにピラピラと振る。
「……すまない兄上。どこからかエレンの事を嗅ぎ付かれたようで……」
心底困ったと言うように頭を抱えるサウヴェルは、判断を仰ぎたくてエレンを抜いてロヴェルに話しをしていた。
ロヴェルは手紙の差出人を見やる。
そこには「テンバール王都学院」と書かれていた。
「こんなの本人に聞いた方が早いだろ。おーい、エレン、オーリ!!」
空中に向かって叫ぶロヴェルにサウヴェル達はびくりと肩を揺らした。
「ま、待ちなさいロヴェル!!」
イザベラの制止を余所に、ロヴェルはしれっとした顔をしていた。
次の瞬間にはエレンとオーリが「どうしたの?」と姿を現した。
これにサウヴェル達は溜息をこぼさずにはいられなかった。
***
「……学院?」
「人間の学び舎だね。ちなみに俺もそこの出だよ。貴族は全員学院に入ることが義務付けられているんだ」
父の説明に私は特に興味も持たず、ふーんとだけ返事をしていた。
「私、精霊ですけど」
「だよねー」
あっけらかんと笑う父に、母は父と一緒に通っていた父の学生時代を思い出していたらしく、二人で思い出話に花を咲かせていた。
だがサウヴェル達は頭を抱えたままだ。一体どうしたのかと私は首を傾げた。
「……エレン、すまない」
「何がですか?」
「これが届いたという事は、エレンはこの国の貴族入りをしているということなんだ……」
「え、それって……」
「一応、直ぐに訂正はさせたんだ。兄上は婿入りしており、この国の国籍ではないと。だが、どういうわけか信じてくれないのだ……」
「うーん……この国の英雄を他国には取られたくないという心情でしょうか?」
現在父はサウヴェルと一緒に領地の手伝いをしている。さらにその娘まで確認できたとなると、父の確保の為に娘に焦点を当て、数年は父をこの国に留めておくことが可能ではないかと考えた。つまり、私を出汁にしているわけだ。
「とーさまのせいじゃないですかー!」
「あたた、ごめんごめん」
ぽかぽかと叩くと父は痛いと言いながらも嬉しそうにしていた。
「学院には断りの手紙を出しておいたのだが……何度も何度も手紙を送ってきて正直困っている」
この国では12歳から成人の16歳までの間、学院に通うのが通例なのだそうだ。
この家では二ヶ月前からラフィリアが学院に入学していた。
入学式を過ぎれば諦めると思っていたらしいが、それでも懲りずに幾度も手紙を送ってくるらしい。
「しまいには貴族の責務放棄だと使者まで送ると言ってきている……」
何だか大げさではないだろうかと私は目をぱちくりとした。
「ふ~ん……」
学校か。
あの生前通ったそれは、確かに楽しかった思い出はある。
友達を作る、人脈を確保するという意味でも貴族はむしろ喜んで通うだろう。特に今年卒業のガディエルとその弟のラスエルが現在学院に通っているのだ。
王子と直に関係を持ちたい者達はそれこそ喜んで学院に通うだろう。
日本で学院というのは、私立を中心とした高等学校や専門、大学を指すが、この世界での学院というものは、海外いうところの宗教の教義を修める修道院の様な仕組みの様であった。
その管理体制は少しばかり興味があるが、正直言ってこの世界の事は全て父に習っていたので他に習うことがあるだろうかと思う部分がある。
「……私が学院に通って、それで何か得があるのですか?」
「うちには無いなぁ」
「ないな」
「無いわねぇ」
「エレンは俺が直々に教えちゃったもんなぁ」
「教わっちゃいましたね~」
父の言葉にサウヴェル達は目を見開いて驚いていた。どうしてそんな顔をするのかと私はきょとんとしてしまった。
「俺の娘は面白いほど覚えてくれるから楽しくてつい……」
てへへと笑う父の姿に、サウヴェル達が絶句している。
「……兄上、どういう事ですか?」
詳しく聞くと、父は学院の中でも秀才どころか天才と呼ばれていたらしい。その天才に教わって既に過去形で話しているという事実が目の前にあった。
これには私もあれ? という顔をしてしまった。私の場合は生前の記憶があるので、単にこの世界の説明を父から受けているという印象でしかなかったのだが、実は学院で教わる以上の内容を教えていたという事実が明るみになってしまった。
「エレンは学院で習うことは全部覚えちゃってるからなぁ。14歳で精霊と交信して契約を結ぶという授業もあるけど、本人が精霊だしなぁ」
「ここの領地以外にこれ以上人間界に関わる気なんてありませんし……」
父と私はサウヴェルを同時に見て、使者の説得頑張って! と言わんばかりの笑顔を向けた。それにサウヴェルは更に溜息を吐いた。
「問題があるとすれば、王家が通っているということと、俺の娘とアギエルの娘も通っているということなんだ……」
サウヴェルの言葉に、私と父は顔を見合わせる。母は意味が分からず、相変わらずのほほんとしていた。
確かに私はラフィリアとはあまり会いたくなかった。どうにも性質的に合わないとしかいえない。
以前泣かされてしまった事もあるので、それで苦手意識が芽生えているのかもしれなかった。
彼女等が入学して既に二か月。その二か月の間に二人は色々とやらかしているらしい。これには私も呆れた。
「ねえあなた。あの方はなんと言ったかしら。他国の王子が数ヶ月学院に通っていたでしょう?」
「…………」
母が父に何か確認していた。
私はその体制に何となく覚えがあった。
「留学のような制度があるのですか?」
「ああ、それだわ」
母がにっこりと笑う。だが、父は一気に機嫌が悪くなった。
「エレンは学院には通わせない」
父のはっきりとした主張に、私は首を傾げた。それは先ほどから言っているというのにどうしてここまで父の機嫌が悪くなるのだろうか?
「可愛い娘を男共の集団の前に出せるかーーー!!!」
突如暴走しだした父がいた。
母は学院というものに父が通っていた間、陰ながら付き添っていた。
その間、とても楽しかったらしい。
「見ていて楽しかったのよ~。エレンちゃんも行けばきっと楽しいわよ~~」
母が言うには、精霊は先が長いのだから、人間社会に少しばかり興味を持っても良いんじゃないかという提案だった。
だが母よ。それは傍観していたからこそ楽しかったのではないかと私はジト目になる。
私が学校に行くことで何か得があるとすれば、人間の友達が出来るとかその辺の得しかなかったので、私と父は無駄を嫌う傾向が強いせいもあり、二人して「ないわ~」と眉間に皺を寄せていた。
大体、王族にあまり関わるなと言っていたその口で何を言っているんだと私は呆れた。
しかし、母は私が知らない所で人間界に興味を持って、勝手に居なくなってしまう可能性を危惧しているのだという。
失礼な。そんなことはしな……いや、たぶんしない……と思う。
研究気質の自分は、興味を持つと周囲の声が聞こえなくなるという自覚があったので、強く主張できなかった……。
さらに母は、動揺する私と考え込んでいる父をものともせずに、にこやかな顔をしてトドメの一言をもらした。
「エレンちゃんエレンちゃん」
「はい。なんでしょうか?」
「この学院はね、腹黒達のお城に似た結構広いお城なのよぉ。周囲は森に囲まれていて男たちはたまに貴族の狩りというものをそこで学ぶの。さらに城の外れには湖もあってね、そこの水面に映る森に囲まれたお城はなかなかの絶景よ~~」
「……っ!!?」
過去に言ったかもしれないが、私はお城という建築物が大好きなのだ。
「留学という手はどうでしょうか!!」
社会勉強だと手を挙げた私に、父の「オ~~リ~~~~!!」という低い声が被せられた。
これが後に、更なる波乱の幕開けとなるのであった。




