心臓の音
瞼の奥まで圧迫する強烈な光は徐々に萎む。ゆっくりと健一は目を開いた。頭は完全に混乱したままだ。また、異世界に召喚されたことはわかる。誰かを犠牲にして。ただ、何故スフラがまた自分を召喚したか理解ができない。
「えっ――――!」
視界に広がった光景に思わず声が漏れた。開いた口のまま、目を見開きそのあり得ない光景をまじまじと見つめる。天井はなく薄暗いどんよりとした雲が広がり、ヒビが幾多も広がる黒い城壁。同じくボロボロな床はひどく冷たい。健一はもうこの場所を知っている。
どうして、ルバ城に?
口をぽかんと開けたまま、周囲を見渡すと。そこには健一を更に混乱の渦に巻き込む男が座っていた。
「イノア!」
甘いマスクが歪む。健一と目が合うと何食わぬ顔をするが、目頭は真っ赤なままだ。
「どうしてお前が…………。なぜ俺はまたこの世界に…………」
「ゆっくりと説明はする。だが、その前に1つ答えてくれないか?」
「何を?」
「君はスフラにどうなってほしい?願えるならば、異世界の行く末に何を望む?」
突然の問いかけに戸惑いの色を浮かべるが、すぐに引き締まった顔に変わり。開口一番に口を開いた。
「そんなこと決まっている。俺はスフラとこの世界に――――」
王都から北に数十キロ時点、黒い服を着た集団は足並みを揃え更に北へと歩を進める。かつての『王都エリア』よりも更に北部。世界地図で示すと、大陸のちょうど真ん中に位置する。足音はやまびこのように響き渡り、兵士達は乱れることなく進軍する。これまでの道のりに『厄気』は1匹も出現しなかった。多くの『厄気』が葬られたことを示すが、残りの『厄気』はイノアの支配下に置かれていると見るのが妥当だろ。
もし、私がイノアの立場であれば――――。スフラの思考は加速する。先日の『厄気』軍による三方向同時攻撃は、戦争を終焉させるつもりだったのでしょう。最強の『厄気』黒龍を隠していたのが証拠。被害は尋常でしたがこちらは耐え凌いだ。イリリを始め、主力もまだ戦える。確かに、『厄気』となったイノアは人間のとき以上に強い。でも、みんなで戦えばイノアといえど一溜まりもない――――。
そんなことイノアはわかりきっているでしょう。ならば、まずこちらの進撃を防ぐことを最優先に。策はいくつか見当がつきますが、陣取る場所は1つ。攻めてくるこちらを一望でき、簡易的な城がある場所。ルバ城。この戦いも決するところは同じですか。
軍の先頭に立つスフラの足が止まる。見上げる視線。雪が積もったかのような真っ白い大地。急激な坂はどこまでも続く。ホワイトマウンテン、『厄気』の始めリの地であり、『厄気エリア』であった。門番である黒龍はスフラによって倒され、『厄気』を発生させる赤いコアはすでに消滅してようだ。だが、今はそんなものが可愛いぐらいに思える敵が潜む。
スフラは目を細めて、肉眼の限界まで細部を観察する。ホワイトマウンテンの麓には『厄気』の姿はない。しかし、ところどころ黒い霧が球体になって白い大地を隠す。『厄気エリア』ほどの面積はないが、あそこに何が、誰がいるのかはわからない。
「レンさんはあそこにいるのでしょうか――――」
隣のイリリが声を掛ける。スフラがレンを討ったあと、捜索隊を出したが、レンは見つからなかった。代わりにおびただしい血痕のあとが見つかった。地べたにへばりつき、蛇のとおり道のような血の跡が、ホワイトマウンテンの近くまで残っていた。
「わかりません。普通の人間なら死んでいます」
「鬼神なら――――」
「考えていても仕方がありません。心配しないで、ちゃんとレンさんが生きていることも想定して作戦を考えています。胸が苦しいですが――――」
「私も王女さまと同じ気持ちです。レンさんが神をこの目で見ていないから、兄さん側に――――」
そこまでいうとイリリの目が潤んだ。暖かい温もりがイリリを包む。スフラがぎゅっとイリリを抱きしめた。
「ごめんなさい。お兄さんとこんなことになって――――」
「やめてください。私は王女さまの願いに心底共感しています。掴んでください。あなたの願いを」
スフラとイリリがぎゅっと唇を噛む。心を汚しながら戦うのは何度目だろう。いや、戦いとはそういうものなのか――――。答えのない疑問を胸に秘め。スフラのルビー色の瞳が輝く。
「全軍進撃です!!」
スフラの最後となる、攻撃命令が響き渡った。
ホワイトマウンテンのいくつかの黒い霧。その中の1つに、健一は身を潜めていた。イノアから話しを聞いた。レンが死ぬ寸前で自ら望んで媒体になった。またも人の犠牲のうえでの召喚。健一には耐え難い苦痛が心を痛めつける。だが、もう一度。異世界に召喚されたかったのは事実だった。健一の望みを叶えるために。奇しくも、望みはイノアと同じものであった。
足音が聞こえる。1人ではない、数人ぐらいの地を蹴る音。
「きたっ――――」
思わず出しそうになった声を手で口を押えて止める。
声を出してもコミュニケーションが取れないんだよな。
軽く振り向くと。そこには黒い甲冑を着た。赤い球がいくつも浮かぶ。
まさか、散々自分が倒した敵に背中を預けるなんてな。苦笑いを浮かべながら、顔を背けた。イノアの支配化にあり、健一を襲うどころか、虫1匹すら命令がない限り殺さない。
なら、全ての『厄気』を支配化にすればそれで丸く収まるとイノアに尋ねたが、数や範囲に限りがあると跳ね返された。『厄気エリア』は門番が霧内の『厄気』を支配する目的もあったようだ。イノアは『ルバエリア』の門番である黒龍を従わせ、エリアの『厄気』を従わせた。
味方って、わかっていても気味が悪い。でも、そんなこといっていられない。これからもっとつらい戦いが始まってしまう…………。
足音はぱたりと止まった。鞘から金属が擦れる音が3、4回流れる。額に汗が滲みでる。息を飲んだ。左手が震え、握った『フリースモーク』が地面を擦る。瞼を閉じる。今から人と戦わなくてはならない。もう、異世界を救う救世主ではない。自分の思いのままに戦う。
修羅となれ――――――。
「何かいるみたいだぞ!」
3人一組で辺りを見回りながら進む兵士達。目的地は小さな黒い霧。音を確認すると。雷を帯びた剣が霧を照らす。残りの2人も横に並び紅蓮の大剣と凍りの槍を構える。追撃を加えるつもりだ。
10万ボルトの雷撃、灼熱の熱風、マイナス10°の凍てつく冷気、3つの異なるエネルギーが黒い霧を襲う。
霧から何かが飛び出した。それが何か、気にも留めなかった。何であれ、3人の同時攻撃には耐えられない。黒い霧の中に何か気配を感じたら、最大火力の『錬術』で先制攻撃をしなさい。そうすれば、レンさんは『錬術』のlevelでは勝っている。たとえ、『無厄剣』を発動させていても、3人同時で死角から攻撃すれば勝機が見える。
無数にある黒き霧の中にレンがいる可能性が高い。イノアなら、手勢に無勢の中、霧に身を隠し少しずつ兵を狩る。3人一組は対レン用の布陣であった。
スフラは策自体は読んでいたが、根本的なところは見誤った。
黒い霧から白煙が飛び出す。雷の剣を抜け、兵士の身体に白煙が纏わりつく。他の2人も同様だ。
カンッ! 地を叩く音が霧の中からなった。同時に3人に纏わりついた白煙は橙色に変化し、次第には赤く染まる。耳を突く轟音が空まで響き3人は炎に包まれた。
黒い霧の中にいた健一は耳を防いだ。1の黒い霧の爆破がスイッチ、爆破音と同時に全ての黒い霧が赤く染まり、至るところで爆発音が鳴り響く。ホワイトマウンテンは爆発音と煙幕で包まれようとしていた。
「『フリースモーク』を上手く使えていないだと!」
ルバ城から蟻の軍団のような黒い軍服の兵士達が見えたころ。イノアは策があるといって話始めた。
「あぁ、正確には個人戦に特化し過ぎている。役割が主に高levelの『厄気』を倒すことだったから仕方がない面もあるが、応用力がなさすぎる。時間はないが、いろいろためそう。もしかすれば、戦略面が大きく変わるかもしれない」
そう促され、しぶしぶイノアの実験に従った。今まではただ目の前の敵を効率的に多く、早く消滅させる。それだけを考えて『錬術』を使っていた。それだけに、イノアの発想は目から鱗であった。
まさか、『フリースモーク』が時限爆弾になるとはな。気づかなかった、いくつも白煙を設置し、他の何かが触れて爆発させる。単純だけど、これならいくつでもどれだけでも設置できる。威力が落ちるのも多勢に無勢な戦いには適しているのか。
健一は黒い霧から、僅かに手が動く兵士達を確認すると、奥歯を噛みしめながら黒い霧から身を出した。首を慎重に動かし後続の兵がいないと確認してから駆け足しで黒い霧を抜けた。
手を心臓に添える、ドクドクと心臓の音が鼓膜を刺激する爆破音よりも大きく、鼓動が鳴るたび胸が締め付けられる。
人を傷つけてしまった。これじゃあ、化け物の仲間入りだ。でも、それでも、俺はスフラを――――。
決意を再度飲み込む、爆破音は終息に向かっていた。健一に止まっている時間はない。白色の山道を駆けだした。




