88話 身も心も
「まいったな、これは……」
玉座に座り、水晶玉を覗き込んでいた少女、黒髪紫眼の魔王シェラザードは呻くように呟いた。
映る映像は立ち込める土煙によって一時的に視界がかなり制限されている。
それもその筈だ、たった今、大規模魔術に匹敵する爆発が起こったのだから。しかも詠唱も魔方陣も使用しない、ただの『スキル』と特性の組み合わせによっ
て、だ。
こんなことが可能なのは自分達の父、賢者と呼ばれていたあの男だけだと思っていた。
だが実際は違った。賢者のことなど聞いたこともないだろう亜人の少女が明らかに魔法によるものではない爆発を引き起こして見せたのだから。
亜人達も進化したということなのだろうか。
ジョンの話では最近力を付けたり進化を果たした亜人が増えてきているらしい。
しかし、そうだとしても、この娘は格が違う。
これが人間側に知られれば、この子は賢者の再来と崇められるか、恐るべき危険因子として殺されるかのどちらかだろう。
もしもこの娘が望めば、あの大規模な爆発をいつでも、自由に、なんの準備もなしに気儘に引き起こすことが出来る。
正しく一騎当千。千の軍勢でも為す術もなく爆破できるのだ。
しかし、そんな偉業を目の前にして、シェラザードの顔色は暗い。
彼女の目的は結界を維持するための魔力を供給してくれる“要”を得ること。
魔法に頼らず辺りを吹き飛ばせる戦闘屋を求めていたのではない。魔法という技術に終始頼らない戦い方を見ていたから分かる。この亜人の少女は魔力が低い。これから成長や進化を経ても大した伸びは見せないだろう。
実は、一番期待していたのは途中でいきなり乱入してきたスケルトンだった。
スケルトン、というよりモンスターは体を構成する血や肉や骨が魔力にそのまま置き換わった存在、置換が進めば進むだけ強力なモンスターということになる。当然、人間や亜人よりも保有する魔力は大きくなり、さらに進化すればその大きさはより顕著になるのだ。
あのスケルトンは、種族は分からないが少なくとも3段階は進化を重ねた強力なモンスターに間違いない。もしかしたら、一人で必要な魔力の何割かは賄うことが出来るかもしれない。
もしも弱ければ、その時はジョンが鍛え上げ、レベリングをしてやればいい。時間が許せば、だが。
シェラザードはそう考え、どう鍛えてやるかまで考えていた。
魔力を効率的に育て、保有する魔力が伸びる進化先を選ばせる。更にはどうすれば魔力の質を高めることが出来るか、ということまで。
取らぬ狸の皮算用という奴だ。
目論見はアッサリと崩れ去った。
魔力の少ない亜人の少女が引き起こした爆発で、魔力に塊であるスケルトンが消滅してしまったのだ。
これはもう、想像できる限りで一番最悪の結果だった。
「くそ、これだから亜人は好きになれん……」
ぐったりと天井を仰いで瞑目する。
ジョンに魔力を多く保有する“要”候補を連れてこいと命じていたが、それもあまり期待できない。
普段不真面目なジョンに過度な期待は禁物なのだ。
「こんなことになるなら、『煉獄火炎』を我が身から切り離すのでは無かったな……」
かつて自分の身に宿っていたスキルを思う。
一度発動すれば『激怒』に心を焼かれ、『煉獄火炎』に身を焼かれる、純粋な力としての炎。強力なスキルであると共に、膨大なエネルギーの塊でもあった。そのままでは結界の為の魔力としては使えないが、姉たちと協力すればそれも可能だった筈なのだ。
『スキル』の強大さを厭い、捨てた今となっては無理な話だが。
いや、今こそ回収するべきなのではないだろうか?
確か、島の東側でもっとも強いモンスターに『スキル』として受け継がれていくように設定していたはず……。
「よぅ、お嬢様。何を深刻な顔してんだい?」
いつの間にか玉座の間に一つの影が立っていた。
魔王の側近であり、もはや唯一の下僕となってしまった人型粘性体のジョンだ。
小脇に銀色の進化の繭と、黄色い女性を抱えている。
その女性を見た途端、シェラザードの血相が変わった。
「ジョン、なんでそいつを連れてきた!」
「怒るのは百も承知だ。すまねぇ」
「分かってるなら最初からするな!」
黄色い女は頭上で交わされる会話をキョトンとしたまま聞いていた。
「結界の要が必要なんだろう? 俺はあの女の子達がそこまで成長できると踏んでたんだが、どうやら無理らしい。今進化途中のこの子にはまだ期待してるけどな」
ごろり、と置かれたのは銀色の進化の繭だ。繭化した所は見ていないが、あの三人娘の内の一人だろう。
確かに、要の候補がたった一人というのは心許ない。ましてや、確実に要に出来ると決まったわけでは無いのだ。
「だから連れてきたのさ。お嬢様なら、島の未来のために個人的な感情を抑え込めるだろ?」
「……ふん、当然だ。だが、そいつは私の視界に入らない所に置いておけ」
「はいよ」
ジョンは頷くと、銀色の繭を拾い上げ、黄色い女を抱えたまま玉座の間を出ていった。
これから“要”として適合させるための処置を行うのだろう。
体さえ動けばシェラザード自身が行うが、今は指先一つさえ動かすのが困難だ。
結界の維持にかかる負担が大きすぎる。このまま結界に必要な魔力が増え続ける、つまり、島に存在する“要”が減り続ければ、シェラザードは遠からず命を失い、結界も消滅してしまう。その後に待っているのは、極寒の地獄だ。それだけは避けなければならない。
だから、仕方がないだろう。
父に壊された姉と暮らす、というのも。
「いや……嘘は吐けないな、私は少し期待している。姉が心を取り戻さないかと……もしも、もしもそうならば……」
一人残された寒々しい玉座の間に、自嘲めいた低い笑い声が響いた。
◆◆◆
「わたし、きらわれてる?」
抱えていた黄色い女がぽつりと呟いた。
ジョンは両手が塞がったまま、器用に肩を竦める。
その動作の僅かな隙間で、女の顔をちらりと盗み見た。
あどけない、と言っても過言ではない無垢な表情。自分の感じている不安や怯えを何も隠さずに素直に顔に浮かべている。
外見から推し測ることの出来る年齢からは、およそ似つかわしくない表情だ。
生き物は生きている時間が長ければ長いほど雑味が混じる。
体にしろ心にしろ、単純ではなくなる。
長い時を生きてきたジョンやシェラザード、その姉ともなれば、身も心も複雑になり、自分でも自分が分からなくなるほどだ。
だから、こんな表情はありえない。自分が僅かでも残っているなら、本心から無垢な表情など浮かべることは出来ない。
やはり、この女の中には愛する主人の姉は欠片も残っていないのだろう。
「いんや、嫌われてるんじゃないさ。ちょっとな、あの人も色々複雑なんだよ」
「…………?」
女は、訳が分からないと疑問符を浮かべていた。
なんとも空っぽな奴だ。
こうなる前の姿を知っているのだから、主人のやるせなさは如何程ばかりだろう。
本当ならば連れてくるべきでは無かった。あの場で殺してしまうべきだったのだ。
ただ、島の未来を天秤にかけた時、愛するお嬢様は絶対に島を取る。ならばジョンとしても最善を尽くさなくてはならない。
ジョンも結界に魔力を注いでいる。だが、それはシェラザードに比べれば微々たるものでしかない。
これ以上結界に力を注ぐことをシェラザード本人から禁じられたのだ。
いざという時に自由に動ける者を確保する為に。
命じられた時は、苦しみを愛するお嬢様と分かち合えない、と荒れたものだが、今になってみればあの時の判断の正しさが分かる。
今は動ける者が自分しかいない。自分がやるしかないのだ。
自分の考えに集中していたが、ふと、視線に気付いた。
黄色い女だ。名前は主人が頑なに教えてくれなかった。まぁ気にすることでもない。
このまま無視してもいいが、黄色一色に濁った瞳で見詰められ続けるのは、正直気分の良いものじゃない。
「あー……、何か言いたいことでもあるのかい?」
「あのこのなまえ、なぁに?」
「……お前にゃ教えられないな」
「なんで?」
「なんでも、だ」
「あたし、あのこがきになるの」
「はン、そりゃまたどうしてだい?」
「うん、どうしてだろ?」
女はそう言うと俯き、うんうんと唸り始めた。
悩んでいる? いや、考えている……らしい。
こいつにこんな知性があったのか。
映像水晶で見ていたときは、ただ暴れて笑い、楽しいと連呼するばかりであったのに、今はまともに会話し、自分で考えている。
まさか、壊されたという心が戻り始めているというのだろうか?
「そういや、お前さんの名前はなんて言うんだい?」
確認のつもりで聞いてみた。
だが、女は応えなかった。
自分の悩みに没頭しているらしい。
「まぁ、いいかい。俺はこいつらを要にするだけさ。お嬢さんの為に、な」
長く生きれば雑味が混じる。
だからこそ、ジョンは自分の目的をシンプルに保つことにしている。
全ては惚れた女のため。
それだけがジョンの全てだった。
◆◆◆
塩害湿地帯の奥、クレーターとなった場所からそう遠くない位置の、岩の上、小柄な人影が身を起こした。
カレオだ。
ジョンとの、戦闘とも言えないやり取りの後、この場所に寝かされ、放置されていたのだ。
「あっ痛つつぅ……」
殴られた腹はどす黒い痣になっていた。なかなかの威力で殴られたらしい。
そうでもしなければ、カサンドラの地獄の特訓で鍛えられているカレオを一撃で気絶させることなど出来なかっただろうが。
「うぅ、嫁入り前の娘の肌になんてことしてくれるんだべ……」
冗談めいた愚痴を吐きながら周囲を見渡す。
当然、インユゥや黄色い女、ジョンの影も形もない。
改めて、自分が打ち捨てられたと理解し、カレオの頬が朱に染まった。
恥ずかしさや無念さではない。
自分が無価値な獲物のように投げられていたという事実。それに対する沸騰するような怒りのためだった。
「ジョンめぇ、このままじゃあ済まさんべ……! ワタスがただでやられたと思ったら大間違いだべよ!」
頭に指を当てて集中する。
ヤディカ、インユゥと比べて自分は戦闘能力が低い。だからこそ、頭を使った。
魔法や体術だけでなく、道具を使い、カサンドラ・ブートキャンプを乗りきったのだ。
その時学んだことの中で、常に意識していることの一つ『最悪の場合を想定せよ』。
この場合の最悪とは、カサンドラのいない状態で、カレオが殺され、インユゥと黄色い女が殺害、ないし誘拐されることだった。
だから、そうなってしまった時に備えて準備だけはしていた。
「インユゥは、こっからそれなりに遠いところで止まってるみたいだべな……。塩害湿地帯からは出てしまってるべ。大きく動く様子が無い……ってことはそこら辺がジョンのアジトだべな」
ぶつぶつと呟くカレオの脳内には、新緑のような瑞々しい光を放つ魔力が線となって遠くへ続いている光景だった。
これは自分の他にはヤディカ、インユゥ、カサンドラの三人しか知らないカレオの魔法の一つ『追跡記録』だ。
カレオの魔力を込められた骨の欠片がインユゥの進化の繭に食い込められているのだ。
これによりどこへ連れ去られようとも、カレオの魔力を知っていれば追跡できる、という訳である。
流石のジョンも、わざわざ進化途中の繭を裂いて中を調べようとは思うまい。
というよりも、そんなことをしたらインユゥは死ぬ。連れ去られる以上、インユゥを生かしておきたい理由があるのだから、例え違和感に気が付いてもどうすることも出来ないだろう。
これは危険な賭けであったが、取り敢えずは上手くいったようだった。
「よっし、早速全速力で追うべ!」
そう言って駆け出そうとしたカレオの目の前を、ふらりと何かが横切った。
いや、何か、ではない、誰か、だ。更に言うなら誰かではない。もはや姉妹と称しても違和感の無い相手ヤディカだった。
「ヤディカちゃん!?」
驚いて駆け寄るが、ヤディカの目は茫洋としており、どこみているのか分からない。その上、涙が止めどなく溢れていた。
「ヤディカちゃん、いったいどうしたんだべ? カサンドラさんは一緒じゃないべか?」
「あ……、カサンドラ、いない……。どこにも、いない、の……」
そう言ってまた涙を流す。
どうやら自分が気絶している間に何かとんでもないことがあったらしい。
恐らく、暴走していたヤディカがカサンドラに大きなダメージを与えてしまったとか、そんな所だろうが。
カサンドラが死んだとは考えづらい、普段から可愛がっているヤディカをそのままにして何処かに姿を眩ませてしまうことも。
いったい何があったのか、その時気絶していた自分が不甲斐ない。
「ヤディカちゃん、しっかりするべよ! カサンドラさんが理由もなくヤディカちゃんを置いていく訳ないべ! きっと、きっと……何か理由があったんだべ!」
「理由……?」
「そうだべ、理由だよ。あっ、インユゥちゃんが拐われてしまったんだべ、カサンドラさんはきっとそれを追いかけたんだべさ!」
「カサンドラは、そこに、いるかな……?」
何時もは誰よりも苛烈に戦うヤディカが、随分と打ちのめされていた。
きっと、ヤディカは今カサンドラがいない理由を知っているのだ。そしてそれを自分のせいだと思っているのだろう。
何処にもいない、と呟き泣くのは、それを受け入れられないからだ。
「あぁ、いるべ。ヤディカちゃんは大丈夫になったべ? だから、次はインユゥちゃんを助けに行ったんだ、そうに決まってるべさ」
「…………うん、そう、だね……」
「ワタスも今からインユゥちゃんの所に行くべ。ヤディカちゃんは、どうするだか?」
ヤディカはゆっくりと息を吸い、倍以上の時間をかけて吐き出した。
一度だけ肩が震えたが、顔をあげた時には、いつものヤディカの顔になっていた。
「行く。行って、インユゥを、助けよう……」
「おし、それでこそヤディカちゃんだべよ」
「うん、ありがとう、カレオ」
「いんや、なんもさ」
ヤディカは、まだカサンドラがいなくなっていることを素直に受け止めることは出来ていない様だ。
無理の見える顔に、カレオは少しだけ不安になる。
だが、ヤディカは言った。インユゥを助ける、と。カサンドラに会うのではなく、インユゥを助けると言ったのだ。
ヤディカはきっと大丈夫だ。それに、あのカサンドラが本気で失踪したり死んだりしているとは思えない。どうせしれっと戻ってくるに決まっている。
少なくともカレオはカサンドラについては一切心配していなかった。
心配よりも、この面倒な状況を押し付けて雲隠れしているあの骨をどうしてくれようか、と考えているくらいだ。
(槍も壊れたし、資材も随分と使っただな……。うん、どう埋め合わせてもらうか、決まったべな)
にやり、と笑みが浮かぶ。
カサンドラには、しばらくは道具の材料のための骨を製作するだけの機械になってもらおうと決意するカレオだった。




