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ぽっかりと開いた黒い穴

 私と用心棒の距離は七メートルほどだったが、私のワルサーPPKの銃口は既に彼の方向を向いており、撃鉄も起こしてある。彼のマカロフは、まだ地面に向いている。

 回避行動をとるか、反撃するか、一瞬の躊躇が用心棒にあった。

 私にとっては、それだけで十分だ。

 小走りのまま、撃つ。

 ワルサーPPKの初弾はダブル・アクションだが、薬室に銃弾がある状態で撃鉄を起しておくと、シングルアクションで撃てる。

 つまり、手ブレを少なく出来るということ。

 そして、私は十メートルまでの距離なら、どんな姿勢でも、たとえ走っていても、直径五センチの的の中央に当てることが出来る。

 七メートルは私にとって必殺の距離だ。

 用心棒はのけぞって倒れる。眉間の中央にボコリと穴が開いて、ぱっと血煙が上がる。

 銃弾の燃焼ガスでワルサーPPKのスライドがブロウバックし、硝煙を曳いて空薬莢が排出された。

 全てがスローモーション。

 光も音もとても鮮明で、あらゆるものが私の認識下にあると思わせるこの瞬間が、私は堪らなく好きだ。

 これは、神秘体験でもなんでもなく、アドレナリンの奔流のなせる業なのだけど、それでも素晴らしい体験ではある。

 大理石の白い床に鮮血が飛び散り、彼のマカロフが音を立てて床に落ちる。

 私は、小走りのまま『顧問』の楯になっているSP上がりの男を撃つ。

 彼は防弾チョッキを着ているはずなので、迷わず頭を撃った。

 護衛を無力化させるのではなく、殺す。

 これは、ヤクザの護衛はリスクが高いという警告のため。

 銃で武装できない日本の民間警備会社は、圧倒的に不利で割に合わない商売ということにすれば、護衛のノウハウを持った連中が当該ビジネスから手を引くだろう。

 そうすれば、私たちがやりやすくなる。彼らはいわば商売敵なのだから。

 ゆえに容赦しない。好んで暴力の世界に踏み入ってきたのだから、彼らは殺されても文句はないはずだ。

 当然、私も今この瞬間死んでも構わないと思っている。

 SP上がりの男は横に吹っ飛び、血と脳漿がクライアントである『顧問』に降りかかった。悲鳴を上げたのはクラブのママではなく修羅場をくぐっているはずのこの男だった。

 まともに返り血を浴びて血まみれになり、屠殺寸前の豚のように悲鳴を上げ続けている『顧問』の腹を撃つ。

 ぶつんと断ち切られたように悲鳴が止む。

 透明人間にボディブローを受けたかのように前に屈みこんだ格好で、標的の男の動きが止まる。

 禿かけて薄くなったこいつの頭頂に一発撃ちこむ。そして、リムジンのドアの前で呆けたようになっている刀傷の男の眉間を振り返って撃つ。

 パン、パン、パンパン、パンと五回の銃声がワルサーPPKから発せられた。

 僅か数秒ほどで四人の命が消えた。

 私は落ち着いていて、射撃は精密。待機している間、やたら寒かったことを除いて計画は完璧だった。

 知覚が鋭敏化する例の感覚も、潮が引くように治まってゆく。頭の芯に微かな痛みを残して。

 あとは手順に従って引き揚げるだけ……と、思ったその一瞬、まるでヘビー級ボクサーに殴られたような衝撃を左の肩に受けて、私はその場でバレエダンサーよろしく一回転した。

 更にもう一発の銃弾が頭の至近を掠めたのでキーンと耳鳴りがする。

 これは、ダブルタップという、二発連続して撃つやり方だ。

 そしてこの二発とも、私の頭を狙った狙撃だった。

 この射撃方法は、私と同じく軍隊式の射撃訓練を受けた者の手口。警察の訓練を受けた場合は、腹を狙ってくることが多い。

 『制圧』と『無力化』の差なのだろう。

 反射的に銃声がした方向三発撃つ。

 ワルサーPPKは、スライドバックしたまま止まった。八発全部撃ってしまった。これで弾切れ。

 必ず一発残すように訓練していたのにとんだ失態だ。

 舌打ちをしながら無意識にマガジンを交換し、空のマガジンをポケットに落とす。

 見れば、バーのママらしき美人が、用心棒が落としたマカロフを構えたまま、糸の切れた人形のように崩れ落ちるところだった。彼女の胸からは大量の血。

 私が咄嗟に撃った三発の銃弾のうちどれかが命中していたのだ。それが、胸を貫通し大動脈を引きちぎったのだろう。

 咄嗟に死角の敵を探知出来たのは、現場を立体画像で各自の位置関係を頭に叩き込んでいたから。

 これが現代の『拳銃使ガンスリンガーい』としての習性の賜物。

 私はワルサーPPKのスライドを引いて、初弾を薬室に送り込んだのち、倒れたママを改めて撃った。

 咄嗟に撃った三発では、急所に確実に当てたという確証がないから。それと、腹いせも少し含まれていたかも。

 今度の弾丸はママの形のいい顎を砕いて、脳幹を貫き多分頭蓋骨内で止まったはず。

 もともと威力が小さい32ACP弾は貫通力が低い。

 わざと盲管銃創に仕向けるのは、旋条痕の残った弾頭を被害者の体内に残すためでもある。わざわざ『顧問』を二発撃ったのもこれが理由。

 私が標的を仕留めたという、いわばサインだと思ってくれればいい。

 私はズキズキと痛む肩を押さえて、空ぶかしをしていたバイクの方に向かった。

 騒ぎになる前に、バイクに乗って逃走するのが、今夜のシナリオの仕上げ。

 アドレナリンの奔流で、時間がゆっくり経過しているように思えるが、実際は最初に用心棒を撃ってから三十秒も経っていない。

「早く!!」

 フルフェイスのヘルメットのせいでくぐもって聞こえる声で言ったのは、バイクを空ぶかしし、様子を見に来た男を撃った男。

 私の仲間で橙次って呼ばれている新入りだ。

 この男のバイクに乗って私は逃亡するのだが、彼はこれが初仕事なので少し焦っているように見える。

 彼は、自衛隊の第一空挺師団にいたという触れ込みで、銃器の扱いや徒手戦闘、ナイフの使い方まで即戦力という期待のルーキーなのだと聞くが、自衛隊じゃ、生身の人間を撃ったことがないのは当たり前だから、焦るなという方が酷かもしれない。

 植え込みから、革靴の先が見える。

 油膜のように路面に広がるのは血だ。

 警備会社の男を撃ったあと、橙次は植え込みの中に、わざわざ引きずって押し込んだらしい。

 死体を隠す必要がある場合もあるが、今回は不要。むしろ、わざと路上に転がして、追手を足止めさせる方がいい。死体だって役に立つことがある。

 そんなことより、私が引っ掛かっているのは別の事だ。

 バーのママの射撃能力。

 私はSP上がりを撃った時からずっと、小走りで移動していたのだ。

 静止した的を撃つのと違って、動く標的はぐっと命中率が下がる。

 経験から言うと、素人の女があんなに正確な射撃を、動く標的に出来るはずがないのだ。

 しかも軍隊式のダブルタップの撃ち方だし。

 あと十センチずれれば、私があそこに倒れていたかも知れない。

 考えられるのは、彼女は愛人兼護衛だったという可能性。

 あらゆる可能性を吟味するのが青木の仕事ならば、青木はまたしくじったことになる。

 敵の戦力を見誤るのは特に大きなミスだ。

 バーのママが護衛のうちの一人と予めわかっていたなら、他にもやり様はあった。

 今、私が生きて肩の痛みを感じる事が出来るのは、単なる偶然に過ぎない。

 生死を司る運命の天秤が、たまたま「生」の方に振れていただけ。そして、死んでしまえば痛みは感じない。

 今回は、運が良かった。ただそれだけのこと。

 熱いシャワーを浴びてラム酒をひっかけ、アラスカの電柱みたいに冷え切った体を温めたら、青木を一発殴りに行くとしよう。

 そんなことを考えながら、私は私を待っていたバイクのタンデム席にまたがる。

 肩が痛くてヘルメットをかぶるのに手間取ったけれど、概ねシナリオ通りに事は終わった。

 私が席に座るのを待ちかねていたようにバイクが急発進する。

 私は橙次の広い背中に抱き着き、体を密着させた。

 肩は痛んだが、湯たんぽみたいに橙次の背中が暖かいのは気に入った。


 バイクは住宅地の入り組んだ道を抜けて、何の変哲もない駐車場に入った。

 監視カメラも無く、近くにコンビニエンスストアもない場所を慎重に選んである。コンビニエンスストアには、たいてい防犯カメラがあるものだ。

 警察にはNシステムというものがあり、特定の車両を主要道路なら追跡できる。

 つまり、橙次のバイクがNシステムで追跡される危険があるということだ。

 街中の防犯カメラやコンビニエンスストアの防犯カメラも、警察に利用される。

 だから、こういう場所で乗り物を替えるのが私たちの基本的な手順。

 警察の緊急手配がかかったら、対象になるのはバイク。私たちはそれ以外の移動手段で離脱すればいい。

 乗り捨てたバイクは、小型トレーラーに積み込まれて、どこかに消える。

 橙次と私はその駐車場に置いてある乗用車に乗って各自の巣穴に戻る。

 ちなみに、この乗用車も適当なところに乗り捨てておけば、下請けの業者が回収して、やはり消える。

 そういった備品の回収や補充を専門にしている男たちがいて、彼らは私たちの組織とは関係ない非合法の『故売屋』だ。

 盗難品をきれいに洗浄して転売するのが彼らのシノギ。

 私に限らず、仲間には決まった巣穴はない。

 不景気の影響で、バブル期につくられ、そのまま廃棄された商業ビルやブティックホテルが、半ば朽ちかけたまま全国に何か所も保管されており、それをどれでも好きに利用することが出来る。

 定期的に交換されるトバシの携帯電話と、海外のプロバイダを経由したノートバソコンが、私と仲間をつなぐ数少ない手段だ。

 私は、使うことが出来る巣穴のうち、比較的マシな施設を使うことにした。

 着替えが必要だし、何より熱いシャワーを浴びない事には芯まで冷えたこの状況を改善できない。

 私は、今でも一般向けに営業を続けているビジネスホテルにチェックインする。めぼしいホテルには、私の着替えがフロントに預けてあり、このホテルもそういったホテルの一つだ。

 着替えと、ルームキーを三つ受け取る。

 必ず三部屋同時に確保するのは、万が一襲撃されたときに、敵に的を絞らせないため。

 じゃじゃやーん! ABCどれかに当たりが入っています……というわけ。

 オートロックではないホテルで、フロアの監視カメラもないので、フロントも三部屋のうちどの部屋に私が入ったか把握できないのがポイントだ。

 ワルサーPPKを抜いて、部屋の中を点検する。これもまた、叩き込まれた習性。

 一通り点検が終わると、やっとずぶ濡れのピラピラした服を脱ぐ。

 左肩は、弾がかすめただけらしく、ちょっぴり肉が削られていたけれど、たいした怪我ではなさそうだった。

 濡れた服を脱ぎ散らかしたまま、シャワー室に入る。

 やけどしそうなほど熱いシャワーを浴びた。

 肩から血が流れ、白い私の肌をまだらに染める。

 痛みはやがて慣れる。

 私は身を以てそれを体験していた。

 殺人の嫌悪感もいつしか慣れてゆく。

 だから、今日の出来事に私は何の感慨も無いのだけれど、橙次はびびっていた。

 常識で考えれば、それが当たり前の反応なのだと思う。

 普通の人間にとって殺人や暴力は最大の禁忌。

 つまり、まだ彼は毀れていないということ。

 私はとっくに毀れてしまっている。三年前のあの日、私は身も心も毀されてしまった。

 外面的な傷は、治ったように見える。

 体中の傷は、目立たない程度には消えたから。

 殴られ続け、倍にも腫れ上がってぐちゃぐちゃにされた顔も、見栄え良く整形手術され別人の顔になった。

 でも、あの日以来ずっと私の心に巣食うドス黒い何かは、毎日少しずつ成長していて、いつか私は私でない何かになってしまいそうだ。

 いや、もうすでに人ではない何かになってしまっているのかも知れない。

 今日、わずか数秒で五人の命を奪った。

 それなのに私の心には漣一つおきない。


 憎悪もない。


 後悔もない。


 恐怖もない。


 昂ぶりもない。


 怒りすらない。


 何もない。まるで私はぽっかりと開いた黒い穴みたいだ。

 そんな空っぽな私の肩からは血が流れている。


 果たしてこれは人間の血?


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