『氷龍』
「何だよこれ……」
海と湖に囲まれて水の都。健一の印象もそれと合致し、戦いを終えれば観光にもいきたいと内心思っていた。だが、この状況では観光どころではない。『厄気』がいる、いないの問題でもない。
歯は小刻みに動き、吐く息は白。両手で自分を抱きしめ、震えを和らげる。氷の都、そう呼ぶのが今はふさわしい。見渡す限り、地も海も全てが凍っている。
健一は視線を遠方に移すと氷の塔が見えた。その四方にはドーム状の氷の建造物。丁度、氷の塔は軍事施設、四方のドームは街並みがあった位置だ。
一歩、健一は氷の世界に足を踏み入れた。氷で覆われた地に右足を出し、体重を最大限にかける。ひびが入るどころか軋む音さえしない。完全に氷の大地と化しいる。
「進むしかない。いくぞ!」
指示に従い、健一を先頭に軍が進む。80名近い人数が氷の大地を駆けるが、氷が割れるようすはない。
この氷事態には罠がないってことか。この氷、イリリがいっていた。Level8の『厄気』。氷龍がいるってことになる。
氷の大地を駆け抜けて小一時間。一色、氷の景色の中、それがあるのは奇妙だ。
「はぁ? なんで湖があるんだ?」
直径30mほどの湖。どう考えてもおかしい、全てが凍っているにもかかわらず湖が凍っていないなどあり得ない。
不自然な湖に眉を潜めていると。
水面が揺れた、揺れは次第に大きくなり、その大きな巨体が姿を現す。
黒い体に大きな尾ひれと長いヒレ。Level7。人鮫だ。
「くっそ! 待ち伏せっ!」
不意を突かれた健一。即座に『フリースモーク』を発動するが、人鮫の歯はそこまで迫っていた。
やばい! あと、2.37秒。
心臓が止まる感覚。視界は鮮明に、周りはスローモーションに変わる。頭の中には走馬灯が走った。
記憶が津波のように、流れる。嬉しいかな、悲しいかな。これまでの23年間より、この2週間のほうが思い出が多くや。やっぱり、うれしい。それだけ俺はこの世界にとって大切なってこと。あの理想を叶えたいってことか。
「隊長っ~~!」
聞きなれない声に、一瞬、健一が呼ばれたことに気がつかない。明確に健一が状況を掴めたのは人鮫の頭上に、銀色の矢が刺さったあとだ。
深く刺さった矢。傷は深く、空中遊泳の速度は著しく落ちる。救世主が反撃の準備をするには十分だ。
「『スモークソード』」
白い煙の刃は人鮫を一閃。煙は人鮫に纏わりつき、氷の大地に落ちた。瞬間に爆破、煙幕と黒い塵が舞った。
隙を与える暇なく次々と飛びかう、人鮫。健一は剣を振い、兵士達も応戦する。健一の間合いに余裕が出来た。剣と化した煙を解き、煙の弾丸を放つ。圧倒的、火力。数体であった人鮫は次々と爆破し、灰となった。
危なかった。本当にコンマ何秒で、死んでいた。
「すまない、ありがとう」
後ろを振り返り、健一は頭を下げた。
その中から、銀色の弓を構えた兵士は笑顔でいった。
「何をいっていますか。ここで、救世主さまが負けるようなことがあったら。王女様が意識不明、レンさんも行方不明の中、この世界は『厄気』に蹂躙させます。あなたはこの世界の一筋の光です。その光の輝きを守るため、私達は命を捧げる覚悟です」
そういうと深々と頭を下げた。それに続いて、残りの兵も頭を下げる。
こんな俺に、命を……。
「ありがとう。頼りにしている。進もうか、今度は注意深く」
自分にも言い聞かせ、再び氷の道のりを進む。
太陽の日差しが最も強くなるころ。健一率いる軍勢は足を止めた。いや、止めざるをへなかった。
「ここまで通ってきた道に人影もなし、となるとやはりこの中のどれかにいるってことだよな」
健一達の目の前に、4つのドーム。その中央に見上げるほどの塔。どれも目を奪われる氷の彫刻だ。
健一達の今回の目的は多岐に渡る。ミレェイ軍との合流のほかに、情報取集、民の安全確認など。それに伴い、できる限り侵攻範囲を広くなるように、陣形を横に並ぶ形を取った。前方から『厄気』が襲ってきた場合に、迅速な連携が取れない可能性はあるが、対処できるギリギリの範囲で陣形を広げた。幸い、人鮫を除き『厄気』に出くわすことはなかったが、人に遭うこともなかった。
となると、どこかに固まっているのが当然。緊急事態なので、それが正しい判断でもある。しかし、それが仇となったのか。この奥にはもうルバとの境界付近、敵の本陣近く。そこにいる可能性は低い。残すはこの氷の造形物のみ。軍人も民も氷に閉じ込められたという推測が成り立つ。
もう、全滅しているのか……。
防衛線の放棄。待ち伏せの湖。気配のない道。どれも、軍が大敗したとすれば辻褄が合う。
健一は首を振った。悪夢を無理やり振り払う。
ダメだ。とにかく、思考は前に。
「全軍、2つに分かれ氷のドームを破壊。中に人がいるかもしれない。過度な攻撃は避けるように」
「「はい!!」」
指示を聞き、即座に動く兵士達。俊敏過ぎる集団行動は一種の芸術品だ。
「俺は、中央の塔を狙う。何かあれば知らせてくれ! みな死ぬなよ」
そう言い残し、健一は氷の塔に駆けていった。無鉄砲に単独攻撃を仕掛けたのではない。氷の塔に高さはあるが大きさはそれほどではない。中に『厄気』が潜んでいるとしても、そう数はいない。ここが重要拠点だとすれば、数が限られている拠点に潜ませるのはそれなりの『厄気』だと考えられる。なら、健一が対処しなければならない。高levelの『厄気』がいるのなら、最も守備の硬い拠点となり、当然に一番、奪われたくない人達がいる。全ては推測しかない。全滅が否応なしに考えられるが、希望を作戦に含んだ結果。この望みが生まれた。
「いっけー!『スモークショット』」
左手で構えた、『フリースモーク』を横に振り、球体の煙を数発、放つ。煙の砲弾は真っ直ぐに氷の塔目がけ直進し、地を震わす爆発音が鳴った。
煙幕が氷の塔を隠す。そよ風がなびき煙が散ると、破損1つなくそびえ立っている。
「マジか……」
氷の塔に変化する。更に、高くなっているのだ。目を細め、塔の先端が伸び続けている。細長く伸びる塔。天にも届く針のようだ。それがある時点でぽきっと折れた。
「はぁ?」
思わず声が漏れた。折れた氷の長細い氷柱。どこかの方向に落ちる。この大きさだと健一も軍も一溜まりもない。だが、氷柱は落下することなく、むしろ、宙に浮かぶ。氷柱は太くなり、形状も変化する。氷柱の表面が小さな葉のような模様を模る。雲にかかる頂点から、紐のような氷が2本垂れ、雲の中から赤い双眼が灯る。
ゆっくりと長細い氷柱だったものは動いた。
「ガァァァアアオオオ!!!!」
地下深くまで木霊する唸り声を上げ、それは健一を睨んだ。
「氷の塔の正体はお前か、氷龍」
全身を蒼い氷で装飾された身体。長い尾はとぐろを巻き、健一に近づく。
「『スモークショット』」
すかさず煙の砲弾。白い煙が氷龍を襲う。
氷龍は口を開く、そこから銀色の息吹が漏れる。まるで、ダイヤモンドの粒子のようだ。銀色の息吹はそれほど輝いていた。
健一はひとまず距離を取る。銀色の息吹はゆっくりとだが、全身し白い砲弾と接触した。本来なら、爆破が起き。銀色の息吹は消し飛ぶはずだ。だが、吹き飛ぶようすはない。それ以前に爆破するようすもない。銀色の息吹は白い砲弾を凍らせた。推進力も失せ落下すると、ガラスのように粉々になった。
くっそ!
level8相手に『フリースモーク』じゃあきついか。右手を庇う余裕なんてもうない。
素早くフェバルを取り出し、『フリースモーク』にかざす。赤い粒子に包まれ、すぐに『フリースモークモア』を両手に持つ。
体中を刺激する痛みに歯を食いしばる。
昨日の怪我の影響が如実に身体を蝕む。
堪えろ! 堪えなければ、もっと苦しめられるぞ。健一は思い出す。強制的に元の世界に戻されたときを。異世界がどうなっているか、スフラや仲間達がどうなっているか。想っても、願っても、召喚されるのかわからない。自らで舵をとれない。そんなどうしようもないもどかしさと苦しみを抱えながらも、必要なことをした。俺が乗った船は希望の航路を進んでいると。だから、もう一度船に乗ったとき、どんな荒波でも進める力をつけようと。
健一は『フリースモークモア』から右手を離した。そして、左手一本で持ち替え歯を喰いしばりながら振り回した。
「『ブラックウォール』」
黒煙が放出させる。形は変わり、前方に大きな壁を形成。銀色の息吹をせき止めた。そのまま黒煙に飲み込められる。
よし、片手でも問題ない。筋トレしたかいがあった。本当はぶっつけ本番では試したくなかったけど。うまくいったから問題ない。いや、練習はすべきだったな……。
反省ののち顔を上げ氷龍を睨む。銀色の息吹では黒い壁を破れないと悟ったのか。息吹の放出を一旦休止した。
だったら、こっちから。
「『ブラックホール』」
横に薙ぎ払う『フリースモークモア』。黒い煙の弾丸が放たれた。当たれば、全てを飲み込む、必殺の技。黒煙の弾丸は氷龍を捉えるかに思われた。
「ガァァァアアオ!!!」
雄たけびと同時に何かを放った。蒼い氷の塊。球状で直径は1m程度。それが7発。数個は黒煙の弾丸に命中。その瞬間、黒煙は膨張し、蒼い氷を飲み込んだ。しかし、全てではない。残った4発は『ブラックホール』を躱した。元々の軌道では直線的に撃った『ブラックホール』には当たらない。
健一は首を上げた。前は黒い壁があるが、上は無防備。蒼い氷の塊は頭上から降ってきた。
『フリースモークモア』の対策まで。でも、そんなことは読めている。
陽が遮られ、影が大きくなる。そんな中、健一は微かに笑っていた。
見せてやるよ。『フリースモークモア』以外の『精術』を。
左手にはライターが3つ。右手にはフェバル。負傷していても、さすがに花は楽々持てる。
「『日輪放射器』」
ライターの原型は何処にもない。『錬術』である『火炎放射器』の姿は僅かに残る。左手に銀筒のようなものがはめられている。左手にすっぽり収まり、伸びるにつれ徐々に空洞が狭まっている。形としてはコーンが近いだろう。先端にも小さな穴が空いている。
「発光!」
先端の小さな穴が光輝いた。健一の頬に熱風が伝わる。呼吸するのも苦しい。左手は火傷しそうだ。光は飴玉ほどの大きさになると、蒼い氷に向ける。
健一はそれしかしていない。何も攻撃などしていない。己の『精術』の影響をもろに受け、永遠と額から汗をたらしている。ただ、掲げる。それだけでみるみるうちに蒼い氷は小さくなった。
ポツリっと。健一の額に水滴が落ちた。それが青い氷の成れの果てだ。
続いて、健一は黒い壁に『日輪放射器』を向ける。
頭の中で想像を巡らせる。目の前は黒い壁。鉄壁の防御を誇るがその反面、視界を奪う。それなら、頭を使う。最後にいた位置。それまでの行動、攻撃。
ある程度でいい。それでうまくいく。当たれば、『ブラックホール』と同様にジエンドだ。
目を開き、肺からできるだけの空気を吐き出して声を出す。
「発射!!!」
放たれたのは小さな太陽。黒い壁を突き破る。内側ならこの壁はカーテンとなる。さらに勢いを増し直進。その先には氷龍の頭。
すかさず、氷龍は口を開く。蒼い氷が再び放たれた。
体積に差があり過ぎる。熱を持つ『精術』に青い氷で応戦したのは何も冷気で凍らす狙いではない。蒼い氷を放ったあと、氷龍は下がった。相性が悪く、未知数の『精術』に対し、距離を置くのは常套手段。蒼い氷を放ったのは逃げる時間を稼ぐため。
ギ―ィィンンン。
氷が溶ける音。鼓膜が破れるほどの音だが、今はそんなことどうでもいい。氷龍はそんな心境だろうか。赤い眼は閉じた。閉じざるをへなかった。
世界全体を包むような発光が氷龍の視界を奪った。
健一も氷龍と同じように両目を瞑っていた。すでに左手の『精術』は解いてある。
本当ならここで、『フリースモークモア』で決めたいところ。でも、俺も目を開けられない。まぁ、『精術』を発動することは目を瞑ってもできる。
目を閉じたまま。ポケットを探った。




