『クラ―ケン』
海はこれまでと違い荒れた波は見せず静寂が包む。海水も綺麗な透明、海の底を覗かせる。故にはっきり捉えることができる黒い球体。『厄気』の源、『コア』。その前に立ち塞がる『門番』。大木のほどの白い触手が10本。並ぶ吸盤は人よりも大きく。気球のような丸い頭、赤く鋭い眼光、丸い口。
「あれが、『ミレェイエリア』の『門番』、クラーケンか」
船の先頭でクラーケンを睨むユタバは嘆くようにいった。『ファースト』は7の島を進み、最終到達点である9の島に侵入した。ミレェイ軍が9の島に辿り着いたのは一度、いや、一瞬。当時、副隊長だったユタバが7の島で隊が壊滅したのち、『門番』の姿だけでも確認するために侵攻した。そして、クラーケンを確認。一瞥して感じられる強さに戦力を持たない軍は即座に退却したのであった。
「隊長、『セカンド』を待ちますか」
後ろに隊列を組む兵士の1人が聞いた。彼も他の兵士達と同じように目頭は赤いままだ。
「いや、『セカンド』が来るとは限らない。なにより、時間は大幅に遅れるだろう。俺たちの経路以外、全ての『厄気』を対処しなければならないからな。だが、俺達で倒せる『厄気』ではない。まず、情報を確保するぞ。みな『錬術』の用意を」
指示をすると即座にユタバは弓を引いた。矢の先端には水色の石が括りつけてある。それに呼吸するように、兵士達も弓を引く、同じ様式の矢だ。
「みな、射て!」
鬼のような形相で指示をするユタバ、流石に力が入る。目の前の『厄気』を倒せば、このエリアが消滅する。今までの犠牲が報われるのだ。
水色の石は氷に変わり、矢も凍る。何10もの氷の矢がカーテンのようにクラーケンに降り注ぐ。赤い目の瞳孔が開く。矢の1本、1本を正確に捉えているようだ。落ちる、氷柱。それにクラーケンは………。
「腹立たしい。無反応とは」
動かず、反応せず。ただの雨のように氷の矢を受け止めた。
ユタバの目が険しくなる。透明に近い海で、クラーケンの一等一側に集中する。大木のような触手が微かに動いたのを見逃さなかった。それが予備動作ということも。
「島に飛び乗れ!」
9の島、綺麗な円の地形でようし他の島と比べて小さく。直径50mといったところか。
ユタバの声に反応し、兵士達は皆、船から飛び降りる。巨大な触手が船を木っ端微塵にしたのはそのあとすぐのことであった。
危ない。ギリギリだった。しかし、これで足が無くなった。残された選択肢は『セカンド』を待つか、クラーケンを倒すか。共通する必要事項はこの化け物からある程度戦わなければならないこと。
考えを終えると歯ぎしりを立てながら眼鏡のずれを直した。
「ここからは、己のことだけを考えろ。俺も指示は与えない。生き延びることだけを考えろ」
叫びに似た声を送り、鱗の剣とフェバルを用意する。
「『氷剣』」
氷の刃を構え、前に進む。ユタバの錬術の中で渡り合えるとすれば『氷剣』だけだ。
クラーケンは触手の1本を海面から伸ばし、横殴りに打ち付けてくる。『氷剣』を振りかぶり、左足で体重の全てを受け止め、それを腕に伝える。空を斬る音が響き、『氷剣』が振り下ろされる。
グッサっと剣は触手を斬り込む。切れた触手の端は地面に落ち、うねうねと動く。斬られた触手の表面は凍り『氷剣』の効力を語っている。
口元が少し緩む、これならある程度やれる。そう確信したとき。
「隊長!」
兵士の声、振り向いたときには手遅れだった。襲いかかる触手、ユタバの真後ろから攻撃を加えられる。ユタバの完全な死角だ。
鈍い音が響く、肉が打たれる音だ。
「お前ら………」
ユタバは小さく呟いた。ユタバを狙ったクラ―ケンの触手。ユタバが触手に打たれる直前、兵士3人が間に入ってきた。今はもう体がくの字に曲がり、血の固まりが地を濡らす。
「くそ………」
叫びたくなるのを噛みしめ我慢し、眼鏡の奥、眼光の鋭さを増す。川の流れのように、淀みなく触手の近づく。一閃の一撃。再び触手を斬った。
クラーケンに着目し攻撃する動作がないとみると一息、深呼吸をした。
やつの触手はあと8本、このままいけばと思いたいが。
優雅に海に浮かびクラーケン、残り4本の触手がせわしく海を泳ぐ。
「中央に集まれ!」
叫びながら、自身も島の中央に駆ける。4本の触手も陸に登り兵士達を追う。人に当たれば、泥人形のように砕け散るだろう。みな一斉に中央に集まった。
「隊長…………」」
集まった兵士達はユタバに釘付けになった。歯を食いしばり痛みを我慢している。右手には『氷剣』、貫くのは左手の甲。噴き出す血しぶきが剣の深さを語っている。
ユタバは屈み左手を地面に突いた、痛みからではない。彼最大の『精術』を発動するためだ。
「『冷気結界』」
地に幾つかの氷の線が走り、幾何学模様が地面に描かれる。円形に広がり、氷の線は書くことを辞めず。幾何学模様は面積を増やす。その上を4本の触手が通ろうとした。
しかし、氷の幾何学模様に侵入した瞬間。触手は先端から凍っていく。これが『冷気結界』の能力、結界に侵入したものを凍らす。凍らす判断はユタバが下すので兵士達が凍るようなことはない。
これで、触手を伝いクラーケン全体に凍るはず……。そううまくはいかないか。
ユタバは軽く舌打ちを鳴らす。クラーケンは自ら触手を切った。島の四方には触手が落ちた衝撃で巨大な氷の柱が流れる。
しかし、攻撃手段はない。『セカンド』が着くのが先か、俺の血が流れきるのが先か。
地に突き血を流し続ける左手を眺めた。それも一瞬、視線は再びクラーケンに移る。
計6本の触手を失い、攻撃力が半減したが。焦りの様子はなく、何食わぬ顔で赤い双眼を光らしている。そして、クラーケンの口のようなものが動くと、黒い何かを吐いた。ユタバでさえ見えたのはそれだけ、ほかの兵は見えなかったのだろう。
ただ、強烈な痛みが全身を刺激する。
ユタバは痛みを感じる左脇腹を押さえた。黒く染まっており、血かと考えたが別の赤っぽい液体が流れている。辺りを見渡すと同じように屈んでいるもの、倒れているもの。それらはまだ、軽症だ。腕が無いもの、足が捥げているもの、頭が飛んでいるもの。既に命絶えている兵士が多くいた。みな、黒い液体が体のどこかに付いている。
まずは深呼吸だ。
はぁーー。ふぅーー。
ダメだ。もう一度。
はぁーー。ふぅーー。
ユタバは右手で心臓音を確かめる。
大丈夫だ。落ち着いている。今何を出来るか、選択しろ。
再び辺りを見渡す。もがき苦しんでいる兵を確認する。
生き残っている兵は20程度か、触手はあと4本。『冷気結界』は俺の出血量の影響でもうできないが、触手の攻撃は避けられる範囲内だ。あとは先ほどの放射、予備動作が大きい。そこを利用するしかないか。
ふと、ユタバは触手に目を遣った。透明な海の中で揺れる切れた触手。しかし、次の瞬間、何も前触れもなく再生した。
声は暫く出ない、触手の再生はこれまでのユタバの攻撃を無に帰す行為だ。
「ここまでか……」
薄ら笑いを浮かべたそのとき。
ドォンっという音が後ろから響いた。反射的に後ろを振り向くと笑みに一筋の光を帯びた。
「来てくれたか」
海面を突き進む巨大船。『セカンド』の姿、ミレェイ軍の希望の光だ。




