知られたくない存在。
ヴァンクライフト領に入ったガディエル達は、領地の者達にばれないように変装をしていた。
一行はガディエルを筆頭に、従者のラーベ、トルーク、フォーゲルが護衛として付いている。
従者の三人は常にガディエルに付いている人間ではあったが、一人だけ宮廷治療師であるヒュームという男が混ざっていた。
ヒュームはガディエルと同い年で今年成人する男であった。
その容姿は年齢より少し幼く見える容姿をしている。
茶色の淡い髪は髪質を柔らかく予想させ、ぱっとした見た目はとても優しそうな少年であった。
だがその口を一度開くとその認識は一瞬で崩れ去り、己の耳を疑うほどの毒舌を耳にすることになる。
ガディエルの弟のラスエルと同い年に見えると本人に言えば、顰蹙を買うのは目に見えていた。どうやら幼い顔立ちであることは自分自身も許せないらしい。
だがその才能を見込まれてヒュームは11の頃から宮廷治療師の弟子をしており、昨年一人立ちを果たしている。それ程の優秀な人物であった。幼い頃より才能ゆえに大人にまみれていたせいか、酷く廃れているのだろう。
そして何より、ヒュームは精霊と契約している精霊魔術使いでもあった。
「ガディエル様、あまり近くに来ないで頂けますか」
更に言うと、ガディエルとヒュームはいつも反りが合わない。
ヒュームの言葉にガディエルは少しだけムッとするが、素直に従った。それは何より、精霊が原因だったからだ。
「ヒューム殿! 殿下になんというお言葉を!!」
「仕方ないじゃないですか。僕の精霊が殿下に怯えるんです」
「……いい、トルーク。事実だ」
王家の呪いの真相を知って、ガディエルは呆然とした。ご先祖様の行いのせいで、王家は精霊に酷く嫌われている所か、恨まれていた。
呪いの力に引きずられて精霊が狂ってしまいかねない存在だと周囲に知れたのだ。
これを知った宮廷の精霊魔法使い達は一気に王家を嫌悪した。自分達が契約している精霊達の機嫌を損ねない存在だったからだ。
王家とて精霊魔法使いを失うわけにはいかないと、王家の者達は精霊魔法使い達に近づくことを自らしなくなった。
だが、今回のヴァンクライフト家の薬が問題になり、そうも言ってはいられなくなった。
ヴァンクライフト家の小さな精霊姫が施す薬が、どうやら精霊が作った薬という説が濃厚になったのだ。
「公爵家のお姫様が作らせている薬が精霊が作ったものかどうか、僕の精霊が調べなくてはいけないんですよ? 殿下のせいで怯えて仕事にならなかったらどうするんです?」
こんなことも分からないのかとヒュームは従者に向かって溜息を吐いた。
エレンの薬がどういう物か調べるには専門の者が必要だ。これに白羽の矢が立ったのが宮廷治療師のヒュームであったというわけだ。
「しかし、この領地……病を持った者達で溢れていますね」
心底嫌そうに言うヒュームに、従者達がざわめいた。
「こんな所に殿下を行かせるなんて……王は何をお考えなのか」
従者の言葉にフードを目深に被ったガディエルは声を潜めろと注意する。
「フォーゲル止めろ。今の俺はガディスだ」
「あ……申し訳御座いません」
全員がフードを目深に被っている集団は妙に目立っている。こちらをちらりと横目で見てすれ違う周囲の様子に、ヒュームは溜息を吐いた。
「十分目立ってますよ。ガディスさん以外はフード取った方が良いんじゃないですか?」
肩をすくめるヒュームに従者達は舌打ちをした。
この仲違いの様子にガディエルは溜息を吐かずにはいられなかった。
「しかしとんでもないですね」
急にヒュームがおかしそうに言うので、ガディエル含む面々が訝しげな顔をした。
「病が広がらない様に、風の精霊が上空に病を吹き上げて浄化している……」
ヒュームは空を見上げて見入っていた。
ガディエル達も空を見るが、そこには雲一つない快晴が広がっていて、何かを見る所か感じることすらもできなかった。
「僕の精霊が畏怖している。ここには風の上位精霊がいるらしいですね。これは噂は本当なのかな……?」
ヒュームの言葉に周囲の者達は目を見開く。それはこの領地の姫がもたらす薬が、精霊が作っているものだという信憑性を上げるに等しいものだった。
「まあ、とりあえず情報収集しましょうか」
すたすたと宿の方へと歩いていくヒュームに、従者達は待てと叫んだ。
***
ヒュームの言葉を聞いて、ガディエルは内心やはりという思いが隠せなかった。
(エレン……)
ガディエルはエレンが精霊だと知っている。
やはり薬はエレンが作っているのかもしれないと、ヒュームの言葉で不思議と確信が生まれた。
(……ヒュームに知られたくない)
そう思うのはわがままだと分かっている。
だが、あれから自分は一目もエレンを目にすることが出来ないというのに、エレンの存在をヒュームに知られるという事が許せないでいる。
ヒュームに彼女の存在が知られる前に、己が先にエレンに会いたいと願わずにはいられなかった。
***
治療院の会議室での話し合いはスムーズに進んでいた。
識別救急という認識は、名前は知らなくとも重症患者を優先すべきだという話は、治療師の間でも話題になっていたらしい。
だが先に治療院に来たのは自分だと主張して薬を求める者が後を絶たない現実があった。
「みな、病のせいで余裕がないのですね……」
エレンの眉が八の字になると、周囲の者達もエレンの気持ちが分かって困った顔をした。
「私が薬を……!」
「だめだよ、エレン。それはちゃんと話し合ったでしょう?」
父の言葉に私は泣きそうになった。
助けられる筈なのに、どうして制限をかけなくてはならないのだろうか。
父達が私を一番に考えてくれている事は知っている。だけど、このままではいけないという事も分かっていた。
大量に薬を作り、余裕があると知られればどこから横流しされるかわからない。そうなれば、必要な時に薬が足りなくなり、助かる命も助からなくなるかもしれない。
さらに他国に私の存在が知られれば、この国に戦火が巻き起こるのは目に見えている。それは事前に父にも言われていた。そうなれば、この国は病どころか死者で溢れるだろう。
「本当は患者さんに順列などつけたくないんです……」
みな助かりたい、助けてほしい。そう思っている気持ちは同じだ。
その思いが溢れ出てしまって、目から涙がぽろぽろとこぼれてしまう。
「とーさま、少しだけ……少しだけ薬の量を増やしてはいけませんか?」
「エレン……」
父は私を抱きしめて頭を撫でてくれた。
「無理は絶対にしないように。エレンがいくら薬を用意しようとも、扱う量はこちらで決める。……いいね?」
「……はい」
すんすんと鼻を鳴らしながら父の首にぎゅっと抱きつくと、父は優しく抱きしめ返してくれた。
しかし、そこにいきなりヴァンが姿を現した。
ヴァンの事を知らない治療師達は驚いて叫び声を上げる。
「この者は精霊だ。驚かせてすまない。ヴァン、どうした?」
父の言葉に治療師達は目を瞬かせながらも納得したらしい。
それには目もくれず、ヴァンは父に耳打ちした。
父に抱きついていたので、ヴァンの言葉が聞こえていた私は、その言葉に驚きすぎて涙が止まってしまった。そしてヴァンを凝視する。
「……ラフィリアか?」
眉を寄せたロヴェルにサウヴェルが反応した。
「娘が……どうかしたのか?」
場が一瞬で緊張感に包まれる。
父はサウヴェルにここでは話せないと一言だけ言って、治療師達に指示を出す。
「識別救急に関してはまた追って沙汰を出す。皆、解散してくれ」
父の言葉に、治療師達は顔を見合わせた。だが父の言葉は絶対だ。聞いてはならないのだと直ぐ様察してくれたらしい。
治療師達を解散させ、父と私、アルベルト、カイ、ヴァン、そしてサウヴェルのみになった室内で、ゆっくりとロヴェルはサウヴェルに言った。
「サウヴェル、落ち着いて聞け」
「落ち着くもなにも、娘がどうかしたというのですか……!?」
「……恐らくだが、エレンと間違えられて浚われたかもしれん」
日頃あまり動揺しないはずのサウヴェルは、目に見えて真っ青になり、ひゅっと喉を鳴らした。