1章最終話・彼等の出会いと、その後。
あの出来事から数か月が経過していた。
ガディエルとラスエルは、二人でヴァンクライフト家へと赴いていた。その手には花束が握られている。
門の前で家令のローレンが出迎えた。これもいつもの事。
「殿下……何度お越し頂きましても、エレン様にはお会いできません」
ローレンは表情を崩さず、淡々とそう申すのみであった。
「……一目で良いんだ」
「ダメですか?」
父に呼び出されて初めて会ったあの日。
英雄の腕の中でこちらを見ていた綺麗な瞳の美しい少女の姿が、二人はずっと頭から離れない。
あの後、目が覚めた兄弟はパニックになった。靄から聞こえていたあの恨みの声。痛いと泣き叫び、止めてと懇願していた者達の声は、その後、王家を恨むと呪詛の声に変わっていった。
夢の中で見た光景は脳裏に焼き付いて離れない。
人間達が精霊達を蹂躙し、何かをしていた。
その後、出てきた強い精霊達がその人間達を怒りの余りに虐殺していくという、生々しい光景。
あの少女は泣いていた。どうしてそんなに酷い事をするのと。そうだ。どうしてそんな酷い事をするんだと一緒に叫びたかった。
だけどその後、目が覚めてから父に呼び出されて放たれた言葉に青くなる。
あの夢の出来事は事実であった。あの所業をした人間というのが、王家のご先祖様達だというのだ。
陛下は城の書庫を漁った。その中でも精霊魔法使いが秘匿していた書物に、その一部がようやく見つかったのだった。
***
200年前のモンスターテンペスト。
その時の王が、民を守るために取った行動。
王家は200年近く精霊達に見放されていた。
その理由が分かった今、残された王家は青ざめるしかない。
民を守るために力を欲し、禁忌に手を出してしまったご先祖様。
人間達は最初に数名の精霊魔法使い達を人質にした。契約していた人間を助けるために、その精霊達が生け贄となる。その負の連鎖を繰り返し、精霊達はその身を生きたまま魔法で磔にされた。死なない程度に痛めつけられ、精霊達の苦痛の声が辺りに木霊する中、その声を聞いた精霊の仲間達が同胞を助けようと次から次へと姿を現す。
その場所を特定し、無理矢理精霊を捕まえてまた同じ事を繰り返した。
途中で生き絶える精霊達で周囲は溢れた。それでも門を固定するために沢山の精霊達を道具として扱った。
そしてようやく門が開かれると思った先から出てきたのは、激怒した大精霊達だった。
『浅ましい人間共がッ!! なんという罪深き事を!!』
精霊魔法使い達を次から次へと小間切りにしていく大精霊の姿に人間達は慌てた。
ある者は焼かれ一瞬で灰となり、ある者は水で出来た球体の中に押し込まれて息が出来ずにもがき苦しんでいる。巨大な石を次々とぶつけられて簡単に潰れていく人間達は、先程と立場は一瞬で逆になっていた。
辺りが血の海と化した頃、訪れた静寂と共に一言、更なる怒りが落とされた。
『貴様等の王はどこだ』
憤怒の表情をした精霊達の姿に、人間達は怒らせてはならないものを怒らせたのだとようやく悟ったのだった。
***
ヴァンクライフト家への訪問での門前払いは、最近では無くなっていた。
ヴァンクライフト家に向かう際、いつも手土産を持参している。それは女の子用のアクセサリーだったり、お菓子だったり、花だったりと多彩だった。ローレンはエレンはこの屋敷にいないと主張する。それを納得させるために、兄弟を家へと上げていた。それでも、一目としてエレンには会えなかった。
エレンは精霊の血を引いていると陛下から教えられたとき、兄弟はどうしてもエレンに謝りたいと思った。精霊であるのなら、王家の血筋である自分達が謝罪するのは当然のことだと思った。
エレンは自分達と同じ様に体調を崩し、精霊界に帰ってしまったと聞いた。だけど、どうしても直接謝りたくて諦められなかった。一目会いたかった。
エレンの父であるロヴェルはヴァンクライフト家に出入りしていると聞いていたので、直接会って話がしたいと交渉したくて、何度も家に押し掛けていたのだ。
毎年行われる精霊祭。祭りの最後に、森にある石碑祈る王家の姿。この石碑に祈る理由を聞かされたことはない。
王家が200年ほど精霊に見放されているので、精霊界に繋がっていると謳われているこの森で、精霊に応えて欲しいと祈るのだとしか教わらなかった。
だが今ならそれは違うと断言出来る。
あの恨みの声、夢で見た惨劇の場所が、あの石碑がある場所だったのだ。
***
その日、いつも通りヴァンクライフト家に向かった二人は、いつもと違う出来事が起こり戸惑っていた。
いつもならばお茶を飲んで、今日も会えなかったと落胆して二人で帰るのだが、途中で見慣れない少女と出会った。
「貴方達だあれ?」
その少女は茶色の髪の、可愛いが素朴ともいえる少女だった。きょとんと首を傾げる姿に、兄弟は目を見合わせた。
「君はこの家の者か?」
「ここは私のお家よ」
「……なに? 君の父の名前はロヴェルか?」
「それはおじさまの名前だわ。私のお父さんはサウヴェルというの」
サウヴェルの娘かと驚いて呟くラスエルに、女の子はむすりと言った。
「貴方達は誰なの? どうして私のお家にいるの?」
「……ローレンに聞いていないのか?」
「ローレン? あの人は何も教えてくれないわ!」
急に怒りだした少女に、二人は目が点となった。
「いつもそう。お母さんと私には関係ないって何も教えてくれないの。従姉妹のエレンは同い年なのにお父さん達とお話しているってメイド達が言っていたわ。私達をのけ者にするのよ。酷いでしょう?」
「エレン!? エレンと言ったか!?」
「エレンがいるの!?」
兄弟達の剣幕に、最初はきょとんとしていた少女はしだいに怒りだした。
「みんなエレン、エレンって!! なんなの!? 私、会ったこともないよ!」
「従姉妹と会ったことが無いだと?」
「そうよ! 会わせてもらえないもの!! お父さんもおじさまも、メイドもローレンも会わせてくれないわ。私、一言文句が言いたいのに!」
「文句だと?」
「そうよ! 私がこの家の跡継ぎ? なのに、みんなしてエレンエレンって言うの! 私だって、一生懸命お勉強頑張ってるのに、酷いと思わない?」
ぷりぷりと怒る少女に、兄弟達は顔を見合わせる。自分達も会わせて貰えてはいないが、従姉妹もとは思わなかった。
エレンの存在は非常に重要な人物だと教わっているので、それが原因なのかもしれないとガディエルは思った。
「君も会えないのか……僕達も会わせてもらえないんだ」
「……そうなの? でもどうしてエレンに会いたいの?」
「ずっと直接謝罪したくて、何度もこの家には来ているんだよ」
「何度も……あ! 貴方達ね!? 贈り物をいつも持ってくるのは!」
「あ、ああ……。それがどうかし……」
「私にはいつも贈り物が無いのにどうしていつもエレンばかりにあげるの? この家に来るのなら私にも頂戴!」
当然の権利だと主張する少女の姿に兄弟は目が点になるばかりだった。
丁度その頃、遅いとばかりに呼びに来たローレンに見つかってしまった。
「ラフィリア様、何をなさっているのです」
「……お客様がいたからお話していただけよ」
少女はラフィリアという名前らしい。初めて出くわす高圧的な少女に目が点になっていた兄弟達は、ローレンが来てくれて助かったと思った。
「殿下、申し訳御座いません。何かございましたでしょうか」
「いや、いい。今日は帰る」
「畏まりました」
「殿下……? え、王子様だったの!?」
途端に黄色い悲鳴を上げる少女に、ローレンの叱責が飛ぶ。
「ラフィリア様」
「も~……」
くるくると表情が変わる少女に、ガディエルはくすりと笑った。
ガディエルのその表情に、ラフィリアの顔が赤くなる。
「わ、笑わないでよ!」
「ああ、すまない」
「ラフィリア様、殿下になんというお言葉を!! どうか慎み下さいませ! ……殿下、大変失礼いたしました。外に馬車を待たせております」
「ああ、分かった。……ラフィリア」
「……なあに?」
「今度来るときは、君にも何かお土産を持ってくるよ。じゃあね」
そう言って背を向けたガディエルの後ろから、喜びの声が聞こえて、また更に被せるようにローレンの叱責も聞こえた。
くすくす笑いながら迎えの馬車に乗ると、向かいに座った弟が珍しいと言った。
「兄上、楽しそうですね」
「ああ、あんな態度で話をされたのは初めてだったからな」
「ガサツな女ではありませんか」
分からないとばかりに眉間に皺を寄せる弟に、兄は確かにとまた笑った。
それから三人はよく話すようになった。
彼等が幼なじみとして仲良くなるまで、そう時間はかからなかったのだった。
***
毎年、決まった日に精霊祭は開かれる。
エレンと会えないまま、既に数年が経過していた。兄弟のそれは、いつしか石碑に祈りを捧げるのみになっていた。過去の精霊達へ。そしてエレンへ。
ヴァンクライフト家には度々訪れてはいるが、今ではもう、ラフィリアと一緒に遊んでいる。
だが、この石碑を見る度に、脳裏に焼き付いた美しい少女を思い出す。
もう一目だけでも会いたい。
二人はそう願ってばかりいた。
精霊祭の行事である王家総出で石碑に祈るこの一連の動作の中に、ひっそりと王子達がいつまでも祈り続ける姿が、ここ数年当たり前となっている。
石碑を前に、兄弟二人で一年の出来事を語り合う。
この間、こんなことがあったんだ。
兄上、嘘を言ってはいけませんよ! それは兄上のせいじゃありませんか!!
ごめんごめん。それでね、二人でヴァンクライフト家に遊びに行ったんだ。だけど君はいなくてーーーー。
ねえ、エレン。僕達は君に謝りたいんだ。いつか会えるだろうか?
君はあれからどんな風に成長しているのかな。
一目で良いから会いたいな……。
祭りには行かずに日が暮れるまで兄弟と石碑に向かって語り合う。
界を越えて、その石碑の裏側に当たる場所。
エレンが毎年膝を抱えて座り、ぽろぽろと涙をこぼしながら、二人の声が聞こえなくなるまでずっと話を聞いているなど、二人は知らなかった。
第1章・完