震える手。
エレンの泣声に驚いたヴァンとカイは、急いでエレンの元に駆け寄った。
護衛達を無事に全て転移させたヴァンは、力を使い過ぎて荒い息を吐いていたが、エレンの側にアミエルやガディエルがいようとも急ぐ。それはカイも同じで、ようやくエレンの側に行けると二人は走った。
「姫様ッ!」
「エレン様!」
ヴァンとカイが叫ぶが、エレンは気付けない程に取り乱していた。
ガディエルと呼び、起きてと何度も言いながら泣いていた。
「エレン様、落ち着いて下さい」
「カイ君どうしよう……ガディエルが……」
エレンはぼろぼろと涙をこぼしながら、縋る様にカイを見た。それに少なからずの嫉妬を覚えない訳では無かったが、カイは直ぐ様ガディエルの息を確かめた。
カイはヴァンクライフト家で騎士としての訓練を受けていた。その中には応急処置なども含まれる。
本来、騎士となった者は戦う事だけを叩き込まれる。治療はそれこそ治療師の役目だった。
これはエレンが筆頭になって見直した制度の一つだった。戦う事も大事かもしれないが、エレンは生き残る事こそが大事だと皆を説得したのだ。
治療師が負傷した者全員を治療できるはずがない。数少ない治療師の負担を減らしながらも、皆が生き残る術を模索する。モンスターテンペストを経験していた者達は、その通りだと頷いたのだった。
「エレン様、落ち着いて下さい」
カイはエレンの背中を擦りながら、ガディエルの息がある事を伝えた。
「大丈夫です。王子は生きています」
「でも……!」
無事なはずが無いとエレンはぼろぼろと泣いていた。エレンのその確信めいた言葉にカイはどこかで引っかかりを覚えつつも、エレンを落ち着かせようと懸命になだめていた。その間も、カイはガディエルが他に怪我をしていないかなど調べている。
精霊で治す事はできますかと遠回しに聞くと、ヴァンが呪われた者を治療したがる精霊がいると思うのかと心底嫌そうな顔をして返事をした。
森には静寂が戻っている。アミエルは見た事も無い様な金属めいた球体の中だ。
しかしガディエルを放っておく事はできない。護衛を転移させたように、早急にガディエルも転移させ、城で治療をするべきだとカイが言おうとしたときだった。
突如ヴァンの鋭い視線が一点を見た。怒りと共に警戒を丸出しにして、一瞬で周囲の空気が変わった。
これにカイも警戒して剣を抜いた。エレンとガディエルを庇う為にヴァンと共に前に出た。
「何者だ! 出てこい!!」
ヴァンの怒号と共に、周辺に突風が吹き荒れる。
ヴァンが放ったかまいたちが周囲の木々を一瞬でなぎ払った。それは不自然に周囲の木々を切り倒す。まるでドーナツのような円をぽっかりと描き、中央にだけ数本の木と茂みが残っている様な有様だ
カイは少しばかり呆れた。時折ヴァンは、こういった器用な事をする。中央の茂みには、それこそ隠れたものがいるということだろう。
黙ってカイは腰に忍ばせていたナイフを一本するりと鞘から抜き取り、くるりと回転させて一瞬で茂みに向かって放った。
カキンッ、と直ぐ様弾かれる。その太刀筋で手練れだと直ぐ様見抜いたカイが警戒を強めた。
「これはこれは……まるで丸裸になった気分だ」
くすくすと笑う、青年の声がした。その声は酷く楽しそうで、場違いにも程があった。
がさりと茂みから出てきた人物は、切れ目黒髪の二十代前半の青年だった。その直ぐ横から、厳つい男性が青年を庇う様に前に出てきた。
少し離れた場所では、数名の者がこちらを警戒して様子を窺っている者がいるのも分かった。
「どうかお下がり下さいませ」
「何を言う。大精霊様が出てこいと命じて下さったのだ。従うのが我々の使命である」
青年はヴァンを見た。そして、エレンに目をとめる。そして青年は心底嬉しそうな顔をして、にっこりと笑った。
急に出てきた人間達の姿に、エレンは泣いていたのも一瞬忘れてぽかんとした。
そこでようやく、己がいかに取り乱していたのか自覚する。落ち着けと心の中で何度も言い聞かせるが、手の震えは止まらなかった。
ガディエルは息があるものの、何かが欠落しているのが感じられた。
エレンが惹かれたものが、ここに存在していないのが痛い程分かってしまった。
それを思うと、胸が張り裂けて涙がこぼれそうになる。だが、使命を思い出す。
そうだ、自分は女神なのだと。そのために、ここに来たのだ。
改めて周囲をぐるりと見渡した。震える手を、己を叱咤する様に、ぎゅっと拳を握った。
そして目の前の青年達を見る。一瞬でこの状況から青年が何者かを洗い出した。
いつもやっている事だ。聞かずとも、先に思考し推測する。そこから答えを抜き出して、答え合わせの様に一つずつ照らし合わせるのだ。生前から刷り込まれていたではないか。
どうして貴方がここにいるの? と思わず聞きそうになった。
そんな事など、聞かずとも分かるでは無いか。
黙り込んでいるエレンに、青年は胸に手を当てて、敬意の礼をした。
「危ない所を助けて頂き感謝します。大精霊様々にお越し頂けるなんて夢の様だ」
エレンは黙って聞いていた。ただ、無表情に青年をずっと見ていた。
青年は目の前に立つヴァンやカイには目もくれず、ただエレンだけを見ている。それだけで、異常だと誰もが気付くだろう。
エレンの見た目はとても綺麗な少女にしか見えない。今の状況は、警戒した大人が子供を庇っている図にしか見えないはずなのに、大精霊だと言い切ったヴァンには目もくれず、エレンだけを真っ直ぐに見ている。エレンがヴァンの上に立つ者だと知っているのだ。
「ところでそこに倒れている者は怪我をされているのですか? こちらで手当てをしましょう」
にっこりと、その口からまるで毒の様な善意を吐く。
負傷していると分かっていながらその身を案ずるでもなく、異常なまでに笑い続ける青年に、エレンは無表情に言った。
「いらないわ。貴方に渡せば、それこそ無事なはずがないもの」
きっぱりと言い切ったエレンに、青年の口元は歪んだ弧を描いた。
「お初にお目にかかる。精霊姫」
「そうね。ヘルグナーの王様」
まるで舞踏会で姫に挨拶をするかのように、ヘルグナーの王ことデュランはエレンの前で優雅な礼をしてみせた。