朗報。
カイはこちらをじっと見つめたままエレンの手を愛おしそうに握っていた。暫く互いに見つめ合っていたが、次第に頭は冷静になってくる。
今まで自覚していなかったが、たった今エレンはカイに告白されたのだ。そのことに段々と自覚が芽生えてきたのか、エレンの頬が次第にほんのりと染まっていった。
次第に見つめられているのが恥ずかしくなってカイから視線を逸らすと、カイからフッと笑う気配がした。
その空気はとても優しいものだった。断られたというのに、カイは根に持っていないどころか全て包み込むような優しさを見せてくれている。好意を向けられていたのは純粋に嬉しい筈なのに、それを断ってしまった自分に嫌悪感と罪悪感がのし掛かった。
だが、仕方ない事なのだと理性が告げていた。このまま好意を受け取っても、別れは間近だったのだ。
「姫様、お待たせ致しま……」
突如、部屋に戻ってきたヴァンの気配にハッと顔を上げると、こちらを無表情で見ているヴァンと遭遇した。その目線はカイとエレンの繋がれた手に注がれている。まるで緩やかに沸き起こっている怒りと比例しているかのように、その目を細めていった。
「小僧……よもや我の居ない間に姫様に何か……」
地を這うヴァンの声に、エレンが慌てて釈明した。
「ち、違うよ! カイ君は励ましてくれてただけだよ!」
「……さようでございますか?」
こくこくと頷くエレンにヴァンは渋々納得する。カイは何で信用ないんだと呟いていると、それに対してヴァンは鼻で笑った。
「小僧の考えている事など筒抜けだからだろうな」
「え……」
「契約した者同士は魂が通じやすくなるのを気付いておらんのか。まあ、我は小僧に筒抜けになるようなへまはしないがな」
「え……え?」
精霊は人と契約する際、相手の魂の質に惹かれる。お互いが契約する事によって強い絆が芽生えるのは、魂を構成する魔素を契約によって繋げるためだった。精霊が持つ力を、繋がった魂によって引き出して力を得るのだ。だがそれは時に、相手の強い感情に引きずられ影響を受ける事もある。それはつまり……
「小僧が姫様に不埒な想いを持っているのは明白。よもやこのような状況を顧みず姫様に何かしたのならば容赦は……」
「わああああ!!」
止めろよ! とヴァンを止めにかかるカイは、珍しく慌てていた。これにヴァンもびっくりして耳と尻尾がぴょこんと飛び出ていたが、顔を赤くして慌てているカイに釣られて、エレンの顔も赤くなった。これに目ざとく気付いたヴァンから殺気がほとばしった。
「小僧……」
「ちちちちがう!」
エレンを背後に押しやって、ヴァンが威嚇の声を上げた。このままではまずいとエレンはヴァンの袖を引っ張って、母様は何と? と話題を逸らす事にした。
これにハッとなったヴァンは、慌ててエレンに向き直る。大事な報告なのだろう。一瞬で意識を変えたヴァンの態度で緊張が伝わってきた。
ヴァンの意識が変わってくれてほっとしつつも、カイも気持ちを改める。
「これを姫様に渡して欲しいとオリジン様よりお預かりしました」
そう言って取り出したのは布に包まれた何かだった。受け取ってそっと包みを解くと、そこには銀細工を施された手鏡があった。
その鏡は普通の鏡では無く、水の様に揺らめいて何も映していない。
だがこれは、小さくとも精霊城にある水鏡と同じものだと直ぐに分かった。
「これは!」
驚いてヴァンを見ると、ヴァンは黙って頷いた。
これで向こうの様子を知る事ができるとエレンは泣きそうになった。
「母様……!」
「オリジン様は全てエレン様にお任せするとのこと。城の者も待機しております。御自ら動けない事を悔やんでおられました……」
「母様は今とても大事な時期よ。これは父様の娘として、女神としての私の役目だわ。だから母様、気にしないで」
手に持った手鏡に向かってそう言うと、鏡が揺らめいた。その先には今にも泣き出しそうに顔を歪めたオリジンがいた。
『エレンちゃん……』
「母様本当にありがとう!! これで向こうの状況が分かるわ!」
『これくらいしか出来なくてごめんなさいね……だけどロヴェルも心配ではあるけれど、エレンちゃんも心配なのよ……』
大事な家族が大変な事態に巻き込まれるという事で、周囲の魔素からオリジンは不安定な兆しが見えていた。それが分かって、エレンは余計に大丈夫だと力強く言った。
「母様、大丈夫よ。みんな傍にいてくれるもの」
『エレンちゃん……』
「人様の大事な家庭に勝手な言い分で無断で踏み込もうとする輩は……」
全力で潰します!! とエレンは拳を握って宣言した。
これに心強いと思ったのか、オリジンは少しだけ笑った。エレンは双女神から次期女神として試されている。それが分かっているからこそ、オリジンは何も出来なかったのだ。
『無理は駄目よ?』
「いえ、全力で頑張ります!!」
気合いを入れたエレンは、それではとオリジンとの水鏡を切った。これで向こうの様子が知る事が出来る。城の者もいざというときは待機してくれていると知って、俄然やる気が出てきた。
エレンは双女神に言われた事を思い返し、深呼吸する。
これから始まる事は、これからもずっと記憶に刻まれるだろう。
ヴァンとカイをちらりと見ると、二人も覚悟したかのように頷いて促してくれた。これに勇気を貰いながら、この先繰り広げられるだろう光景に覚悟を持って挑む。
「いきます!」
エレンは手鏡に向かって、父を想った。