とーさま、私はとっても怒っています。
朝、誰かに呼ばれていることに気付いて目が覚めた。
「エレンちゃん、起きた?」
目の前の人は優しそうな顔をして私の頭を撫でている。
「……おばあちゃま、おはよーごじゃいます」
覚醒しない頭はぼんやりとしていた。舌も回らない。
そのままこっくりとしながらも重い頭を下げて挨拶をすると、おばあちゃまことイザベラに笑われた。
「もう!! 本当に可愛いんだから!!」
「ぎゅむー」
抱きつかれて潰れそうになる。く、苦しい……。
「イザベラ様、エレン様が苦しそうですよ」
ローレンがモーニングティーを淹れながら苦笑する。
「お早う御座いますエレン様。お茶をどうぞ」
「……じいじ、おはよーごじゃいます」
寝起きでのどが渇いていたのでお礼を言いながら受け取った。
「さあ、イザベラ様もどうぞ」
「ローレン……お前という奴は」
本来ならばイザベラを優先しなければならない場でエレンを優先させるローレンにイザベラは苦笑する。
はふはふと紅茶の温度を下げながら暖かいお茶を飲むと、だんだんと頭が動いてきた。
昨日、ケーキと一緒に頂いたお茶はストレートで甘くはなかったのだが、今回のお茶にはほんのりと蜂蜜の様な甘みが感じられた。ローレンが気を使ってくれたのだろう。
「じいじ、美味しいです」
にっこりと笑うと、よろしゅう御座いましたとローレンの顔がデレっと崩れた。
***
イザベラと朝食を終え、まったりと食後のオレンジジュースを堪能していると、父がやってきた。
「おはよう、エレン」
父のその顔は笑顔ではあったが、怒りが透けて見えた。そこで昨夜の事を思い出す。
「あ、とーさまおはよう御座います。かーさまには甘えられました?」
「勿論だよ……って、違う!!」
我が父ながら素晴らしいノリ突っ込みだと心の中で思いながら、父の言葉を平然と受け止めた。
「エレン、とーさまに何か言うことあるよね?」
「はい。アルベルトおじさまは殿下と手を切りましたので謹慎の解除をお願いします」
私が平然と言うと、イザベラとローレンがどういうことだと驚いた顔をした。
「エレンッ!!」
「それよりもとーさま。とーさまこそ私に何か言うことがあるんじゃないですか?」
父の言葉を遮り、私が首を傾げてにっこりと促すと、父は「うっ」と顔を強ばらせた。
「ロヴェル……どういうことなの?」
「ロヴェル様。アルベルトとはどういう事でしょうか」
ふたりの真っ黒な威圧感が父を追い込む。
「とーさまは私宛に殿下の使いが来ると確信して、意図的に私だけをこの家に泊めたのです」
私は平然と言いながらオレンジジュースをこくこくと飲むと、それを聞いたイザベラとローレンから冷気が迸った。
説明なさい、と心底冷えたイザベラの声に、ロヴェルは溜息を吐いた。
***
「それで、アルベルトはなんと」
「……殿下はアルベルトを使ってエレンへ直接手紙を渡すように言い送った。全てエレンが聞き出した。エレンが王家と繋がれば、この家が安泰すると考えたらしい……」
忌々しく吐き捨てるロヴェルにイザベラ達は溜息をこぼす。
「エレンちゃん、どうして気付いたの?」
「とーさまは過保護なのです。殿下に私の存在がバレて気が立っている所に、私を一人残して帰るはずがありません」
「……あの時点で分かっていたのかい?」
「いえ、不信に思った程度でした。あの時は純粋にとーさまがかーさまに甘えたいのだと……」
「うあーやめて!! 娘からの視線が痛い!!」
実際それも含まれていたのだと父の態度で分かってしまった。
私は思わず呆れた目で父を見てしまう。
「おばあちゃまのベッドで一人で寝ている所にアルベルトおじさまに起こされたのです。殿下からの手紙を渡してきました」
「エレンちゃん……その手紙は?」
「読むまでもないと燃やしました」
平然と返すとイザベラとローレンが驚き過ぎたのか呆然としていた。
それはそうだろう。王家からの手紙を読まずに燃やすなど、不敬どころではない筈だ。
「初めて会う方からの手紙です。どうせ話題なんて挨拶からのお茶のお誘いとか、アギエルさんの謝罪くらいでしょう」
「……それで、エレンちゃんはアルベルトになんて返事をしたの?」
「とーさまが怒るのでお断りします、と」
保護者の父を通さずに寄越してきた手紙だ。ろくな手紙じゃない事くらい分かる。
私の毅然とした対応にイザベラとローレンは絶句していた。
「エレン……どうして手紙を燃やした?」
父の言葉に、私は笑顔で言ってやった。
「とーさまへの意趣返しです!」
ここで私がとても怒っていることに父はやっと気付いたらしく、ひくりと顔を歪めていた。
***
アルベルトおじさまときちんとお話しするまで、とーさまとお話しはしません! と宣言されて放り出されたロヴェルは膝を抱えていじいじとしていた。
「娘に勝てない……」
どよーんと落ち込むロヴェルの肩を、ローレンがぽんと叩く。
「あのお年でエレン様の手腕はとても素晴らしいですな。じいじは感動しました」
「……ローレンお前……」
ロヴェルがジト目でローレンを睨む。
「エレン様のお言葉の意図はお受けしたのでしょう?」
「……娘が聡すぎて、時折非常に困るよ」
苦笑しながらロヴェルが愚痴をこぼす。
エレンが陛下からの手紙を見ずに燃やしてしまった事でアルベルトの追求が出来なくなった。エレンに接触したという証拠を娘によって消されたのだ。
これによって殿下の意図も分からずじまいに陥ってしまって判断が取れなくなってしまう。つまり、アルベルトが殿下と通じていたという証拠がうやむやになってしまって、アルベルトを処罰出来無くなってしまった。
……エレンはアルベルトを助けたのだ。
更にエレンは王家に対して精霊としての助言を与えてしまった。これには水鏡の向こうで見ていて本当に頭を抱えた。
万全の注意を行ってはいたが、まさかそれらを娘に気付かれ、こうやって反撃されるとは思いもしなかったのだ。
「あー誰に似たのやら……」
「何をおっしゃいます。エレン様はロヴェル様にそっくりではございませんか」
ほっほっほと笑うローレンに、ロヴェルは苦笑した。
「だから困るんだ。今回の事で確実に……」
どこか寂しそうな顔でロヴェルは言った。
『エレンは殿下に気に入られた』と。
***
アルベルトがもたらしたエレンの返事にラヴィスエルは驚きを隠せなかった。
「……俺の手紙を見ずに燃やしただと?」
余りにおかしくて、くっくっくと笑いが漏れ出てしまった。
更に同時にアルベルトの説得も行った様だ。
アルベルトは何かすっきりとした様子で「これで最後です。お嬢様より伝言を承りました」と、堂々とした態度で返事を寄越してきたのだ。
こちらの思惑を簡単に読み取り、更に意表を突くやり取りで返してくる。
昔、ロヴェルとやり取りしていた頃を思い出す。
「あー……益々欲しいなぁ」
使えるロヴェルも欲しいけれど、あの妹の娘と同い年とは思えないほどの言動を起こしてくれるロヴェルの娘。
そしてどうやら、根はとても優しい娘だと察する事が出来た。
長年悩み続けた王家の悩みの糸口を、簡単に寄越すのだから。
ロヴェルの娘は、ロヴェルと契約した精霊ととても似ている容姿をしているという。
その姿はとても可愛いらしく、人間味のない程に非常に整った顔をしているらしい。
王家の人間は昔から精霊の姿を捉えることが出来なかった。
唯一、人間と契約した精霊だけがその目に捉えることができた。
だが、王家の者が近付くと精霊は焦って消えてしまう事だけは分かっている。
王家の者が精霊と契約できなくなったその理由は解明できないまま、200年程経過していた。
このままでは周辺諸国では精霊に見放された国だと舐められるばかりだ。
唯一、ロヴェルの存在が国としての重要な支えになっている事を、本人は余り自覚していないだろう。
更に、ロヴェルの娘は精霊の血を引いている。
ラヴィスエルは己の12歳と9歳になる息子達を思い浮かべた。
「宛がうには丁度良いな」
ロヴェルの意志とは裏腹に状況を引っかき回すことが出来れば、これに勝る様な愉快な事はない。
「ロヴェルがいれば良いと思っていたが……」
面白い存在が見つかったと、ラヴィスエルは笑った。