拒絶
晴天の青空はバルの人々を逆なでする。快晴はこの現実ではむしろ心を曇らせる増加剤だ。一般人は王都より南。緊急事態のために建設された避難基地に集まっていた。息苦しいほどに密着した人々は不安の色一色。窓から見える黒き龍に恐れの声を上げる。黒龍は初めの『厄気』として、広く知れたっている。戦場では鬼神と恐れられたレンを虫けらのように振り払ったとの情報とセットで。ただの人なら埃がごとく蹴散らされてしまうこともみんなが自覚していた。つまり、前線で戦う兵士が、王女が自分達の命を握っていることもわかっていた。
全長は5m程。赤い眼に漆黒の翼、鋭い爪。それはかつての報告どおり最強の『厄気』黒龍の姿で間違いない。
前に立つのは2人の女兵士。その後ろには色気が漂う女性に、眼鏡を掛けた男。スフラ、イリリ、レミアン、ユタバは黒龍の目の前に対峙していた。進軍してきたのが黒龍だけだったこともあるが、他の兵士ではlevel10の黒龍では相手にならず塵と化すだけだと判断し住民の避難指示に当てることになった。
隊長3人に世界最強の『錬術』使い、しかし、大勢は不利。Level10の黒龍はスフラでさえ歯が立たないといわれてきた。
赤い眼がギョロリと光る。大きく口を開けて、空が蠢く轟音が響く。肌に熱気を感じるのと、灼熱の火炎がスフラ達に襲いかかったのは同時だった。
『聖火剣』
目にも止まらぬ速さで『聖剣』を抜き、フェバルの塵が纏わりつく。刀身が薄っすらとピンク色の焔に変わり、横に一振り。
焔が弾け飛ぶ。扇状に広がったピンクの焔は黒龍が放った火炎とぶつかり合う。爆音と熱風、弾ける炎が周囲に漏れる。衝突は一瞬だった。それほど両方の焔には力の差が明確だった。ピンクの焔は炎を飲み込む。やがて、黒龍が放った炎は跡形もなく燃え。さらに、黒龍も焼き払わんと勢いを増しながら突き進む。
「すごい――――!」
スフラの隣にいたイリリは驚嘆の声を上げる。全てを斬る『聖剣』を一段勘引き上げるスフラの『精術』、全てを燃やし『聖火剣』かつて先王がたった一人でルバ国の残党兵を殲滅させたとされる剣。イリリも噂では知っていたが、実際に身にするのは初めてだ。『聖剣』を超える性能を誇る『錬術』。これなら最強の『厄気』、黒龍を倒せるかもしれない。
そこまで思考を進めたあと、イリリの顔は固まった。
点と点が繋がった感覚。常日ごろから抱えていた疑問。王女さまは何故『聖火剣』を使わないのだろうという疑問。それは何かを大きなリスクを伴うとは考えていた。
おかしい。先王はルバ残党兵を殲滅したあと、負った傷が悪化し亡くなったと聞いていますが、相手は前時代の戦闘、ただ武器を取り襲いかかるだけ。こんな力を持っていたら、たとえ一人で何百人、いえ、何千、何万という人数でも傷ひとつ着くはずがない。だったら、先王が亡くなった本当の理由は…………。
ピンクの焔は黒龍に襲いかかる。黒龍は漆黒の翼を大きく広げ、自らを包むように前方をガードした。メラメラと炎が燃える。漆黒の翼は『聖火剣』の焔に焼かれ、みるみるうちに原型を崩していく。
だが、『黒龍』は焦る素振りも見せず、また赤い眼を輝かすと。ボッキと痛々しい音を立て、自らの翼を切り落とした。そして、おびただしい発狂が耳を割れんがかりにつき、太い足でスフラ達に突っ込んでくる。
足の回転数は少なく感じるが、一歩一歩のスライドが長い。瞬く間に至近距離まで詰めると右手に当たる鋭い爪を振りかざしてきた。
「甘いわ!」
この状況を甘受するスフラではない。『聖火剣』で受け止めると、金属同士がぶつかり合う音が鳴り響く。だが、体制は互角ではない。『聖火剣』から放たれた焔が鋭い爪へと燃え広がり、さらに焔の刀身でも鍔迫り合いを制しようと押し込む。
「やった、勝ったんじゃない!」
「あぁ、王女さまが優勢みたいだね」
後ろのレミアンとユタバから喝采があがる。表情が緩み、余裕が生まれている。一方、すぐ隣で圧倒的な力を見せるスフラにイリリの疑惑がますますが確信めいてくる。
だめ! 止めないと、王女さまの命が。
イリリは思わず駆け出す。今すぐ攻撃を中止させて、『聖火剣』を納めさせる。
あの焔は王女さまも命を燃やしている。イリリは確信していた。その考えでいっぱいだった。すぐに止めさせる。視界はスフラしか見えないほど狭まっていた。
左から襲いかかる。死神の一撃に気づくことができなかった。黒龍の左腕を振り払い。鋭い爪はスフラを狙ったが、軌道上にイリリがいた。黒龍の爪は刃のごとし、イリリの横脇腹を抉り、血しぶきが空に舞い上がる。衝撃に耐えかねてイリリは吹っ飛んだ。黒龍の一撃はより勢いを増しスフラを襲う。
『聖火剣』は変わらず、鋭利な爪と押し問答を続けている。ふいに横から襲う爪を対処できない。横からの爪を受けるためには、『聖火剣』を右方向に翻さなせればならない。ふいの攻撃を受けることはできるが、これまで受けてきた右爪はスフラの肉を抉りとるだろう。バックステップで躱す。本来のスフラならなんなく回避できたが、イリリが影となり時間がない。
『聖衣』を渋ったのが、間違い。いえ、これからの大事な一戦を考えると最小限の『錬術』で倒さなければ。奥歯で苦虫を噛み潰したような顔を浮かべたあと。
「くっ! やぁぁっ!」
野良猫のようなに叫び。『聖火剣』を僅かに退く。右爪は焔の刀身を押し込み、今にもスフラの心臓を貫こうとするが、右爪が徐々に左側にズレる。スフラは『聖火剣』を僅かに傾けていた。ギィィィイと歪な音を鳴らしながら、刀身をスライドしていく。
ギィヤォ!
黒龍が雄たけびを上げた。右爪には全体重を掛けて、『聖火剣』を真っ二つに折ろうとしていた。とっさに、重心をずらされては反応できない。おまけに、左爪も引こうとするが、山のような大きな図体と大木のような太い腕の影響か。攻撃の勢いを止めることはできなかった。
ギィィィン!!!!
鼓膜が破けた。そう確信するほどの大音量。大陸サイズのシンバルを叩き合ったかのような甲高い爆音が世界に鳴り響いた。
たとえ、鼓膜が破れていてもいいのではないか。それほど、今の黒龍の姿は滑稽だった。右爪と左爪がぶつかり合う。ドラゴンの拍手など誰が見たことあるだろうか。ダイヤモンドよりも固い爪と爪との衝突。それは無残にも両爪が砕け、ダイヤモンドの粒のような小さな欠片が空中に散乱していく。
「イリリ!」
スフラは黒龍の両爪が使いものにならなくなり、ひるんでいることを確認すると吹っ飛ばされたイリリを探した。左手の樹木の中、全身が血に染まり、ぐったりと倒れているイリリの傍には既にレミアンとユタバが駆けつけていた。ユタバは包帯を取り出し、脇腹を何十にも巻き付け出血を止めた。レミアンは小瓶を口元に近づけ、何やら緑色の液体を飲ませていた。
「リリちゃんの手当は任せて下さい!」
「王女さまは黒龍に集中を!」
視線をスフラに移さず、声だけを出す。それはイリリの容態が深刻であることを示していた。
「はい、少し待っていてください」
スフラの赤い瞳が輝きを増す。ルビー色の瞳は真っ直ぐ黒龍を映していた。黒龍は喚きき声を上げて、威嚇する。喋ることなどできないが、非常に高い知能を誇る黒龍。先ほどのイイリを影にした一撃は明瞭だ。死にかけのイリリを狙わないのは意味がないと知っている。この目の前の強者を倒さなければ意味がないと。
再び大きく首を仰け反らした。天まで響く声、大地が揺れる。黒龍がただ息を吸っているだけだ。
これはマズイ!
先ほどの火のブレスではない。スフラは焦りながらも先制攻撃を放った。『聖火剣』を素早く突く。素人には目で追えないだろう。熟練したモーションから突きは幾度も繰り返される。焔の刀身の剣先。薄桃色の焔が弾け、弾丸となって黒龍に向かう。かすれば、大炎上となって塵と化す。回避必須の弾が数十発。山のような図体の黒龍に避けるすべなどない。
終わりですか――――?
目は鋭く、ルビーは変わらず光を放つ。黒龍が変わらず大きく息を吸い込んでいるが最強の『厄気』がこれで終わるはずがない。
スフラは『聖火剣』を強く握り直した。
揺れが止まった同時に空間全てに響く轟音が鳴った。黒龍のブレス。まだ、距離があるスフラからでも骨が溶ける熱気が伝わる。先ほどの赤い炎ではない。漆黒に染まった黒い焔が黒龍の口から放出された。黒い焔はスフラを目指す、その進路には当然、スフラの先生攻撃。『聖火剣』から放たれた薄桃色の焔が道を塞ぐ。
炎さえも燃やす、全てを燃やす『聖火剣』だが――――。
「これほどとは…………」
スフラは思わず息を飲んだ。黒い焔が薄桃色の焔に衝突すると、例が如く、ピンクが黒を飲み込む。全ての黒炎が燃え尽くされるまでさほど時間はかからない。そう思えたのはほんの一瞬。次の瞬間、漆黒の焔は薄桃色の焔を消した。まるで、蝋燭の火に息を吹きかけたときのように。実にあっけなく、当たり前のように。桃色の焔は消火された。
それでもなお、漆黒の焔はスフラに向かう。すでに、息を吸うだけで肺が黒焦げになりそうだ。
もう、渋っている場合ではありませんね。
『聖衣』
女神のような出で立ち。それを燃やし灰にしようと。黒炎が襲いかかった。
「「王女さま!!」」
レミアンとユタバは悲鳴に近い声を上げた。イリリの治療に集中していた2人だが。黒龍の余りにも強烈な一撃に目を向かざるを得なかった。
「心配しないで、治療に集中してください」
やさしい声がする。大爆発を続ける黒炎の中から聞こえた。続いて、黒煙が揺れる。ほんのりと光が透ける。桃色の明かりだ。
「私は大丈夫です。この『聖衣』は『聖火剣』でも燃えません」
2人の視線はルビー色の瞳と目が合った。
ギィィヤ!
再びの咆哮。漆黒の焔が再び放出される。
「黒い焔。『聖火剣』の焔で燃えなかったタネは簡単です。この炎も全てを燃やす焔。ならば、熱量が勝負を分けます。そして、準備する時間を私に与え過ぎました」
『聖火剣』を天高く指す。刀身の薄桃色はより濃く。色は鮮やかな桜のようだ。
「『界滅炎撃』」
ゆったりと、『聖火剣』を振り下ろした。刀身から放たれた濃い桃色の光は、黒炎を燃やし突き進み、黒龍の頭上に直撃。赤い眼は光を失う。顔面から燃え広がった炎は黒龍全体に燃え広がった。
「もう、あなたは最強の『厄気』ではない。躓くわけにはいなかい、私の願いを叶えるために」
「そのためだったら、なんだっていいの?」
スフラには馴染みのある声だった。
炎と煙幕の中から声の主を探していると黒龍が燃えている奥から人影が見えた。
「ケンイチ! どうしてここに! あなたは『厄気』に攫われて…………」
「スフラ…………」
一歩、一歩、健一が近づく。両足もある。幽霊ではない。握り拳の手は少し震え、顔は真っ赤。唇をぎゅっと噛みしめ、瞳は潤む。
「スフラ……。話してくれないか…………」
「っ!? 何を――――」
どこか悲しげで、儚くて、絶望に飲まれた顔のまま、黒ずんだ瞳で真っすぐ見つめてくる。
もしかして、いや……、きっとそう。脳裏には最悪の想像が駆け巡る。
「イノアから、聞いたのですか…………」
「何を?」
意を決して聞き返した質問は不躾な言葉で遮断させられた。低い掠れた声、呟きのような小声だが、鼓膜の奥まで響いてくる。脈拍が早くなった。頭が真っ白に、喉が渇く、背は汗でびっしょりだ。
ダメ……。冷静に、どうにかいいわけを…………。
靄が掛かった頭を必死に働かそうと思考を巡らすが。幾度、嘘を並べても真実は覆す言葉は見いだせない。自ら覚悟を決め、運命を切り開いたスフラ。ここで気持ちのいい嘘で健一を騙すことは、彼女の覚悟を濁すものだった。
「真実です……。私の、『錬術』と『厄気』の、そして、異世界召喚の真実です」
覚悟を決めたのだろう。戦場で指示を飛ばすときと同様、覇気のある声で答えた。
「聞いたよ。イノアっていうやつから。――――嘘だよな」
健一は伏し目がちになった。返答によってはもうスフラの顔を見られない。握り拳が震え、目をぎゅっと閉じた。
怖い、怖い、怖い。よかったのか。ここにきてスフラに会って。もし、スフラの返事が――――――。
「真実です」
言葉を拒絶した。体中の血が止まったような、得体のしれない感覚が全身を襲う。目に違和感ある。続いて、頬に冷たい感覚が浸った。息ができない。酸素を求め、空気を断続的に吸う。
「本当……か。じゃあ、俺が……この世界に召喚できたのは……」
下を向いていた視線をむりやり上げた。もう一度ちゃんとスフラの顔を見て話を聞きたい。どうして……。
「どうして……嘘を。どうして…………そこまで―――」
「ごめんなさい。あなたは何も悪くないです。全ては私の判断、独断です。私を恨んでください…………」
「スフラ…………」
視線を上げるとスフラの瞳も潤んでいる。
「ケンイチ。あなたは間違いなく異世界からきた救世主でした」
その言葉の直後だった。健一周りから赤い粒状の光が散乱と発生し、磁石のようにくっついていった。
「これは……! 待って! まだ、話は! 待ってくれ、スフラ!」
叫ぶ声、しかし、スフラが首を振って拒絶を示すと。腕を振り回し、赤い粒を振り払おうとするが、散らばる気配は全くない。
「くっそ! 取れろ!」
健一は自分の身に何が起こっているかわかっていた。イノアから語られたことが真実。だとすれば、人を媒体にした『錬術』によって異世界にきた。解釈としては、剣を媒体にし、大剣を造ったことと等しい。ならば、その大剣は術者の好きなときに、塵と化して消滅させることができる。纏わりつく、赤い光がなによりの証拠だ。
「スフラ!!!!」
必死の叫びも、虚しく消える。スフラは目を伏せて、目も合わせようとしない。
「今までありがとうございました」
そうスフラが呟いた直後。赤い光の粒は健一の全身を覆ったあと、眩しいぐらいの発光し健一の姿は消滅した。




