黄との交渉
私たちが使う銃器に中国製が多いのは、黄のストックを買い入れているため。
私のワルサーPPKや、黒澤のSIGP226は違うけれど。
黄は防水コンテナに銃器を詰めて、日本各地の沿岸に沈めてあると言っていた。メモはなし。全部座標は黄の頭の中に入っている。記憶力に関しては、黄はすごい才能をもっていた。
こんなゲス野郎は、ぶっ殺してさっさと荷を奪ってしまえばいいのだけれど、銃器の保管場所を秘密にすることによって、黄は私たちに対して保険をかけていると言える。
手軽に銃火器を用意出来る者が身近にいることの利点は、平和すぎて反吐が出日本では大きい。
黄が常に洋上にいるのは、奇襲を避けるため。
彼を狙う連中が特に危険な連中なので、用心深く行動しないと危ないのだ。
そもそも黄は自分以外誰も信用してないし、私たちとの関係も、その程度の距離感でいいと考えているのが傍から見てわかる。
黒澤は、物資の補給が楽なので、黄との関係はこれでいいと割り切っているようだ。
黒澤がこれでいいと思っているなら、それ以上のことを考える必要は、私には無い。
黒澤の携帯電話が鳴る。
皆の目が黒澤に集まった。黒澤は、わざとスピーカーモードに替えて、私たちにも会話を聞かせてくれた。
スピーカーから聞こえてきたのは、なんだか疲れて果ててしまったような中年の男の声だった。肺病を患っているかのようなゼイゼイ声で、私は思わず咳払いをしたくなってしまった。
「ニュースが二つある。まず、一つ目。荒川にホトケさんが浮かんで、そいつはあんたらの身内だったよ。青木とかいうデブ、あんたらの手配係りだろう」
そうですか……と、黒澤がつぶやくように答える。
「拷問の痕があったと検死報告にはあるな」
背景音はかなりうるさい。多分、パチンコ屋かゲームセンターみたいなところから掛けているのだろう。
「もう一つ。豊島区のビジネスホテルで火災があって、従業員一名と宿泊客一名の焼死体が見つかった。検死報告だと、肺が煙を吸い込んでないから、殺されたあと焼かれたな。こいつらも、多分あんたらの身内だってさ。新入りで橙次って言ったか」
それだけ言うと一方的に通話が切られる。
まだ報道されていない情報なので、これは警察内部からのタレこみだ。
黒澤は警察に有望な伝手があるようで、比較的正確で早い段階の情報を仕入れることが出来るようだった。
タレこみにあった豊島区のホテルは、私が泊まろうとして襲撃を受けた古いビジネスホテルだ。
従業員はあの時間帯はナイトマネージャーだけなので、そいつもついでの様に殺されたのだろう。
顔見知りのナイトマネージャーだったし、まあまあ気に入っていたホテルだったので、あの場所が使えなくなったのは少し残念だ。
「緋村が青木を売った。青木は拷問されて、俺たちの居場所を吐いた。それで、俺たちは一斉に襲撃されたってことか」
ため息交じりに赤崎が言う。
緋村を連れてきたのは赤崎だ。責任を感じているのだろう。
橙次と青木は殺されて、灰谷は負傷。赤崎も軽傷を負った。私は気に入っていた巣穴を潰されてしまった。まったくもう大損害だ。
「誰から依頼を受けたか、黄に捕虜を尋問させてウラをとる。場合によっては……」
黒澤が赤崎の肩に手を乗せながら言う。
「わかってます」
赤崎が俯いたまま言った。
清水港は、漁港とマリーナの他にJリーグサッカーチームや地元出身の漫画家のミュージアムがあり、ちょっとした公園になっている。
黄は、既に清水港に到着していて、オープンデッキの屋台で、コロナビールとタコスを楽しんでいると、本人から連絡が入った。
黄と交渉する時、黒澤は私だけを連れてゆく。
黒社会、軍閥、金三角の麻薬組織、その他あらゆるアンダーグラウンドの面々と、黄が単独で渡り合うことが出来たのには、黄の異能ともいうべき才能があったから。
その才能とは『感情を見抜く』ということ。
相手の感情に敏い者はいるが、黄の的中率は異様に高い。
一瞬の表情や仕草から感情の兆候を見抜くことを系統立てた学者がいて、その学者をモデルしたTVドラマまで作られたでしょ?
黄はそれを本能的に行うというわけ。
ちなみに黄は中国武術の達人なのだけど、それも関係しているのかも知れない。
一部の中国武術では、わずかな筋肉の動きなどから次の行動を予測する修練があり、それを条件反射のレベルで行えるとしたら、黄の読心術めいた才能も理解できる。
『感情を見抜く』ということは、嘘をつくことが出来ないということ。
その点、私は顔面の神経がマヒするほどの暴行を受け、整形手術により顔を再構築しているので、表情を読み取りにくい。
そして、三年前のあの日以来毀れてしまっているので、感情のあり方が常人と異なるから、黄にとっては読みにくい相手という事になる。
黄とは取引だけの関係なので、余計な情報を与えたくないという黒澤の思惑もあるのだろう。
私は、ワルサーPPKをホルスターから抜いてスライドを引き、初弾を薬室に送り込んだうえで、セーフティをかけた。
マガジンを抜いて、弾を1発込める。マガジンに7発、薬室に1発。合計8発が32ACP弾仕様のワルサーPPKの最大装弾数。
ブーツには、マキリと呼ばれる日本の秋田マタギや漁師が使っているシースナイフ。両手のそでの内側に作った鞘に、小型のスローイングナイフが各一本。それが、私の基本的な武装だった。
黒澤は、SIGP226のマガジンを確かめ、スライドを引いてセーフティをかけただけだ。
「さて、いこうか」
黒澤が私に声をかける。私は無言で頷いた。
折しも地元の農協と漁協が主催の朝市が開催されていて、午前中なのに案外人出がある。
人に紛れるのは最高のカモフラージュだ。
私はキャップを目深に被って監視カメラから顔をなるべく隠した。
だいたい高い位置に監視カメラが設置されているので、俯けばキャップの庇で顔が隠れる。
黄は、コロナビールの幟が立っている、タコスの屋台にいた。
赤銅色に日焼けしているのは一年の殆どを海の上で暮らしているから。
白髪交じりの髪は短く刈っていて、無造作に白いタオルを鉢巻にしている。
使い古された編み上げのブーツ。安物のフリースのシャツの上に安っぽいウンドブレーカーを羽織るのが、黄のいつものスタイルだ。
外見だけなら、朴訥な漁港のおじさんという風情で、胸糞悪い趣味を持っている人物には見えない。
市井に隠れ住む異常者というのは、まぁ、たいがいそういうものなのかもしれない。
「ああ、クロさん。お久しぶり。ミドリさんも、どうぞこちらへ」
黄がタコスを食べているのは、パラソルが立った円形のテーブルで、安物のパイプ椅子が3つ配置されている。黒澤が黄の真向かいに座る。黒澤は、不思議なことに、私以上に表情が読みにくいらしい。
黄が最も苦手とするのは、実は黒澤だった。
私は、少し離れた位置にある街灯に寄り掛かる。
黄との距離はおよそ五メートル。撃てば外さない。
一瞬だけ、鋭い目で黄が私を見る。
危険の兆候を探っているのだ。
私は黄に走査されてもいっこうに構わない。
黒澤が撃てと言えば撃つし、何も言わなければ何もしない。ただ、それだけ。
黄は、自分の能力に自信を持っている。
これで、幾度もピンチを脱してきた経験があるから。
だから、私や黒澤のように感情が読めない者がいると不安になる。自分が無防備になった気がするのだろう。
黒澤は交渉を有利に進めるため、黄の前に私を連れてゆく。私は、黄の不安を煽る役目を淡々とこなす。
私が黄と同じテーブルにつかないのは、仲間とみなしていないことを態度で示したもの。私はいつでもワルサーPPKを撃てるし、私に躊躇がないことを黄は知っている。
「ミドリさんは不思議だ。実に興味深い。コレクションに加えたいほどだ」
黄は、自分の趣味を知られているのを承知でわざとそんなことを言う。
嫌悪の情を私に見たいから。
コントロール出来るものが一つでもあると、人は安心するものだ。
私はわざと嫌悪感を隠さなかった。
逃げ道を作ってやると、人はそれに縋る。今の黄がそうだった。
私が嫌悪感を浮かべるのを見て、黄の顔は実に嫌な笑みを作った。
それを見て、私の産毛がさーっと立つ。
前哨戦はここまでと判断したのか、黒澤が屋台の若者にコロナビールを2本注文した。
それで、黄と私の無言の駆け引きは終わり。
「新しい玩具をくれると聞いたが?」
黄がタコスを頬張りながら言う。
黒澤は、ビンに差し込まれたライムの切片をビンの中に押し込みながら頷く。
「短いのを三つ。長いのを一つ。アモは大目に」
符丁で黒澤が黄にオーダーをかける。
『短いの』は『拳銃』、『長いの』は『狙撃用ライフル』、『アモ』は『弾』を示している。
「その程度なら、船にある。対価はいつもと同じでいいな」と言って、左手で隠しながら黒澤だけが見えるように、右手でハンドサインを送ってくる。
ハンドサインは、指の動きの組み合わせで代金を示していた。
符丁もハンドサインも盗聴器で録音されないための用心だった。
「承知した。十分後。玩具はそのとき持って行く」
黄は、黒澤が注文したコロナビールからライムを抜き取り、それを噛み砕いて飲み込む。すっぱくないの?
「新しい玩具が来るというから、今まで使っていた玩具を処分したよ。いいものなのだろうね?」
チュパチュパとライムの果汁のついた指をなめながら黄がそんなことを言っていた。いちいち気持ちの悪い奴だ。
「間違いない。君の大好物さ」
まるで天気の事を話しているかのような、平坦な黒澤の声。
黄は『嫌悪感』ですら黒澤から引き出すことが出来ない。
黄のセーフ・ハウスと化している小型のクルーザーには、誰にも入ることが出来ない。
唯一、金だけはデッキまでは入ることを許されていて、それは黄が金に気を許しているのではなくて、心底馬鹿にしているから。
黄の祖国の男たちは、金の祖国の男たちを数段下に見ることが多く、男性なのに女性的な金は黄の嘲りの対象としてはぴったりだった。
黄のあからさまな侮蔑を金は全く気にしていない様だが、金のパートナーである紫の気持ちは収まらない。
だから彼女は黄が大嫌いなのだった。