お髭はお断りなのです。
それからはあっという間であった。父を許したその後、使用人総出で遊び尽くした。
夕暮れになり精霊界へ帰ると言うと、ヴァンクライフト家の家人と使用人総出でお見送りされ、イザベラとローレンには泣かれてしまった。
「おばあちゃま! また遊びに来ても良いですか?」
「勿論よ~エレンちゃん~~!!」
ぎゅっと抱きしめられる。私はくすぐったそうに笑いながらイザベラの頬にちゅっとキスを贈った。それからローレンにも。
サウヴェルは頭を撫でてくれた。その隣で待機していたアルベルトと視線が合う。
「……お嬢様」
「おじさま、良かったですね。何かやるときは必ずサウヴェルおじさまと相談してくださいね」
私がそう笑うと、アルベルトは顔をくしゃりと泣き出しそうに歪めた。
「ありがとうございました。ご恩は一生忘れません」
「別に長年の別れとかじゃないんですけど……」
これから暫く、ヴァンクライフト家の事業に父と共に参加することになった。
鉱山の視察など、会う機会はこれから沢山とあるだろう。
「いえ、お気持ちだけでもお伝えできればと……」
「分かりました。アルベルトおじさま」
そう言って、私はアルベルトの頬にもキスを贈る。アルベルトは何だか顔を赤くしていた。
すると、していなかったサウヴェルだけが「……俺には?」としょぼんと落ち込んだ。
「……絶対に動かないで下さいね?」
「あれ? なんで警戒されているんだろう……?」
「エレンはお髭が苦手だからなぁ」
「えっ」
サウヴェルの意識が父に向いた瞬間を狙って、ちゅっとキスを贈った。
……剛毛さんでした。ちくちくしました。
それが顔に出ていたらしく、サウヴェルはショックを受けた顔をして、父は大笑いをしていた。
みんなにバイバイと手を振りながら笑顔でお別れをして、父と私は転移して精霊界へと帰っていった。
ロヴェルとエレンが帰ってしまってイザベラは目に見えて落ち込んでしまった。
「寂しくなるわぁ……明日また遊びに来てくれないかしら?」
「イザベラ様、それは些か早すぎかと」
だがローレンも負けず劣らず落ち込んだ顔をしている。
「ねぇ、サウヴェル」
「はい? なんでしょうか」
「市井の子はいつ連れて来てくれるの?」
ロヴェルの次はサウヴェルに標的を変えたイザベラに、サウヴェルは苦笑した。
兄を見送って書斎にローレンと共に戻ったサウヴェルは苦笑する。
「ローレン、例の鉱山だが……」
「はい。あの山は今では人の出入りがありません。ですが閉鎖もしておりません。閉鎖するにしても今一度調査をする必要があるでしょう」
「ああ、それを使うか」
時期を見て、調査と称してロヴェルとエレンに同席してもらおう。
そこからまた資源が得られると分かれば、それだけでも十分な事業となる。
「本当に助かった……俺の代でこの家を潰さずにすんだ……」
書斎のイスに腰掛けながら心底ホッとした顔をしてサウヴェルが苦笑する。
まだこれからだというのに、アギエルが居なくなっただけで脱力感が酷かった。
「兄上が帰ってきた途端、何だか幸運続きだな」
「今までがおかしかったのですよ」
ローレンはそう言って笑う。いつの間に用意をしていたのか、机の横にお茶をどうぞと言って置いた。
「警戒するべきは王家か……。兄上が釘を刺したから暫くは大丈夫そうだが……」
「サウヴェル様、それについて少しお話が……」
「ん?」
「なるべく早急に、サウヴェル様のお相手様をこの家にお連れ下さいませ」
「急に何を言っている?」
「王家の目を攪乱させる為にも、この家のためにも。それに代わるお方が必要だと私は思います」
「……俺の娘をエレンの攪乱のために使うと?」
「いいえ。お世継ぎの事です」
「そちらか……」
「ラヴィスエル様がご即位されれば、王命でお世継ぎの存在が確認できたとエレン様に注目が集まるように細工されるでしょう。それまでにヴァンクライフト家にはきちんとお子がいることを世に知らせなければなりません。サウヴェル様にお詫びと言ってお見合いを寄越してくる可能性も御座います」
「ああ、そういう事か……」
アギエルが居なくなった今、ヴァンクライフト家には跡継ぎが居なくなったという認識が世間に広まっているだろう。
実は市井に子がいたと知られれば、それはそれで醜聞にはなるが、あのアギエルの所業では仕方ないと同情は買えるかもしれない。
だが他の横やりが入る前に今度こそ愛しい人と一緒になるべきだとローレンは言っているのだ。
「だが役員から言われたが俺が再婚できるのは三ヶ月後だぞ?」
「いえいえ、十分で御座います。ドレスのご用意の期間も必要ですので、できましたら明日にでも……」
「ちょ、ちょっと待て! 急ぎすぎだ!!」
「何を仰います。相手様をこれ以上お待たせするつもりですか?」
サウヴェルはローレンの背後から黒い何かが見えた気がした。
確かに今まではアギエルが家に居たので、何か危害が加えられるのではないかと近づけさせることもしなかった。
それがようやく諸手を挙げて歓迎できるのだ。それが分かると、サウヴェルはどこか居たたまれない恥ずかしさに襲われた。
更にイザベラとローレンはエレンに関して非常に息が合っていた。
イザベラも先ほど言われたばかりだった。それは市井の妻と子を歓迎しているという合図であったと気付いたのだ。
だがその前にやることは多い。未だアギエルが起こした事の後処理もある。
アギエルの浪費を書類に認めて王家に提出、私物の返送は終わったがアギエルの部屋で使われていた部屋の装飾品も全て処分する。
妻と子を新たに迎えるのに、アギエルが使っていた品など一つも残しておきたくなかった。
鉱山の視察、今後の事業の展開。兄に手伝って貰えそうな仕事の打ち合わせ。
そして……未だ市井で待たせたままの愛しい人へ贈る言葉。
乾いた笑いをしながらも、サウヴェルは暫く忙しいなと溜息を吐いて了承した。
その心はどこか晴れやかであった。
「……とりあえず、髭を剃るか……」
ぼそりと呟かれた一言に、ローレンは吹き出しそうになった。
***
テンバール城ではアギエルが発狂していた。
娘は落ち込んだまま部屋から出ない。アギエルの横暴は城に一瞬にして回ってしまった。
なんとヴァンクライフト家ではこれらを当たり前として過ごしていたというのだから周囲の者達は絶句した。
「いいかげんにしないか!!」
「どうして! わたくしは王女じゃない!! どうしてわたくしの言うことを誰も聞いてくれないの!?」
「お前のはただのわがままだ。王家としての気品すら無くしてしまっているくせに、その忌々しいの口を閉じろ!!」
父はアギエルの肥えた姿を見て吐き捨てる。ドレス選び一つすら品がない。
ヴァンクライフト家から送られてきた私物を見て、侍女達はあまりのデザインの酷さに絶句した。
買えるだけ買い込んだ無駄な品々。更に一つ一つが非常で高価であるのだけは分かった。
家の金を使い込んだという噂が一気に現実味を帯びる。更にヴァンクライフト家から請求された金額に、王と殿下が動揺して書類を落としてしまった位であった。それに追い打ちをかけるように、未会計のままだった物の返済。
アギエルの所業の実体に、城の者達は頭を抱えた。
「アギー」
「ラヴィスお兄さま! わたくしを助けて!」
「何を言っているんだい? こちらはアギーがしでかした不始末の尻拭いを父と二人でさせられているというのに」
ラヴィスエルの言葉に、アギエルがぎょっとした。
「不始末とはなんなの!?」
「未だに分からないのか……」
「君が使い込んだお金だよ。こんな趣味の悪い物によくここまで無駄にお金を使えたね」
父は呆れ、ラヴィスエルは笑いながらもその目は一切笑っていない。
「酷いわラヴィスお兄さま!!」
「酷い? アギーの行いの方が酷いと思うけど。昨日は侍女に暴力を振るったそうじゃないか」
今では部屋には厳つい体格をした騎士だけが扉の前で、アギエルが外に出ないようにと警戒している。
侍女達からの訴えの数々に周囲は騒然となった。今のアギエルはほぼ拘束状態だ。
娘は落ち込んでいるだけだったので別室で様子を見られていた。だがアギエルの娘だからと侍女達の態度は冷たい。それにすらショックを受けているらしい。
「アギエル、お前の娘アミエルの父は誰だ」
「何を言っているの。どうしてお疑いなの!?」
「お前が言ったそうだな。サウヴェルの子ではないと」
「ええそうよ。だってロヴェル様の子供になるのだもの」
「……そういう意味じゃないよ。アギーは誰の子供を産んだのかと言っているんだよ」
「…………」
その顔にはぎりりと歯ぎしりをするアギエルがいた。
「相手は平民か? いや、血に拘るお前が平民の血など受け入れないとは思うが……」
「侮辱だわ!!」
「どうしてそこまで隠す? アミエルの出生が疑われているのだぞ」
「アミエルは私の娘よ! 王家の血が入っているのだからいいじゃない!!」
王とラヴィスエルは酷く不快な顔をした。
「……はばかる相手なのか、言うには躊躇する程の不快な相手か」
このアギエルの態度は、アミエルの父だと認めたくない相手だということではないだろうか。プライドが高い故に許せないことなのだろう。
ラヴィスエルは思案する。そして今度は話題を変えるべく笑顔でアギエルを見据えた。
「今後お前とアミエルは別の場所で暮らすことになった」
「な、なんですって!?」
「お前の側でアミエルはまともに育つはずがない。今後は私の息子達と共にこの城で教育を施されるよ」
「……待って、わたくしとは別と言った?」
「そうだよ」
「お前はわしと来るんだ!!」
父の言葉で扉が大きな音を立てて開く。そこには女性兵士が数名入ってきて、アギエルの腕を取った。
「何をするの無礼者!!」
「無礼はお前だアギエル。その性根を叩き直してくれる!」
吐き捨てる父の顔に、アギエルは絶望の顔をした。
「どうして……どうしてなの。わたくしはロヴェル様と一緒になりたかっただけなのに」
アギエルの言葉にラヴィスエルが声を上げて笑った。
普段そんな笑い方などしない殿下の様子に、周囲の騎士どころか、父である王すらも驚いた顔をしていた。
「アギーがロヴェルを想った所で無駄だよ。アギーはロヴェルに酷く嫌われているからねぇ。いや、ヴァンクライフト家も、か」
「嘘よ!!」
「嘘じゃないさ。現にすでにロヴェルは愛しい者と結婚して子供もいる」
その言葉にアギエルはショックを受けたかのように呆然としてた。
「う、うそ……うそよ……」
「アギーだってよく分からない男との間に子供を作っているじゃないか。どうしてロヴェルだけが嘘と言える?」
完全に脱力してしまったアギエルはその場に膝をつく。呆然としながらぶつぶつと何かを呟く姿は不気味に映った。
そのまま女性兵士に連行されていくアギエルの後ろ姿に、ラヴィスエルは堪えきれないとずっと笑っていた。