穏やかな行く末を空に願う。
ファーオ村に戻ってきたリュール達は、少しだけ様子が変わった村を遠巻きに眺めている。
あの断罪の後、森からほど近かった村へと帰ることに少なくない抵抗はあったものの、呪いの影響はそこまでなく、今も変わらずティオーツと共に鍛冶屋の手伝いをしていた。
それよりも、数日休みをもらうと伝えていた鍛冶屋の親父から、リュールは酷く心配されていた。
この親父はリュールの母の遠い親戚なのだとティオーツから聞かされて、リュールは酷く驚いた。
親父を目の前にそう紹介された時、リュールは驚きのあまりに目を見開いていた。
「事情はテツから聞いていたんだ。お前さんが無事で本当に良かったよ」
「親父さんが……」
「黙っていて悪かったな……お前の身に何かあったらいけないと思って言えずにいたんだ」
リュールがテンバールに転移するために休みを貰うと伝えたときも、騎士達がこの村へやってきたことで身を隠すためだと思っていたらしい。
いつも怒鳴り散らしていた筋肉隆々の親父が、リュールを心配して酷くおろおろしている。
この場所がばれて何かあったとき、自分たちに何か起きたとしても、情がわいて引き返してはいけないとリュールに厳しく接していたと聞いて、リュールは複雑な気持ちが隠せなかった。
「俺には……もう身内はいないと思っていました」
「……言ってはいけないと思っていたが、お前のおばあさんがこの村の生まれなんだ。俺と同じように、遠い親戚ならこの村にごろごろいるぞ」
「…………」
「気兼ねなくここにいてくれていい。ただ、今森に入るのはダメだ。動物達の様子がおかしいからな」
「あ、それは……」
リュールが思わず説明しようとしたのをティオーツが止めた。
ティオーツは黙って首を横に振っている。話してはいけないという事だ。
「心配して下さって、ありがとうございます」
「ああ。今日は俺ん家で飯を食っていけ。いいな?」
「は、はい」
気さくになった親父の態度に、リュールは戸惑いが隠せなかった。
***
リュールは目の前であった出来事が内心信じられず、家への帰り道で足は動いているものの未だに呆然としていた。
横にいたティオーツに頭を下げられた。
「言えずに申し訳ありません」
「いや、いいよ。……兄弟以外の血のつながりが、意外と近くにあったんだと知って驚いているんだ」
「主様が直々にお願いして下さったのです」
「ローレが……」
「それにしても、よく金髪の俺を受け入れてくれたな」
素朴な疑問をリュールが聞くと、ティオーツが説明してくれた。
「この村では先祖返りが多いのです。親父さんも金髪なんですよ」
「えっ!?」
鍛冶屋の親父はスキンヘッドだ。髪が生えているのを見たことがなかったリュールが酷く驚いていると、「火を扱うと髪に燃え移ってしまいますからね」と至極真面目に返されてしまった。
「そ、そうか。そうだな!」
「何をお考えですか」
「あ、いや、てっきり……」
口ごもるリュールを見て、邪な考えを持っていたと思われたらしい。
はははと笑うティオーツの笑顔を見えるのは久しぶりだった。
金髪はこの国では生きづらい。周囲の目を恐れてわざと剃っているのかと思っていたリュールは、自分も剃った方がいいのだろうかと少し青ざめていただけだったのだが、ティオーツこそ勘違いしていることに気付かない。
それに気付いたリュールが小さなため息を吐くと、何だか肩の荷まで下りたような安堵感が広がっているのに気付いた。
金髪だからと蔑まれるわけではない。それが何より嬉しかった。
ここ最近はきな臭かった周囲の様子に、いつもピリピリと神経を研ぎ澄ませていたからだろう。
リュール自身、久しぶりに笑う気がした。
森の様子を言おうとしたリュールを止めたティオーツの気遣いが今なら分かる。
兄王にリュールの存在がバレたと聞けば、あの親父は急いでリュールを隠そうとするだろう。
「俺が知ったと言ってしまって良かったんだろうか」
「それはもう、時間の問題でしょう」
「……兄上は俺の首を狙って来るだろうか?」
未だに拭えない不安。
この村に攻めてきたら、リュールはどうしたらいいか分からない。
守るべきもの、大事なもの。
それを奪われたデュランは、今どうしているのだろうか。
そんな事をぐるぐると考えて思いにふけっていると、ティオーツがぴくりと顔を上げた。
どうやらローレから念話で何か言われているらしい。
「な、なんですと……」
「ティオーツ? どうした?」
口に出すと噂が本当になるというが、まさか本当に居場所がばれてデュランがここへ向かってきているのかとリュールは青ざめた。
「……エーレ様が、」
「エーレ?」
ローレの姉だと言われた、あの白猫のことだろうかとリュールがきょとんとしていると、「エーレ様が今ヘルグナーにいると……」と口を濁してきた。
「……エーレは教会の精霊だと聞いていたが、違うのか?」
「ヘルグナーの王と契約したと……騒ぎになっているそうです」
「は?」
デュランが、エーレと契約した?
あの事件からどうしてそんなことになったのか、リュールはわけがわからなかった。
***
ローレはエーレと盛大な喧嘩をして帰ってきた。
『わらわの国なのに、なんで姉様がデュランと契約するのかえ!』
ぷりぷりと怒っているローレに、リュールは苦笑せずにはいられない。
「そうは申されましても、主様はデュランに近づけません」
『そ、そうじゃが……!』
「エーレ様は主様が不在の間、デュランの補佐がしたいと仰せのようです」
『なんでじゃーー!』
怒りが収まらないローレに、リュールがティオーツとの間に入って、まあまあとローレをなだめた。
「兄上とエーレが契約したということは……この国の者達は驚くだろう? どうするんだろうか」
「エーレ様は主様の姉だと身分を明かされた上、教会の者達も説得されたそうです」
「どうして……」
そこまでエーレはデュランにこだわっているんだろうかと思っていたが、それはすぐに腑に落ちた。
エレンに許しを請う時、エーレは自分のせいでデュランが歪んでしまったのだと泣いていたのを思い出す。
「罪悪感……なんだろうか?」
「そうなのでしょう」
「それで精霊は契約までするのかい?」
「しませんね。基本的に精霊が人間と契約するときは、お互いの魂が惹かれ合うのですから」
ティオーツも昔、リュールの母と契約していたと聞いた。
その時の事を思い出しているのか、ティオーツも少し遠い目をしていた。
『なんでじゃ! わらわの国が教会に乗っ取られんか心配じゃ! なんだかんだ言いながら、姉様は教会の奴らを許してきたんじゃ!』
ローレが教会の者を嫌う理由を聞いて、リュールは驚いた。
「ローレはエーレが嫌いなの?」
『なんじゃいきなり! わらわの片割れである姉様を嫌うわけ無いじゃろ! しかしこれとは話が別じゃ!』
興奮して、フシャーと毛を逆立てているローレを、リュールはひょいっと持ち上げた。
「俺は思うんだけど」
『な、なんじゃ……?』
「エーレは、俺とローレが一緒にいる時間を作ってくれたんじゃないかと思うんだ」
『なんじゃ、と……?』
「エレン様に断罪された兄上は、ローレに近づけない。だとしたら、兄上が取れる行動は限られる。俺を連れ戻すか、放置するか、殺すかだ」
『なっ……』
「幸い、クラハがいるから放置もあり得るけれど……精霊と共に歩んできた国なのに、精霊がいないと知ったら国民は黙っていない。その理由を知りたくて、兄上に詰め寄るだろう」
「確かにそうですね……」
神妙に頷くティオーツに、リュールも頷いた。
「ローレを連れ戻すつもりなら、俺を見つけようとするはずだ。けれど、兄上がいてはローレは国に来にくい。だったら……俺を殺して、クラハに王位を譲るという選択を取るだろう」
『なぜじゃ! なぜわらわとリュールの邪魔をする!』
怒るローレに、リュールはなだめるようにローレの頭を撫でた。
「エーレはそうならないように、先手を打ってくれたんじゃないのかなって思うんだよ」
「エーレ様が……」
『姉様が? どういう事なんじゃ!?』
ローレはエーレがよりにもよってデュランと契約したことに驚きすぎて、思考が上手く回らないらしい。
ローレが混乱している姿を見たリュールは、逆に冷静になれた。
「国の象徴でもあるローレを取り戻そうとするのは、王として当然。でも、それを見越したエレン様に断罪された。兄上は八方塞がりになってしまったんじゃないかと思う」
あの森で聞いた、ローレ様をお慕いしてきたと言ったデュランの叫びが耳から離れないのだ。
ローレに選ばれなかったと叫んだデュランの悲痛な声。
エーレが始祖王の魂を探してくれようとしていなかったら、あの叫びは自分だったかもしれない。
「俺は、兄上の気持ちが分かるよ」
『リュール……?』
「ローレが愛しいと思うからこそ、兄上の気持ちが分かる。そんな兄上を心配してくれた、エーレの優しさをありがたいと思ってる」
そう言ってリュールがローレに微笑みかけると、ローレも自分のせいでデュランが歪んでしまったと自覚があったので、それ以上何も言えなくなったようだ。
「エーレが兄上を助けてくれたんだよ」
『そう……なのか?』
「じゃなきゃ、契約できないんじゃないのか? 俺にはよく分からないけれど」
契約していないリュールにはその感覚は分からない。
だが、契約をしたことがあるティオーツとローレは、指摘されてハッと何か気付いた顔をしていた。
『じゃが……じゃが、姉様は酷い! わらわの事を勝手に病気にして、しばらく出てこれないから代理で来たと民に勝手に言いよったんじゃ!』
「あはははは!」
『リュール! 笑い事じゃないぞえ!』
「いいじゃないか。ついでにエーレが兄上を見張っててくれたら、俺は嬉しいよ?」
『な、なんでじゃ!』
「ローレはしばらく国にいかないって宣言されたんだろ? じゃあ、俺と一緒にいられるよね」
『…………ッ!』
リュールにそう言われて、ローレは急に挙動不審になってしまった。
『な、なんじゃ……急に……そんなにわらわと一緒にいたいと申すのか⁉』
「うん。ローレを独り占めしたい」
『ッ!!』
毛並みは真っ黒で分からないが、ローレはきっと赤くなっているんだろうなとリュールは勝手に解釈していた。
『な、なんじゃ! なんじゃなんじゃ!』
急にじたばたと暴れて、リュールの腕からぽーんと逃げ出すローレを見て、リュールは笑っていた。
「まったく、人が悪い」
横でティオーツも苦笑している。
リュールは漠然とながらも、もう自分が命を狙われることはないのだろうと思った。
エーレとデュランの行く末が穏やかであれと、澄み切った空を見上げてリュールは願った。