狩人は獲物を狙う
携帯電話で赤崎に連絡をとる。
幸い、クルーザーは電波の届く範囲を航行していたようだ。
「篠組にいた時にあんたらがよく使っていた店、思い出せる?」
赤崎は几帳面なので、何か記録が残っているかもしれない。
それが攻め口になるかどうかわからないけど、情報の収集が作戦行動の第一歩なら、それはもう始まっているのだ。
「いくつかある。灰谷にも聞いて、メールでリストを送るよ」
私は礼を言って電話を切った。
出前のタイミングに合わせて、一階の玄関を突破する。
そんなプランが、私の頭に浮かんでいた。
明確に標的が示され、いかに効率良く暴力を振るうかを企画立案するのは本当に楽しい。
ハンターの『狩りの楽しみ』とはこういうものなのかもしれない。
もっとも、熊や鹿を撃つのではなく、私の場合は人を撃つのだけれど。
黒澤が磁石でつく会社のロゴで偽装した白いワゴン車に乗って、篠組の斜め向かいにあるビルの屋上に向う。
寒空の中、毛布をかぶって『ヤクザビル』を観察する。
誰が入り、誰が出てゆくのか。
店屋物を注文する頻度。
一日の人の流れ。
あらゆるものを、望遠レンズ付きのデジタル・カメラに収める。
わずかな日数で、膨大な画像データが、黒澤と私の巣穴に蓄えられた。
私は、飽くことなく、油断なく、そして確実に、カメラのシャッターを切ってゆく。
壁に模造紙を張って、印画紙にプリントアウトした画像データを張り付けてゆくと、事務所にいる人物の動きが、浮かび上がってくる。
例えば、この篠組の本拠地の警備主任的な役割をしている草戸という若禿の男だが、殆どビルから出ない。
ビル内に個室が用意されていて、そこで寝泊まりしていることがわかった。
同じような警備担当が三人いて、この三人が八時間交代で警備員室に詰める体制だった。
経理などの総務一般を扱っている市木という顔色の悪い末成の瓢箪みたいな男は、自宅がある春日部から一時間半もかけて通勤していて、毎日きっちり午前八時半に出勤、午後七時に退出というリズムを繰り返している。
そんな、細かい事柄が注意深く観察していると分かってくるのだ。
それが、巣穴の大きな模造紙に画像データと一緒に書き加えられてゆく。
そうしていると、何となく攻め筋みたいなものが見えてくるのだった。
金と紫も、今頃は全く同じことをしているだろう。
篠組が雇った傭兵が潜伏している川崎市の現場は、相手が軍隊崩れということもあり、日本の戦場慣れしていないヤクザより数段難しいかもしれない。
日本のヤクザの襲撃は、玄関口を銃で撃ったり、実弾を郵送で送りつけたりする、いわば示威行為に終始することが多い。
実際の「斬った、張った」は、改正暴力団対策法の施行によってリスクが高いものとなり、廃れつつある。
だから、要塞化した事務所とはいえ、進入路さえ防備していれば内部は安全という油断がある。
私と黒澤はそれを最大限に利用して、最大限の打撃を与えなければならない。
少なくとも、事務所内部に常勤している二十名は死んで貰わなければならないし、組長の篠塚にも致死の弾丸を撃ち込まなければならない。
「ビルの設計図、手に入ったぜ」
この日、一日私と別行動をとっていた黒澤が、プラスチックの円筒の図面入れから、設計図を取り出す。
篠組がビルを建設する際、豊島区の建設課と、東京消防庁に提出した図面だった。
五年前に建築法が改正されたのに伴い、東京消防庁がこのビルの内部を視察した記録も添付してある。
これは、東京都庁に伝手がないと、手に入らない代物だった。
要塞化された篠組の事務所のビルが裸になってゆく。
常勤の構成員の面割も半数以上が済んで、出身や家族構成に至るまで割り出してあった。場合によっては、皆殺しにする。
組長の篠塚は事務所に顔を出すのをやめて、旧軽井沢にある別荘に避難しているらしい。
我々の殲滅に失敗したことに気付いて、守りに入ったということだろう。
安全な巣に潜り込んでしまった狐は狩るのが難しい。燻り出す手段も考えなければならないから。
「まず、事務所を叩いて篠組の面子を潰す」
それが、我々の初手。
その初手が派手であればあるほど、篠塚は動かざるを得なくなる。
ヤクザ社会にとって、面子はとても大事で、これがないと彼らの世界では発言力が低下してしまい、シノギが枯れる結果となる。
シノギが大きいということは、その組織が勢力を持っているということ。
だから、動く。少なくとも動く素振りでも見せなければならない。
そして、動けば必ず隙が生じるものだ。
生じた防備の間隙をいかに突くかが、今回の作戦行動の要諦になる。
私は、そうした全体の作戦を考えるのが苦手だ。襲撃の手順を考えたり、防備の突破方法を考えたりする『戦術』を考える方が好き。
全体の流れは、黒澤に任せるのが正しい。
黒澤は作戦上、事務所を派手につぶしたいと考えていて、私は派手につぶすにはどうしたら良いのかを考える。
「二段構えしかないな。金と紫のチームが片付けば、合流したいところだ」
捕捉すべきターゲットが2つに分かれてしまっているので、これは仕方ない。
「野郎の巣穴を順番に、丹念につぶす。俺たちを舐めるとどうなるか、見せしめだ」
私たちは誰の下にもつかない。
金を受け取り、暴力を振るいたいのに振る事が出来ない者の代わりに、暴力を行使するだけ。
誰かの専属になれば、大きな組織の歯車の一つになってしまい、我々の見えないところでの意向に左右される存在になる。
実は、その方が我々を使いたい者にとっては安心だ。
例え獰猛な獣でも、首輪を着けて檻に閉じ込めておけば安全だし、使役したいタイミングで檻から解き放てばいい。
そうして生きている暴力装置もいる。
黒澤は、それに異を唱えた。
暴力でしか生きられない者がいて、それらが生きていくための場所があってもいいと考えたのだった。
桃山と白井先生は動機がわからないけど、赤崎も灰谷も紫も金も、死んだ青木や橙次も、それに共感して我々という一つの暴力装置の部品になった。
黒澤という個人に惹かれてきた私もその分類に入るのかも知れない。
「古い仕組み」と「新しい仕組み」
両者の間に『共生』が成立することは稀で、いつか必ず衝突がおこる。
黒澤はそう想定していると言っていた。
もし、そうなったらどうするか? それも考えていたのだろう。
だから、迷わず行動を起こした。
私たちのような暴力装置を、古い仕組みの中に組み込もうとする勢力に、恐怖を与えるため。
これは、生存をかけた戦い。
篠組は、そのための生贄。
「なぜ、あなたは組織を守るの?」
黒澤が手に入れた図面に目を落としながら、私は思わず問いかけていた。
「志がある。そのためと言ったら、翠は俺を殺すかい?」
血の臭い。漂う硝煙。痛みが体中に走っている。初めて撃った銃の反動と音。 悲鳴と命乞いの哀願。アイゴー……、アイゴー……、アイゴー……。
淀んだ汚水の……否、もっともっと穢い何かの記憶。
「俺と来い。居場所は俺が作ってやる」
その時、黒澤はそう言った。
それは、どんな福音より私の心を揺さぶった言葉だった。
それは、どんな悪魔の囁きよりも巧みに、そして深くトロリと私の精神に流れ込んだ甘美な毒だった。
「志なんて知らない。私にはそんなもの意味がない。あなたが撃てと言えば撃つし、私はそれが誰よりも上手に出来る。それだけ」
私が黒澤を殺したくなるまで、誰にも殺させない。
その言葉だけは、口に出さなかった。
黒澤は毀れている。毀れているからこんな組織を作った。
私も毀れている。毀れているから平気で人を殺せる。
毀れた者同士の共感が、私と黒澤をつなぐ絆なのならば、私にとって『志』なんて言葉は、その尊いものを冒涜する代物にすぎない。
「いつか、翠には、ちゃんと話すよ」
ぽつんと黒澤がつぶやく。
ずっと、私と同類だと思っていた黒澤に感じる、ほんの僅かな違和感。
その違和感が我慢できなく程に大きくなった時、この世界に私を引き留める碇を断ち切るため、私は黒澤を撃つのかも知れない。
「言葉なんて、虚しいわ」
死神の黒い裳裾が、常に頬を撫でているような生き方をしているのが私たち。
だからこそ、百の言葉より大事なものがあると分かっている。
「そうか。そうだな」
黒澤が、ハイライトを咥えて、紙のマッチで火をつける。薄暗い私たちの巣穴に煙草の煙が流れた。
「殺すよ。いっぱい殺す。あなたは、私にただ命じればいい。殺せと」
やはり、言葉では何かが足りない。
これでは私が黒澤に伝えたいことが全部吐き出せていない。
猫のようにするりと、黒澤の懐に入る。
私が本物の猫なら、ゴロゴロと喉が鳴っていることだろう。
あの日、あの時、こんな風に後ろから私を包み込むように抱きしめながら、黒澤は恐怖と屈辱の残滓に震える私に、ワルサーPPKを持たせてくれた。
それで私は、十四人を撃ったのだ。長く苦しむように、嬲り殺しにした。
あの日と同じように、黒澤のタバコくさい吐息を首筋に感じる。
ぞくぞくと背中に電気が走るのを感じた。
度重なる凌辱で、女性だけが持つ子供を成す器官に重傷を受けた私は、もう子孫を残すことが出来ない。
誰かと性交することすら出来ない体にされてしまった。
それでも雌の本能だけは残っていて、その本能が狂おしいほどに黒澤を求める。今日みたいに黒澤が硬いガードを解きそうに見える日は、特に。
のけぞるようにして、後ろから抱きしめてくれている黒澤の目を覗き込む。
私と黒澤の視線が絡んだ。
黒澤の目の奥に欲情が見えた。うれしさに、私の体に震えが走る。
紫から、傭兵の残党を討つ手筈が整った事を伝えるメールが届いたのは、その時だった。
一気に魔法が解けたようになった。
どちらともなく視線を外す。
まったく、これじゃ、初心な灰谷を笑えない。




