親の心。
ロヴェルはエレンを寝かしつけたオリジンから一連の説明を受けたが、未だに信じられない気持ちでいた。
(殿下が……半精霊化だと?)
しかも本人はそれを受け入れたという。
エレンを助けてもらった事に感謝はしている。
しかし、それが原因で命を落とす寸前だったと聞いて、ロヴェルは青ざめた。
ロヴェルも人の親だ。子が命を落とすかもしれないと聞けば、親は動転するだろう。
他の者達は待機していた大精霊達が急いでテンバール城へと転移させて避難させていたが、ガディエルだけは呪われていたために近づけなかったと思われる。
あの場に連れて行かなければと思わずにはいられないが、すでに後の祭りだった。
***
「だから、おぼっちゃんが戻れるのは半年先くらいになると腹黒に伝えて欲しいの」
オリジンから言われた言葉が消化できずにいた。
「……本当に半精霊化させるのか?」
「させなければおぼっちゃんは死んでしまうわ。おぼっちゃんは自分に取り憑いていた同胞達の魂も浄化させ、エレンちゃんを助けたのよ。わたくし達がお礼するのは当然ではなくて?」
「だが……殿下はテンバールの王族だぞ」
「ロヴェル、それはおぼっちゃんと関係ないって事くらい分かっているでしょう?」
「だが……精霊達は納得できるのか?」
「あら、同胞達を解放した上にエレンちゃんを助けたのであれば大丈夫よ。あなたもそうだったじゃない」
ロヴェルも半精霊化したとはいえ、最初の頃はかなり風当たりが強かった。
テンバール国に連なる貴族であることや、精霊の女王オリジンと契約などと厚かましい人間だと忌避されていたのだ。
この時の大精霊達は、テンバールの王族の行いのせいで人間嫌いが酷かった。
これらが一変したのは、エレンが誕生したからだ。
エレンは女王に連なる新たな女神である。本来では精霊と人間の間に子は成せない。
ロヴェルが半精霊化し、オリジンと契ったからこそエレンが生まれたのだと双女神から聞かされた大精霊達は、ロヴェルを精霊として認めた。
半精霊化したとはいえ、人間界が気にならなかったわけではない。
残してきた家族。イザベラやサウヴェルのその後が気になっても、ロヴェルは口にできなかった。
しかし、エレンが生まれた時にそれらを振り切り、ロヴェル自身も自分は精霊と共あると心に誓ったのだ。
エレンが人間との間に生まれた子であるがゆえに、精霊達に受け入れられるのかは心配だった。
だが、エレンが二歳となりいざお披露目となると、あっという間に皆の心を摑んでいった。
エレンは常に退屈させず、皆を心配させては面白いことをしでかした。
瞬時に転移を覚え、城の探検に乗り出して皆に迷惑をかける。
手がかかる子だと思いきや、知識欲がひどく精霊達を質問攻めにする。
簡単な魔法を使ってみせれば、まだ舌足らずな言葉で『しゅごいしゅごい!』と手を叩いて喜んでくれる。
あの宝石のような瞳でキラキラと見つめられた者は、先入観だけでエレンを嫌うことなどできなかったに違いない。
(俺は……ずっとエレンに救ってもらっている)
アルベルトに言った言葉を、自分に返す事になるとは思わなかった。
【お前は俺の娘からも助けられた自覚はあるのか?】
(確かにそうだ。エレンを助けてくれたのならば、認めるしかないのだろうな……)
考えにふけっていたロヴェルだったが、ハッと気付けば目の前ににっこりと笑ったオリジンがいた。
「気持ちは決まったかしら?」
お見通しの言葉に、ロヴェルは少しだけふて腐れたように言った。
「本当に……エレンが関わったら変わらざるを得ないようだ」
ため息と共にそんな事を呟くと、「本当ね」とオリジンも笑っていた。
***
あの森から脱出して、まだ数時間しか経っていなかった。
先に戻ったサウヴェル達が、アミエルの状態をすでに報告しているだろう。
ロヴェルは執務室へと転移すると、重苦しい空気となっていた。
報告次第によっては、ヴァンクライフト家がテンバール国から抜ける話になるのかもしれない。
(いや……エレンの功績を考えたらそれはないか……)
今や、ヴァンクライフト家はテンバール国に無くてはならない領地となっている。
これもエレンのお陰だった。
こちらをじっと見つめているラヴィスエルに気付いたロヴェルは、ため息を吐いた。
「あ、兄上……! 殿下は!?」
ロヴェルの周囲をこれでもかときょろきょろと見回していたサウヴェルが青ざめた顔で叫んだ。
アミエルのことを聞かないという事は、すでに死んだと伝えられているということなのだろう。
裏切りを働いていて、尚かつガディエルを殺そうとしていた。
そうなれば醜聞を避けるため、ひっそりと死んだことにされるのは常だった。
「その事でご報告があります」
ロヴェルがラヴィスエルに頭を下げてそう言うと、ラヴィスエルは静かに「聞こう」と言った。
「殿下は……私の娘を庇って倒れられました」
「なっ……」
ざわりと場の空気が揺らいだ。だが、至って冷静なままのラヴィスエルは、核心だけを聞いてくる。
「生きてはいるのか?」
「……まあ、一応と言いますか」
「一応とはどういう事だ、ロヴェル殿!」
ラヴィスエルの近衛が息巻いていた。
それを片手で制したラヴィスエルと無表情で見つめ合っていると、サウヴェルが前に出た。
「殿下は今どちらへいらっしゃるのです」
「…………」
「兄上!」
弟から威圧を飛ばされるとは思っていなかったロヴェルは、小声でぼそりと言った。
「精霊界にいます」
「なっ」
ざわざわと一気にざわついた。それもそのはずだ。
この一連の流れには誰もが覚えがあった。ロヴェルが精霊界に連れて行かれた時と同じだったからだ。
「息子は助かるのか?」
「殿下は……承諾されました」
「何を?」
「………………」
「ロヴェル」
「……………………殿下は、半精霊化となる事を承諾されました」
場がシーンと静まった。サウヴェルや近衛達は、目と口をこれでもかと開けていた。
精霊に近付く事も出来なかった王族がなぜか精霊界にいて、さらに半精霊化するとはどういうことなのだろう。
だれもが困惑した顔をしている中、その静けさを破ったのはラヴィスエルの笑い声だった。
「私の息子が半精霊になるだと? それは楽しみだ」
「あああああああだから嫌だったんだ……!!」
ロヴェルがそう叫んで頭を抱えた。
「言っときますけれど、精霊達はまだ認めておりませんからね!」
「ほう? その発言だと息子は女神に認められたようだな」
「ぐうう……!」
ロヴェルの不敬待ったなしにサウヴェルは頭を抱えた。
「兄上!」
サウヴェルに睨まれたロヴェルはぎくりと肩を揺らした。
「殿下はいつ戻られるのですか?」
「オーリが半年はかかると言っていた。俺の時もそうだったが、力に慣れるのに少し時間がかかる。精霊界と人間界では力の出が違うんだ」
肩をすくめるロヴェルに、サウヴェルはため息が止まらない。殿下が生きていると聞いて、一番ホッとしていたのはサウヴェルだったからだ。
ガディエルがそのまま死を受け入れていたら、サウヴェルの首は飛んでいただろう。
「半精霊化するということは……あまり私の側にはいられないのだろうな」
「……そうですね」
「分かった。また何かあれば報告しろ」
ロヴェルは嫌そうな顔をしながら、何も言わずに転移して消えた。
そんな兄の不敬にサウヴェルは青ざめながらラヴィスエルに頭を下げた。
「あいつは相変わらずだな」
「陛下……姪が……申し訳ございません」
サウヴェルが頭を下げた事にラヴィスエルは片方の眉をぴくりと動かした。
「お前はあの場にいたと思うのだが」
「……はい?」
「私は学院の地下で女王に誓った。それをガディエルが守った。……それだけだ」
【私は誓おう、女王に、そしてその宝であるエレンに。精霊との約束を守ると。そしてエレンを、ロヴェルを国を挙げて守ると】
「陛下……」
「ラスエルをここに呼べ」
この国はないものに縋るような国ではない。
半精霊化したガディエルに、これ以上テンバールの責務を負わせるわけにはいかない。
ラヴィスエルなりの親心だった。