過去⑧
イリリが襲われバル軍が思わぬかたちで新戦力を加えた日。それから3日が過ぎバル軍は王都に凱旋した。
どの砦よりも高く頑丈な白い壁で囲まれた王都、その唯一の入り口である大きな木造の門。ミシミシと開く音は体の骨まで染み込んでいく。門が半分ほど開き、人が通れる十分なスペースが開くと眩しい光が差す。
時刻は明け方、綺麗な朝日が兵士達の帰りを祝福しているようだ。兵士達は眩しさに目を細める。だが、兵士達が閉じたいのは目ではなく、耳であった。割れんばかりの大歓声が、兵士達を包む。時刻は日が昇ったばかり、だが大陸南部統一戦を制した兵士達を一目見ようと人々が押しかけてきた。道という道は人で埋め尽くされて、これでは兵士達は城に帰られないどころか、王都にも帰られない。
「これでは帰れませんね」
スフラの隣、余り溜息混じにイノアが話かけてきた。
兵士の隊列は2列。戦闘にズブラとレン。そこからは戦の功績順となっている。もちろん、第一功は総大将を討ち取ったイノア、第二功は隊長を4人葬ったスフラ。2人がこうして話機会は幹部選抜試験以来であった。
「そうですね。でも、嬉しいです」
スフラの顔は目尻を深め、笑みがこぼれる。戦闘時のように、引き締まった面影はそこにはなく、まるで綿菓子のようにふわふわしている。
「そんな顔もするのですね」
「そんな顔とは?」
「頬が緩みきった。赤ん坊のような笑顔です」
「赤ん坊? それどういう意味ですか?」
首を傾げ、ルビー色の瞳が輝きを増す。
「う~ん。そうですね、可愛い面もあるって意味です」
「えっ?」
不意を突かれたスフラは目を大きくし、顔が赤面し始める。
「可愛いところもあるって、ところってどういう意味ですか?」
頬の赤みを残しながら目を細め、ズブラを睨みつける。
「いや~、あの戦いのときを可愛い、なんては1ミリも思いませんね。さずが、剣王の娘で、レンさんの弟子。まるで、戦姫ですよ」
「もう、王女の権限を行使して、軍から追放するよう働きかけましょうか!」
語尾を強めて、透き通る声で怒る。大歓声の中でも、確実に耳に入る声だ。
「それは無理ですね。私は今回の功績で、もうあなたが何を言おうと私を軍から離しなどしない。あなたも、そんな気はないでしょ!」
そういって、イノアがえくぼをつくると、つられてスフラも笑顔をつくった。
「ええ、そんなつもりは毛頭ありません。私はあなたを超えるまで、逃しませんからね。覚悟しなさい」
「あぁ、望むところです」
王女という運命に生まれたスフラにとって、イノアは様々な初めての感情を抱かせてくれる人だった。
戦闘に負けた悔しさ。これまで、ズブラに負けたことはあれどそれは所詮修行の内。初めて戦闘で打ち負かされた。しかも自分と同じ年の子に。さらに、実践でイノアの鬼才を思い知らされる。いつかは、父のように自分の戦場に出ることを望んでいたスフラは、剣を握る時間よりも、ペンを握る時間のほうが長かった。世界中の兵法書を読み漁り、進んで軍師から学んだ。そのかいあって初陣ながら、どこの隊よりも早く隊長の首を取った。ただ、イノアは異次元にいた。相手の戦略を読み切り、裏を突く。ありとあらゆる基本的な戦法を駆使して指揮するスフラには到底真似できない。軍略でもスフラの完敗であった。
つまるところ、完膚なきまでスフラを負かされ王女のプライドをズタズタにした。王女ということを鼻にかける態度はしないが、自身では自分は父に続き、世界を統べる。そして、理想を一緒に叶える。自分にはその力があると自負していた。それは決してスフラの傲慢ではない。周囲もそれを疑っておらず、実力もいずれズブラを超えると目されていた。だが、イノアの出現は全てを一篇させた。王女など足元に及ばす、もしかすると王より強いのではないかと。報を聞いた兵士や国の人々はこそこそと話すのだ。これにはスフラが黙っていない。自分のことならともかく、誰よりも尊敬する父親の噂を流されるのは溜まったものじゃあない。
スフラの心の奥底が燃え始めた。
――1年後――
王城から離れた、第一演習場。豪邸が何件も建てられるほどの敷地だが、簡易な小屋と木々に的を備えつけてある以外は何もない。
時刻は夜の8時過ぎ、スフラとイノアは互いに少し距離を取り、剣を構えていた。戦場で実勢に指揮を取るようになった後もレンによる訓練はまだ続いていた。戦争がない日は、朝方から陽が落ちるまで。1年前の南部統一線から思わぬ形でガルバが加わり通称、鬼神塾はスフラ、イノア、イリリ、ガルバの4名になっていた。
夕日が落ち、夜を迎えつつある時刻になると。「俺は酒場に行くから、ガキは遊んでいろ」と言い残して、訓練を終了させた。成人の年齢は18才なので、一番年長者のスフラとイリリでもあと3年足りない。軍の次世代いや、既に中心の若者達。言葉の通り、遊ぶはずもなく毎晩自主練習に励んでいた。4人の実力は位で明確に線引きされている。隊長のスフラとイノア、副隊長にイリリとガルバ。そのまま自主練習は2手に別れることが多かった。
キィンと甲高い音、空をクルクルと回りながら飛ぶ白い刀。空中を舞い宝刀は地面に突き刺さった。
「また、負けました……」
オーバーに肩を落とし、溜息混じりに息を吐いた。
「いや、実力は近づいている。僕もうかうかしていられないですね」
そういいながらもイノアの表情は爽やかでどこか嬉しそうだ。
「完全に上から目線、ムカつきますね」
「これは失礼、王女さまの成長を報告しようかと」
「それが上から目線といっています!」
一歩、イノアに詰め寄り、頬を膨らませ、睨みつける。
「いっ……、いや、そんなつもりじゃ……」
「冗談ですよ!」
そういうと頬の風船を解き柔らかな表情を浮かべる。
「やめて、くださいよ。王女さま」
「だって! いつまでも勝てないので、つい――――」
スフラとイノア、一騎打ちはこれまで何千と剣を交えたがスフラは1勝もできなかった。それでも、スフラはイノアに戦いを挑み続けていた。
「ついって、ひどいな~。それに自分でいうのは何ですが、僕に勝たなくても戦場では十分ですよ。僕に勝てる人はもういませんから」
屈託のない笑みでイノアが話す。これはイノアの自信の表れ、先日の訓練でついにイノアはレンとの一騎打ちを制したのだ。
「あれ? もしかて、お父さまにも勝てるつもりですか?」
ルビー色の瞳が輝き、早く答えを求めているようだ。
「もちろん。もう、誰にも負けません。私がこのバル国を大陸統一させてみせます」
覇気のある声で顔に一遍の迷いなく言い切った。スフラは少し俯いたあと。少し、間を置いて口を開いた。
「前から、聞きたかったことがあります。どうして、イノアはこのバル国で軍に入ったのですか。お父さまに賛同したとは聞いていますが、詳しい話は聞いていないので」
「そうですね。ひと言でいうと、僕も同じような願いを持っていたからです」
「同じような、イノアもみんなを笑顔にと志しているのですか?」
これにはスフラは目を丸くする。イノアは軍人として間違いなく傑物であったが政治の色は無色であった。ズブラに感銘して、ついていきたいとだけ思っていたのだ。
「うぅ~ん、少し違いますね。ただ、視点が一緒でした。私の理想はゆっくりと世界中を旅できるようになれば、それでいいです」
「なにそれ、全く同じではありません。ただ、自分のことだけ。ただの自己中です」
「そうだよ。僕の願いも、王様の願いも自己中だ」
「何ですって!」
ルビー色の瞳は鋭さを増し眉毛も吊り上がる。鬼神さながらの鬼の目だ。珍しく激昂を隠そうともしない。
「そして、世界中の人々のことを考えている。ゆっくりと世界中を旅するには戦争はもちろん貧困もなくさなくてはなりません。盗賊が出たら大変ですからね。そんな世界みんなが笑顔じゃあないと無理なのですよ。そんな世界だったら僕らみたいに旅人が増えます。いいものですよ、旅は心を温かくします。世界がどうにかしたいなどと考える人は、みな自己中です。大事なのは、自己中の中に、他の人がいるかどうか。王様は他の人どころか、世界中の人が入っています。いい自己中ですよ」
柔らかいイリリの口調と言葉はスフラの燃え盛る怒りを鎮め、胸の中に不思議な感情を芽生えさせた。
この人―――――。やっぱり、この人で間違いない。
「さて! 今日の訓練はこのくらいにして、王女さまに話があります」
「……はい」
イノアの持論に、目を大きくしながらじっと聞いていたスフラは、適当に相槌を打った。
「ちゃんと聞いて下さいね。大事なはなしです。スフラに伝えたいことがあるのです」
真剣な眼差しに気づいたスフラは頬を赤く染める。夜風はゆっくりと吹き、2人の空間を優しく包んだ。




