想うべきもの。
デュランはエーレの言葉に耳を疑った。
エーレは昼を司る精霊だ。女神教会にある双女神の像を守る精霊だと言われている。
この間の断罪の際に、エーレは「あやつら」と叫んでいたのをデュランは思い出した。
「……エーレ様は教会の者と契約しているのでは?」
『わらわと契約したがる者は多かったが、わらわは誰とも契約しておらん』
「…………」
デュランは一気に酔いが回った気がした。ズキズキと頭痛がするこめかみを右手で揉む。
『……ダメかの?』
しゅんと耳を垂れさせたエーレを見て、デュランは内心でなんとも言えない気持ちになっていた。
ローレを慕っていた分、エーレに気を許すことに抵抗を感じずにはいられないのだ。
双女神ではなく、夜を司る精霊を信仰するヘルグナーと教会は折り合いが悪い。
ローレが教会にいるのは姉だと言わなかったら、ヘルグナーは教会を相手取り戦争をしていただろう。
今まで遠回しにヘルグナーが折れる形で話をそらしてきたが、突然のエーレの来訪はヘルグナーがエーレを誘拐したといわれても仕方ない事態に発展しかねないのだ。
「私に教会と戦争をしろと仰るので?」
『な……っ! そんなことなど望んでおらん!』
「…………」
『わらわの行いは……それほどまでに迷惑をかけるのか……』
小さくなってぼろぼろと泣き出したエーレを見ながら、デュランは眉間に皺を寄せて考えていた。
ローレと違う者と契約したとなれば、国民からデュランこそが裏切り者と叫ばれるだろう。
それは以前、デュランこそが声高に叫んでいたからこそ分かることだった。
確かにエーレが国にいるとなれば、ローレも戻ってくる可能性は高い。
しかし、各国と繋がっている教会が相手とあっては、デュランも分が悪いと思わずにはいられなかった。
『わらわが戦争しないように言うのはどうじゃ?』
「…………」
『国民にも、わらわはローレの代理と言えばよいか?』
「…………」
『ローレに説得もするぞ!』
エーレは自分を売り込もうと必死になっていた。
どうしてそこまでするのかデュランには分からない。エーレに何の得があってデュランと契約しようとしているのか検討がつかなかったのだ。
「どうしてそこまで私と契約しようとするのです。貴女と契約したいと願う者は他にもいるでしょう?」
『…………』
デュランの言葉に、エーレは落ち込みながら事の次第を話し始めた。
『わらわは、ローレが気がかりじゃったのもある……そして、羨ましくもあった……』
「羨ましい……?」
『教会のわらわは、いわば主様のおまけに過ぎん。確かに敬れはするが、わらわを個として扱ってくれているわけではない……』
「…………」
『わらわはローレを迫害する教会の者どもが嫌いじゃった。妹に手を出すなら出て行くと何度も叫んだ。しかし教会は双女神様のお言葉を伝える場でもある。主様は双女神様のいわば甥御様……人間と接触するのを面倒がる主様の代理が、わらわなのじゃ』
「出て行きたくとも出て行けなかったと?」
『出て行くべきじゃったのじゃと思う……。しかし主様に役立たずと思われるのが怖かったわらわは、教会の奴らとは必要最低限の接触しかせなんだ……』
エーレはローレ以上に、孤独だったのかもしれない。
『ローレと契約した人間が現れたと聞いて驚いた。……その時のローレはとても幸せそうで……良かったと思ってたんじゃ』
リュールと出会いを果たしたのを見届けたエーレは、妹の幸せをただ喜んでいた。
『死して別れてからというもの、ローレは度々リュールを想って泣いておった。その姿をわらわは何百年も見続けていたのじゃ……』
エーレはある時、女王が次代の女神を生むために魂を探しているという話を小耳に挟んだ。
女神に頼めば、リュールの魂を見つけてくれるかもしれない。
あわよくば、リュールをローレの側で転生してやれるのではないかと考えたのだ。
『わらわはローレを想っての行動のつもりじゃった。しかし、それはデュランからローレを奪っただけじゃった……』
懺悔のように泣き続けるエーレの言葉を、デュランは黙って聞いていた。
『わらわは……わらわはローレが羨ましい。そこまで想われるローレが羨ましくてたまらない……』
「それで、どうして私なんです?」
エーレがローレを羨ましがっているのは分かった。それがどうして自分なのかと納得ができない。
デュランはそんな事を問いつつも、内心では複雑な感情が渦巻いていた。
ローレには選ばれなかったものの、近しい精霊に選ばれている自分。
その優越感は甘美なものだったが、それゆえに抱える問題も多く、代償も大きなものだと分かっていただけに躊躇せずにはいられなかった。
『……ダメかの?』
「答えになっておりませんね」
『わらわはデュランがいいと思ったんじゃ』
「………………」
『それが理由じゃいかんのかの?』
デュランの心は、かなり揺れ動いていた。
しかし、ローレの影が脳裏にちらつき歯止めとなっているのも事実だった。
考え事をしていたデュランの膝の上に、エーレがぽんっと飛び乗ってくる。
今までデュランは、これほどまでに近くに精霊を見たことがない。
ぐっ……と、何かをこらえるうめき声を上げたデュランに、エーレは上目遣いで首をこてんと傾げた。
『ダメかの……?』
「…………」
『感覚的なものは決め手に欠けるのかの……。わらわは、そこまでローレを想ってくれる人物ならば、信用に足ると思っておる』
ここまで精霊に言われて、契約を拒むことが出来る者がいるのだろうか?
「……私と契約できるのですか? 私の腕の断罪痕はローレ様を拒むのですよ?」
エーレとローレは二つに一つ。
繋がっている精霊であるならば、エーレにもその断罪が及びそうだった。
『それはローレだけじゃ』
「……どうして、」
そんなことが……と続けようとしたデュランの言葉を、エーレが遮った。
『姫様はとてもお優しい方で慈悲を残して下さる。デュランがローレを愛している気持ちは、姫様も分かっておられたんじゃ』
間違って道を踏み外したとしても、エレンは呪いと同化したアミエルすらも救おうとしていた。
その事を思い出し、デュランはわずかに目を見張った。
『現にお主は、断罪を受けたからといって精霊に対して、姫様に対して恨み言など言っておらん。原因となったわらわを詰ることもしない。ローレに戻ってこいとも……言っておらぬのだろう?』
「…………」
エーレの指摘に、デュランは動揺を隠すのが精一杯だった。
どこまで見透かされているのだろうか。
精霊だから心の内が分かるというのだろうか?
双女神のヴォールは全てを見通すという。あの森で見た御方が、エーレにそう言ったのではないだろうか?
『精霊は分かるのじゃ。自分を嫌っている相手の所には行きとうない』
「……それは、」
デュランは心の底で求めながらもローレを恨んでいた。
その気持ちが、ローレには筒抜けだったのかもしれない。
肘掛けに置かれていたデュランの右腕に、エーレが頭をこすりつけた。
思わず、デュランも撫でてみたくなる。
デュランは、ローレとこうして過ごしたかった。
色は違えど、柔らかな毛並みにデュランは目を細めずにはいられなかった。
頭から背を撫で、首元を撫でればゴロゴロと音が聞こえてくる。
もう、手元から離したくなくなってしまっていた自分がいた事にデュランは驚いた。
「何を言おうとも、今更なのかもしれません」
『……何をじゃ?』
「私は貴女の主様の妹君に手を出そうとしました。そこから教会が戦争をしかけてくるかもしれません」
『そ、それはわらわが止めてみせる!』
「貴女を奪ったと戦争になるでしょう」
『うう……あやつら……!』
教会の人間がそう叫ぶのがエーレにも目に浮かんだようだ。
「テンバールの奴らをからかうのも飽きたので、教会を相手にするのもいいかもしれませんね」
『……!』
エーレの耳がピンッ! と立った。
嬉しそうなエーレを見たデュランは、頭からローレの影が消えていたことに気付かなかった。