ガディエルが助かるには。
「では準備ができたようだから、次はおぼっちゃんにしましょうね」
ヴォールがそう言って両手をぱんぱんと叩く。すると、この空間に今にも眠ってしまいそうな大精霊が転移して現れた。
もこもこのパジャマ……とは言い難い服を着て、時折頭がかくんと揺れている。
くあっとあくびをしているので、とにかく眠いのだろう。
もこもこのパジャマは羊の着ぐるみのようにも見えて体形が分からない。フードまで被っているので女性なのか男性なのかも分からない人物だった。
「紹介するわね、わたくしの眷属で夢を司る精霊よ。ドリトラと言うの」
ヴォールの紹介に、ドリトラと呼ばれた精霊は無言でエレンに右手をくいっと上げた。
「よ、よろしくお願いします」
エレンが頭を下げると、ドリトラもエレンの真似をして頭を下げた。
「この子がおぼっちゃんの夢の中へ案内するわ。うるさい子だから何を言われても無視していいわよ」
ドリトラは任せろと言わんばかりに無言で右手をくいっと上げた。しかし意気込みとは反して、顔は非常に眠そうで半目になっている。
「……うるさい?」
「この子は夢の中だけ饒舌になるの。言いたいことがあると夢の中に勝手に入ってくるから気をつけてね」
「え……?」
それはどう気を付ければいいのだろうか。
エレンは困惑していたが、有無を言わさずにすぐに夢の中へと連れて行かれたらしい。
真っ白だった景色が、急にザッと真っ黒なノイズが走るかのように景色が変わった。
今度は視界が闇に包まれて驚いていたが、オリジンがエレンの両肩に手を置いてくれて独りではないことが分かった。
「か、母様……? これは……」
「大丈夫よ、エレンちゃん。ドリちゃんがおぼっちゃんの夢の中に連れて行ってくれたの」
にこやかなオリジンの声と同時に、ぽわっとエレン自身が光った。
周囲を見回すと、オリジンと双女神の二人も光り輝いている。
「どもどもどもーー! エレン様! 僕の夢へようこそ~~! うっへっへっ!」
急に明るい声が聞こえてきてエレンの肩がビクリと震えた。
声の方を見ると、先ほど眠たそうな顔をしたドリトラが夢の中では生き生きとした顔をして身体を左右にゆらゆらと揺り動かしている。
「ドリトラですどうも~~! ぜひ今度エレン様の夢の中にも……あっ!」
「もう、ドリトルはおしゃべりなのだから早くしてちょうだい」
「あっあっ、そんなご無体な~~~~!」
ヴォールにこしょこしょと脇をくすぐられながら、ドリトラは「うっへっへっ」と笑って身体をくねらせながら魔法を使った。
フッと前方に現れたガディエルの姿に、エレンは「あっ」と声を上げた。
「ガディエル!」
「え……エレン……?」
こちらを見るガディエルは、エレンを見て驚いている。
「どうしてエレンが……これは夢か……?」
「ガディエルの夢の中だけど、お話があって会いに来たの」
エレンが会いに来た、と聞いたガディエルの顔がほんのりと赤らんだ。
「なんて都合のいい夢を……」
片手で顔を覆い、耳まで赤くなったガディエルが俯いている。その様子は、眠ったままのガディエルとは違ってどこにも異常がなさそうに見えた。
しかし、現実は残酷だ。この時にも刻一刻とガディエルの命は尽きようとしている。
それを思い出したエレンは、心臓がぎゅっとなって両目からぼろりと涙をこぼした。
「エ、エレン!?」
急に泣き出したエレンに驚いたガディエルは、エレンに近付こうビクリと足を止めた。
呪いが発動するのではと思ったらしい。
躊躇したガディエルに構わず、エレンはガディエルに走り寄った。
酷く驚いているガディエルのお腹を、エレンはぽかぽかと叩いてしまった。
「エ、エレン!? え、どうして……」
困惑気味のガディエルだったが、都合のいい夢だと解釈したようで、未だにお腹をぽかぽかと叩いてくるエレンの両肩に両手を置いて、少し距離を取らせた。
怒った顔でぼろぼろ泣いているエレンを見て、ガディエルは「うっ……」と唸った。
「どうして、助けたの……ひっく、助けちゃ、いけなかったのに……!」
ひくっ、ひくっと嗚咽しているエレンを見て、ガディエルは最初こそ呆気にとられていたが、ふっと優しく笑った。
「エレンは無事だったか?」
ガディエルの優しい問いかけに、エレンは涙を拭いながらこくんと頷いた。
「俺が助けたかったから……としか言いようがないな」
無事で良かった、と笑っているガディエルに、エレンは大泣きしてしまう。
エレンは話すどころではなくなってしまった。ガディエルは大泣きしてしまったエレンに戸惑っていて、どうしていいか分からない。
夢だと分かっていても、エレンに触れてはいけないと思ってしまうようで、手が宙に浮いておろおろとしていた。
「初めまして、おぼっちゃん。エレンちゃんを助けてくれてありがとう」
「初めまして、おぼっちゃん。思ったよりも元気そうね」
「え……あ、ガ、ガディエル・ラル・テンバールと申します」
急に妖艶な女性が二人現れてガディエルの目は見開かれた。しかし、育ちのなせる業なのか分からないが、反射的に自己紹介をしている。
「知ってるわぁ~~! 律儀ねぇ」
「分かってるわぁ~~! 良い子ねぇ」
からからと笑いながら、ヴァールとヴォールが左右からガディエルの頭をぐりぐりと撫でている。
前方はエレンが泣いているので、ガディエルは挟まれてしまってどうしていいか分からないらしく、カチーンと固まっていた。
「わたくしの娘を助けてくれてありがとう。あなたはあの王族の末裔とは思えないほどに魂が清らかなのね」
わたくしの娘。そう聞いて、ガディエルは「えっ」と思わず叫んだ。
「……精霊の女王、オリジン……様ですか?」
「そうよ、あなたの両脇にいるのがわたくしのお姉様たちよ」
「ヴァールよ」
「ヴォールよ」
「どもども~~~! 呪われ王子~~! 僕が……あっ」
「もうドリトラは用済みよ」
「アーーッ! ご無体なあぁぁぁ~~~~~…………」
ヴォールが容赦なくドリトラを夢からはじき出したらしい。あっという間に消えていったドリトラの様子を見て、ガディエルは意味が分からないままではあったが青ざめている。
ヴォールの容赦のなさに、逆らってはいけないと瞬時に感じたらしい。
「女王様の姉君ということは……双女神様なのですか?」
「そうよ、おぼっちゃん」
「そうなの、おぼっちゃん」
ふふふ、と笑っているヴァールとヴォールは、今度はエレンを挟んでエレンのほっぺたをムニムニと揉み出した。
「エレンちゃん、泣いてちゃいけないわ」
「そうよ、ちゃんとお礼を言わないとね」
「は、はい……」
ぼろぼろに泣いているエレンを見て、ガディエルは止めた。
「お礼を言われることではない。俺の自己満足……」
「それでも、あなたはエレンちゃんを助けてくれたわ。だからエレンちゃんは女神としての役目が果たせたの」
「ええ、そうよ。エレンちゃんを助けてくれてありがとう」
「……ありがとう、ガディエル」
「そ、そう……か?」
エレンにお礼を言われて、ガディエルは照れくさそうにしている。
空気は和やかだが、双女神はガディエルに笑顔で言った。
「でね、あなた、このままだと死ぬの」
「ええ。あなた、このままだと死んじゃうわ」
「……え?」
急に残酷な言葉を笑顔で投げつけられ、ガディエルは固まった。
「生き残るための選択をこれからしてもらうわ」
「それはおぼっちゃん次第よ」
言われた言葉に、頭が追いついていないらしい。困惑が隠せないガディエルの目は、きょろきょろとさ迷っている。
「変質した呪いからロヴェルの結界とわたくしの子供達があなたを守ったけれど、それでも限度があったの」
オリジンがガディエルに説明を始めた。
「呪いの本質は魔素の力……あなたはその呪いと繋がっていたわ。ロヴェルが説明したわよね?」
「……はい。お聞きしました」
「あなたを守ってくれたけれど、わたくしの子供たちは呪いに取り込まれてしまったの。その際にあなたの魂も一緒に身体から引き剥がされたわ」
「引き……剥がされた?」
「あなたの身体と魂が無理矢理引き剥がされたのよ。あなたの魂にはロヴェルが目印として結界を施していたから、わたくし達があなたの魂だけを回収できたの」
「それは……俺は、身体に戻れるのでしょうか?」
ガディエルが震える声で言うと、オリジンは首を横に振った。
ガディエルの顔がサッと青ざめる。「そう……か……」と力ない声がした。
「あら。諦めるのは早いわ。このままだと死んでしまうけれど、助かる方法はあるのよ?」
「ええ。そのためにご褒美を用意したのだもの」
ヴァールとヴォールの声は明るい。呆気にとられながらも、ガディエルは「ご褒美……ですか?」と訝しんだ。
「エレンちゃんを助けてくれたのだもの! 弾まなきゃ!」
「ええそうよ! ただ、代償は大きいわ」
「代償……?」
オリジンは、娘を助けてくれたお礼にと、ガディエルに言った。
「代償とはあなたの人間としての生。人間界にはあまり関われなくなるわ。あなた、ロヴェルのように半精霊になってエレンちゃんと契約できる?」
言われた言葉に驚いたエレンとガディエルが、ビクリと肩を揺らした。
「ガ、ガディエルが半精霊……?」
「エレンと契約できるのか!?」
食いつく所がお互い違う。
エレンとガディエルが思わずといった表情でお互いの顔を見合わせた瞬間、それを見ていたオリジンと双女神の笑い声が辺りに木霊した。