決死の覚悟。
時は少し遡り、ヘルグナー国では報告を受けたデュランが険しい顔をして黙り込んでいた。
テンバール国に送った草から送られてきた情報には、黒い猫の精霊が現れ、テンバール王が動いたとあったのだ。
(よもやローレ様が……)
テンバール国は精霊の加護が無い。精霊の力を借りるとすればヴァンクライフト家が動くかそうでないかで分かれる事は容易に分かる事だった。
しかし、ヘルグナー国に来た呪われた者の存在に怒り、己に言うでもなく直接テンバール国に呪われた者を引き取れとローレが情報をもたらしたとすれば、デュランはローレに完全に見放されたという事だろう。
(…………)
弟が死んでから全く姿を見せなくなってしまったローレが、テンバール国の肩を持つ。許せることでは無い。
予測していなかったわけでは無かった。だがローレ自身がこの国を裏切るとは信じたくなかったのだ。
もしかしたらこの一件で姿を現すかもしれないという希望も持っていた。そのためにあの女を仕組んだのだ。
どういうことだと自分の元に現れてくれることを祈っていた。そうすれば、ローレの願いを望みのまま叶えたというのに。
「出るぞ」
「はっ」
剣を手にしたデュランはどこへ行くとも告げずに乱暴に扉を開けた。側近のオルガスは主人の後に続く。
こうなってしまえばあの女は用済みだ。怒りの矛先をそちらへ向けて、自らの手で終わらせてやろうとデュランは怒りに燃えていた。
***
吹き飛ばされた闇の一部達は、蠢きながらアミエルの元へとゆっくりと戻っていった。
くぐもった声でアミエルはぶつぶつと何かを言ってる。それは恨み言の様にも聞こえるし、助けてと言っているようにも聞こえた。アミエルの意識と、王家の呪いとなった同胞達の魂の叫びが混ざって聞こえてくる。
エレンはロヴェルが無事に精霊界へと戻された事に安堵を覚えていた。これで問題は一つ片付いた。次はこの子だとエレンはアミエルを睨み付ける。
「姫様ッ!!」
慌てて転移してきたヴァンとカイが現れた。カイはまだ青い顔をしていたが、アミエルを目にした途端、きりりと表情が改まった。
「エレン様、ご無事ですか!」
「ヴァン君、カイ君、気をつけて!」
また襲いかかろうとする闇を、エレンは岩の塊を瞬時に造り出してぶつけて吹き飛ばす。ロヴェルが庇って後方にやっていた人間達は、何事かと目を丸くしてこちらを見ていた。
その中に一人だけ、こちらを見て叫ぶ人物を見つけて、エレンは慌てた。
「エレン!!」
「こっちに来ないで! ヴァン君、彼等を早く安全な所へ!」
アミエルの周囲を岩で囲み、今のうちに早く逃げてとエレンは叫んだ。
ヴァンは命令通りに次々に護衛達を捕まえては転移させていく。カイもエレンの側に駆け寄ろうとしたが、唇を噛みしめながらもエレンの願い通りに精霊術を使って彼等を庇っていた。
だが状況が上手く飲み込めていない為か、ガディエルだけはエレンには近付かない様にしながらも、ロヴェル殿は!? と叫び返してきた。
「父様はダメなの!」
説明している余裕が無い。意識がガディエルに向いてしまっていたせいで反応が遅れてしまった。
その隙を逃さず、アミエルは纏っていた岩を力を爆発させて吹き飛ばした。
「きゃあ!」
爆音に思わずびくりと顔を背ける。少し離れた所で、皆のエレンの名を叫ぶ声が聞こえた。
『じゃまばがりじで……わたぐしの、じゃま、ばっがり……』
濁り、くぐもった声が闇と共にゆらりと動く。まずいとエレンはこの場から転移しようとしたが、闇から一本の長い腕がエレンを逃がさないとばかりに瞬時に伸びてきて気が逸れた。
「エレンッ!!」
ガディエルは走った。脇に差していた剣を一瞬で抜き取って、その腕に振り下ろす。
「ガディエル……!」
切られた腕に怒り、アミエルはガディエルに向かって次々に腕を伸ばしていった。
それに負けじとガディエルも剣で次々に切り伏せていく。ガディエルは叫んだ。
「止めろアミエル! この様な事をして何かを得られるはずが無い!」
『がで、え、るうゥゥゥ……!』
怒りの矛先がガディエルと移る。このままではガディエルが危ない。エレンがダメだと叫ぼうとした瞬間、それは起こった。
側に近付きすぎたのだ。ガディエルを纏っていた呪いが、エレンの存在に気付いてしまった。これに慌てた二人の気配にアミエルは直ぐ様気付き、にやりと笑いながらエレンに向かって一気に無数の手を伸ばす。
「やめろおおお!!」
ガディエルはアミエルを背に、エレンに覆い被さって庇った。
エレンはガディエルに抱きしめられて、目の前の光景を呆然と見ていた。必死に耐えるガディエルから呪いが吹き出す。
思考が真っ白になってしまって動けないエレンに、ガディエルは耐えながらも言った。
「我々王家は君に無茶ばかり……本当にすまない……」
「……ガディエル」
「変えられると聞いた。その望みがあるならば、俺は……君に……」
途端にガディエルから吹き出ていた黒い呪いが薄れて白く光っていく。何事かとエレンは目を見開いた。
「お前達もお前達だ! いつまでも助けを請うばかりで全てを彼女に押しつけて!!」
怒るガディエルはエレンを抱きしめていた腕を放し、またアミエルに向かって離さなかった剣を握りしめ、走り出す。
アミエルから吹き出る闇に全身が包まれようとも、構わずガディエルは剣を振りかざした。
「ガディエル!!」
エレンの叫びと同時に、ガディエルの剣はアミエルののど元に突き刺さる。
これに一気にアミエルの闇の動きが止まった。ガディエルを包み込んでいた黒い闇が一気に蒸発すると、そこにはうっすらと光る呪いが、まるでガディエルを守る様に包み込んでいたのだ。
「え……?」
何が起きたのか判断できない。エレンは呆然としつつも、状況を知ろうと必死に頭を動かそうとするが、嫌な予感が拭いきれず身体が震えて動かなかった。
「やめて……やめて……」
アミエルは一時的に動きを止めたものの、のど元に突き刺さった剣を抜こうと必死に暴れ回りだす。
その時、アミエルの闇がまた吹き出し、ガディエルを覆った。
「やめてーー!!」
涙混じりの声でエレンが叫ぶ。ガディエルが無事であるはずが無い。
エレンは力の限り周辺の粒子を操作して、弾き飛ばす様に一方に爆発させる。それに気を取られたアミエルの闇は、ガディエルから一斉に退いた。
エレンはその隙を逃さずにアミエルの周辺を物質で固めて閉じ込める。今度は同じ轍は踏まないとばかりに厳重に施した。
空中にはアミエルを包んだ丸い球体だけが出来上がる。静寂が生まれたが、エレンの心臓は早鐘を打っていた。
ガディエルは地に伏せている。その身体は動かない。
「ガディエル……?」
ガディエルに先程抱きしめられた。触れられた事実を確認するように、エレンはそっと伏せたガディエルの肩に触れた。
精霊の呪いはどこにも感じられない。触れられる事に喜びを感じながらも、その肩を揺すった。
「ガディエル……」
魔法でガディエルを少しだけ浮かせて、仰向けにするが、その目は閉じられたままだった。
「ガディエル……っ」
何度も何度も呼びかける。
涙がぽたぽたと頬を伝った。
無事であるはずが無い。呪いの正体も、アミエルの闇も、全て同じものであり、そしてそれは、ガディエルの魂さえも同質のものなのだ。
「いやあああああああ!!」
静寂は、エレンの泣き叫ぶ声で引き裂かれた。