アが付く人より上を行く敵との遭遇。
水鏡で見るテンバール王国の城の外見は、ドイツ三大名城の一つ、ホーエンツォレルン城に似ている。この城はドイツの天空城と謳われている程に、美しい城であった。
レポーターが世界中を旅しながらクイズを出す番組が大好きで、小さな頃からずっと見ていた。特にヨーロッパの街並みが大好きだったのだ。
南ドイツにあるこの城は山頂にあり、周囲が雲に隠れると、まるで雲海の中に城がある様な佇まいになる事で有名だ。
この城は森に囲まれている。夏は木々で青々とし、冬場は雪に覆われるこの城からの眺めは、想像するだけでも夢馳せるだろう。
そう、このテンバールの城も街の中央に城があるというのに、周囲は森に囲まれているというちょっと他では類を見ない城だった。
小高い丘に城を構え、その周囲は森に囲まれている。森を抜けてから外壁、外堀という規模を誇る城である。森は城の庭的な存在なのかもしれない。
私は生前、城に限らずヨーロッパの街並みと外国の風景が大好きだった。特にファンタジーはヨーロッパの街並みを模して造られている話が大好きだ。昔のファンタジー小説が映画になる度に映画館に足を運んだ。そのモデルとなった国や城を見るのが大好きだったのだ。
己が研究者になった理由もここから来ている。ファンタジー金属である、ミスリルやオリハルコンという金属に興味を持ったせいだ。
新しい元素が作り出される度に、ミスリルなども夢じゃないと期待に胸馳せていたのを思い出す。
それが、今じゃ司る精霊にまでなっているのだから、人生って何が起きるか分からないなと遠い目をしてしまったのはここだけの話。
母と共に住んでいる精霊界にあるこの城も、興奮して2歳で魔法を試しまくって、終いには空を飛ぶまで至り、調子に乗って冒険しまくって迷子になりまくった。
父と母が慌て、城にいる精霊総出で探された思い出が幾度とある。探検の邪魔をされてたまるかと隠密行動や証拠隠滅が得意になる2歳児を想像して欲しい。両親の溜息が思い出されてしまうのは気のせいだ。
そんな数年前の記憶を思い出しながら水鏡で城の様子を夢中で見ていると、母に「敵城の視察かしら?」と微笑まれた。
かーさま、それはちょっと不穏過ぎやしませんか。私は純粋に楽しんでいたんですけど。
気を取り直し、父に頑張ってと水鏡の向こうから応援した。
***
城では英雄が帰ってきたと大騒ぎになっていた。浮き足だった使用人の姿に、英雄がどの部屋に通されているのか分かってしまう程だった。
その勇姿を一目見ようと人々が押し掛け、根も葉もない噂が飛び交っている。気が高ぶった者達が城へと進入したりと、兵士は休む間もなく走り回っていた。
謁見の時間はまだ先だというのに、民の興奮した姿を兵士から伝え聞く度に王は冷や汗をかいていく。足は震え、体温はどんどんと下がっていった。
「陛下」
声を掛けられて、王は思わずビクリと震えた。
「ラ、ラヴィスエル……」
ラヴィスエルと呼ばれた男はにこりと微笑んだ。
ラヴィスエルは今年32歳になるテンバール王国第一王子である。子供は既に三人いた。
王太孫に当たる王子が二人。王女が一人。長男が12歳、長女が10歳、次男が9歳であった。
5歳差のロヴェルとは、8年制の貴族学校での先輩と後輩に当たる。
ラヴィスエルはその能力の高さから、ロヴェルを特に気に入っていた。妹の婚約者に推し、ロヴェルを弟にしたかった程に。
10年前、精霊界に行ったまま行方不明だったロヴェルが戻ってきたと聞いて、ラヴィスエルはとても機嫌が良かった。
謁見の時間が次第に迫ると、王の様子が段々とおかしくなっていった。それに比例してラヴィスエルの機嫌がとても良くなる。
玉座の直ぐ横へと足を運び、王の耳元で囁いた。
「ロヴェルは陛下を赦さないでしょう」
くすくすと笑うラヴィスエルに王は真っ青になった。
「陛下、ロヴェルの力は国にとって非常に重要です。彼をこれ以上怒らせてはいけません」
ラヴィスエルは笑顔であるはずなのに、その目は笑っていない。
「私はあの時、陛下に進言したのを覚えていますか? アギエルの言う事をまともに取り合ってはならないと。だが周囲の声に唆され、貴方は面倒事と共にアギエルをヴァンクライフト家へと押しやった」
当時を思い出しているのだろう。王は頭を抱え、ぶるぶると震えたまま何も話さない。いや、話せなかった。
「ロヴェルが帰還し、家にあの女がいたらどうなるか……。この様な事態など簡単に想像できたでしょうに」
ヴァンクライフト家は民衆の間では英雄だ。
そんな家に王家でも問題児のアギエルを与える事がどんな意味を持つのか。
ただでさえ、アギエルの不興を買い、モンスターテンペストの最前線に押しやられるという事は、死刑宣言と同等の意味を持っていた。
案の定、当時の当主と跡継ぎを相次いで失ったというのに、更にその原因を兄から弟へと押しつける王。
その後もアギエルの所業でヴァンクライフト家は火の車と化す。領地では、民からの王家に対する反感が高まっていた。
モンスターテンペストから王都を守り抜いた家を、王が蔑ろにして潰そうとしているという噂へと発展するまでにそうかからなかった。
王は民を守った家に対してこのような行いをするのかと、王の人気はこの10年でかなり酷くなっている。
部屋には王とその息子しかいない。この話を聞いている者は誰もいなかった。
「陛下、逃げ道が一つだけあります」
笑顔でそう進言するラヴィスエルに、ハッと王は顔を上げた。その顔は藁をも掴む思いであるらしく、必死な様子が見て取れた。
「ええ、とても簡単なことで、この場を切り抜けられますよ」
ラヴィスエルは口角をつり上げた。
***
王の御前で佇むロヴェルに、王は声を引きつらせながら無事に帰ってきた事を労る。
この国を守ってくれたこと、民を守ってくれたこと。
ロヴェルの功績を口にする度に、王は己のした所業の残酷さを自覚した。
「……何か褒美を取らせたい。望みはあるか」
「僭越ながら二つほど御座います。と、言いましても物ではありません」
「……申してみよ」
「私家族への王家の干渉の制限と、弟であるヴァンクライフト家当主、サウヴェル・ヴァンクライフトの離婚調停の場へ、親族としての同席をして頂きたく、お願い申し上げます」
ロヴェルの言葉に周囲はざわりと揺れた。
ヴァンクライフト家は、王家を見限ったと捉えられても仕方のない内容であった。
「……ロヴェル、それは」
「僭越ながら」
王の言葉を遮ったロヴェルに、また周囲がざわりとなる。王の言葉を遮るということは、不敬どころの話ではない。だがロヴェルの佇まいに周囲は飲まれていた。
ロヴェルの尋常では無い、静寂な怒りが伝わったのだ。
「離婚を願い申し出ているのは、サウヴェルの妻であるアギエルの願いです」
この言葉で、王家の方がヴァンクラフト家を見限った、という認識に一瞬で変わった。
王家から国の象徴でもある軍のトップを誇る家を敵に回したのだ。
これに周囲の貴族は騒ぎだした。内部抗争勃発の宣言と同じだ。一気に周囲がきな臭くなる。
ここまで国に尽くした良家を蔑ろにした王に対して、他の貴族からの目線も酷く辛辣なものになった。明日は我が身だと思ったのかもしれない。
ロヴェルに見捨てられれば、国境でくすぶっていた戦火は一気に全土へと広がるだろう。
英雄の帰還だと喜ばしい祝事の筈だったのに、どういうことなのかと他の貴族達は王に説明を求めた。
「待て!! アギエルが離婚を求めている理由はなんだ!」
「他の男の元へ嫁ぎたいとのこと」
アギエルの不貞だと捉えられる発言に、王は更に慌てた。
「それはお前ではないのか、ロヴェル」
アギエルが不貞に走った原因はロヴェルにあると王が攻めるが、ロヴェルは笑顔で言った。
「私は10年前、アギエルと婚約破棄をしています。それが受理されたからこそ、アギエルはサウヴェルと結婚した。私も10年、精霊界から出ておりません。だがアギエルの子、アミエルはサウヴェルの子では無いと、アギエルが我が家の使用人を含む皆の前でそう宣言しました」
大勢の前で告白されたそれは、もう王家の恥どころの話ではない。
アギエルの不貞はヴァンクライフト家とは関係ないということだ。
これに王は真っ白になってしまった。
周囲の貴族は一気にヴァンクライフト家へと付いた。
説明を求めるとの周囲の罵声に、王は呆然とし、何も発することが出来ない。
だが、王の前に立つ者が現れた。
「……殿下」
誰かの言葉が周囲に満ちると、自然と罵声で満たされていた周囲に静寂が戻る。
誰も声を発さなくなった所で、ラヴィスエルが口を開いた。
「王に代わって私がロヴェルの言葉を聞こう。王は愛しいアギエルの所業に心を痛めている」
堂々としたその佇まいは、既に王の貫禄が備わっていた。その姿に、ロヴェルは眉を寄せる。
「ロヴェル、王家はロヴェルの主張を叶えると宣言しよう。だが、少しばかり譲歩をして欲しい」
「譲歩、とは?」
「君の家は我が国の戦力としてなくてはならない存在である。王の為ではなく、民のために。その力を貸して欲しい」
痛ましげな顔をして懇願するラヴィスエルに周囲は一瞬にして飲まれた。
相変わらずだとロヴェルはまるで苦虫を噛み潰したような顔をする。
王家の中でもアギエルが大っ嫌いだったが、兄に当たる「これ」こそが、ロヴェルの人生における最大の敵であった。




