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大逃げ

 死体の転がっている場所を、私は死体処理と現場の偽装を専門に請け負う業者に連絡をした。

 『故売屋』と同じように、社会の闇で蠢く連中の同類で、通称『掃除屋』。

 死体を解体し、使える部分は腑分けし、事件現場をきれいに清掃して、簡単な内装工事までやる。

 うわさによると、彼らは巨大な粉砕機を所有していて、冷凍庫でカチンカチンに凍らせた死体をシャーベット状にするとか。

 それを適当に海に流せば、誰にも悟られず、骨すら残さずに人を一人完全に消滅させることが出来る。

 砂粒程度に潰された死体は、小魚の餌になり、小魚はより大きな捕食者の糧になる。

 『掃除屋』に処理されるような人間は、殆どがまともな人間ではないから、小魚の餌になって、食物連鎖の中に組み込まれるという最後は、クズの人生の終わりにしては上等な部類なのではないかと私は思う。

 私と黒澤を乗せたワゴン車は、一方通行の多い、細い下町の道をゆく。

 わざわざそんなルートを採るのは、コンビニエンスストアが少ないイコール監視カメラがないのと、Nシステムを警戒してのことだ。

 仕事柄、そういったルートは熟知している。

 迷路のような道を辿ると、町工場が密集している一角に着いた。

 夜中なので、工場は沈黙しているのだけれど、金属の焼けるような匂いが、残り香のように漂っていた。

「このあたりは、昔から鋳物工場とか板金工場なんかがあるんだ」

 問わず語りに黒澤が言う。

 板金工場の赤錆びたシャッターの前に、場違いなキャンピングカーが駐車されていた。

 唯一と言ってよい、我々の本拠地がこれだ。

 医者の白井さんの動く病院兼住居。

 白井さんの助手と護衛を兼ねる桃山の2人がこのキャンピングカーで寝起きしている。

「このワゴン車はここに置いておく。故売屋に連絡しておいてくれ」

 これでやっと、ベッドで眠ることが出来そうだ。目の前のキャンピングカーが、私には宮殿に見えた。

 私は、故売屋にこの場所の座標を指示しながらキャンピングカーのタラップを上がる。

 桃山がコーヒーを淹れているのがわかった。

 だって車内は、消毒薬とコーヒーの香りがしたから。

 寝室兼診察室になっているキャンピングカーの後部には、灰谷と赤崎がいた。

 この二人は、黒澤がこの組織を立ち上げた時の初期メンバーで、いつも普通のスーツ姿の赤崎などは、とてもそうは見えないのだけど元・武闘派のヤクザだ。

 赤崎は、ひょろりとした長身で、鋭角的なモデル顔をしている。例えて言うなら、そう、洋服のマネキンみたいなバタ臭い顔。

 各パーツの造作は良いのに、酷薄な唇と三白眼が、彼の本質を晒してしまっている。

 尻軽で脳みそお花畑な女なら騙されるかもしれないが、老練な水商売の女や苦労人の女なら、暴力の気配を感じ取るだろう。

 灰谷はもっとわかりやすい。

 背はそれほど高くないが、胸板が厚く肩幅が広いので、見た目より大きく見える。髪は短く刈り込んでおり、金の鎖を首にしている。

 そして、潰れた鼻とカリフラワーにようになった耳とくれば、マル暴の刑事か本職のヤクザにしか見えないのは仕方ないだろう。

 でも私は、彼の金鎖のロケットの中に、昔飼っていた猫の写真を入れているのを知っている。

 ジャガイモみたいな顔をして、赤崎よりよっぽどロマンチストだってことも。

 その灰谷は、ベッドに横たわったまま、軽くいびきをかいていた。

 赤崎は、頭に包帯を巻いて、その隣のベッドに腰掛けている。

「灰谷は、腹を撃たれた。白井先生が、弾を摘出して、縫った。今は麻酔がきいて眠っている」

 赤崎は、品川区の海沿いの巣穴に潜り込んでいた時に襲われたらしい。

 そこはコンテナ置き場で、まるでアトラクションの迷路のようになっていたのでなんとか襲撃者を撒くことが出来たという。

 跳弾か砕けたコンテナの鉄片で、額が裂けたが、軽傷で心配ないらしい。

「一斉に踏み込まれたみたいだな」

 黒澤は、私が襲撃されたこと、私と合流後にまた強襲されたことを、襲撃犯の一人を捕獲したことなどを、淡々と赤崎に語る。

「なんで、わざわざ迎撃するかな? 翠のように回避するのが正解でしょうが」

 そういって、赤崎はあきれていたが、私も概ね彼の意見に賛成だ。

「このジャジャ馬、また怪我したな」

 白井さんが、そう言いながら診療室兼寝室に入ってくる。

 彼は、黒澤と私が捕えた男に応急処置を施していたのだった。色々と聞くことがあるので、もう少し生きていて貰わなければならないから。

 白井さんは、腕のいい外科医だったのだけど、自分が経営していた医院も何もかも放擲して黒澤の組織に加わった人だ。

 年齢は七十歳に近い。だが、声に張りがあり、動きにもヨボついたところがないので、老人らしからぬ人物だった。実際、老人扱いをすると怒る。

 怒ると、わざと麻酔なしで治療したりするので、不遜な黒澤でさえ、敬語で接していた。

 白井さんは、まるで鶴のように痩せていて、タバコとコーヒーだけが楽しみらしい。

 酒は、指先が鈍るといって、昔から一滴も飲まないのだと言っていた。

 消毒と抗生物質の注射。私の肩は、縫うほどの怪我ではないそうだ。大型の絆創膏のようなものが私の肩に貼られた。

 まるで軍医のような手早い治療。

 ここは、いわば野戦病院みたいなものだから、軍医という比喩はあながち間違いではないのかもしれない。

 ありがたいのは、渡された熱いコーヒーだった。

 白井さんに、あたかも従僕のように仕える桃山は、コーヒーを淹れるのがとても上手い。紅茶を入れるのもとても上手い。キャンピングカーの貧弱な調理場ギャレーで、料理も作れる。

 しかも、都内だけでなく近郊の道路はすべて頭の中に入っていて、渋滞すり抜けて移動することもできる。

 更に、白井さんの手伝いをするうち、有能な看護師の役目もこなせるようになったという。

 直接見たことはないけれど、合気道のような体術を会得していて、腕は立つそうだ。

 見た目はすっきりとした和風のハンサムな顔立ちなのだけれども、なんとなく記憶に残らない顔だ。

 引き締まった体つきをしていて、身長は大きくなく、しかし小さくもない。

 なにをやらせてもそつなくこなすのだが、どうしても『殺し』が出来ないらしい。

「宗教上の理由です」

 ……などと言っているが、まぁ信じる奴はいない。

 白井さんは、何か知っているみたいだけれど、口は堅い。

 そもそも、何か事情がなくて、黒澤の組織に入る者など皆無だ。

 だから、互いに詮索しないのがルール。

 黒澤が桃山の扱いについて、それでよしとしているなら、私には別に文句はない。

「桃山、静岡方面にに向え。そこで黄を拾う」

 桃山は頷き、運転席についた。



「裏切ったのは緋村だ。俺の仕掛けに食いつきやがった」

 白井さんは、興味なさそうに将棋の本などを読み始めた。

 私は、桃山が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、雨に濡れる街を窓から眺めていた。

 黒澤と赤崎が話している。

 私から襲撃されたという報告を受けた後、黒澤はわざと安否確認のメールを緋村に送ったらしい。

 葛飾の廃ホテルは、急遽使用することになった巣穴で、本来黒澤が使うはずだった無人の巣穴は、やはり正体不明の武装集団に襲撃されていた。

 誰がどこの施設を利用するかを把握しているのは、組織のデータベースを管理している青木で、増加する処理件数を緩和するために、青木の助手として雇ったのが緋村だった。

 つまり、緋村は組織に入り込んだスパイだということ。

 では、緋村は誰に雇われたのか?

 そこから解きほぐしていかなければならない。

 その端緒として、襲撃犯を捕えなければならないと、黒澤は判断したのだ。

 そのための餌は大きくなければならない。

 そういう意味では、この組織の首領である黒澤は敵が食いつきやすい餌と言えるだろう。

 私というバックアップも得ることが出来たので、咄嗟に仕組んだ罠が、葛飾の廃ホテルだった。

 正体不明の敵はそれに引っ掛かった。まぁ、我々にとっては危ない賭けではあったのだけど。

 黒澤は、自分の運命の限界点を自分の身で試すようなところがある。

 彼が私と同じく毀れている証拠だ。

 そういった行動は、黒澤の旧友である赤崎も灰谷も理解できないところだろう。

 でも、私は理解できる。

 黒澤に自殺願望はない。

 黒澤が危険に身を晒す行為は、どこまでも死に近づくことによって生を実感するという、一見矛盾した感覚だ。

 その感覚を私と黒澤は共有している。

 誰にもわからない二人だけの感覚。

 黒澤が私という化け物を飼い続けるのもそれが理由なのかも知れない。

 鎮静剤が効いたのか、私はマグカップを握ったまま眠っていた。結局、ベッドで寝ることはとうとうできなかったようだった。


 移動野戦病院ともいうべきキャンピングカーは、東京を離れ伊豆半島に入っていた。

 撤退する時は、思い切り逃げるのが定石。

 黒澤と赤崎はその定石に従って大逃げしたのだった。

 静岡にいる黄、旅行中の金と紫を拾い上げるという目的もあって、伊豆を経由して静岡方面に向かっているらしい。

 雨はいつの間にか止んで、伊豆の熱川に差し掛かる頃には夜明けが近づいていた。

 その熱川には、ワニを展示する動物園がある。

 キムはその動物園が大のお気に入りで、オフともなれば、そこに向かう。

 従って、常に一緒に行動しているゆかりもそこにいるというわけだ。

「桃山と迎えに行ってきてくれるか?」

 探るような目で、黒澤が私に言う。

 私を拉致して監禁し、身も心も毀し、そして私に殺された十四人の男は、金と同じ国の男だったから。

 私は、今でも金と同じ国の男たちが大嫌いだけど、金だけは別だった。

 私と同じ境遇だったことが要因なのかもしれない。

 金の祖国には徴兵制があり、細身で華奢なシルエットで、まるで女と見紛うばかりの中性的な顔の金は、二年もの徴兵期間の間、文字通り『可愛がられた』のだった。

 私のように顔が変形してしまうほどの暴力を受けたわけではないけれど、気が遠くなるほど長い時間、兵舎ぐるみで凌辱され続けた屈辱は金の精神を蝕み、結果、金は毀れてしまったのだ。

 夜の『奉仕』のために、厨房担当という楽な任務につくことが多かった金は、戦車や装甲車の塗装などを行う工兵からシアン化合物を盗み出し、アーモンド・プリンに混ぜて彼を慰み者にした小隊六十人余りに出したのだ。

 その日は、小隊長の誕生日だったので、特別メニューとして食後にデザートが出るのを、金は知っていて、お祝いの言葉のあとに、皆が一斉に食べるという習慣を利用したのだ。

 一斉に食べれば、より多くの人が死ぬ。

 バラバラに食べてしまっては、誰かが昏倒した際に食べるのを止めてしまう者が出てしまう。

 金はそれを避けたかったのだった。

 食事がひどいことで有名な金の祖国の軍隊では、特別デザートはごちそうだ。

 大口をあけて、掻き込むように全員が食べた。

 ただ一人、金を除いて。

 こうして、当直で同席できなかった数人以外を殺害した金は、苦しんで死んでゆく男たちを見学したのち、金は用意していた漁船に乗り込んだのだった。

 連夜、同性に凌辱されながら、じっとこの日を待っていた金の心の闇が、私には分かる。

 あの日から金の精神は、ずぶどろの歴青の中にいる。

「いいわよ、迎えに行く」

 私は背伸びをしながら言う。殴られた傷は目立たない程度に腫れが引いたし、坐ったまま寝てしまったので、少し歩きたい気分だった。

 黒澤の人選は理解できる。

 赤崎と黒澤は、動物園に行くには、ゴツすぎて違和感がある。

 白井さんは、子供連れなら「孫とおじいちゃん」という感じで自然だけれど、私とでは違和感がある。

 その点、桃山と私なら温泉にしけこんだカップルが、動物園に足を延ばしたと見えなくもないのだ。



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