魂を選定するその意味。
精霊城へと戻ってきたエレンは、水鏡の間の前に立っていたロヴェルの存在に気付いた。
側には椅子に座ったオリジンと、先に帰っていた双女神の姿もあった。
「エレン!」
ロヴェルが走ってくるのが見えたエレンは、アークの腕からロヴェルの目の前に転移した。
そのままエレンはロヴェルの首下にぎゅううと抱きつく。
「無事で良かった……!」
「父様……!」
苦しいほどに抱きしめられた。エレンも負けじとロヴェルに抱きついていた腕にぎゅうっと力を込める。
エレンの後頭部に大きな手を置かれ、髪の毛にキスをされた。
安堵からか、エレンの目から堰を切ったようにぽろぽろと涙がこぼれる。
先ほどまで泣きに泣いていたのもあって、エレンの目はすでに真っ赤だった。
「こんなに泣いて……」
涙で頬に髪が張り付いてしまったのをかき上げれる。露わになったエレンの頬に、ロヴェルがまた軽くキスをした。
少しぐずってしまったかのように、エレンも甘えてロヴェルの肩におでこを擦り付けた。
髪をすくように撫でてくれて、ロヴェルの温かさに安堵しきって思わず眠くたくなってきてしまう。
それほどまでに緊張して、疲れ切っていたのだろう。
「エレンちゃん、まだお話があるのだけど大丈夫かしら?」
「ごめんなさいね。疲れているのは分かっているのだけど、もう少し頑張って」
双女神からそう言われて、エレンはのろのろと顔を上げた。
「はい……」
「エレンは疲れているんだぞ!」
噛みつくロヴェルに、エレンはふわりと笑って「大丈夫ですよ」と言ってロヴェルの腕から転移して離れた。
エレンのその様子はどこか大人びて見えたロヴェルは、ハッとエレンの背中を見つめていた。
ロヴェルは止めようとしていた腕を下ろして、ぎゅっと拳を握った。
「女神としてのお話があるから、わたくしの空間へ行きましょう」
「おぼっちゃんも連れてくるわ」
「ええ、お願い。では行きましょうね、エレンちゃん」
「は、はい」
ヴォールにそう言われてエレンは緊張する。
ヴォールの言う空間とはどういう意味なのだろうか。
***
エレンの困惑をよそに、すぐに転移して連れて来られた場所は、一面の真っ白な世界だった。
足下の浮遊感、水面の上に立っているような錯覚を起こす場所。
(ウユニ塩湖のような……でもここには何もない……)
きょろきょろと周囲を見回していると、オリジンが転移してきてエレンをふわりと抱きしめた。
「お帰りなさい。頑張ったわね、エレンちゃん」
「母様……。はい、ただいまです」
にっこりと笑うと、オリジンもエレンのおでこにキスをしてくれた。
「魂の選定をしたと聞いたわ。それについても、お話しするわね」
「は、はい……」
魂の選定。
アミエルの魂を保護して内に取り込んだ事を、どうやらそう言うらしい。
エレン自身は魂の選定をしたという自覚がなかっただけに、何か良くないことをしてしまったのかと不安になった。
すると、双女神が宙に浮いたままのガディエルを連れてきた。
ガディエルは大きな透明の風船のような球体の中に浮いており、その目は閉じられたままだった。
「ガディエル!」
「エレンちゃん、大丈夫よ」
慌てていたエレンだったが、そうヴォールに諭されて何とか落ち着こうと深呼吸をした。
ガディエルが浮いた球体にそっと手を置く。どうやら結界魔法のようだ。
「人間にとって精霊界は魔素の濃度が濃くて毒なの。これはその毒からおぼっちゃんを守るためよ」
「そう、なのですか……」
心配そうにガディエルを見ていたら、ヴァールが説明してくれた。
「エレンちゃん、このままではおぼっちゃんは死んでしまうのは分かるわね?」
「…………」
心臓がぎゅうっと摑まれた気がした。
エレンが顔をくしゃくしゃにして、今にも泣き出しそうになっているのを見て、ヴァールが慌てた。
「ああ、泣かないでエレンちゃん。助かる方法はあるの」
「本当ですか……?」
「でもね、それを受け入れるかはおぼっちゃん次第なのよ。生きて欲しかったら、エレンちゃんも今後関わらなければならないの」
「え……?」
意味を図りかね、エレンは困惑を隠せない。
「今、夢を司る大精霊に準備をお願いしているの。それに関しての説明は、おぼっちゃんの説得と一緒に説明するわね。お互いがそれを受けれなければならないわ」
「は、はい……」
「ではその準備までの間に選定についてお話ししましょう」
そうヴォールが言うと、双女神は二人でエレンの横に並んだ。
「エレンちゃん、壊れた魂を内に取り込んだわね?」
「は、はい」
「女神が魂を選び、その魂を内に取り込むことを“魂の選定”と言うの」
「……これが、魂の選定?」
「ええ。本来ならば、きちんと説明をした上で選定をして欲しかったのだけど……その前にエレンちゃんはやってしまったわね」
「はい……ごめんなさい」
「いいのよ。わたくし達も、まだ早いと思って何も言わずにいたのだもの」
「ええそうよ。気にしなくてもいいのよ」
双女神の二人は、からからと笑っているが、思ったよりも事態は深刻だった。
「わたくしたちは内に魂を取り込んで、次代の女神を産み落とすの。それが魂の選定」
「え……?」
「エレンちゃんも、そうやって生まれてきたのよ」
エレンの思考は真っ白になった。
オリジンがエレンを元から知っていたのは、これが理由なのだろうか。
エレンが思わず後ろにいたオリジンに振り返る。オリジンはにっこりと笑っていた。
「わたくしもそうやってエレンちゃんを選んだのよ」
「……だから、私が転生したとご存じだったのですね」
「ええ。本来なら内に取り込むとその魂の記憶は枷になってしまうから、消してしまわなければならないの。ところがエレンちゃんはそのまま記憶を持ったまま生まれてしまったわ」
「どうして……」
「それに関してはロヴェルが原因ね」
ため息と共にヴォールが説明してくれた。
「本来なら、魂の選定をした後は受胎して産み落とすもの。オリジンちゃんも選定の準備をしていたのだけど、受胎の儀式の前にロヴェルと出会ってエレンちゃんが生まれたのよ」
「ええ。魂の記憶を消す前にエレンちゃんが生まれたのよ」
「え? え? じゅ、受胎……?」
「ああ、そこも人間と違うわね。わたくし達が女神を産み落とすのに男は必要ないのよ」
「ええ、いらないの」
「え? えええええ!?」
混乱しすぎてエレンの頭はパンクしそうだった。
どういう理屈でそうなっているのか、転生前の常識が邪魔をする。
「え、ちょっと待ってください……! ということは、魂の選定をした私は……」
(妊娠……?)
真っ青になったエレンを見て、何を恐れているのか分かった双女神とオリジンはからからと笑った。
「大丈夫よ、エレンちゃん。しないわよ。したらロヴェルが大変なことになるわ」
「そうよ、だってその魂は壊れているもの」
「ええ、だって眠っているもの」
あははははと高らかに笑われているが、エレンは心臓がばくばくと落ち着かない。
「それにエレンちゃんはその魂に保護をかけたわ。だから受胎もしないから安心して」
「は、はい……」
エレンは緊張のあまり、自分の胸元をぎゅっと握っていた。
知らずに選定してしまったとはいえ、まさかこんな意味を持つなど思いもしなかったのだ。
(生神女福音……マリアの受胎告知……?)
だからこの世界に男の神がいないのだ。
詳しく聞けばいるにはいるらしいのだが、「いる世界が違うのよ」とまた謎の言葉を言われてしまった。
(頭がパンクしそう……)
少し頭痛がする。エレンはすでに、いっぱいいっぱいになっていた。
「それでね、エレンちゃん。その選定した魂のことだけど」
「はい……」
「壊れてしまっているから、次の女神の器にはならないの」
「え……」
「エレンちゃんの中で長く眠り続けることになると思うわ。さすがにどれほどかは女神の制約が邪魔をして、わたくしにも見えないのだけれど……」
「私が次代の女神を産み落とすのに、支障が出たということでしょうか?」
「まあ、そうなのだけど……」
「それはまあ、わたくし達が生めばいいだけの話だから気にしなくていいのよ?」
「え……?」
「あら?」
(なんかすごく軽い……?)
妊娠して子供を産むという事がどれほど大変なのか、想像に難くないだけに双女神の返事に驚きが隠せない。
「えっと……はい、分かりました……?」
「分かっていないって顔をしているわ」
そう言われてヴォールに頬をむにっと突かれた。
「あら本当。まあ、エレンちゃんは記憶があって人間の価値観が強いのだから仕方ないわね」
ヴァールに反対側の頬を突かれる。
そのまま、エレンの頬の柔らかさを堪能するかのように両方からムニムニと揉まれてエレンは困った。
「もう、お姉様ったらその辺で」
「あら、ごめんなさいね」
「本当、ごめんなさいね。エレンちゃんのほっぺたが柔らかくて癖になりそうよ」
和やかに説明をされるが、エレンがしたことは大変な迷惑がかかるのだろう。
この魂の選定も、女神としての役割であり、この世界を支えるためのものなのだ。
(勝手なことをしたと怒られても仕方ないのに……)
優しく見守ってくれている双女神とオリジンの存在に、エレンは救われる思いだった。