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92話 穢塩黄炎



 ひゅう、と音がした。

 それは乾いたカーテンの裾を揺らす隙間風のような音であり、暗い部屋にともった蝋燭の小さな火を揺らす空気の流れのようにささやかな音だった。


 広く暗く、誰もいない玉座の間に腰掛けた少女、シェラザードは、そうして息を飲んだきり、固まっていた。


 少女の覗く水晶には、最悪の光景が映し出されていた。

 彼女の最も信頼する部下、ジョン・エマルの敗北した姿だ。それも、分身を全て取り込んだ完全体になった上での。

 ジョンの敗北はシェラザードの敗北と同義だ。シェラザードは玉座から動けないのだから。


「これで、この島も終わりか……」


 水晶から目を離し、玉座に深く沈み込む。

 幼い外見には似合わない、ひどく疲れきった姿だった。


「私のしていたことは何だったのか……」


 そう呟くと、シェラザードは目を閉じた。

 このまま何も見ず、聞かず、感じず、動かなくなり朽ちてしまいたい。

 そう願うも、安らぎを捨てたこの身では最早眠ることさえ許されない。

 これからのシェラザードに残されているのは、何の命の気配もない極寒の地獄で、ひたすら世界が終わるのを待ち続ける長い長い時間だけだ。


 夢も希望もなく、退屈だけが漫然と続くこれからを思うと気が狂いそうだ。

 狂うことなど出来はしないのだが。


 絶望と諦感、狂おしい憤りが体の中を駆け巡り、シェラザードは玉座を強く握り締める。

 めきり、と鈍い音がして、肘掛けが歪んだ。


「……?」


 聞こえるはずの無い音に、シェラザードは恐る恐る自分の手を見下ろす。


 強く握る?

 肘掛けが歪む?


 あり得ない。

 だって、この体は、結界に魔力を供給している為に指一本さえ動かすことが出来なかったのだから。


 しかし、シェラザードが力を込め、動かす意思を伝えれば、指はゆっくりと開き、持ち上がる。


「ば、馬鹿な……、私の手が、体が……!」


 動く。

 とても簡単に、動くのが当たり前であるかのように、長きに渡る不随が嘘であるかのように、動く。

 足に力を込めれば、力強く立ち上がることが出来た。


「何が起こっているのだ……、私が、再び歩けるようになるなんて……、そんなことが出来る日がまた来るなんて……」


 涙を流す機能を持っていない目玉が潤むような気さえした。

 久しく忘れていた、自分の意思で体を動かすという当たり前の行動、その感動を。


「いや、まて、呆けるな、落ち着けシェラザード、これは異常事態なのだ。原因を探らなくては……」


 呟きながら、歩けることを堪能するように、部屋のなかをうろうろする。まったく落ち着いていない。

 驚いたことに、長い間魔力が通わず動かしていなかった四肢が少しも萎えていない。僅かな違和感を感じるものの、せいぜいが寝起きの心地よい気だるさのようなものだ。


「まさか、私が結界を維持する必要を見失ったから魔力が戻ったのか? ……いや、そうであってもすぐに動けるようになる理由にはならん。これは回復などという生易しいものではない、再生、いや、創造に近い働きだ……」


 うろつきながら考える。

 これは、結界の維持という役割を勤める必要が無くなったから機能が戻った、ということではない。

 結界の維持を充分に行いながらも、体を再生し動かせるようになるだけの魔力を確保できているから可能になったのだ。

 あまりにも自分に都合のいい考えかもしれない。

 だが、どこかでこれが答えなのだと確信していた。


 ギィ……、と軋んだ音を起てて玉座の間の扉が開かれる。

 反射的にそちらに目をやると、黄色い女が扉の陰から部屋の中を覗き込んでいた。

 こちら側は暗く、女の方からはシェラザードが確認できないようだ。


 その表情を見て、シェラザードは違和感を覚えた。

 動きに、瞳に、理性が見える。

 戦いの際に見せた狂喜のかお、負けた後に見せた幼児のような顔、そのどちらでもない。

 まるで、父に壊される前の、姉のような……。

 

「ベアトリーチェ……姉様…………?」


 シェラザードの声が聞こえたのか、黄色い女は勢いよくこちらを向いた。

 ようやく気付いた。黄色い女の目が変わっている。いや、元に戻っているのだ。濁った黄色一色の瞳から、澄んだ明るい黄の瞳へと。


「シェラザードちゃん? シェラザードちゃんなの?」

「やはり、ベアトリーチェ姉様なのですね! いや、しかし、何故……!」

「シェラザードちゃんッ!」


 飛び込んで来た姉を抱き止める。言葉といい行動といい、間違いなく自分の姉のものだ。

 体が動かせるようになった事といい、壊されていた姉が自分を取り戻した事といい、いったい何が起きているのか。


「私にも何が起こったのか分からないわ、でも、いきなり目が覚めたの。私が私であったことを思い出したのよ、あぁ、シェラザードちゃん、今まで苦労をかけたよね、ごめんねぇ」


 シェラザードの肩に顔を埋めてベアトリーチェは泣いた。

 ベアトリーチェの方が背が高く、体勢に少し無理があるが、本人はまったく気にしていないようだった。


「わ、私の苦労など、姉様に比べればどうということもありません、謝らねばならないのは私の方です、父上の行為を止めることが出来ず、姉様が……」


 ベアトリーチェは肩に顔を埋めたまま、首を振った。


「私は、お父様に従うことしか知らなかったもの、今になってそれがどれだけ愚かしいことだったか分かるわ」


 二人の記憶に残る父の姿。

 高すぎる理想を苦にもせず、周囲を巻き込み潰して尚も止まらない巨大な鋼鉄の歯車のような男。

 彼の持つカリスマに、当時はベアトリーチェもシェラザードも心酔していたのだ。

 いや、シェラザードはまだ父のことを憎からず思っている。

 あの男は確かに天才であり、そして異端であった。


「ここは、お父様のお城よね? シェラザードちゃんは、ここで島の管理をしていたの?」

「はい、そうです。ですが、結界を維持するだけの魔力が足りず、滅ぶしかない所まで来ていた筈なのですが……」


 冷静になってみれば、この空間に満ち満ちた魔力がはっきりと感じ取れる。

 いったい何が起こっているのか、その答えは未だはっきりしていないのだ。


「この魔力、尋常じゃないわね。きっと、結界に過剰供給されて溢れだした魔力が、私の心を直したのね」


「恐らく、それで私の体も……」

「そういえば、シェラザードちゃんの体、やけに固かったわ……、シェラザードちゃん、何をしたの?」


 ぎろり、と姉に睨まれて、シェラザードは身を竦ませた。

 ベアトリーチェは無類の可愛いもの好きであり、好みにドストライクであるシェラザードはよく着せ替え人形にされたものだった。

 一度自由にさせてしまえば、半日は髪を弄られ、服を着せ替えられ、爪を整えられ、化粧を施され、クタクタにさせられてしまうのだ。

 そんな姉に、自分で自分の体に施したことを知られてしまえば、どうなるか分かったものじゃない。


「姉様、今はそれどころではありません、この異常事態の原因を探らねばなりません」


 表面上は努めて冷静に、内心では必死に話題を反らす。

 実際、シェラザードの体の事よりも、過剰な魔力について調べることの方が先決であろうというのは間違いなく本心なのだ。


「……そうね、シェラザードちゃんのことは、その後でもいいわよね」


 姉の恐ろしい呟きは聞かなかった振りをして、シェラザードは再び水晶を覗き込む。


 何かが起こっている。その渦中には、必ずあの黒いスケルトンがいる筈だった。




◆◆◆




 スキル『穢塩黄炎』

 説明文はよく分からなかったけれども、つまりは炎に触れたものを変質させる能力、でいいのかな?

 熱することで物体が個体から液体、気体へと変化していく。その“変化させる”ってのを突き詰めたスキルということか?


 なるほど分からん。

 とにもかくにも、まずは使ってみればいい。そうすれば分かる。

 男は度胸、なんでもやってみるもんさ!


 てなわけで『穢塩黄炎』発動。

 おぉ、黄色い炎が俺の手に! なかなかカッコいいじゃない!


 えーっと、変化させるんだから、まずは、何を何に変化させるか決めないとね。

 どうやらこの『穢塩黄炎』そのものも変化させられるようなんだが、その場合無駄が大きい。原材料と加工道具が一緒になっちゃってるってことだもんね、そりゃ手間だわ。


 なので、『穢塩黄炎』は変化させずに、原材料を変化させます。これは、周りに掃いて捨てても間に合わないくらいあるから、塩でいいかな。塩を材料にするとか、なんか錬金術っぽくてわくわくする。

 変換するのは、勿論魔力。いま足りないものだからね。

 まぁ、最初は上手くいかないだろうけど、とにかくやってみよう。何、心配はいらない、材料はいっぱいあるんだ、失敗しながらその中でいい塩梅を見つけていけばいいのさ。塩だけに。


「おい、姐さん、何をする気だ……? まさか、もう抵抗する気もねぇ俺に止めを刺そうってのかい?」

「するわけがないだろう。良いから見ていろ」

「見ていろって、本当に何をする気なんだよ……」


 島を救っちゃう気ですが?

 上手くいけばだけどね。いや、失敗する気もないけど。

 『千思万考』が十全に使えればそこでシミュレーションして万が一にも失敗がないようにするんだけどな。

 スキル使用に制限がかかっているから、多分効果がないと思う。

 それは『穢塩黄炎』も同じ。きっと期待している程の効果は出せないから、自分で調整していかないとね。


 さて、ではやってみますか。

 対象は塩、変換後は魔力になるように、レッツトライ!


 『穢塩黄炎』で触って分かったけども、ここの塩って、元はモンスターだったり、植物だったり、亜人だったりしてたんだね。

 それが塩枯死樹人ソルトゾンビトゥレントの“穢塩の呪い”を受けたなれの果てが、この塩なのだ。

 だとしたら、いったいどれくらいの年月呪いを撒き続けたんだ?

 この塩害湿地帯って、かなり広いよな、島の中央部の半分以上は飲み込まれているし、東側にも侵食していたんだぞ。


 いや、今それを考えても仕方があるまい。

 元がモンスターや亜人であるなら、魔力への変換も幾分楽だ。

 犠牲になった人たちも、この場でただ塩として在るよりも、魔力として島に生きる命を助ける力に変わる方が供養になるというものだろう。


 『穢塩黄炎』が塩害湿地帯に染み渡っていく。

 その速度は遅い。おそらく【武神の右腕】がいい仕事をしているのだろう。

 本当に厄介な称号だよ、君は。


「こいつは、あのトゥレントの炎、黄色い女のスキル……、やっぱ姐さんが持っていっちまってたのか」


 ん?

 ジョンがなんか言ってるな。俺が持ってった? これはちゃんと獲得したものだよ。木の残骸を食べてね。

 ……なんか、文字にすると凄いな、木の残骸を食べるって……。冬山の鹿かよ。


 塩が段々と魔力に変化していく。

 うむ、目論見は当たったようだな。このままどぅんどぅんやろうじゃねぇか。


「おいおいおい、嘘だろ、何が起こってやがる……塩が、こんな泥沼に沈んでるだけの塩が、高純度の魔力に変化していきやがる……。有り得ねぇ、なんだ、このスキルは……」


 有り得ねぇとか言ってるが、恐らくこれが『穢塩黄炎』の正しい使い方だと思うぞ?

 むしろ、これを呪いとして撒くだけだったのがあり得ないんだよ。魔力が高純度なのは、変換効率がいいからだろうね。【武神の右腕】の効果が変換効率に及んでいないようで良かった。

 これで使い物にならない低レベルな魔力になってたら泣ける。師匠がラスボスになっちゃう。

 というか、今から倒しに行っちゃう。


 あ、ついでに俺の欠損も直しておくべ。変換させた魔力にちょちょいと再生効果を加えておいて……っと、うむ『魔力自在』にも本当にお世話になるわ。

 スキルに人格があったら慰労会を開いてるレベル。自分のスキルではあるけども、感謝せざるを得ないね。いつもありがとう。


「うぉ!? 腕が直った!? いや、再生したのか? これがアンタの本当の力なのか、姉さん……」


 おぉ、魔力に付与した効果がジョンにも流れたか。意図したことではないけども、良かったね。

 『穢塩黄炎』は広がれば広がるだけ、ゆっくりとだけど着実に加速している。

 俺が手を離したら効果が止まってしまうみたいだけど、じっとしているのは慣れているのだ。瞑想みたいなもんだな。いや、いっそ瞑想しよう。じっとしているのが勿体ないわ。

 少し体勢を変えて胡座をかいて、よし、やるとしますか。


「さらに変化の速度が上がった……、結界の維持に必要な魔力、これで賄えちまった……、は、ははは……」


 俺のやってきたことって……、と誰かが倒れるような音が聞こえたが、おそらくジョンか何かがふざけているんだろう。

 俺は必要な魔力に届いたと教えてもらうまでここで変換を続ければいい。

 人助けと自分の修行、両方いっぺんにしなきゃ満足できないのがスケルトンの辛いところだな。





 あ、やべ、ヤディカちゃん達のこと、忘れてた。




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