アミエル。
ガディエルは目の前のおぞましい光景が信じられなかった。従姉妹と一緒に育ってきた過去の光景が脳裏に過ぎり、それが痛みとなって胸を抉る。
アミエルの安否を心配していたが、陛下の胸中を聞かされて己の耳を疑った。
もたらされた情報から段々と裏付けられていくアミエルの裏切りに、戸惑いは悲しみに変わっていく。どうしてと問いたかったが、目の前の光景が真実なのだと頭のどこかで声がした気がした。
「アミエル……!!」
ガディエルが叫ぶと、それに慌てたロヴェルが前に出た。
「殿下、後ろへ!」
アミエルから放たれる呪いの波動がロヴェルの顔色を悪くさせていた。周囲の者達は呪いの波動よりも、そのアミエルの姿を目の当たりにして青ざめている。
黒い靄に包まれたアミエルの身体。濃い霧なのかと目をこらせば、無数の小さな手が蠢きあい、まるで助けてと手を伸ばしてるかのようにも見えた。
この場に居合わせた誰もが吐き気を堪える様な顔をしている。ロヴェルは頭に鳴り響く警鐘が頭痛となっていた。
「お父、様……」
アミエルの目は酷く濁っていた。結膜部分は闇に包まれたかのように黒く染まり、血に濡れた様な角膜がロヴェルを捉えた。
「私は君の父親では無いと言っただろう」
ロヴェルは冷淡に返すが、内心では冗談では無いと憤っているのが透けて見えていた。
ガディエルは陛下より、アギエルがロヴェルに今まで何をしてきたのか聞いていた。ロヴェルがアギエルの所業に長年耐え続け、モンスターテンペストの前線に向かったその後ろ姿を、今の姿と重ねずにはいられなかった。
アミエルはモンスターテンペストの原因となる可能性があった。今、ロヴェルはまたその前線に立っている。
ガディエルは拳を握る。王家は目の前の背中に、厄介事を当たり前の様に押しつけ続けていた。このまま庇われていては、昔と何も変わらない。
「ロヴェル殿、どうか」
変わると決めた。変わる可能性があると言われた。
ここで英雄の背中に庇われて立っているだけならば、誰にだって出来ることだった。
何かが変わるための可能性が己にあるならば、己が変えて見せなければならない。
「殿下……?」
不思議と身体の震えは無かった。ガディエルはロヴェルの肩を掴んで、どいて欲しいとお願いする。
ガディエルの様子に何か感じたのか、眉間に皺を寄せながらも、ロヴェルは少しばかり後退して場所を譲った。ガディエルはただ、アミエルを見つめて言った。
「アミエル、それがお前の望みだったのか」
「……ガディエル。どうしてお前がここにいるの」
「自分が何をしでかし、どうして私がここにいるのか分からないとでも言うつもりか?」
「……ああ、そうね。そうだったわ」
ゆったりとした動きでアミエルはガディエルを見た。そしてにやりと笑った。
「お前達を殺したかったのだもの」
アミエルの言葉で、ガディエルの護衛達の怖気づいていた空気が一瞬で変わった。本来の役目を思い出し、剣の柄に手を当てながらアミエルを敵として睨み付けた。それをガディエルが制して話を続けた。
「そんなに……恨まれていたのか」
「そうね」
「どうしてそこまで……」
ガディエルの哀れみに気付いたのか、アミエルは一瞬で激高した。
「どうしてですって……!? お前達はわたくしから全てを奪っておいて何を言っているの!?」
「奪う……?」
「お母様もお父様も……わたくしの威厳でさえも!!」
ガディエル達は眉を寄せた。
「叔母上がなぜ裁かれたのか……理解していないのか?」
「裁く! 裁いたわね!! お母様は王族として当然のことをしていただけなのに!!」
「当然だと……!? 度重なる浪費に誰が苦しんでいたのか分かっていないのか!?」
「誰ですって!? 誰だろうと、わたくし達のために尽くして当然よ!!」
「なんだと……!?」
ガディエルはアミエルの主張に怒りが込み上げる。拳を握って耐えようとしていると、アミエルは鼻で笑った。
「本来だったらお母様はお父様と結ばれるはずだったのよ。それを邪魔しておいて、お前達は更にお母様をその男の元へ押しやったわ」
サウヴェルを見つけて、アミエルは忌々しそうに言った。
「お母様の苦しみが分かる? それを発散しようとしてお金を使っていただけよ。でもそれは民を動かす力となるわ。物を買えば、民は仕事が増えるじゃない」
「限度があるだろう!! お前達の使い方は異常だった!!」
「王族なのだから当たり前じゃない! それなのにお前達は断罪だとわたくし達を引き離してお母様を塔に閉じ込めたわ!」
そこまで言ってアミエルは心底嫌だといわんばかりの顔をしてガディエルを見た。
「お前達の押しつける善意というものが気持ち悪いのよ!!」
「え……?」
「更生ですって? お母様の様にはなってはいけませんよ? お前達こそ何を言っているの!?」
「アミエル……?」
「王族として当然の事をしていただけなのに!! わたくしのお母様を、お父様を奪っておいて……お前達こそわたくしにとって悪人よ! 忌々しいったらないわ!!」
アミエルの怒りに触発されて、身体を包んでいた靄が一気に広がり始める。
これにまずいと感じたロヴェルは、精霊に念話で一斉に退避を命じ、他の面々にも下がるようにと指示を出した。
「民を苦しめておいてなんて言いぐさだ……」
「苦しめる? 何が苦しいというの? 民はわたくし達の言う事を聞くのが仕事よ!! わたくし達を敬わない者など死んで当然でしょう?」
「なんだと……」
「そうよ、死んで当然だわ。だっていらないもの。わたくし達を追いやったお前達もいらないわ」
アミエルの主張に皆は絶句していた。
「そんな理由で……民を危険に晒したというのか」
「危険? いらないものを処分しているだけよ。ヘルグナー王も、いらないと仰っていらしたわ。そうよね、まがい物だもの」
くすくすと笑いながらアミエルは更に言った。
「直系が死ねば精霊の呪いだって解かれるかもしれないじゃない。それにお父様とお母様が結ばれれば、呪いは絶対に解けるわ。だってお父様は精霊に認められているのだもの。どうしてそれが分からないのかしら」
アミエルの言葉に、サウヴェルはそれは絶対に無いと反射的に思っていた。むしろオリジンの事を思えば、確実にテンバール国は滅びを迎えるだろうとも。
ロヴェルはもう隠し通せない程に嫌悪を丸出しにして呟いていた。
「本当に似ている……気持ち悪い程に」
姿だけではなく、思考も話し方も全てがアギエルとそっくりだった。
自分中心で他の事など考えもしない。それが当然だと言い放ち、慮りもしない。
「そうだわ! ガディエルの首をヘルグナー王に差し出しましょうよお父様! そうすればお父様はヘルグナー国の英雄になれるわ!!」
良い事を思いついたとばかりにアミエルが言った直後、どこからともなく畏れを抱くほどの怒りの波動が伝わってきた。
(……!?)
ロヴェルは思わずぞくりと全身に悪寒が走る。
一体どこからと思考がそちらに向かってしまい、反応が遅れてしまった。
「お父様、アミエルと一緒に行きましょう。お母様も待っているわ」
一気に解き放たれた呪いの波動に、ロヴェルは慌てて結界を張る。
「一旦引け!!」
アミエルはロヴェルに向かって靄を伸ばすが、結界に阻まれて苛立った。その苛立ちをぶつけるように、アミエルは結界に波動を勢いよくぶつけ続けた。
この衝撃にロヴェルは目を見開く。瞬時にまずいと分かってしまった。
「急げ!!」
結界にピシピシと亀裂が入るのが分かった。
まさかという思いがロヴェルに隙を作る。だが皆が退避するまで引くわけにはいかなかった。
パリン、と割れる音がした。
その割れた亀裂に衝撃が走り、そこから靄が一気に侵入してきた。
ロヴェルは目の前に迫る闇を、ただ見据える事しかできなかった。