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反撃開始

「責任をとります」

 ぽつりと赤崎が言う。緋村は赤崎が招き入れた。その責任をとると言っているのだ。

 その言葉を聞いて、今度は黒澤がため息をついた。

「あのなぁ赤崎、俺たちはヤクザじゃないんだぜ。暴力を効率よく行使するための装置だ。義理とか任侠とかそういったことわりから外れた存在だ。頭を切り替えろ」

 我々は全体がチームで、各人が各人の機能を果たすことによって最大限の効果を発揮する。そういった全体の仕組みを考える黒澤も、我々という精密な暴力装置を機能させる歯車の一つに過ぎず、したがって我々の間に序列などはない。

 組長を頂点にきっちりとした身分制度で全体を統率するヤクザと我々はそこが大きく異なる。

「俺がお前らと話しておきたかったのは、今回の責任の所在の確認ではなく、お前らの覚悟だ」

 暴力が商品である我々に暴力が加えられたら、より大きな暴力をもって報いる。速やかに。そして徹底的に。

 我々を利用すれば便利で、潰そうとすればリスクを伴うということを、知らしめなければならない。

「お前らの古巣を潰す。皆殺しにする。それでいいな?」

 赤崎は大きく唾を飲みこんだ。無意識な恐怖の兆候。

 天気のことを話すような黒澤のしゃべり方と、その内容のギャップに恐怖したのだ。

 赤崎の気持ちは分かる。私の背中もゾクゾクとしたから。

 体の芯がうずいて、濡れてしまいそうだった。

「杯を返した時から、いつかこんな日が来ると思っていました。覚悟を決めます」

 灰谷がそう言って瞑目した。

「ヤクザの世界を見限って、あんたの考えた仕組みに賭けたんだ。今更後戻りは無い」

 咳払いを一つして、赤崎が続ける。

 篠塚とはソリが合わなかったとはいえ、可愛がっていた舎弟や、目をかけていた奴らも篠組には残っているだろう。

 それらを、すべて殺すと黒澤は言っていて、赤崎と灰谷は選択を迫られた。

 ここを抜けるか、全てを振り捨てるかという選択だ。

 我々のことを知りすぎた二人だ。


「やめます」


「はいそうですか」


 ……と、いうわけにはいかない。

 黒澤はまるで、明日の天気のことを喋るかのような口調で彼らに重い決断を強いたのだ。

 ヤクザの世界からドロップアウトした赤崎と灰谷は私や金や黄と同じく、どこにも住む世界はなく、黒澤がつくったこの小さな世界でしか生きられないのだから。

 リビング代わりになっている大きなキャビンから、場違いなピアノの音が聞こえる。

 その演奏家が誰だったか私はもう忘れてしまっていたけど、やはりそれほど悪くはないと思う。

 相変わらず自動航行を続ける黄のクルーザーから離れて、横浜のマリーナへ赤崎は舵を切った。

 今、黄はたっぷり時間をかけて、屈強な人民解放軍くずれの傭兵を少しずつ壊しているはずだ。

 私を銃の台尻でぶん殴った男だったが、もう顔も声も忘れてしまった。

 憐憫の情が沸くかと、黄のクルーザーをデッキから眺めてみたが、全く何も感じない。

 ノーベル平和賞をもらった有名な尼さんは、 


『愛の反対は憎悪ではなく無関心だ』


 と、言ったそうだけど、まったくその通りだと思う。



 私たちを乗せた成金趣味のクルーザーは、横浜でキムゆかりを下船させ、更に航海を続けて今度は私と黒澤を夢の島マリーナに降ろす。

 潜伏場所の手配や足となる車の手配は、本来、青木の役目だったが、今は赤崎が一手で引き受けでやらなければならない。

 データの管理は、我々のバックアップをとっているハイテク犯罪者に割り増しを支払うことで、一時的に賄うことになった。

 その犯罪者は『魔法使ウィザード』と名乗る人物で、その世界ではかなりの有名人らしい。

 黒澤は組織のかなり重要な部分をそいつに任せていて、青木はその下請けのようなものだった。

「青木が死んだよ」

 電話で、黒澤が魔法使ウィザードと話す。

 ハスキーな女の声が答えた。

「あらそう」

 電話の主が女の声だからといって、本当に女とは限らない。

 ヴォイスチェンジャーでいくらでも声は変えられるのだから。

 性別も居所も一切謎に包まれているからこそ現代の『魔法使』たりえるし、噂によると魔法使ウィザードの正体を探ろうとする者は、高い確率で不慮の死を遂げるとか。

 私は、このウィザードとやらが、黒澤の要求に応じる限りは、どんな人物で何処に棲んでいて、何を食べていようが興味はない。

「青木のPCを使って、色々データを抜き出そうとしたみたいね」

 緋村は、パソコンに疎い風を装っていたけれど、それが偽装であった可能性もある。

「どの程度踏み込まれたかね?」

 黒澤が質問すると笑い声が聞こえた。

「魔法使いの城には近づくことすらできなかったわよ」

 青木を装って、ウィザードに接触を試みた形跡があったらしい。

 しかし、拷問を受けたにもかかわらず、青木は嘘のパスワードしか吐かず、その嘘のパスワードにより起動した破壊プログラムによって、青木のパソコンのデータはすべて消えたということだ。

「おでぶちゃん、最後の最後に意地を見せたわね。こんな頑張り屋さんだったなら、一回くらいお情けを上げても良かったかも」

 物理的に殴ったり刺したり撃ったりする闘いの他に、ネット上でもデータやウィルスを武器とした戦いがある。

 私は、そっちはまるっきり疎いのだけど。

 それで青木は死んだ。データを守るのも命がけの戦いになりうるということなのだろう。

「青木の後任が決まるまで、暫くダイレクトにお願いすることになると思う」

 相手に見えもしないのに、黒澤が頭を下げて言う。

「いいわよ。あなたとの仕事は、とてもクールで楽しいもの」

 黒澤とウィザードとの間には、一緒の絆のようなものがある。黒澤はそれに甘えるようなところがあり、ウィザードも頼られることがうれしいような素振りだった。

 この二人の絆は、私と黒澤の絆とは違う、何か志を同じくした『同志』の繋がりのようなものだ。

 私と黒澤が情念で繫がっているというなら、ウィザードと黒澤は思想で繫がっているということなのかもしれない。

 気安い二人の会話を聞いていた私の胸にチクリと針を刺された様な感覚。

 自分でもわかる。これは嫉妬だ。私は黒澤を独占したいのだから。

 『ウィザード』に興味はないと思っていたけど、それは修正。

 得体の知れない魔法使の存在は喉にささった小骨のように気に障る。


 私と黒澤が下船した「夢の島マリーナ」に近い若洲キャンプ場の駐車場には、白いワンボックス・カーが置いてあり、汚れたツナギを着た『故売屋』と思しき人物が黒澤を見て、その車から降りてきた。

 私は、さりげなくヒップホルスターのワルサーPPKの銃爬に右手をかぶせる。

 ホルスターから抜き、安全装置を外し、撃鉄を起して撃つまで、私ならマカロニウエスタンのガンマン並みに速い。

 ツナギの男は、私たちから十メートル程の距離で立ち止まって、地面に車のキーを置く。脅えた兎みたいな動きだった。

「翠が怖い顔するから、近づきたくないってさ」

 黒澤が手振りでツナギの男に「行け」と合図する。ツナギの男は安堵の表情を浮かべて、足早に駐車場から出て行った。

 私は、周囲を警戒しながら地面からキーを拾い上げる。

 黒澤は無造作に白いワンボックス・カーに近づき、運転席に座る。

 黒澤の『勘』は、この近辺に敵は居ないと言っているらしい。

 私は索敵するのが馬鹿らしくなって、拾ったキーを黒澤に投げてよこす。

 器用にそれを受け止めて、黒澤が顎をしゃくった。

「いこうぜ。反撃開始だ。青と橙の仇を討ってやらんとな」


 私たちが向かったのは、篠組の事務所がある東池袋。

 そこに、マンションと雑居ビルの間の狭い空間にヒョロリと細長い五階建てのビルがあり、そのビル全体が篠組の事務所になっている。

 地元では『ヤクザビル』などと呼ばれているようで、その様子は赤崎と灰谷から聞かされていた通りのものだった。

 不自然に見えない様に、細心の注意を払いながら、その近所を白いワンボックス・カーで回る。そうすることによって私の頭の中には、周辺の立体図が組み立てられてゆく。

 ここが、今回の私の狩場。

 私が黒澤のために暴力を振るう場所。

 三度この近辺を回って離脱する。

 襲撃班のうちの一人が拉致されたことが伝わっていれば、篠組は警戒を強めているはず。

 不自然な動きは察知されやすい。

「どうだ?」

 満足するまで現場を観察する私のクセを知っている黒澤が私に問いかけてくる。

「今日は、もうやめとく。明日、時間をずらして巡回しよう」

 時間帯による人の流れを知ることも、現場下見の鉄則だ。

「巣穴も用意してある。そこに潜ろう」

 黒澤がハンドルを切った。

 池袋の北口には古くからラブホテル街がある。

 ここも、不況のあおりを受けて廃業したホテルがいくつか存在し、負債のカタとして差し押さえられたホテルもある。

 私と黒澤が潜り込んだのは、そのうちの一つだった。

 いつものように、小型CCDカメラを何か所かに設置し、ノートパソコンを立ち上げる。

 モニターに廊下や階段の分割された画像が映る。

 CCDカメラは、無線で飛ばすタイプの簡単なもので、画質も悪いけど、警報装置の代替なのだからそれで十分なのだった。

「で、どう思う?」

 防備の確認をしながら、黒澤が言う。

 多分、下見したヤクザビルのことを聞いているのだとわかる。

 黒澤が考え事をしながらしゃべる時は、主語がない。いつものことだから私は気にならないけど、ゆかりはいちいち「何が?」と、つっかかっている。

「入り口が限定されていて、攻めにくい。両脇がビルだもの」

 雑居ビルと賃貸マンションの間の隙間のような空間に無理やり建てたようなビルだ。

 ビルの側面は両隣の建物の壁面に殆ど接しているような状況だった。

 つまり、窓が少ないということ。

 窓が少ないということは、進入路が少ないとうことになる。

 正面玄関のドアは、ヤクザの事務所なのだから、おそらく鋼鉄で補強され、監視カメラも防火装置も万全だろう。

「ヤクザの事務所は要塞のようなものだけど、篠組は特に堅固な部類に入ると思う」

 ヤクザには、いや、ヤクザに限らず日本という国にあるイリーガルな組織には、本拠地が必要だ。

 組長またはリーダーを頂点とした上意下達の命令系統により組織が運用されているから。本拠地を持たない我々とは、そこが根本的に異なる。

「守るものがあれば、必ずそこが弱点になる。あなたがそう言ったのよ」

 今は攻め口が見つからないが、必ずそれはある。

 奇襲が我々の本領で、奇襲は攻める側が圧倒的に有利なのだから。

 黒澤が、我々が使っている白いバンにあった荷物を解いていた。

 そこにはナンバープレートや、マグネット式の会社のロゴなどがあった。

 ナンバーを付け替え、ロゴを張り付けるだけで別の車に偽装が完了する。

 何種類かの変装のための服は別の箱に入っていた。

「中華屋とかピザ屋の服はある?」

 折り畳み式のハンガーに、服をつるす作業を始めた黒澤に尋ねる。

「いや、ないけど。何か気になるか?」

 正面入り口の脇に、ラーメンどんぶりが出してあったのを、私は見ていた。

 ああいった事務所は自炊などしない。

 店屋物で食事をとることが多い。

 どこか、ひいきにしている中華屋があるのかも知れないと思ったのだ。


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