新たな波乱の幕開け。
二ヶ月後----
ロヴェルはあれから時折実家に帰って弟の手伝いをしている。
最初の頃は領地への顔出しと色々な所へ引っ張り出されていた。行く先々で祝いだと酒盛りになるらしく、ロヴェルは溜息をこぼしている。
精霊界に帰ってくるロヴェルにお帰りなさいと駆け寄ろうとしたエレンの足がピタリと止まった。
「……おしゃけくしゃい」
鼻を摘んで顔をしかめる娘の態度に、ロヴェルは風呂に入ってくると急いで城の廊下を走っていった。それを見ていた妻は、あらあらとどこ吹く風だ。
風呂に入ったロヴェルは急いでエレンの元へと駆け寄る。
「オーリ、エレン~~ただいま~~!!」
「とーさまお帰りなさい。でも髪の毛が濡れたままですよ」
抱きついてきたロヴェルの髪からは水が滴っていた。それをタオルで代わりにごしごしと拭いてあげるエレンに、ロヴェルは嬉しそうな顔をしている。
「エレンちゃん、もっとやっちゃいなさいな!」
「は~い!!」
母のお許しでエレンはロヴェルの髪を勢いよく、ぐっしゃぐしゃにタオルと共にかき回した。
「うわわ! ちょっと待って、あの、二人とも……!」
出来上がったロヴェルの髪は見事なほどにぐしゃぐしゃになっていていた。
それを見て妻と子はあははと笑っている。
「も~酷いな~~」
ロヴェルが口を尖らせると、エレンは笑いながらもごめんなさいと謝り、ロヴェルの髪を整えてくれた。
「あらぁ、似合ってたのに」
妻はくすくすとずっと笑っている。だがその笑みから何か得体の知れないものを感じたのか、ロヴェルの口元がひくりと引きつった。
「……オーリ? 何か怒ってる……?」
「あら、いいえ?」
これは絶対怒っているとロヴェルはエレンに向き直る。
「かーさまは何を怒っているか知ってる?」
きょとんとしたエレンは母の方を見て、まだ怒っているのですかと呆れた声を上げた。
「だって~」
拗ねる妻がつい可愛いと思ってしまったが、ロヴェルは妻の腰を抱いてどうしたの? と聞いた。
「とーさまが酒盛りで女の人に言い寄られてたので、かーさまが拗ねてるんです」
「きゃー! エレンちゃんの裏切り者~!」
娘にそう叫ぶ妻の様子が可愛くて、ついぎゅっと抱きしめたロヴェルは妻を甘やかす。
「オーリごめんね。なるべく逃げようとはしたんだけど……」
「……見ていたから知っているわ」
それでも気分は良くなかったと拗ねる妻の様子にロヴェルは愛おしそうな目を向けている。
夫婦の空気がピンク色だぁとエレンは呆れながらも、空気を読んで先にお休みしま~すと声をかけて退散しようとした。
「ああ、待ってくれ。二人に話しておきたい事があるんだ」
ロヴェルの言葉に妻と子は首を傾げる。
「弟の結婚式の日取りが決まったんだ。それに出席することになったんだけど、王家が同席する事になってしまった……」
溜息をこぼすロヴェルに妻と子は察した。
「エレン、申し訳ないのだけどお留守番をお願いできるかい?」
「はい。腹黒さんとはお会いしたくありませんし」
「あら、わたくしは行ってもいいの?」
「俺が結婚しているという事をちゃんと周囲に知らせる必要性があると感じてるんだよ、これでも。オーリをあまり他の男共の目には入れたくないのだけど」
「あらまあ」
くすくすと笑う妻からは、先程の拗ねた様子はどこかへと行ってしまっていた。それにホッとしたのか、ロヴェルはオリジンの髪を梳いて甘やかす。
それを横目で見ていたエレンは本当に仲が良いなぁと思いながら、二人におやすみなさいと声をかけて部屋へと戻っていった。
***
次の日、ロヴェルはサウヴェルの書斎に足を運んでいた。
王家はよくヴァンクライフト家の結婚式に顔が出せたものだと周囲は噂するだろう。
お詫びの意味を込めてと飄々と贈り物をしてくる王家のやり方にサウヴェルは溜息を吐いている。
「では、めいっぱい幸せな光景を見せつけるしかないだろう」
そう言ってロヴェルはサウヴェルをからかう。だが、王家を代表として来るのはあのラヴィスエルだと聞けば、直ぐに裏があると分かった。
「エレンか……」
「どうするのです、兄上」
「申し訳ないが、エレンの出席は控えさせてもらえるか?」
「残念ですが構いませんよ。エレンの方が大事です」
「……そう言って貰えると助かる」
だが、あの殿下の事だ。何か策を持ってエレンと会おうとするのではないかとロヴェルは眉を寄せていた。
丁度その時、扉を叩く音がする。その音に二人は会話を中断し、サウヴェルが入れと招き入れた。
お茶の用意をしたワゴンを押して入ってきたのはサウヴェルの妻、アリアだった。
「あなた、お茶よ」
「……どうしてアリアが? ローレンはどうした」
「私が無理を言ってお願いしたの。お茶をお持ちしたいって」
そう慌てて言い訳をしながらも笑顔を見せる女性はアリアという名のサウヴェルの妻だ。
結婚を控えている段階だが、既にこの屋敷では妻として扱われている。
彼女はサウヴェルとは一つ下の24歳。艶やかな長い黒髪を、ゆるく後ろで一つに纏めている。
たれ目がちの瞳は憂いを帯びているようにも見える。それが嬉しそうに微笑むと、男によっては酷く心を揺さぶられるのかもしれない。
娘の名はラフィリア。父の髪色を受け継いだストレートな栗色の髪。目元は母とそっくりだったが、全体の顔立ちはどこかほんのりとサウヴェルにも似ている。
厳つい顔というわけではなく、品よく配置されていて将来美人になると思われる顔立ちだ。
食事処の看板娘であったアリア。サウヴェルは騎士の団員とここへよく食事に行っていたらしい。そこで知り合い、サウヴェルはアリアを愛した。
アギエルがよく何もしてこなかったなと思えば、その食事処は騎士団の行きつけで、騎士団総出でアリアと娘のラフィリアを守り、隠していたらしい。
「君は使用人ではないんだ。こんな事をすると使用人の仕事が減るだろう?」
「……ごめんなさい」
サウヴェルの叱責に落ち込むアリアにサウヴェルは溜息を吐く。
アリアは店の手伝いを日頃からしていたのもあって、食事を作ろうとしたり庭の世話をしだしたりと、他の使用人を慌てさせている様だ。
「まぁ、いい。お茶を貰えるか?」
「ええ。もちろんよ。……あの、お義兄様」
アリアがそう呼んだので、ロヴェルは無表情でアリアを視界に入れた。
アリアはロヴェルと目線が合うと、その顔をボッと赤らめた。
「お、お茶を……どうぞ」
「ああ、ありがとう」
無表情に受け取るロヴェルの姿をずっとアリアは目で追っている。それに気付いたサウヴェルがごほんと咳をした。
「お茶をありがとう。仕事があるから向こうへ行っててくれ」
「え、ええ。分かったわ」
名残惜しそうに出ていくアリアを見送って、サウヴェルは溜息をこぼす。
「……あれに俺のことは伝えているのか?」
「妻帯者だとは伝えておりますよ。愛妻家だとも。……家族になるのに紹介してくれないから信じないと言っておりますが」
これにサウヴェルとロヴェルが同時に溜息を吐いた。
「式の時にオーリだけは連れていく」
「本当ですか!?」
サウヴェルも妻の態度に不安を覚えていたのだろう。
妻を信じていない訳ではないが、兄の美貌ではこうなることは少なからず予測出来た事だった。だがこうあからさまであると周囲の評判にも関わってくる。
兄の態度は日頃と変わらない。これが普通で、あの笑顔をまき散らしている姿は妻と子の前だけなのだ。いや、最近では時折、ヴァンクライフト家の中だけではあるが、表情が崩れてきている時はある。弟として、それは時に酷く嬉しくなるものだった。
だが笑顔を向けてくれないから、嫌われているんじゃないかと妻は不安に思っているらしい。
それはこの家に馴染もうとする態度からくるもだとばかり思っていたが……。
「サウヴェル、俺は暫くここには近づかないようにする」
「あ、兄上?」
「誤解が生まれて居心地が悪くなるのはお互い様だろう? それに余り向こうを空けるとオーリも拗ねるからな」
そう言って笑う兄上の笑顔にサウヴェルは苦笑する。
「すみません、兄上」
「いい。気にするな」
そう言ってロヴェルは転移して精霊界へと帰っていった。
***
たまたま水鏡の向こうで私と母は事の次第を目撃していた。
「……これは」
「嫌だわ、宣戦布告かしら?」
「わああ! かーさま落ち着いて!!」
いつぞやと同じやりとりをしていると私は焦る。
「相手はサウヴェルおじさまと結婚する方ですよ。とーさまとどうこうなる訳がありません」
「むう~……。でもそれなりに美人だった……わ」
余り敵を認めたくないらしい母の姿が可愛いと思ってしまった。
「かーさまに比べたら普通ですよ?」
「エレンちゃん。かーさま勝ってる?」
「圧勝です!!」
拳を握って力説する私の理由は美人度もあるが、勿論パイのサイズだ。
ここばかりは譲れない。だって、アリアはある……方だと思うが、多分、三番目。
「とーさまは気付いてましたね。多分あの人には二度と会いたくないって思ってますよ」
「その通りだよ、エレン」
突如現れ、後ろからにっこりと笑った父の顔はとても綺麗な笑顔であった。その様子だと暫くこちらを見ていたか、母を見て何やら察したらしい。
「おいで、オーリ」
「イヤよ!」
いきなり甘やかそうとするロヴェルの態度に見られていたと気付いたらしく、恥ずかしいのか母は突如逃げ出した。
「鬼ごっこかい? いいよ、捕まえたら君を好きにしてもいいよね?」
すばらしい程の腹黒な笑顔で父は母を追いかけだした。
それを呆れた目で見送る私は、周囲に待機していた精霊達に伝達する。
『これから父と母の鬼ごっこが開始されます。みな逃げろ~~!!』
圧電素子や電気信号等を使って無理矢理拡声器の様なものを作り出し、更に風を操って城全体に警報を流した。
わあああと慌てふためく精霊達に同情する。
父と母の鬼ごっこや喧嘩は、いつも周囲に多大な影響を及ぼすのだ。……物理的に。
「とーさま達は日頃から仲が良いから大丈夫だろうけど……」
エレンは首を捻る。何だかまた、良くないことが起きそうな予感がして仕方なかった。