魂の選定。
エレンは目の前の小さな手を、そっと両手で包んだ。
『…………お、が……?』
「私はあなたの母様ではないの。ごめんなさい。……もうみんな浄化されたわ。一緒に行く?」
こちらの言葉はまだ少しだけ分かるのだろう。エレンの言葉を聞いてアミエルは動揺していた。
『………わ、だ、ぐじ……みん、な………ぎえれば……いいっで……』
「うん」
『ぎえ……みん、な……ぎえ、ぢゃ……』
「うん」
『う……うう……ざび、……ざび、じい……みん、な、いなぐ……な、……』
「……うん」
消えろと叫んでいた言葉は、悲しみのあまり出てしまった言葉だったのかもしれない。
ただ一人の女の子が国を揺るがしかねないほどの事をしでかしたのは、やはり後ろにヘルグナー国がいたからだろう。
アミエルの悲しみと憎しみが利用され、引き返せない所まで追い込まれてしまった。
『わだ、ぐじを……みな、ぎらっで……おがあ……ざま、も……?』
「え?」
『おがあ、ざま、わだ、ぐじ、ぎら……』
「アミエル……」
『う゛あ、あああ……』
悲しみと後悔の慟哭。
アギエルがどういう気持ちでアミエルを思っていたのかは分からないが、ここまでアミエルが呪いと同調してしまった理由が、エレンはどこか分かってしまった気がした。
(アギエルに心ないことを言われて、呪いとアミエルの気持ちが同化してしまったのかもしれない……)
呪いの悲しみの叫びと、今のアミエルの叫びが重なった。
エレンは知らなかったが、ガディエルの呪いが浄化されつつあったのも、ガディエルの想いと呪いが同調したからだった。
想い一つで、呪いの力が作用してここまで変わってしまうのだ。
「そんなに寂しいなら、私が一緒にいてあげる」
『…………い、じょ……?』
エレンの言葉に驚きすぎたのか、アミエルは泣き叫んでいたのも忘れ、少しぽかんとしてしまったようだった。
「うん。一緒。私は精霊だから、ずっと一緒にいられるよ。みんなは浄化されていなくなっちゃったし……いない人達を恨むのはここで止めたらどうかな。じゃないと、いつまでも悲しいままだよ」
『…………』
「こんなに悲しいのなら、すぐに忘れられないのは当たり前だよね。でも疲れちゃったでしょ? 少し眠って、起きたら私が側にいてあげる」
『ぞ、ば……いる?』
「いるよ。ずっと一緒」
『いっじょ……』
「うん。一緒」
エレンはこれ以上壊れないように注意しながら、そっとアミエルの魂を引き寄せる。
ゆっくり、アミエルの魂を両手で抱きしめるように囲うと、アミエルがぼそりと言った。
『…………あっだ、がい…………』
涙混じりの声で、アミエルがそう言った。
壊れたアミエルの魂はぼろぼろだ。
エレンは女神としての力を使い、アミエルの魂がこれ以上壊れないように保護した。
(……今なら分かる。母様が私の魂を選んだという意味が)
エレンの行動は無意識だったのかもしれない。
それでも、女神として魂を選ぶという意味は、漠然とこういうことなのだろうと思った。
オリジンも、エレンの魂を愛しい気持ちでずっと抱きしめていたのだろう。
『おが、あ……ざ、ま……』
母の温もりを求めてすり寄る赤子のように、アミエルはエレンにすり寄った。
悲しいと泣く、その涙が枯れるまで側にいよう。
寂しいと泣く、その声がでなくなるまで側にいよう。
これが女神の選定だとは知らずのまま、エレンは自らの内にアミエルの魂を抱き込んだ。
***
周囲に満ちていた光が収まると、そこたたずむのはエレン一人だった。
全て消えてしまった。渦巻いていた闇も、アミエルもどこにもいない。
唯一残ったといえば、アミエルが暴れた形跡が森の木などの至る所に爪痕として残っているくらいだった。
「……なんということだ」
一部始終を見ていたデュランがかすれた声を上げ、その声にハッと我に返ったかのように、周囲の面々ものろのろと動き始めた。
まるで、時間が止まっていたかのような錯覚を覚える。
今、目の前で起きた出来事が信じられないと、リュールもローレも呆然としていたからだ。
『姫様が、奴らを浄化して下さった……!』
ぼろぼろと泣き崩れるローレを、何が起きたのかよく分かっていないまま、困惑気味のリュールが気遣う。
「エレン、がんばった」
アークの言葉がエレンの耳に届く。
エレンは自分の胸に納めた魂を想いながら、アークに「はい」と返事をした。
『姫様、ご無事でよろしゅうございました』
「ホーゼ達もありがとう。無理を言ってごめんなさい。父様は無事ですか?」
『はい、ご無事です』
「良かった……」
ロヴェルの無事を聞いて、エレンは胸をなで下ろす。
しかし、エレンの胸の奥から、悲しみの涙がこぼれ落ちた。
『姫様っ!?』
ホーゼがエレンの涙に慌てた。
エレンは脇目も振らず、ただ倒れたガディエルの側へと駆け寄った。
目を瞑ったままのガディエルの頬に、ぽたぽたとエレンの涙が落ちていく。
「ガディエル……」
ガディエルの胸は微かに動いているものの、このまま動かなくなるだろう。
それが分かっているのに、どうしていいか分からず途方にくれてしまった。
エレンの悲しみが分かったのか、誰もがエレンの背中だけを見つめていた。
その時、上空から賑やかな声が木霊した。
「遅かったわぁ~~~!」
「エレンちゃーん! どうして壊れた魂を選定しちゃったの~~!?」
ヴァールとヴォールの登場に、周囲の面々がぎょっとする。
ホーゼは明らかに嫌そうな顔をして、さっと転移して消えた。どうやら距離を取ったらしい。
「そう、めがみ」
アークの言葉に、デュランやその護衛、リュールまでもが驚いた。
「エレンちゃん! 選定しちゃったらダメじゃない~~! よりにもよって壊れている魂を選ぶなんて!」
「いや~~ん! もう、女神の制約はこれだから……! 肝心の所が見えないの本当不便!」
全てを見通すヴォールがそう叫んだ。
女神の制約がかかり、女神自身に関することは干渉できないらしい。
ヴォールは父の制約により、これまでのエレンをヴァールと共に見守っていたが、最後の最後でエレンが魂の選定をしでかすなど思いもしなかったようだ。
「エレンちゃん自身が決めたことだから見えなかったのね……。エレンちゃんはわたくしの力に干渉できたのに……本当にどういう仕組みなのかしら?」
女神の制約すらもすり抜ける技を、エレンはアリアの断罪の際に起こしている。
ヴァールはその時の事を思い出しているようで、双女神二人して首を傾げていた。
「まあ、もう起こってしまったことは仕方ないわね」
「そうね。それはそれ、これはこれ。急がなきゃいけないわ」
急にヴォールとヴァールがそう言って切り替えた。空に向かってひらひらと手を振った。
「ちょっと~~! そこにいるでしょう? 早く運んでちょうだいな!」
上空で待機していたリヒト達に向かって、ヴァールが叫ぶ。
慌てて下りてきたリヒト達は、怪訝な顔をしつつもエレンが気になって仕方ないようだった。
双女神を視界に入れながらも、泣いているエレンをちらちら見ている。
「エレンちゃんが気になるのは分かったから、早くおぼっちゃんを精霊城へ運んでちょうだいな」
「そうよ、ご褒美をあげなきゃいけないわ」
おぼっちゃんと言われてリヒトは眉間に皺を寄せた。誰だそれはと言わんばかりの態度だったせいか、「それよ」とヴォールが指さした先を見て「はあ!?」と叫んだ。
ヴォールはガディエルを指さしている。
テンバールの王族だと気付いた嫌がるリヒト達を尻目に、アウストルだけがガディエルの所へとやってきた。
「あ……」
ガディエルが連れて行かれると動揺して、思わず庇うようにガディエルに被さった。
アウストルはエレンの頭にぽんと手を置いて、安心させるように言い聞かせる。
「なんか双女神が坊主にご褒美あげるんだとよ。なら、心配しなくても大丈夫なんじゃねーか?」
「え……? ご、ほうびですか……?」
涙でぐしょぐしょの顔で困惑しているエレンを、ヴォールとヴァールが慈しむように微笑んだ。
「そうよ、よく頑張ったわね、エレンちゃん。おぼっちゃんならお任せなさい」
「こうなることは見えていたの。だから保険をかけていたわ。大丈夫よ」
「…………保険……ガディエルは、助かるんですか?」
「ふふふ」
「それを決めるのはおぼっちゃんだわ」
ガディエル次第とはどういう事なのだろうか。
不安が拭えないまま、困惑しきりのエレンに、ヴァールは諭すように言った。
「エレンちゃん、この子達にまだ言うことがあるでしょう? 終わったら精霊城にいらっしゃいな。オリジンちゃんとロヴェルと待っているわ。その選定についても、おぼっちゃんの今後についても大事なお話があるの」
「……はい」
「大丈夫よ、生きているわ」
「ええ。大丈夫」
「はい」
そこまで聞けば、ガディエルを任せるしかない。
エレンがガディエルの側から離れたのを見計らって、アウストルがガディエルを担ぎ上げ、転移して消えた。
リヒトは、まさか運ばせるために僕達を待機させたのか!? と驚愕している。
(大丈夫、生きてるって言われた。大丈夫……)
エレンは心の中で何度も己に言い聞かせ、エレンは乱暴に涙を拭った。
赤く腫らした目ではあったが、キッとデュランを睨んだ。
「お話があります。ヘルグナーの王様」
エレンの低い声に、少しばかりデュランの肩が揺れた。
「……聞こう」
早く話を終わらせて、皆が待つ精霊城へと帰るのだ。