絶望と信頼と決断
光が徐々に薄まり、視界が広がる。空は青い、あの世界と同じように。
「帰ってきたのか――――」
車の騒音。古臭いビル。広がるアスファルト、薄汚れたグレーの作業着。元の世界に戻ってきた。広がる光景に再認識させられる。
「いや、戻らされたのか――――」
空に溶けるような小言を呟く。イノアの話は半信半疑だった。語られた事実は耳を覆いたくなるもの、当然、スフラに対しての信頼感もある。ただ、イノアの口ぶりはとても作り話だとは思えなかった。混乱する頭の中、考えついたのは単純なこと。スフラの話を聞きたい。きっと、嘘です。とか、勘違いしていますとか、悪魔に記憶を操られていますとか。そんな、いつものスフラどおりの答えが返ってくると。健一は勝手に思い込んでいた。
なんだよ、ごめんなさいって! なんだよ、今までありがとうございましたって! なんだよ! あなたは救世主でしたって!
「くっそがあああああ!!!」
獣に似た雄たけびをあげる。赤く滾った拳でアスファルトを叩く。1回、2回、3回………。鈍い音と、拳から骨をつたって伝わる痛みは幾度も続く。欲していた。思考をむりやり乱す何かを。しかし、地を叩くような痛みの感覚ではあの考えは消せない。
俺が、俺が異世界に召喚することを望まなかったら。イノアは死ぬ必要はなかったんじゃあ。そうだよ、俺が現実逃避をしていたから。この世界を嫌だったから。異世界に召喚されてしまった。なんでだよ。スフラはどうして自分の愛する人を殺してまで、俺を召喚したんだ。願い、みんなを笑顔にしたいって。そんな夢にどうしてそこまでできる。
俺だって…………。人を犠牲にしてまでも異世界にいきたくはない。
いつまで空を見ていたのだろうか。はっと気づき腕時計に目を遣る。時刻は12時55分。もう、職場に戻り作業を始めていかなければならない。確か午後からは倉庫で仕分けの仕事がたんまりと残っていたはずだ。頭をブルブルと振って急いで立ち上がる。
まだ、頭が晴れない。異世界の真実、愛する人の裏切り、異世界召喚の犠牲。洪水のように頭から溢れ出す淀んだ考え。
全部忘れよう。異世界なんて夢だったんだ。
もう、どうしようもない世界のはなし。自分の中でむりやり区切りをつけて、屋上のドアノブを捻る。こうして健一はまた、つまらない現実に戻っていった。
廃墟に1人、崩れかけの床に座り込むイノア。健一をスフラの元に送ったあと、直ぐにルバ城に戻ってきた。スフラの性格は親ほど熟知している自負がある。健一が元の世界に強制的に返らされることは目に見えていた。
本人には不服だろうが、これでよかった。異世界の人間をこれ以上、この世界の命運を託すのはよくない。
視線は遠く。ホワイトマウンテンの南。遠くて見えない王城を見据える。
それにしても黒龍を簡単に倒すか…………。国王と同じ力を使ったってことか、代償も知りながら。
「らしくねぇな、死神」
ひび割れが目立つ床を這いつくばってイノアに近づく人物。傷だらけの顔で、軍服はボロボロ、背には痛々しい大きな傷口が包帯に隠れながらも目立つ。だが、いつものように人を小馬鹿にしたような上から目線の口調だった。
「レンさん! ご無事でしたか!」
暗く険しい顔が、一瞬にして様変わり。ぱっと明るい笑顔になった。
「何がご無事でしたかっだ。全く俺が勝つと思ってなかっただろ。王都に黒龍なんて解き放って。スフラがいねぇと王都は灰になっていたぞ!」
イノアは『厄気』となっていたが、人としての理性は全く失っていない。それどころか世界の真実を聞かされ。生まれ変わったことで倫理観は神のごとく大局的に、公平に観られるようになった。王都を灰にするつもりなど、無駄に人を傷つけるつもりなど毛頭ない。
「そんなことないですよ。最善では、レンさんがスフラの命を取らず、戦闘不能程度してもらうことでした。そして、黒龍にレミアン、ユタバ、妹を殺さないように倒してくださいと命令していました。結果は無残にも失敗になりましたけど」
「わりぃな、俺が任務を失敗したばかりに」
「いえ、『聖火剣』『聖衣』は秘めた『精術』でした。初見では僕もどうなっていたことやら…………」
「今度は死神が手を下すのか?」
「はい、そのつもりです」
レンが鋭い眼光を向ける。
「嘘だな。お前はスフラの寿命を待つつもりだろ」
「…………」
光る視線から避けるように俯いた。
「さすが、レンさん…………。すみません。どうしてもスフラを傷つけることはできませんでした」
「別に気に病むことじゃあねぇよ。お前は誰も殺さないように、『錬術』を消そうとしている。そして、神にも。俺はお前を支持しているんだ」
「そういって貰えるとありがたいです」
頬を引きずりながらも微笑を浮かべた。
「対してスフラは神のいったとおり『厄気』を滅ぼそうとしている。滅ぼしたあとにまた『錬術』によって現れ、そしてまた『錬術』で戦う。神のいったとおりに、『厄気』になったお前も滅ぼすつもりだな」
「ええ、スフラの考えも一理あります。あの神とやらの強さは異次元でした。『錬術』を使わなければ、『厄気』を倒すことは困難。時間が掛かり、民間人にも被害が及ぶでしょう。でも、その決断はスフラを一生苦しめる」
胸の奥に埋めく気持ち。チクチクと痛む。スフラを救いたい、でも、スフラはそれを望んでいない。
「あぁ、だから対立する。まっとうな戦争だ。それでだ、かつて戦場では武将派と名を派せ、鬼神なんて二つ名で呼ばれていたが。軍略も明るかったと思っている。だが、死神と恐れられた救世主、イノア・シューミの先を見通す力には足元にも及ばないと。だから、俺の勘違いなら嘲笑ってくれ」
「イノア、お前はもう詰んでいないか?」
王城、謁見の間。所狭しと兵士が並ぶ。1人1人の顔つきは気高きオーラを身に纏い、帯剣している剣は使い古されている。ここにいる殆どは前戦争時代から、武を振るい。魔術がごとき『錬術』も身に付けた精鋭中の精鋭。その数、約100人。そしてこれがバル兵士の生き残りでもあった。
みなの表情に動揺が隠せない。瞬きが多いもの、声が漏れるもの、涙を流すもの。それもそのはず、スフラから語られた真実は驚愕的なものであった。
『錬術』と『厄気』の関係性。語り人であること。神の存在と世界の消滅。イノアの『厄気』化。異世界召喚の代償。イノアの死、ガルバの死、ルバ守護兵達の死。
「償いきれないことをしてきました。罪を償うには、この命では足りないほどに。多くの人は私から離れ、いや、私を殺したいと考える人もいるでしょう。でも、もう少しだけ時間をください。私の勝手な我儘を許してください」
スフラは深く深く頭を下げた。ぽたぽたと絨毯に水滴が落ちていく。顔は見えずともスフラの表情がどうなっているのか、簡単に想像できるだろう。
「謝る必要なんてありません」
「そうです。頭をお上げください」
レミアンとユタバに促され、恐る恐る顔をあげる。
「えっ――――」
吐息が漏れた。兵士達は皆、膝を付き、頭を下げていた。
「王女さまの苦しみは我らの想像を超えるものでしょう。ですが、王女さまに一心にこの世界のために、人々のために自分を犠牲にしてきました。私達はそんな貴方に死ぬまでついていきます。媒体にされた兵士達も本望でしょう」
発言したのはカルナ。選抜試験合格である彼は同期に多くルバ守護兵がいた。思う気持ちは人一倍強いだろう。
「ありがとう。カルナ」
にこやかな笑顔を見せ、顔つきが変わる。
「では、これより最後の軍事命令を出します。ルバ城に乗り込み、『厄気』と化した。イノアを討ち取り。この世界を救う一歩を共に歩きましょう」
「知っているか、兵士の人気はお前よりも、スフラの方が高かったって」
レンはからかうようにいった。
「もちろん、スフラは人の気持ちが痛いほどわかる。だから、あんなにもやさしい」
「あぁ、だから、おそらく真実を話してもみんなスフラに着いていく。スフラと一緒にこの世界を『厄気』から守り続ける道を選ぶだろう。ここまで残った、歴戦の戦士がな」
「はい――――」
「対して『厄気』軍は、内戦続きで兵は殆どおらず、無双の龍も誰かさんが無駄遣いしてしまった。あとは、雑魚が数百と。死にかけの鬼神、それと死神だけだ――――」
「厳しい戦いなのはわかっています。ですが、兵の数を嘆いてもしかたがない。俺はどうしてもスフラを止めて、あの悪魔を倒さなければならない。今、必死に頭を捻っているところです」
口調が強くなった。焦りが身に見える。そうとう分が悪いのは明確だ。
「俺は頭数に入らないぞ、正直もう息を吸うのもしんどい」
「わかっています。無理をせずに休んでください」
「いや、無駄さ――――」
とても寂しい口調だった。
「俺はもう長くない――――」
「そんなっ! 傷を癒しましょう。まだ、ルバ国の秘薬が残っていたはずです」
急ぎ取りに行こうと立ち上がるが。
「無駄だ。自分の身体は自分が一番よく知っているだろう」
「レンさん――――」
「それで、死神よ。俺を使えよ」
「使え…………」
イノアがレンの目をまじまじと見た。その決意に満ちた綺麗な瞳はイノアの想像通り覚悟している目だ。
「何を…………」
「わかっているのに聞くな。お前はこのままではスフラに負ける。いくらお前でもスフラ、イリリ、レミアン、ユタバ、精鋭兵を1人で相手にするのは不可能だ。雑魚の『厄気』では脆い壁にしかならない。駒が圧倒的に足りない。だが、あと1人。お前程の力を持つ者が加われば状況は一変する!」
「レンさん……。それはダメです。彼は無関係だ!」
「無関係? わかってないな。本当に才能だけで、あれほど強くなったと思っているのか。命を顧みず戦っていたと思っているのか! どの世界の人間なんて関係ねぇ! 奴の思いはお前と変わらない。ただ、スフラを愛していた。あいつもこのままでいいなんて思っていないぞ! 一緒にスフラを助けてこい!」
「それは…………」
レンの瞳はより鋭く、漂うオーラはより熱い。
「俺を媒体にしてケンイチをこの世界に召喚しろ!」
レンは左手を差し伸べた。イノアが右手を遣ると手の中には真っ白いフェバルが一弁。視線はじっと捉えられる。決断しろ、と目で訴えていた。




