迷子の叫び。
自分に向かって伸ばされた小さな手を見て、エレンは呆然としてしまった。
赤子のサイズにまで小さくなってしまったアミエルの魂は、基の原型すら留めていない。
アミエルの手は真っ白になっていて、まるで陶器でできた人形のようだった。端からぼろぼろと欠片が崩れ落ち、至る所に大きなヒビが入っている。
呪いに浸食されていた部分が解放されたせいなのか、アミエルの魂ごと削り取られてしまったのだろう。
昔見た、呪いとなった同胞達の骸骨のような姿に似ているが、真っ白になっているためかあの時の恐怖は感じなかった。
アミエルの空洞とかした目からは涙がこぼれ、エレンに向かって必死に手を伸ばしていた。
『おが、あ……ざ、ま……』
「……私は、あなたの母様じゃないわ」
『おがあ……ざま……? ち、が……う……?』
「違う。違うの……」
違うと聞いて、アミエルの目からはまた涙がこぼれる。
『おがあ、ざま……どご………ざび、じ……ぃ』
「……っ」
『ぎえ、る……ぎえ……ごわい…………』
どんどん小さくなっていくアミエルの声。崩れていく身体。
アミエルの涙と一緒に光となって消えていく。
脳内に直接響く声。一人は怖いと泣く小さな子供の声。
渦巻く魔素の影響をまともに浴びてしまったアミエルの身体は、もう変質してしまってどこにもない。
アミエルの魂の本質だった真っ白な想いだけが、ここに残っている。
残った魂の欠片が必死に母親を求める声が響いて、エレンの胸を打った。
アギエルの言うことをまともに聞いて道を踏み外してしまったままのアミエルと、途中から気付いたラフィリアの違いはどこにあるのだろうか。
ラフィリアは今ではもう、皆に愛される存在となってサウヴェルと共に新しくできた家族と笑顔になっている。
でもラフィリアもあのまま気付かずにいたら、アミエルと同じになっていたかもしれない。
「どうして、この子だけ……」
確かにガディエルに対して酷い事を言って、周囲を焼き尽くさんばかりの怒りを覚えた。
ロヴェルを奪おうとしてくるアミエルに苛立った。
だが、アミエルの本心を聞いてしまった今、あの時感じた怒りは悲しみに変わっていた。
各家庭の事情というものも確かにあるのだろうけれど、アミエルの純真な想いを聞いてしまった今、エレンの心は揺れ動いてしまっていた。
『ざび、じい……ざび……おがあざ……』
ただそれだけを繰り返して泣き叫ぶ小さな子供の声。
この悲しみを、女神としてただ消すだけで良いのだろうか?
迷子になってしまった小さな子供の泣き叫ぶ声と何が違うのだろうか。
エレンは伸ばされたアミエルの手に向かって、自身の手を伸ばした。
***
渦巻いていた闇の周囲は、エレンの力によって浄化され光りに満ちていた。
アークはいつものまったりとした表情とは打って変わり、真剣な眼差しでエレンの力に異常が現れないか見守っている。
エレンは気付いていなかったが、この森の上空にはエレンを補佐するためにリヒトを筆頭に、霊牙の部隊を含めた大精霊達が数人待機していた。
エレンが女神として力を使った事が上空からでも分かる。リヒト達は森の中央から光が溢れるのを黙って見つめていた。
この場に大精霊達が集まっているとはいえ、増幅されてしまったテンバール王族の呪いにはアーク以外対処できない。
しかしどういうわけか、双女神が近くで待機しておくようにと命じてきたのだ。
リヒト達は上空から同胞達の魂が浄化されて天へと昇っていく姿を、ただ黙って見つめていた。
「なんだか複雑だねぇ」
リヒトの隣にいた霊牙の総長・アウストルがぽつりと呟いた。当時を知っている面々は、精霊達を虐殺したテンバール王族を赦すつもりなど毛頭無かった。
しかし、ここまで同胞達の魂が歪んでしまうなどと思わなかったのも事実だ。
さらにその呪いの作用を利用して、女王の夫であるロヴェルを無力化して拐かそうなどと大それた事をするなど、やはり人間の考える事は浅ましい。
「双女神はこれが見えていたはずだ。僕達の行いから何が生まれ、そして何を試練とするのか……」
リヒトが苦々しく言う側で、アウストルも眉間に皺を寄せた。
「アーク兄さんを捕らわれたままにしたことや、精霊達の虐殺、同胞達の魂が呪いに転じてしまった事も全て……母さんが新たな女神を生み、その力を覚醒させるための父なる制約だったとしたら……」
双女神は全てを見通せるのだから、こうなる未来を知っていたはずだ。
精霊の虐殺に関しても、事前に双女神がオリジンに教えていれば回避できたはずだと当時の大精霊達はオリジンに詰め寄ったこともあった。
オリジンは双女神から何も教えられていなかった。それはつまり、双女神は分かっていても教えられないという事だったのだ。
女神にも制約がある。女神達にどうすることもできないのだから、自分達に何かできるはずもない。大精霊達は犠牲になった同胞達の悲しみを胸に仕舞うしかなかった。
「じゃあ、これらは全部必要だったってことかい」
「でなければモンスターテンペストが起きて死にかけたロヴェル兄さんが精霊界に来ることもないからね。そうなれば、エレンだって生まれないでしょう?」
宙に浮いたまま、リヒトと霊牙の総長は険しい顔をしていた。
同胞達の犠牲があったからこそ全てが繋がった。
そしてエレンが生まれ、女神として覚醒したのだ。
同胞達はそのための犠牲だったのかと思うとやりきれない部分もあるが、精霊としての役割で考えると大変名誉なことだという気持ちもあった。
そう思うのはアウストルも同じだったようで、天に昇っていく光を見つめながら「あいつらの叫びは無駄ではなかったということか」と呟いた。
「呪いの真実を知ったエレンは母さんにこう言ったらしいですよ。“人間よりも今を生きる精霊よりも、囚われたままの同胞達の願いを聞きたい”と……」
「……姫さんらしいな」
心優しいエレンがこの真実を知ったら、きっと大泣きするだろう。
「エレンに言ったらダメだからね?」
「言うわけないさ。ただ、あの姫さんは自ずと知ってしまいそうなんだよなぁ」
「ああ……確かに、エレンはそういう子だ」
危なっかしくて目が離せない、心優しい小さな女神。
怒ると手がつけられないほどに大きな事をしでかすけれど、最後は慈悲を忘れない。
「何もないといいんだけど……」
思わず口をついて出た言葉に自分自身で驚いて、リヒトは苦笑した。
それはアウストルも同じだったようで、「あっはっはっ」と大笑いしていた。
「姫さんは最後に何かやらかすからな~」
「……ん?」
だから、双女神が待機するようにと言っていたのかもしれない。
そう思ったら、二人してエレンが心配になってきた。
「大丈夫かな……」
「ま、まあ、なるようにしかならねーよ……」
不安に駆られてきた二人に、他の霊牙のメンバーまでぎょっとする。
その予感が当たってしまったのかは分からないが、二つの大きな存在が急にリヒト達の側に現れた。
「なっ!?」
驚くのも無理はない。ヴァールとヴォールが慌てた様子で転移してきたのだ。
双女神はエレンの側に向かって急いで飛んでいく。そのただならぬ様子に、リヒト達も双女神の後をついて行った。
「エレンちゃん、ダメよ! その魂は浄化しなければならないの!」
「壊れた魂を選定してはダメよ!」
双女神がエレンに向かってそう叫ぶ。
しかし、もう遅かった。