『時空剣』
見失った?
『錬術』を発動した直後、煙すら立てずに消えたスフラ。姿勢はどこからでも、反応できるように、黒煙を滾らせ対応する。視線は上下左右。『虹瞬』の『精術』、瞬間移動系の効果があることは推測できる。
なら、どこからか姿を見せる――――? いや、それなら、わざわざ『精術』にする必要は? ワンアップした意味は?
思考に溺れる中、殺気が肌を刺激した。
黒煙が桃色の焔で燃やされ、健一の肉体まで焦がそうと迫る。健一は虹色の光を放った。
「消える能力か」
遠目に移る黒煙を飲み込む桃の熱。間一髪、『虹瞬』を発動させ危機を脱した。
「なら――――」
『フリースモークモア』を頭上に上げ回転。噴き出す黒煙は体全体を覆い出す。
『闇半月』
空間から突如として現れたドス黒い闇が健一の視界を奪う。闇はやがて、健一をドーム状に覆った。闇の鉄壁が隙なく、健一を護る。
空間が割れるかのような歪な衝突音が幾度も響く。音だけでなく、地鳴りとなり体にも伝わる。
きっと、『聖火剣』で何回も斬っているんだろうな。こっちから視界を塞いでいるから。もう、透明人間になる必要はない。全力で攻撃に集中できる。いや、しなければならないとわかっている。
さすがだな、スフラ。全てを燃やし尽くす焔。『闇半月』を破壊するだけなら一振りでこと足りる。闇に着火した焔は闇を燃やし尽くすだろう。それを何度も斬っているのは、時間を掛けるとまずいと判断しているから。
「『重力反転』」
小さな玉が『闇半月』を突き破り、空をぐんぐん昇る。太陽ほどの標高となるとピタリと止まり。不気味な閃光を放った。
「ここは……?」
スフラが間抜けな声を漏らす。
摩訶不思議な光景に一瞬、息をすることを忘れる。世界のどこよりも高く雄大なホワイトマウンテンは、絶望の巨大な隕石。戦争をうざったい青さで見守る空は地底に沈む。
世界が反転している?
1つの仮説を立証させるため。『聖火剣』を振るう。空へ、白石連なる山脈へ桃色の焔を放った。
放ったはずだった。
聖火は空へ放たれず地へ、足元を覆う空へと燃え広がった。快晴な空の中、ポツリ、ポツリと置かれた。白い雲に烈火の焔が食らう。
方向も逆?
今度は下に。聖火が空に放出させられた。
「本当にすごいな、スフラは」
声の主は頭上から、山の山頂が下、麓が上。上下逆になった山頂に、つまり逆さに健一は立っていた。
真下に放出された聖火。ベクトルは真上に。ホワイトマウンテンに、重力を無視して付着している健一に向かって、一直線に放出させた。
やはり、そう。この錬術は私の感覚を逆さにしている。
『聖火剣』から流れるピンクの焔を眺めながら確信する。同時に身の毛がよだつ。幼い頃から、記憶のあるうちから、剣を握っていたスフラ。身体に染み込んだ剣術、蓄積された何十年の感覚を狂わされる。動きは遅く剣筋は鈍り焦りも生まれる。なにより、この『重力反転』の恐ろしいは術を解除できない。世界全体に影響を及ぼす錬術。
「『錬術』の才能に関してはイノア以上ですね」
細く、猛禽類のような目で聖火の先、健一の一等一側に全身を集中させるが、健一は全く動く気配がない。
ルビーの瞳が見開いた。聖火の軌道が変わったからだ。焔は健一を大きく外れ、スフラから見て左に着火した。
「どうして――――?」
「『重力反転』の能力は、スフラが思っているとおりだよ。ほぼね」
そう健一はいうと、『フリースモークモア』を振った。
モクモクと滾る黒煙、行先はスフラの右。一瞬、どこを狙っているのという疑問を過ぎるが、黒煙の道筋を見て一遍する。
黒煙は右上、スフラをそのまま通過するはずだった。方向が変わったわけではない。曲がったわけでもない。いつの間にか、黒煙がスフラの真正面に迫っていた。
「『虹瞬』」
間一髪、数秒前までスフラの立っていたところはブラックホールに飲み込まれ塵すら残っていない。
「『聖火道』」
ピンクの焔は突き進む。健一の右側に。
この世界は今、傾いている。『重力反転』の効果は逆さになるだけじゃない、ベクトルを傾けている。空間が左方向にねじ曲がっているはずです。
スフラの推察どおり、聖火は突然に方向が変化し健一へと迫る。
「『重力反転・ランダム』」
またも聖火は行く手を変え、右に逸れる。道筋だけを辿るとまるで蛇のようにぐねぐねと曲がる。
なるほど、どの方向にベクトルを変えるか健一の思い通りってことですか。
神のごとく、能力を発揮する錬術。もう、スフラの頭に中には対処する方法はひとつ。
「ごめんね…………。イリリ」
さえずりのような呟きのあと。決意の眼差しを健一に向けた。
「『時空刃』」
呼び名に呼吸して、スフラの目の前に変化が生じる。何もなかった空間が緑と黒に色づき禍々しいオーラを放つ。そこに手を遣ると中から短剣を取り出した。
柄から刀身が漆黒に染まっているほかは単なる短剣。刀身の長さは20㎝、柄は15㎝ほどの軍から支給される一般的な形状だ。
「イリリ…………」
不思議と健一が呟いた。
あの短剣に何故かイリリの面影を感じた。髪色が同じであることだけでなく、短剣から漂うオーラがどこか既視感を覚える。意思が強く覇気があり、でもどこか儚い。いつも彼女から抱いていた感覚が全身を刺激する。あれはイリリだと。本能的に感じていた。
なにバカなこといってんだ! 俺は、あの短剣がイリリ――? そんなはずがあるわけない。第一、イリリは俺の手で…………。大丈夫かな、致命傷は避けた。でも、もう、兵士として戦うことは、それどころか全身に火傷が残って――――。
「本当にやさしいですね。ケンイチは」
「はぁ?」
戦闘中に意図のない言葉。疑問符を投げかける。
「イリリの致命傷を与えるのは避けてくれた」
「どうしてそれを!」
「でも、それが決定的でした。イリリも『虹瞬』を使えたのです。この山頂にも来たことがある」
イリリも『虹瞬』を。いや、それでもあの傷で戦闘に参加できるはずもない。
健一がそう結論づけた頃。スフラは神妙な面持ちで口を開いた。
「イリリは命をかけて私に力をくれました。実はね、健一を召喚するときに、いの一番に媒体になると進言したのはいつもイリリだった。ですから――――。今回も同じでした」
「同じ?」
「この剣は、この『時空剣』はイリリそのものです」
言葉の意味を理解するのにしばらく間があった。その間も短剣から見覚えのある感覚。ケンイチさんと、イリリの叱咤激励が聞こえてくるようだった。
「イリリを媒体にしてその『錬術』を――――」
喉から絞り出した声に、スフラはゆっくりと頷いた。
「ふざけるなよ! どうして、どうしてそこまで――――」
「もう、話すことなどないでしょう。いきますよ。ケンイチ」
『時空剣』を一振り。スフラの目の前が光り、空間が裂ける。
次の瞬間。
「ぐわぁぁぁあああ!」
絶叫がこだまする。悲鳴をあげた健一の右手は肉片もなく消え不思議なことに出血はない。まるで、元々なかったかのように右手を失い不思議と、痛みもない。感覚的には剣も握れそうだ。右手があった空間には緑と黒の斑点が宙を漂う。急ぎ、右腕を引くが不気味な空間は消えず徐々に体積を増やしていく。
何だこれは! いや、まずどうやってこの世界で攻撃を当てた?
『重力反転』は世界のベクトルを弄る能力。例え、『虹透化』など可視化不可能の攻撃だとしても狂ったベクトルに飲み込まれ届くはずはない。どこかで、狙った攻撃は逸れる。今、世界の重心はコンマ毎秒ごとに変化し、把握しているのは健一だけだ。
考えるのはあとだ。
素早く、謎の空間から距離を取り『フリースモークモア』で大振り、こぶしほどの黒煙を放つ。謎の空間に着弾すると、暗黒の渦となり空間を飲み込んでいく。縮小版の『ブラックホール』だ。
黒い闇は無慈悲に謎の空間を取り込む。
「なっ!」
狼狽の声を上げた。ブラックホールは周りの空間をひとしきり食いつぶすと、穴の開いた風船のように勢いよく萎み消え失せた。黒き影が消えたその空間。緑と黒い斑点は不気味なオーラを放ったまま、体積を更に広げていた。
「あり得ない! なぜ、消えていない!」
絶叫をするなか、空を斬る音が幾度も聞こえた。直ぐに視線をスフラに向ける。握っている短剣を縦、横、斜めと素振りのように振るう。もちろん、素振りなどしている暇はない。
「『虹瞬』」
回避は第一条件だ。左手まで失うと武器を振るうことや、『錬術』を発動することさえできない。
なるべく遠く。スフラが豆粒程に、それでも挙動を逃さない距離。瞬間移動した健一は器用に片手でフェバルと緑の小さな小瓶を取り出す。
「『超回復』」
半透明、薄い黄緑の膜が右腕の先。右手首を覆う。淡い発光のあと。綺麗に傷跡一つない右手が復元した。
よし、これで戦う準備はできた。でも、あの『時空剣』の正体を探らないと結果は同じ。また、どこかの身体がプッツンと斬られる。
奥歯で苦虫を噛むように表情を浮かべる。ブラックホールさえ効いていなかった。ブラックホールを押し返す。凌駕されるだったらまだ理解できる。
まるで、透明になったみたいにすり抜けた。いや、透明でもブラックホールは飲み込まれる。あれは空間全部を飲み込む。だから――――。空間全部を?
頭に何か違和感が過ぎった。解決の糸口をつかんだかもしれない。思考を進め、突破口を模索したい。だが、そんな時間は与えてはくれない。
雷が目の前に落ちたかのような轟音。本能的に目を瞑ってしまったのが命取りだった。心臓を撃つ音の正体は空間が裂ける音。緑と黒の斑点がひし形に広がり、中から綺麗な赤髪と宝石のような赤い瞳が覗いた。
「スフラ!」
目を開け思わず声を上げた。もちろん、思考に深けている間もスフラから目を外したわけではない。スフラもこちらに視線を合わせて様子見をしていた。あの斬りのレイジは短いと勝手に判別していたのかもしれない。
そして、目を開いたときには、スフラは既に短剣を振るった後だった。
痛覚がないのは非常に厄介だった。『フリースモーク』が落ちる。
落とした?
感覚はないが、落下に気づき振り返る。
「あぁぁあああああああ!」
健一の右手、左手、右足、左足が消滅していた。




