63話 ヤディカとインユゥ
今回、少し短めです
凄まじい悲鳴や叫び声が森の方から聞こえてきていた。
カサンドラが張り切っているのだろうと思うと、ヤディカの顔に自然と笑みが浮かぶ。
あの人のことを考えると、不思議なほど幸せな気持ちになれるのだ。
今、ヤディカの腕には黒い布が巻かれている。
カサンドラの魔力によって作られた物で、カサンドラは“包帯”と呼んでいた。
腕に重傷を負ったヤディカが無理をしないように、と丁寧に巻いてくれたのだ。
怪我をあっという間に治してくれたのもカサンドラだった。
オオガマのおババが言うには、切断しなければ命が危うい大怪我だったらしい。
そんな怪我を、カサンドラは傷ひとつ残らないように治してくれた。
また力になれず、迷惑をかけてしまったと思う反面、気にかけてもらったり優しくされたりして凄く嬉しいという気持ちになる。
出来ることなら全力で甘えたいけど、カサンドラの隣に居るためには強くないといけない。
治療に専念するためにベッドで寝てなくてはならないというのがもどかしくて仕方がない。
でも、早く治すためには体を休めることが一番なのだそうだ。
腕が治ったら、新しい技術を教えてくれるという。
今から楽しみで仕方がなかった。
「……何気持ち悪ィ面してんだ?」
……コイツがいなければもっと素敵な気分だったのに。
ヤディカがじろりと睨むと、インユゥは何故そんな目で見られるのか分からない、と首を傾げた。
「別に……」
「まぁ、分かるぜ。カサンドラのこと考えてたんだろ?」
「違う」
「違うって……、お前なァ、バレバレなんだよ」
インユゥは肩をすくめ、鼻で笑った。
一緒に戦っている最中は気が合うかもと思ったが、やはり駄目だ。コイツとは気が合わない。
踏み込んで来て欲しくない所に平気で踏み込んでくるし、一人になりたい時でも気にせず近付いてくる。
簡単に言うと、空気を読まない。
その癖、自分は気を遣ってるとか思っているのだから始末に負えない。
こんな奴、嫌いだ。
「あっち行って」
「いや、何処でやろうがアタシの勝手じゃん?」
腕の治療中で鍛練が満足に出来ないヤディカの前で、インユゥは見せ付けるように鍛練している。しかも、カサンドラがブートキャンプしている最中にやっておくように指示した特別メニューを。
「…………」
カサンドラのことを考えると幸せな気持ちになれるのに、コイツと一緒に話したり歩いたりしているのを見たときは幸せな気持ちになれなかった。
悔しいような、焦りのような気持ちで胸が一杯になり、喚いて地面を踏みつけたくなるような衝動に駆られるのだ。
カサンドラが怒ったり悲しんだりしないならば、激痛を感じる毒を顔にぶちまけてやったかもしれない。
自分の中にこんな暴力的な面があるとは思わなかった。
自分がこんな嫌な奴だと知りたくは無かった。
それでも、インユゥを見るたびにどうしても思ってしまうのだ。
カサンドラを取らないで、と。
ヤディカにとってカサンドラに救われた思い出はとても大切なものだ。
助けて欲しかった時に来てくれた、あの姿を見たときから、ヤディカにとってカサンドラは特別だった。
インユゥも、自分は助けられたと言っていた。
だからきっと、ヤディカと似た思いを抱いているんだろう。
でもカサンドラと最初に出会ったのはヤディカだ。カサンドラに最初に助けてもらったのも、最初に抱き締めてもらったのもヤディカなのだ。インユゥじゃない。
カサンドラが優しい人なのは知っている。だからこそヤディカを助けてくれたのだから。そうでなければカサンドラはヤディカの“特別”にならなかっただろうし、インユゥを見捨てていたら、やっぱり“特別”じゃなくなっていただろう。
助けて欲しいと願っている人を助けているから、ヤディカの特別なカサンドラ・ヴォルテッラなのだ。
だけど、我が儘を言うなら、ヤディカだけの優しいカサンドラでいて欲しかった。
酷いことを言うなら、インユゥなんかと出会わないで欲しかった。
変わらないままなら、何時までも甘く幸せでいられたのに……。
でもやっぱり、それじゃヤディカの好きなカサンドラでは無くなってしまうのだ。
「あのさァ、前も言ったと思うんだけどさ……」
いつの間にか、ヤディカの目の前にインユゥがしゃがみこんでいた。
呆れたような、少し哀れむような、どこか老成した表情だった。
「アタシは、アンタからカサンドラを取ろうとか思ってないよ。助けてもらっちゃったから嬉しくて一緒にいるけどさァ、本当にそんだけなんだって」
「誰も、そんなこと、言ってない」
「あぁ、言ってないね。でもさ、種族特性ってヤツなのかな? ヤディカの魔力の動きで、大体分かっちゃうんだなァ……」
「…………」
自分の考えを魔力の動きで読まれている?
だとするならば、今までのヤディカの気持ちは全てインユゥに筒抜けだったというのだろうか?
インユゥに対する思いもカサンドラへの感情も全部?
「そう睨むなよ、アタシだって最近気付いたくらいなんだから。それに全部が全部分かるって訳じゃあ無いよ、多分」
「多分って、自分の、能力でしょ……?」
今度はヤディカが、何をいっているのか分からないと首を傾げる。
どんなモンスターでも、どんな亜人でも、自分の能力が分からない者などいない。
生まれてすぐに赤ん坊が泣いて空気を肺に送り込むように、能力とは本能に根差すものだからだ。
ヤディカは成長に従って徐々に毒性を獲得したが、それでも毒を使うことが出来ないということは無かった。
能力とは使うべくして備わるものなのだ。
インユゥは今まで見たことも聞いたこともない能力を使っていた。
周囲の魔力を食べて自分の力に変え、更にそれを器用に操る。そんな能力を持った部族がいたならば、噂にならない筈がない。
ヤディカはエルカ族を守る戦士だった。だから他の種族の戦士の噂はよく耳にする機会があった。
それでも、インユゥの話は少しも聞いたことがなかったのだ。
じっと見詰めるヤディカに、インユゥは困ったように頬を掻いていたが、やがて小さく苦笑した。
「あー……、うん、ヤディカになら言ってもいいかァ、他の人には言うなよ?」
「言わない」
「信じるよ。っても、覚えてることも分かってることも、あんまり無いんだけどさ……。まず何から話すかな――――」
インユゥのしてくれた話は、ヤディカの想像の範疇を越えていた。
インユゥの種族が化け鯨というものであること。カサンドラはそれを妖怪と称したが、それが何なのかは分からないということ。
もともとは人間であったはずだが、恐らく何らかの事故に巻き込まれてこの島に漂着し、餓えに任せて銀色の魚を食べたことで体が変異したこと。
「そうなってからは、殆ど記憶に無いんだけどな。ただ、腹が減っては何かを食べて、満たされては寝て、の繰り返しだった、それは覚えてる」
「銀色の魚……、何でも食べる……、まるで、“濡れ銀”」
「そう、アタシはその“濡れ銀”ってヤツだったんだよ」
「嘘、でしょ……?」
「嘘みたいなホントの話ってヤツさ。アタシは“濡れ銀”の生まれ変わりみたいなもんだ」
インユゥは心はそのままに銀色の魚の集合体“濡れ銀”に囚われていたのだという。
それも自分で知ったことなのではなく、後にカサンドラが、そうだったのではないか、と考察したものらしい。
カサンドラは“濡れ銀”を討伐する為に、自分を無理矢理“濡れ銀”の体と融合させ、精神世界に入ってきた。
そこでインユゥの精神にも触れ、“濡れ銀”の中に誰かが居ることを知ったのだった。
「あの時はびっくりしたよ、“濡れ銀”の体が爆発したからな。一応アタシとも繋がってたから、痛いのなんの。あぁ、ここで死ぬんだなァって思ってたよ」
「どうやって、助けてもらった、の?」
「それが笑っちまう話でさ、“濡れ銀”の中の魚を一匹残らず吹き飛ばした後に、アタシを挑発したんだよ。美味い飯を食いたければそこから出てこいってな」
「何、それ……?」
ポカン、としたヤディカを見て、インユゥはニッと笑みを深くした。
「意味わかんないだろ? あんまり馬鹿馬鹿しくてさ、逆に、あァ、コイツこれで本気なんだなァって思ったよ」
「ん……、カサンドラは、いつも、本気」
「アタシは、もう二度と死ぬほどの空腹を味わいたくなくて、この世に戻ってくるつもりなんて無かったんだけどな」
「あの頃は……、イノシシ、食べてたはず。あたしが作ったご飯」
「そうそう、それだよ、まさにそれを食いたければ出てこいって言われたんだよ!」
「食べた?」
「食べた! スッゲェ美味かった!」
全身で嬉しさと美味しさを現すインユゥに釣られて、ヤディカも思わず微笑んだ。
まだインユゥのことは好きになれないが、それでもインユゥという女の子がどういう人なのか、少し分かった気がした。
「ここは良い所だよなァ、水が綺麗で、ご飯が美味い」
「ん……」
「改めて考えてみたら、アタシがカサンドラの傍にいる理由はそれが一番だよ。助けてもらったとか、色々あるけどさァ、アイツ、飯にこだわる所あるじゃん?」
「ん、たまに、あたしが見てない、所で、塩足したり、してるの、知ってる」
「カサンドラの傍にいると、美味い飯を沢山食える。これがアタシがカサンドラに近付く理由だ! 分かったか!」
「……単純」
そう言いながらも、どこか安心していることに気が付くヤディカだった。
インユゥがカサンドラを“特別”だと思っていないなら、ヤディカ居場所が脅かされることはないのだ、と。
そんな自分に少し落ち込む。
「納得したかい? お嬢さん」
「お嬢さん、じゃ、ない」
「ま、今のヤディカは万全じゃない。腕を怪我して体を動かすこともできなくて、気分がちょっと落ち込み安いんだよ。だから、色々気にすんな。治すことだけ考えてなよ」
「それが出来たら、こう、ならない」
どうせこんな気持ちもバレているのだろう。
言わないでいたって無意味なのだったら、言ってしまえ。
「インユゥ」
「あ? なに?」
「あたし、あなたのこと、まだ嫌い、だから」
「へへっ、まだ ね、了解 」
今はまだ素直になれないけど、情にほだされた訳でもないけど、さっきよりもインユゥ一緒にいることが嫌じゃなない。
それだけは確かだった。




