66話 島の中央へ
暗く、寒々しい部屋だった。
数百人は楽に収容出来るであろう広さの立派な部屋だというのに、目立った装飾も、暖かな明かりもない。
何処からか吹き込む隙間風に吹かれて埃が舞う、その音さえ聞こえそうなほど静かだ。
ただ、太い柱と部屋の最奥にある重厚な玉座だけが、広く寂しい場所の彩りだった。
住まう人が居なくなり、時の流れの内に滅んだ城というものがあれば、正にこのような状態だったろう。
この場所は、すでに終わってしまった時代の残り香なのだ。
静寂が降りるその部屋の中で、僅かに動くものがあった。
玉座の上だ。
暗がりの中で動くそれは、確かに人の形をしていた。
それが動く度に、きしり、きりきり、と何かが軋み擦れるような音が響く。
「結界が、揺らいでいる……」
ぽつりと呟き、虚空へ首を巡らせる。暗闇のなかで、深い紫水晶の双眸が光を放った。
「多くの配下達の気配が消えている……? いったい何が起こったのだ……?」
それは立ち上がろうとするが、手足に力を入れるだけで軋んだ音が酷くなり、やがて力尽きるように玉座に沈み込んだ。
「ふん、体は直っておらんようだ」
「無理をするなよ。目覚めたばかりだ」
玉座の後ろから新たな人影が姿を現した。手に火の灯った燭台を持ち、玉座に座る人物の顔が見えるように差し出した。
灯りに照らし出されたのは、美しい顔立ちの少女だった。
掘りが深く、大きな瞳は夢見るような紫であり、僅かに癖のある長い髪は黒曜石のような艶やかな光沢を放っている。その肌は野性味を感じさせる褐色であり、エキゾチックな魅力を醸し出している。
少女の服装は布を多くの纏った巻き衣であったが、それは少女の魅力を損なうものではなく、貫禄を与えていた。
隣に立つ影は、どうやら男であるようだった。
少女の服装のシンプルさに反して、こちらはやや派手だ。派手ではあるが、洗練されており、まるで貴族のようにも見える。
顔はちょうど灯りの影になっており見えない。だが、口元には気遣うような、それでいてからかうようなニヒルな笑みが浮かんでいた。
「なんだ貴様、まだ居たのか」
「俺が居てホッとしている癖に、相変わらず強がりなお嬢様だ」
「私はホッとなどしていない。それと、お嬢様というな」
「俺にとっちゃお嬢様だよ」
言うことを聞かない男に、少女は憤慨して目を瞑った。
その態度を見て、男は愛し気に笑うのだが、少女には見えていない。男も、見せるつもりはない。
男の笑っている気配に気付いた少女が、紫の瞳でぎろりと男を睨み付けた。
「……配下の気配が消えたぞ。お前、何をしていた」
「へぇ、配下っていうと、蛇ちゃんや豚ちゃんかい? 確か、お嬢様の親父さんが拾って育てたんだっけ? まだ生きていたんだな」
「当たり前だ! 父上より賜わった配下だぞ! 死ぬことなど有り得ん。倒されることなど尚更な。ここには失敗作しかおらんのだから」
「だけど消えたんだろ? それじゃ死んだか倒されたかってことだ」
他人事のようにあっさりと肩を竦める男に、少女は疲れたように項垂れた。
「消えた奴等は島の東側に集中している。貴様はずっと起きてたんだろう? 何か感じなかったか?」
「悪いが、力を感じ取るのは苦手だ」
「……あの者達は結界の要だったのだ。父上は他にも強力なモンスターを結界の要に改造したが、其奴等も皆消えている」
「西側のペットがまだいるじゃないの」
「東側に比べたら出力が足りない。結界全体は到底賄えない」
「それじゃあ結界は消えるんだな」
「何をあっけらかんとしているんだ! このままでは父上の作った島が氷に閉ざされるのだぞ!」
「お嬢様はそれでも死なない。俺もだ。それでいいじゃないの」
「父上の作った彼らまで死ぬのだ。父上に彼らを託された私に、それは許されない」
「モンスターに食い殺されるのはいいのにかい?」
「それとこれとは話が別だ。父上の作った者同士で淘汰し合うのは正しい。だが、管理すべき私の失態で彼らを殺すわけにはいかん」
少女や彼女の父親の価値観に着いていけない、と男は悲しげに頭を振る。
自分を煽るためにわざと大袈裟に動いて見せているのだと知っている少女は、男を努めて無視していた。
「島の最終防衛ラインである私が目覚めたということは、それだけの危機ということだ。だが、私のエネルギーの大半は結界の維持に割かれてしまっている。今は首から下が殆ど動かん」
「ほっほぅ、じゃあ今ならイタズラし放題じゃない」
「馬鹿者、真面目な話をしているのだ。いいか、島の東側で大きな力を感知した、父上の力を感じないから、自然発生した奴だろう。そいつを連れてきて結界の要に改造しろ」
「俺がかい?」
「動けるのは貴様だけだろうが」
少女の言葉に、男はあからさまに嫌そうな雰囲気になる。
嫌だ、不満だと気配で訴えてくるが、これも少女は知っている。
男が本気で嫌がる場合、何も言わずさっさとこの場から去るだろう。そして二度とこの場に姿を現さないに違いない。
少女と長い時間を共にしたこの男は奔放な上に怠惰だが、気に入らない仕事を好みや惰性でやるほどプライドは低くない。
だから、これは最終的には折れてくれる流れだ。
少女は男に見えないようにニヤリとほくそ笑む。
「……お嬢様にそう言われちゃ仕方ない。俺がやるさ」
「そうか、無理を言うようで済まないな」
内心ガッツポーズを取りながら、少女は顔だけは申し訳なさそうにして頷いた。腕が動いたら頭を撫でてやっても良かったかもしれない。
「だけど、お嬢様が起きるまで長い間ずっと待ってて、いきなり仕事をしろ、なんてなぁ……」
「うん? 何だ? やると言ってからゴネるのか?」
「お嬢様が寝ている間、玉座を磨き、御召し物を着替えさせ、御髪を梳き、御体を拭いてきたというのに、何もないなんてなぁ、あぁ、なんて優しくねぇ主人なんだ……」
「私は貴様の主人になった覚えは……、いや、ちょっと待て、貴様、私が眠っている間に服を脱がせて勝手に色々やったのか?」
少女の瞳がスッと細まり、殺意の光を放つ。
男は咄嗟に距離を取りつつ、頭を抱えて盛大に嘆いた。
「おぉ! 愛する主人が埃にまみれ蜘蛛の巣がかかったままに出来るとでも? 御父上が座った玉座が風雨に晒されくすんでも良かったと言うのですか!?」
「な……、いや、そうじゃない、何でそうなるんだ? 私は単に貴様の……」
「貴女がそうして美しいままでいるのも御父上の願いの一つであったはず! その願いに尽くす俺の心に疚しい思いなど有る筈が無いでしょうに!」
男の勢いに押され、少女は思わず怯む。
確かに、父は少女にずっと美しいままでいてくれと言っていた。それは間違いない。
長の眠りに付く前、そのことが気掛かりではあった。だが、仕方がないことだと割りきってもいた。
少女が動けない時に少女を綺麗にしてくれたのは、間違いなく目の前の男なのだ。
じゃあ、男が言うことも間違いない、のか?
「あ、あれ? そうなのか……? ま、まぁ、疚しいことが無ければいいのだ。うん、疑って済まなかったな。貴様の献身は素晴らしい」
「疑いが晴れて良かった。じゃあお嬢様の身の回りの世話はこのまま全部俺がやるってことだな」
「うむ。よろしく頼むぞ」
そうしたいならさせてやらんでもない、と少女は尊大に頷いた。
そうしてから、何かおかしいな、と思う。
大切なことを見落としているような、大変な失敗をしてしまったかのような……。
この感覚、少女には覚えがあった。
そう、男には何度も騙されている。その時にも感じていた違和感に似た、罠に嵌められたような危機感。
このままこの話が終わるのはまずい。今までの経験がそう警告する。
「おい、やっぱり今の話は無しに……」
「じゃ、早速行ってくるぜ。島の東側だったな」
少女が言い終わる前に男は華美なコートの裾を翻して颯爽と部屋から姿を消した。
未だに何を失敗したのか思い付かないが、この後きっと後悔することだけは確信して、少女はがっくりと項垂れるのだった。
◆◆◆
目の前は広大な湿地、いや、沼地? そんな場所に来ています。
立ち込める濃厚な磯の香り。うん、眼球があったら染みて痛いくらいだろうね。
俺の横を歩いているヤディカちゃん、インユゥちゃん、カレオちゃんの三人も、塩っ気がキツいのか顰めっ面だ。
「うぇ、堪んねぇな、これ」
インユゥちゃんが堪えかねて呟いた。
歩いているだけで口の中しょっぱくなるくらいだもんね、これは嫌だわ。
でもねぇ、インユゥちゃんがそれを言っちゃうとねぇ。
「自業自得……」
「インユゥちゃんは文句さ言えねぇべ」
まぁ、こう返されちゃうわな。
「はいはい、分かってるよ、アタシが悪ぅござんしたね」
「実際、悪いから」
「んだよォ、何回も謝っただろォ、それをネチネチネチネチとしつこいんだよォ」
「村の食糧庫、空っぽにしたのは、許されない」
そう、つい先日のことだ。
カサンドラ・ブートキャンプも無事、死傷者の一人も出さずに終了し、ネビ族、ゼクト族、カメリーオ族の面々は一旦各々の集落へ戻ることとなった。
修行希望者第二陣を募る為と、亜人同盟の実現化に向けての話し合いの為だ。
一回目の話し合いはネビ族欠席で終わってしまったので、ゼクト族と口約束しただけで内容は殆ど進んでいない。出来れば内容を詰めて実現化に向けて動き出したい所だ。
少ないながらエルカ族やネビ族の枝族にも話をもう一度通さなければいけないしね。その為にも一回帰りましょうってことで。
それで、最終日に盛大に宴会をした訳だ。
厳しくやっていた分、たまには羽目を外しても良いだろうってことで俺も準備の段階から張り切って手伝いましたよ。
で、宴会では途中でこっそり姿を消しました。
だって、ねぇ、羽目外した飲み会とかで上司がいたら嫌じゃない? 言いたい愚痴も言えないもんねぇ。
途中でドロップアウトしたとはいえ、俺も元は社会人。それくらいの気は遣わないとね。
ヤディカちゃんはエルカ族のお友達と楽しそうだったし、インユゥちゃんは仲良くなったネビ族たちと杯を空けていたし、カレオちゃんはカメリーオ族の中では何やら熱弁を振るっていた。
上手い具合に一人になったので、俺は森に引っ込んでひたすら瞑想していました。
『千思万孝』を使えばあら不思議、一晩の時間も体感時間が引き伸ばされて数日にも数ヵ月にも、場合によっては数年にも感じられるようになるのです。
俺はこうして引き伸ばされた時間の中で、日夜ひたすらイメトレを重ねているのだ。
新しい技を思い付いては試して試行錯誤したり、使いようが無くて御蔵入りした技や、師匠から教わった残虐ファイトな技を反復したり、『スキル』の練習や活用法を見出だしたり、やることは沢山ある。
イメトレでも筋繊維一本に至るまで動きをシミュレーション出来るよう訓練したから、実際に動いているのと同等の修行が出来るのさ!
巨大なカマキリや戦車を踏み潰せるレベルのゾウと組み手したことあったっけなぁ。そのうち恐竜とか、地上最強の生物とも組み手してみたいね。組み手じゃ収まらないと思うけど。
そんな感じで久しぶりに一人でぶっ通しで修行して、ほっこりして帰ってきたら、村の楽しげな雰囲気は一転、お通夜みたいになっていた。
話を聞いてみるに、ネビ族と飲み比べをしたインユゥちゃんは、そのまま食べ比べを始め、宴会に居た全員が誰も付いていけなくなっているのに一人で食い続け、村の食糧庫を空にしたということだった。
宴会では全員に食事が行くようにルーチンを組んで、食事を作る人、配る人兼周囲警戒する人、宴会を楽しめる人で交代していたのだが、その誰も、エルカ族の村長やヤディカちゃんでさえ、暴走するインユゥちゃんを止められなかったらしい。
この世界、酒による酔いは状態異常扱いじゃないんだね。多分、管理者の笹熊さんの趣味だな。あの人絶対酒好きだろうから。
そりゃね、お通夜状態にもなるさ。
まぁ、初めての試みだったしねぇ、色々問題も起こるだろうとは思ってたけど、ここまでインユゥちゃんが暴走するとは思ってなかったね。
こんなことなら修行するんじゃなくて、こっそり見守るとかしてれば良かったと思ったけど後の祭り。
亜人族総出でエルカ族の食糧支援に動く事態となったのです。
これで亜人が一丸となって動いたんだから、これはこれで必要な事件だったと俺は思うんだけどねぇ。
ヤディカちゃんは、自分の村を危機に陥れたインユゥちゃんにどうしても厳しく当たってしまうみたい。
カレオちゃんも、これは庇いようがないと思ってるようだ。
元々あまり力がなかったエルカ族やカメリーオ族にとって、食べ物は集めるだけでも相当苦労したみたいだし、そこら辺厳しくなるのはしょうがないのかもねぇ。
「空っぽじゃないじゃんかァ、ちゃんと皆の分だって残しただろォ」
「一週間分、有るか無いか、それで、暮らせるの?」
「食いもん無いなら、魔力を食えばいいじゃん」
「あなたしか、出来ない……!」
うーむ。インユゥちゃんは常識が有るようで、案外無かったんだなぁ。
どうやら、人間だった頃の意識よりも、妖怪化した今の意識の方が強い、というか、殆どそれしか無いみたい。
これは気付かなかった俺のミスでもある。
救われたのは、誰も強くインユゥちゃんを責めなかったということだ。
内心で何を思ってるのかは分からないけど。少なくとも面と向かって罵倒するような奴はいなかったし、食糧集めに否定的な意見も出なかった。
ただ、厳しいだろうという意見はあったけど。
それは分かっていた。
実際、今も集めるのは大変だ。
エルカ族が森のモンスター、結構な数を狩っちゃったからね……。
あんまり狩りすぎると絶滅の恐れがあるから、無駄な殺生は駄目、食べる分だけ狩ろう、という決まりを作ったんだけど、ネビ族事件の時にインユゥちゃんと愉快なネビ族達が食糧庫を半分ほど食ってしまったので、補充をしたのだ。
一つの集落の食糧庫半分を賄おうというのだ、かなりの量の肉が集まりましたよ。えぇ、これ以上は森での狩り禁止を言い渡さざるを得ないほどに。
狩りが禁止なので、当然、木の実などの採取も制限です。
それ取り尽くしたらモンスター達が生きられないからね。
さて、我々は今後何を食べれば良いのでしょう? どこで食べ物を探せば良いんでしょう?
他の集落から奪う?
論外。実行するやつが居たら封印した師匠の技の生け贄にする。でも殺さない。生かさず殺さず遊ぶ。そう忠告したから、まずやる奴はいないだろ。
島の他の場所から採取する?
それも方法の一つ。ですが取りすぎに注意。自分達の土地を守るために他の生態系狂わすとか本末転倒です。いずれ自分に返ってくる未来しかない。
多種族に援助を請う?
これもまた方法の一つ。でもこれから同盟組もうってのに、いきなり援助頼むかい? うーむ、俺はしたくない。まぁ、今はせざるを得ないんだけど。
取り敢えず幾つかチーム組んで、採取班と援助要請班に分かれて行動しています。
他にも方法は有るかもしれないけど、俺の粗末な脳ミソではこれが限界。スケルトンだから脳ミソは無いんだけど。
それで俺は、採取班の一つとして、この空気まで塩辛く痺れるような酷い場所、島の中央部にある、人呼んで“塩害湿地帯”に来ているという訳だ。
本当はインユゥちゃんの暴走に気付けなかった戒めとして他の集落に頭下げて回ろうと思ったんだけど、俺以外の全員に止められました……。
何故だ?




