断罪の意味。
エレンは以前、ヴァールの断罪の力に干渉したことがある。
その時の経験と新たに得た浄化の力。そして読み取った呪いを逆に利用した。
「ぐ、ぐあああああ!」
デュランが叫び、己の右腕を押さえてうずくまった。
突然の出来事に護衛達がデュランを取り囲み、「陛下!」と叫んで慌ててる。
周囲の者達は一体何が起きているの分からない。
デュランも己の右腕に急に激痛が走ったことに困惑が隠せないようだった。
己の右腕を凝視していると、闇の触手で焼けただれていた右腕の傷が黒く変色し、そわぞわと広がっていくのが分かった。
『そ、その腕は……わらわを庇った時の!』
ローレが叫ぶと、エーレも気付いたようだった。
『そんな……わらわ達が吹き飛ばしたはず……!』
ローレとエーレが力を合わせて吹き飛ばした闇の触手の傷が、まるで呪いが復活したかのようにぞわぞわとデュランの右腕に広がっていたのだ。
触手が巻き付いていた痕から茨のような黒い棘が広がり、右腕に巻き付いていった。
その茨の形は見覚えがあった。ヴァールの断罪だ。
「女神の断罪!?」
「まさかわたくしの!?」
ヴァールが驚愕していた。ヴォールが断罪したの? とヴァールに聞くが、「わたくしじゃないわ」と首を横に振って否定する。
断罪、と聞こえたデュランは驚愕の目でエレンを見た。
ヴァールの断罪は、不貞を働いた者に対して今後異性が近づけない程度だが、エレンはその仕組みを利用して、特定の相手を近づけないようにしたのだ。
『そんな……』
何かに気付いたローレがわなわなと震えている。
青ざめたローレがデュランを見つめていて、デュランはエレンの言った「大事な人」という言葉に「まさか……」と戦慄いた。
「ロ、ローレ様……!」
『デュラン! わらわに近づくなえ!』
突然のローレの拒否の言葉に、デュランは絶望に塗れた顔をした。
『なぜ……なぜじゃ! 呪いは姫様が浄化して下さったはず……!』
エーレの言葉に答えるように、エレンは静かに口を開いた。
「母様はローレの力と繋がっていたリュールさんの魂を探したわ」
エレンの瞳は冷たいまま、デュランを見ていた。
「それはつまり、魔素には個の情報があるということ。ヴァールお姉様の力の仕組みに合わせてローレの情報を焼き付けたの」
『デュランのこれは……呪いではないのかえ?』
「違うわ」
エレンはきっぱりと否定するが、ローレは信じられないとばかりにデュランの右腕を見た。
「ローレ様……」
いままでの態度からガラリと変わってしまったデュランの様子に、護衛達もまだ戸惑いが隠せない。
一体何が起きたのか、困惑している周囲に双女神が明るい口調で言った。
「エレンちゃんがわたくしのマネをして断罪をしたわ!」
「どうやったのエレンちゃん! すごいわ!」
女神の制約では他の女神の力に干渉できない。
これは絶対であるはずなのに、エレンはすり抜けて力を使う。
女神の制約とは、他の女神の力を妨害して邪魔をしないようにと設定されているようだ。
エレンはただ、力を助長させて自分の思う方向に力の矛先を変えただけに過ぎない。
このときに力を情報に置き換えて操れるのではないかと漠然とした理解があったが、今回の浄化を含めそれは確信に変わった。
エレンがあえてローレだけに対象を絞った理由が気になったヴォールがその未来を見る。
その理由を知ったヴォールは「なるほどね……」と唸っていた。
「やはりエレンちゃんだわ。人間にも精霊にも偏らないの」
「本当。ハッキリしていて気持ちが良いわ」
女神と精霊だけがこの状況を理解していた。その事に、今まで黙っていたリュールが口を開く。
「すみません、あの……兄上に何をなさったのですか……?」
恐る恐るリュールが尋ねると、エレンはデュランを冷たく見つめたまま、「近づけないようにしただけです」と答えた。
近づくなと叫んだローレの態度を見て、その対象がローレだと周囲はすぐに気付いたが、ただそれだけなのかという困惑も隠せずにいたようだった。
しかしデュランを初め、護衛達にまで動揺が広がっていた。
「へ、陛下はローレ様に近づけないと……?」
国を象徴するローレに拒絶された王。
女神を怒らせて直接断罪を受けたと教会と国民に知られたら、デュランは死罪、またはよくて追放だろう。
それほどまでにヘルグナー国は精霊、強いてはローレを慕っている。
「な……なんてことだ……」
護衛のオルガスが、これからの事を悲観して嘆いた。
そんな様子のヘルグナーの者達は蚊帳の外に、双女神は明るい声で言った。
「おしおきも終わったようだし、先に帰るわね。精霊城で待っているわ」
「ええ、エレンちゃん。お疲れ様」
双女神はそう言って転移して消えた。
「さあ、僕たちも帰ろう。ロヴェル兄さん達のことが気になるからね」
「……はい」
リヒトの言葉にエレンが頷いた瞬間、アークと一緒に精霊城へ転移する。
ヴァンもカイをヴァンクライフト領へと送り届けていった。
***
この場にぽつんと残されたのは、ローレとエーレ、リュールとデュラン達だった。
エレンに断罪された右腕を抱えたまま蹲ったデュランは、呆然としたまま動こうとしない。
「……兄上」
リュールが静かにデュランに声をかけると、デュランは緩慢な動きで頭を上げてリュールを見た。
「これだけで済んだことを、エレン様に感謝するべきです」
「なん……だと?」
一瞬にしてデュランが怒りに染まる。その後ろにいた護衛達もリュールを殺気を込めた目で睨んだ。
「やはり不吉であった。貴様は陛下を害する存在である……!」
オルガスが剣を構えてリュールに向けると、ティオーツがリュールの前に躍り出て、一気に場が緊張に包まれた。
『やめるのじゃ!』
ローレが叫ぶと、デュランとオルガスがビクリと肩を揺らした。
『姫様は、これだけで済ませてくれたのじゃ……!』
エレンがどうしてデュランだけに的を絞り、ローレに限定して断罪をしたのか。
『わらわの存在が、それほどまでにお前達に必要とされていたとは……わらわは思いもせなんだ……すまなかった……』
ローレはそう言って涙をこぼす。
「ローレ様……」
ローレはこの国、強いてはリュールの子孫という枠組みでしか見ていなかった。
ローレを慕い、王の前に姿を現すことを強く望まれていた意味に気付いていなかった。
『デュランがしでかした罪は大きい。そしてわらわも。この国を闇に閉ざすことなど、主様の手にかかればたやすい。それをしないで頂けたのじゃ……』
「この国を滅ぼすために、大精霊様方が上空で待機しておりました」
リュールの言葉に、信じられないとデュランの眉間に皺が寄った。
「なに……?」
「兄上、貴方はエレン様を……女神様達をそれほどまでに怒らせていたのです」
手を出してはいけない人物をこれほどまでに怒らせる。
精霊の頂点に立つ女神の娘に手を出して、命があっただけでもありがたい。
「ローレ様に拒絶された私など……!」
そう叫んだデュランに、リュールは内に秘めていた怒りが爆発した。
「貴方は俺から父と母を奪った! 俺から大事なものを次々と奪っておきながら、たった一つ奪われただけでそのざまですか!」
「な……」
「エレン様が仰った奪われる痛みを身をもって知ればいい! 奪われる事がどれほどまでに痛みを伴うか……貴方は他者の痛みを知るべきだ!」
リュールはローレを抱え、ティオーツに行こうと言った。
ティオーツがエーレに頼んで転移すると、残ったのはデュランとその護衛達のみとなる。
デュランはテンバールの王の変わりぶりを思い出していた。
精霊姫に手を出して報復された後のラヴィスエルは、ひどく温厚になったと聞く。
(そんな生易しいものではない、これは……)
青ざめるデュランは、己の周囲がすでに崖に囲まれているのが分かった。
この場から一歩でも間違えれば、それは「死」しかない。
世界を統べる女神を筆頭に、大精霊達が周囲を囲んでこちらを睨んでいるような錯覚が起きる。
その首は、いつでも刈れるのだと暗黙に言われているのだ。
さらにその首の数は、一つとは限らない。
ラヴィスエルも報復されて同じ気持ちになったのだろう。
ただ見た目で子供だと侮っていた。
女神の逆鱗に触れ、自分の愚かさを知った。
ラヴィスエルも生き残るために、そうならざるを得なかったのだ。